~ 月に花火 ~4
「小次郎!良かった、会えて!」
これからどこを回ろうか、と相談していた時に日向家の母がやってきた。
こんなに人が多いと思わなかった、会えないかと思った そう言って額の汗を拭く母は、勝を腕に抱いていた。
「母ちゃん。勝」
勝は兄の姿をみとめると、母親の腕の中から小さな手を伸ばしてきた。抱っこして欲しがっていることが分かるので、小次郎は母親から勝を受け取って抱いてやる。
「母ちゃん、びっくりしちゃった。こんなに人が多いなんて知らなかったから」
やはり母親も想定していなかったのだ。小次郎は「もし会えなくても大丈夫だよ。俺、ちゃんと尊と直子を連れて帰るからさ」と母親を安心させるための言葉を掛けた。
「母ちゃんたち、今来たの?さっき、健ちゃんの空手、終わっちゃったんだよ」
直子がそう言えば、日向家の母は健の方を向いて、「そうなんだ。残念、見たかったなあ」と笑った。
「また今度見せてね。それから、小次郎と一緒に尊と直子を見ててくれて、ありがとうね。・・・じゃあ、尊たちは母ちゃんと行こうか。小次郎はまだ若島津くんと一緒に回るんでしょう?気を付けて行ってきなさいね」
母親にそう言われて、小次郎と健は顔を見合わせた。
「一緒に回ろう」と約束はしていたけれど、別に二人きりとは言っていなかった。確かに尊たちのことは『合流するまで面倒を見ていて』としか頼まれていなかったが、別に家に帰るまで尊や直子も一緒でいいかと思っていたのだ。小次郎自身は。
「あ、うん・・・。分かった。じゃあそう・・」と小次郎が答えかけた時だった。「俺、兄ちゃんと一緒に行きたい・・・!」と尊が兄に訴える。
「俺も、兄ちゃんと一緒に行く・・・!」
「尊」
普段、自分の望みを口にすることの少ない尊がそんなことを言いだすのだから、小次郎は意表を突かれた。だが意外にもそれに異を唱えたのは母親だった。
曰く、「お兄ちゃんだって、たまには友達同士で遊ぶことが必要なの。それにこんなに人が多いのにあんたたちがいたら、迷子にならないか気を使って楽しむどころじゃないでしょう」とのことで、それは確かにそうだった。ちゃんとついてきているか、はぐれたりしないかと、常に気になるだろう。
日向家の母親は女手一つで苦労している割にはどこかおっとりとしていて、厳しいばかりの女性ではない。そのかわり一度言いだしたら引かないところもある。その母親が駄目だと言うのだから、それは本当に駄目なのだということが兄弟にも分かっていた。
「尊。今度もうちょっと小さいお祭りを一緒に回ろうな」
「うん・・・」
兄に宥められ、尊も今度は大人しく母親の後についていった。その彼らの背中に向かって、健が思いだしたかのように「あ、おばさん!」と呼びかける。
「今日、ウチの道場の誰かと一緒に日向のこと送るから、花火が終わるまで・・・最後まで見ていっていいですか?」
「え?」
え、と聞き返したのは小次郎だ。そんな話は今初めて聞いた。祭りの締めに花火が上がることは教えられていたけれど、最後までいたら遅くなって直子たちの寝る時間に間に合わなくなるから、無理だと思っていたのだ。
「若島津くんが一人になることはない?・・・なら、いいよ。ごめんね、帰りはよろしくね」
「はい。・・・行こうぜ、日向!」
明るく人好きのする、完全に他所向けまたは大人向けの笑顔を振りまいて返事をし、健は小次郎の手を引っ張って走り出した。
「ちょ・・っ、急に引っ張ったらあぶねえだろっ!」
「まだ俺、あんまり店も見てないんだよ。だから早く行こうぜ!」
手を引かれながらも家族の方を振り向くと、尊が哀しそうな顔をしてこちらを見ていた。小次郎は胸の中で小さく謝った。
「日向、腹減ってない?」
「俺は家を出てくる前に少し食べてきたから」
「結構前じゃん。すいてるだろ。なんか食おうぜ」
