~ 俺が敬語を使う理由 ~3
二人は今、中等部の寮に向かって歩いていた。あと1時間ほどで若島津は明和に戻らなくてはならない。家族にも行先を言わずに出てきたので、携帯を持っているとはいえ、あまり遅くなる訳にはいかなかった。
学校に隣接する寮にはすぐに着く。寮監とは先ほど日向の居場所を尋ねた際に顔を合わせていたので「無事に会えたか。良かったな」と言われた。「入寮予定なので中を見学したいのだ」と若島津が申告すると、日向と一緒に行動するならば、と許可された。
「連絡も何もしないで来たんだから、中に入れるなんて思わなかった。日向の部屋ってどこ?」
「2階の奥の方なんだ。1階は食堂とか風呂とか、共用スペースになってる。案内するからついてこいよ」
日向に伴われて寮の中を歩く。1階を回って日向の部屋に着くまでに数人とすれ違ったが、皆一様に日向と若島津を振り返って目で追っていたのが、若島津にとって気になるといえば気になる点だった。
「へえ。思ってたより広いんだ。基本的に二人部屋?」
「ああ。この階から上が生徒の部屋なんだけど、どれも同じ造りで、二人部屋だな。たまたま一人で使っている人もいるみたいだけど」
「お前と相部屋になるのは誰なの?」
「まだ分かんない。1年生だと思うから、もしかしたらお前かもな」
「だといいな」
窓は南側に一つだけ。その窓を挟んで机が二つ並んでいる。ベッドもクローゼットも左右対称に二人分が備え付けられているが、特に中央に仕切りとなるようなものは無かった。
これは、同居人が日向じゃないと厳しいかも。
若島津は、全くの他人と自分が同居をするのが想像できなかった。ただ初等部から上がってくる内部進学者の方が圧倒的に多いと聞いているので、それらが知り合い同士で同じ部屋に入るのであれば、若島津がこの部屋に入る可能性も高いだろう。
この場所は譲れないな、と思い、改めてシーツを剥がしてある、誰も使っていない方のベッドを眺める。それからもう一つのベッド 日向が実際に使っている方のベッド に視線を移し、若島津はそこに見慣れないものを見つけた。
「・・・?」
「・・あっ!」
意外にきっちりと整頓好きな日向らしく、ベッドもちゃんと整えられていた。
だが、日向が使っている筈の枕の上に横たえられ、肌掛け布団まで被せられている物体は・・・。
「・・・ライオン?」
「あっ、あっ!」
若島津がその物体をひょい、と持ち上げると、日向が焦ったような声を出す。
「か、返せっ!」
取り返そうと躍起になる日向を躱し、若島津は手にした物体をまじまじと見つめた。
それは、ライオンのぬいぐるみだった。
古ぼけて色のくすんだ、高さ30センチほどのぬいぐるみ。何でこんなものがこんなところに・・・日向のベッドの上にあるんだ?しかもちゃんと布団をかけられて???と、若島津は疑問符いっぱいの顔で日向を振り返る。そして、あっけにとられた。
日向が真っ赤な顔をしてふるふると震えていたから。
「・・・えーと?」
「・・・返せってば!」
さすがに日向の運動神経、反射速度はいい。赤面する日向という珍しいものに気を取られている若島津から、今度こそぬいぐるみを奪還する。
それから日向はそのぬいぐるみを両腕でギュっと抱きしめる。上目づかいで、顔を赤くしたまま、恨めしそうに若島津を見て。
か、可愛い・・・っ!
ぬいぐるみが、ではない。羞恥に目を潤ませてじっと自分を見上げてくる日向が、ものすごく、ものすごーく、若島津には可愛らしく映った。
「何だ、それ?どうしたの?」
「・・・家から、持ってきた。俺、これがないと寝られないから」
若島津の予想をはるかに超えた、これまた何とも言えない可愛らしい答えに人知れず若島津が悶える。
「そのぬいぐるみ、誰の?日向のなの?」
「・・・俺の。ちっちゃい頃に、父ちゃんが買ってくれた。動物園で」
恥ずかしいのか、日向は若島津とは微妙に視線が合わないようにそっぽを向いて、ポツリポツリと説明する。それによると日向が幼い頃に、遊びに行った動物園の売店で父親が買ってくれたものだということだった。どれが欲しいかと聞かれて、一番強い動物のがいい、と答えたら父親が手にしたのがライオンだったのだと。
なるほど、と若島津は思う。
日向は父親に買ってもらったサッカーボールもとても大事にしていた。破れて空気が抜けても、捨てようとしなかったことを若島津は知っている。それと同じように、大事な父親との思い出の品なのだろうと理解した。
ただ・・・
「可愛い、な・・・」
「・・・! だろ!?買ってもらったのが4歳の時だったから・・・もう8年くらいかな。一緒にいるの。な、すげえ可愛いだろ!?この肉球なんか、よく出来てるだろ!?」
ライオンの前足の裏側をこちらに向けてプニプニと指で押して見せる日向に、ぬいぐるみじゃねーよ、お前だよ。お前が可愛いんだよ! と、心の中で突っ込むが声には出さない。どのあたりで日向の自尊心を傷つけてしまうか分からないからだ。
今のところは大丈夫そうだ、と思う。多少はきまりが悪いのか、頬を赤く染めながらも仏頂面を作って人相は悪くなっているが、若島津には日向がそれほど気分を害している訳じゃないことが分かる。
とはいえ、この日向の気分の見極めは、若島津を始め家族などの一部の親しい人間だけが有しているスキルだった。例えばこれが明和FCのメンバーであれば、訳も分からず日向に「ごめんなさい」と謝っているかもしれない。
心底、日向の見た目が強面で良かったと若島津は思う。そうでなければ、自分は10日以上もこうして離れてなんていられなかっただろう。
ライオンの前足を握りながら若島津は微笑む。
だけど何の気なしにした次の質問によって、若島津の理性はぶっ飛んだ。
「そんなに可愛がってるならさ、名前あったりすんの?これ」
「・・・ん。・・れお、くん」
「・・・ッ!!」
恥かしそうに言い淀んで、それから下を向いて消え入りそうな声で愛称を告げる日向に、若島津の自制心はあっさりと崩れ去った。しかも最後に「くん」がついたのがダメ押しだった。
若島津は、「あー!!クッソかわいいッ!」と叫んだかと思うと、その場に蹲り、しばらくは立ち上がれなかった。何を勘違いしたのか、「か、貸してあげるくらいならいいけど、あ、あげないからな!?」と日向が言い募るのを耳にすれば、尚更だった。
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