~ 月に花火 ~3




(あ。いた・・・!)

前の子たちが演武を終えて下がると、入れ替わりに健が上がってきた。後ろに二人の少年が続いている。健を真ん中にV字の形に並ぶと、やはり正面に向かって一礼する。それから凛とした声で健が何事かを告げると、それを合図に演武が始まった。

ここに至って、どうやら形の種類を宣言しているらしいと小次郎にも理解できた。だがその言葉は呪文のようで、意味は全く分からない。
それでも健の声は前の二人に比べても遥かに大きくてよく通り、辺り一面に響き渡った。


軽く重ねた両手を頭上高くに掲げ、左右に広げてゆっくりと弧を描きながら降ろしていく。神経の行き届いた健の指先が、何も無い筈の虚空に円を刻む。不思議とその軌跡が残像のように目の奥に残り、小次郎は幻想的で美しい所作に息を詰めた。

一見して何と言うこともない最初のその動作だけで、賑やかだった筈の祭りの会場に独特の静寂が落ちた。舞台に立っているのは小学生の子供でしかない。だがその小学生が、健が、今この場を支配している。そのことが下から見上げる小次郎にも手に取るように分かった。自分でも気づかぬうちに背筋が震え、知らず溜めていた息が喘ぐように漏れた。

健は腹の前で円を結ぶと、自ら作った静けさを切り裂くように左の手刀を繰り出した。上段受けからスピードに乗せて更に手刀を打ち込み、キレのある正拳突きで空気を震わせる。
力強い武術ではあるけれども、三人の技が揃えばそれは舞いにも似て華麗だった。大きく舞台の板を踏み鳴らすこともあれば、すり足で静かに移動することもある。
雲一つない夜空には月が輝き、神秘的な演武を奉納する少年たちを淡く金色に照らしていた。

(すごい・・・・。こんなに綺麗なものなんだ)

健は肩まで伸ばした髪を軽く後ろで結び、白い道着に黒帯を締めている。いつもどこか飄々としているくせに、今は小次郎がこれまで見たこともないくらいに真剣で厳粛な表情をしていた。普段の軽口を叩いて小次郎を揶揄っている時の健とは、まるで違う。なまじ造作が整っているだけに、そんな顔つきをすると威圧感すらあった。

舞台の上の三人は、最後に高く跳躍して二段蹴りで締める。派手な技に観衆からも感嘆の声が上がった。

「兄ちゃん。けんちゃん、かっこいいね・・・」
「うん・・。かっこいいな」

『よく見えない』というから抱き上げてやっていた直子が、思わずといった風に漏らす。
だが小次郎も同じ想いだった。空手の形がこれほどに美しくて、心を揺さぶられるものだとは思わなかった。

ステージでは演武を終えた健が礼をしている。そのまま櫓から階段を下りてくる姿を小次郎が目で追っていると、ふと視線があった。
だが健は小次郎をみとめても、いつものように笑いかけることも、合図を寄越してくることも無かった。それどころか小次郎を認識していないかのように、一切の表情を変えることなく、ただ静かに見下ろしてくる。

「兄ちゃん。健兄ちゃんがこっち向いてるよ。・・・・どうしたの?兄ちゃん、顔が赤いよ?」

尊に問われて初めて、小次郎は自分の顔が有り得ないほどに熱くなっていることに気が付いた。手の甲を頬に当てて落ち着こうとするけれど、上手くできない。心臓がバクバクと音を立てている。こんなのはおかしい、変だと思うのに、どうにもならなかった。

(何で、おれ、こんなに)

小次郎は目をギュ、と瞑った。頭の中を占めているものを追い払うように、ふるふると首を横に振る。
だがそうしたところで、先ほど目に焼き付けてしまった健の舞うような姿は、瞼の裏に何度でも甦った。繰り返し、まざまざと。圧倒的な鮮烈さで。
小次郎は自分に言い聞かせた。

