~ 日向兄弟 <勝編> ~ 2




俺は父ちゃんの顔を知らない。
勿論、写真は見たことがある。何度も何度も。小次郎兄ちゃんと一緒に映っている写真が一番多くて、次は尊兄ちゃんと姉ちゃんとの写真が多い。
俺と映っている写真はほんのちょっと。写真の中の父ちゃんは、俺のことを大事そうに抱っこしたり、膝に乗せてくれている。

だけど、俺には生きていた頃の父ちゃんの記憶は全くない。父ちゃんは俺が1歳の時に死んでしまったからだ。

母ちゃんに言わせると、顔は尊兄ちゃんが父ちゃんに一番似ているらしい。確かに、写真を見る限りでは、尊兄ちゃんが一番似ているのかな。尊兄ちゃんが大人になったら、あんな感じになるのかもしれない。
でも、なんとなく違うんだ。雰囲気が。
写真の中の父ちゃんは、優しそうで、穏やかな感じで・・・・そう。どっちかって言ったら小次郎兄ちゃんに似ている気がする。
サッカーしている時の小次郎兄ちゃんしか知らない人は、小次郎兄ちゃんのことを『すごく怖そう』なんて言うけれど、そんなことは全然無い。
正直、俺は小次郎兄ちゃんに怒られた覚えがあんまり無い。小次郎兄ちゃんがまだ家にいた頃には俺が小さ過ぎたし、大きくなってからも「出した物は片付けろ」とか「ちゃんと座って食え」とか、そういうのを言われたことはあったけれど、本当にきつく叱られたことは・・・多分、無い。
たまに家に帰ってくると、俺のことを可愛がってくれて、一緒にサッカーボールを蹴ったりして遊んでくれて、すごくすごく優しい兄ちゃん。
サッカーが上手で、かっこよくて、自慢の兄ちゃん。
それが小次郎兄ちゃんだ。





「ねえ、母ちゃん。・・・・本当にダメなの?」
「ちょっと、勝。お皿出してくれない?それからテーブルの上片付けて!・・・ホラ、早く。もうご飯にするからね」
「お母さん。お味噌、これくらいでいい?」
「んー?どれ?」

ウチの夕飯の準備は、いつも戦争のようだ。
母ちゃんは朝から夕方まで働いて、それから買い物して帰ってきて、ご飯を作る。
姉ちゃんも手伝うし、俺も手伝うんだけど、俺の場合はどうやらあまり戦力になっていないらしい。
尊兄ちゃんはと言えば、中学生になってから母ちゃんよりも遅く帰ってくるようになった。

「ホラ、勝。ご飯運んで。落とさないでよー」

母ちゃんはいつもいつも忙しい。

「あ、こら。ちゃんと拭いておいてよ。これ以上母ちゃんの仕事を増やさないでよっ!」

麦茶をコップに入れようとしてこぼしてしまったら、すかさず突っ込まれた。ちゃんと自分で片付けるのにさ。



「あんた、まだ土曜参観のこと言っているの?諦め悪すぎー」

今日のご飯は豚の生姜焼きと茄子の蒸し焼きと、とろろご飯と大根のお味噌汁。沢山の種類のおかずは無いけれど、母ちゃんの料理はパパパっと出来上がって、いつも美味しい。
モグモグと頬張っていると、姉ちゃんが言わなくてもいいことを言ってくる。

「・・・うっさいな」
「大体さあ、高学年になったら、親が来ない子なんて他にもいるよ。そもそも、なんでそんなに来て欲しい訳?母ちゃんがいようがいまいが、いつもと同じに勉強するだけでしょ。授業参観じゃない時はどうしてんのよ、あんた」

一言 『うるさい』 って言っただけなのに、5倍くらいになって返ってきた。これだからオンナは嫌なんだ。

姉ちゃんは近所のおばさんたちから、『直ちゃんは可愛いねぇ』 『大きくなったら美人になるねぇ』 なんてよく言われている。
本人もすっかりその気だし、確かに弟の俺から見ても、姉ちゃんは美人だ。

ただ、いかんせん性格がイマイチだ。


「そういえばさ。あたしが低学年の時なんか、あんたが母ちゃんと一緒に授業参観に来ててさ。ウロウロ教室の中を歩いたり、うるさくしたりして迷惑かけてくれたよねぇ。すごく恥ずかしかったの、思い出しちゃったよ」

・・・思い出すなよ、そんなこと。

もう、本当に女って・・・。と思って、俺は後で尊兄ちゃんに相談することにした。






「仕方がないだろ。母ちゃんが仕事が休めないっていうんだから」

分かってるんだってば。そんなこと。

「いつまでもガキみたいな事、言ってんなよ。勝」
「・・・ハイ」

う。怖い。
尊兄ちゃんが冷たい視線を向けてくる。

家に帰ってきた尊兄ちゃんを捕まえて土曜参観のことを話してみたら、「言っても仕方のないことをいつまでもグダグダ言うな」って怒られた。

俺にとっては、小次郎兄ちゃんよりも、よっぽど尊兄ちゃんの方が怖い。
小次郎兄ちゃんが家にいなくて俺のことを叱れない分、尊兄ちゃんにはしょっちゅう怒られている。たまに叩かれたりすることもあるし、でも、そんな時は自分でも「俺、悪かったな」って後で思うんだけど。