直子や尊は露店で夕食とするのも難しいから、家を出てくる前におにぎりを食べてきた。だけど確かに育ち盛りの小次郎はお腹もすいてきている。
「ウチの道場は焼きそばの店も出してるから、行こう。たぶん母さんもそこにいるし、うちのならタダで食えるから。その後に他の店を見よう」
そう言ってまた健は小次郎の腕を引っ張って走り出す。「だから、お前、走るなって・・・!あぶねえってば!」と小次郎が咎めても、どこ吹く風で振り返りもしない。
だけど不思議なことに、健が前を走ると何故か人にぶつからないのだ。スルスルと人と人の隙間を見つけては、器用に通り抜けていく。小次郎も段々と楽しくなってきた。
「・・ふふ、あは・・っ!」
手を引かれて走る小次郎が笑うと、ようやく健も振り向いた。どうだ、と言わんばかりの笑みを浮かべている。
「お前って、ほんと、頭おかしい・・・っ!何やってんの!?」
「ちんたら歩いてられないくらいに、腹が減ってんだよ!日向だってもっと速く走れるだろ!?」
「当たり前だっ!お前なんかに負けるかよ!」
若堂流の道場が出している店に辿り着いた時には、二人ともゼイゼイと肩で息をしていた。滴る汗をぬぐいながら、だけど楽しかったと小次郎は思う。こんなに子供じみたことをしたのは、久しぶりかもしれない。
健の母親に挨拶をし、焼きそばを2パックとお茶を受け取った二人は座れる場所を求めて広場に戻った。広場に用意された幾つかのテーブルと椅子は埋まっていたが、小次郎たちはその辺の石や草むらでも構わなかった。
「あ、若島津」
「よう」
手頃な石垣の上に腰かけて、焼きそばを食べようと箸を割ったところだった。明和小の同級生数人が目敏く二人を見つけて寄ってくる。
「見たぞ、さっきの空手の。超カッコ良かったじゃん」
「だろー?道場入会の申し込みはそこの焼きそばの店で受け付けているから。まいどー」
健が軽く流せば、同級生たちは楽しそうに笑った。
「なあ。この後、俺たちと一緒に回ろうぜ」
その中の一人が焼きそばをものすごい勢いで頬張る健を誘う。そして健の隣で同じく焼きそばを食べている小次郎をチラリと見た。
「お前、2組の日向、だろ。お前も一緒でいいからさ」
小次郎は内心でムっとした。こっちの方が先に一緒に遊んでいるのだ。『一緒でいい』と言われる覚えはない。
だが小次郎が文句を言う前に、「今日は駄目。約束があるから」と健が断った。
「約束?」
「これ食べたら、焼きそばの売り子やるんだよ。手伝えって言われてんの。日向も一緒に。だから無理」
小次郎はそんな話は聞いていないとまたしても思ったが、取りあえずは口を挟まずに黙っていた。それを見て、同級生たちも「分かった。じゃーな!」とあっさり引き下がってどこかに消えた。
「・・・お前って、割と平気で嘘つくよな」
「嘘も方便って言うじゃん。俺は今日は日向と二人で遊びたい。ああ言えば話は早いし、お互いに気分も悪くならないだろ?」
「・・・俺、嘘つく奴って信用できないんだけど」
二人で遊びたいと言ってくれるのは、小次郎も同じように思っていたから嬉しい。だけど嘘をつく人間が苦手なのも本当だ。
特に健のようにしれっと悪びれもせずに嘘をつかれると、根の単純な小次郎には真偽を見分けるのは難しい。
「日向には嘘ついたりしない」
「・・・どうだか」
「本当だよ。お前に嘘をつく必要性がまず見当たらない。・・・どうせ、三歩も歩いたら忘れるんだし?」
「てめっ!」
あはは、と笑って健が逃げる。小次郎は今日はなんだか健に翻弄されてばかりのような気がしたが、「食ったなら、店を回ろうぜ!」と手を差し出されて、コクリと頷いてその手を取った。
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