     たぶん、びっくりしただけなんだ。だって、あんな若島津を見るのは、初めてだったから・・・)


確かにあんな健を見るのは初めてだった。普段、同い年の少年たちを上から目線で見下ろしてくる友人は、勉強も運動も出来て要領も良く、学校ではそこまで真剣に何かに取り組む姿をあまり目にしたことが無かった。がむしゃらになるでもなく、肩の力を抜いても一通りのことは他人よりも上手くやってのけていた。そして、それはたまに一緒に練習するサッカーにおいても同様だった。

だから小次郎は知らなかったのだ。


空手をしている時の健が、あんな風に焼き切れそうに熱くて、何かに憑かれたような表情をすることを。
そのくせ、近寄りがたいほどに冷たい目をすることを。










若堂流による演武の披露が終わると、今度は櫓を中心に盆踊り大会が始まった。さっきまでの別世界から、一気に現実の世界に呼び戻されたような気がした。

直子が座りたいと言うので、日向の三兄弟は参道に戻って、健との待ち合わせ場所に向かった。健とは、ちょうど露店の並びが切れるあたり、社殿近くの石段の下で落ち合う約束をしていた。

「日向!」

小次郎が直子と尊を石段に座らせてペットボトルのジュースを飲ませていると、道着から普段着に着替えた健が走ってきた。それはもういつもの健で、先ほどの舞台の上にいた人物とは違って見えた。

「健ちゃん!さっき、すっごくかっこよかったー!」
「直ちゃんも見てくれたんだ?本当にかっこよかった?」
「うん!すごく!一番かっこよかった」
「ありがとね」

褒められた健は機嫌よく笑って、直子の頭を撫でる。弟や妹のいない健は、こうして直子や尊のことも可愛がってくれる。そのことも、小次郎が健と仲よくなったことの一つの要因だったかもしれない。

「俺も、すごくかっこよかったと思う。空手やってる時の健兄ちゃん、怖い感じもするけど」
「そっかー?良かったら、尊もやるか?空手。道場入らなくても、俺が教えてやるし」
「え!?いいの!?」
「ばか、適当なこと言うなよ」
「適当じゃねえけど。本気だし」

尊は目を輝かせて健を見上げている。ここにも「空手を習いたい」と思う子供がいたか、と小次郎は肩をすくめた。

「お前は?」
「あ?」
「日向は、何か感想ねえの?あるだろ。ほら、言えよ。いくらでも褒めていいぞ。っていうか、褒めちぎれ」
「・・・ジイシキカジョー」
「ん?何だって?」

小次郎はそっぽを向いた。こいつは舞台の上に立った自分がどう見えていたのかということを、ちゃんと分かっている。そう思うと素直に「恰好良かった」というのも癪だった。

本当は先ほどの健を思い返すだけでも、胸の動悸が甦りそうだ。男なのに、同じ男の健が空手をやっている姿を思い浮かべるだけでそんな風になるだなんて、自分でもおかしいと思う。だけど体が勝手に反応するのだから仕方が無い。
それくらいに、さっきの健の姿は強烈だったのだ。

櫓の向こうに映るのは、どっしりとして夜の闇に沈む山と、そこから続く深くて静かな森。健が舞台に立った途端、小次郎は森の方からひんやりとした風が吹いたように感じた。
揺れる提灯の灯りと、空中に描かれる3つの真円。張り詰めた空気の中、清らかに響き渡る声。動と静を同時に内包した、美しくも力強い健の空手。

視線が吸い寄せられ、釘付けになった。人の動きがあんなに綺麗なものだとは、それまで感じたことも無かった。

「あのね、兄ちゃんはねえ。健ちゃんを見て、顔をまっかにしてたんだよ」
「なお・・っ!おまえ、余計なこと・・っ」

小次郎が直子に口止めしたした時には、もう遅かった。「・・・ふーん」と健がニヤニヤとこちらを見ている。嫌な奴に嫌なことを知られちまった、と小次郎は内心で舌打ちした。









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