尊兄ちゃんは俺より5才年上で、小次郎兄ちゃんが家を出て行ってからは、父ちゃんの代わりで小次郎兄ちゃんの代わりでもある。
俺にとってはそれが普通のことで、ちょっと怖いけど、頼れる兄ちゃんだ。

実は、時々小次郎兄ちゃんが戻ってくると、そっちの方がヘンな感じがする。
いつもと違うっていうか・・・。小次郎兄ちゃんのことは大好きだけれど、尊兄ちゃんも姉ちゃんも少しいつもと違うようになるから、ちょっと落ち着かない。

なんていうか、尊兄ちゃんも姉ちゃんも、優しくなるような気がする。あんまり俺のことを怒らなくなるし、特に姉ちゃんなんかいつもより静かになるくらいだ。
でも、シーンとする訳じゃないし・・・。上手く言えないけれど、小次郎兄ちゃんがいるだけで、家の中の空気が柔らかくなるような気がする。
安心、するのかな。
俺は一人で家で留守番しているのはまだちょっと怖くて、尊兄ちゃんや姉ちゃんが帰ってくると安心する。それと同じで、尊兄ちゃんたちも、小次郎兄ちゃんがいると安心するのかな。

俺には、父ちゃんが生きていた頃の記憶どころか、小次郎兄ちゃんが家を出て行った頃の記憶もあまり無いから、気がついたら4人家族だった感じだけれど、尊兄ちゃんたちはそうじゃない。
それが、ちょっと羨ましかったりする。兄ちゃんたちには言わないけれど。



「俺でもいいなら、別に見に行ってもいいけどな。授業参観。・・・・部活がなければだけど」

何も言い返さない俺をさすがに不憫に思ったのか、尊兄ちゃんが言ってくれる。

んー。
気持ちは嬉しいけれど、さすがに中学1年生の尊兄ちゃんが後ろに並んでいても、何だかおかしいよなあ・・・と思う。

でも、あれ。待てよ?
じゃあ、高校生だったらどうかな?そんなに可笑しくはないんじゃないの?

そこで俺は思いついて、つい言ってしまったのだ。

「小次郎兄ちゃん、来てくれないかなあ・・・」

すると、尊兄ちゃんは着替えの手を止めて、ゆっくりと俺の方を振り返った。
マジマジと俺を見て、『何を馬鹿なこと言っているんだ』って目をした。

「・・・お前、うちの兄貴を一体誰だと思っている訳?『日向小次郎』だぞ?・・・・あの人にそんな暇がある筈ないだろ」
「・・・・知っているよ。そんなこと」

それだって、分かっているんだ。
年に2回くらいしか会えないんだから、忙しいに決まっている。毎日毎日、サッカーの練習と試合ばっかりだって、俺だって知っている。
小次郎兄ちゃんの入っている高校のサッカー部が、日本一強い所っていうのも知っている。
日本の代表に選ばれて、外国に行って試合をすることだってあるのも知っている。


「分かっているもん・・・。それくらい」
俺はそれだけ言って、尊兄ちゃんに背を向けた。

お風呂に入って歯を磨くと、モヤモヤした気分のまま、次の日の時間割を揃えてさっさと布団に潜り込んでしまう。
ふすまの向こうでは、洗濯物をたたみながら話す姉ちゃんと母ちゃんの声と、俺のために小さくしてくれたテレビの音。

どうして、父ちゃんは死んでしまったんだろう。
考えても仕方がないことだけれど、多分、父ちゃんが生きていたら、何もかもが違っていた筈だと、思う。
きっと母ちゃんはこんなに仕事ばかりしていないし、家だってもっと大きくて、学校から帰ったらいつも母ちゃんがいて、『おかえり』って言ってくれて。
小次郎兄ちゃんだって、遠くの学校に行ったりなんかしなかった筈だ。
家族6人が揃って、俺はその真ん中ではしゃいだり、甘えたり、怒られたり・・・。それが普通だった筈なのに。
見上げている天井がユラユラと揺れてきて、アレ?と思ったら、涙がこぼれてきた。
父ちゃんが悪いんじゃない。母ちゃんが忙しいのだって、仕方がない。小次郎兄ちゃんが家にいないのだって、それだって、仕方がない。・・・・そんなこと、分かっている。
でも。

俺。やっぱり、少し寂しいよ。父ちゃん・・・。

そう思ったら、もっと泣けてきた。布団の中に潜って、声が外に聞こえないようにして、少しだけ、泣いた。




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