~ 月に花火 ~2




祭りの当日は快晴だった。夕刊の配達を終わらせて家に戻った時間でも、まだ外は明るく、蒸し暑い。

だがそろそろ家を出なくてはいけない時間だった。あまりゆっくりしていると、大事なものを見そびれてしまう。
小次郎は尊と直子を連れて、祭りの会場である明和神社に向かって家を出た。

「兄ちゃん、暑いねえ・・・!神社って、遠いの?」
「歩いて15分くらいかな。・・・直子の足じゃ、もっと・・・かな。まだまだ、だな」

ひまわり柄のノースリーブのワンピースを着た直子と手を繋いで歩きながら、小次郎は尊にも目を配る。神社までの道のりは危険なものではないが、幼い子供は車からの死角に入りやすい。弟たちを無事に祭りに連れていくことと、後で母親と合流するまで面倒を見ること。その2点が今日の小次郎の大事なミッションだった。

「兄ちゃん。お祭りに着いたら、かき氷食べたいな。買ってね?」
「ああ。母ちゃんからお小遣い貰ったからな。でも、ちゃんと考えて使おうな」

あれも欲しい、これも食べたいと楽しそうに話す直子に、小次郎は柔らかく諭すように話した。きっと祭りの会場には子供にとって魅力的な出店が沢山並んでいることだろう。欲しいがままに買い物をしていたら、あっという間に貰ったお小遣いも無くなってしまう。
祭りに行く、と言ったら母親がお金を渡してくれた。思わず「いいの?」と聞いてしまったけれど、小次郎も本心では嬉しかった。やはりお祭りに行って何も買えないのではつまらない。

その代わりに尊と直子も連れていって、と頼まれた。「勝が寝ているから、母ちゃんたちは後で行くよ」とのことで、それまで尊と直子を遊ばせておいて、ということだった。
小次郎としては尊と直子が一緒でも何も問題ない。若島津兄弟と約束した空手の演武を見て、少し買い物をして楽しめればそれで十分なのだから。







「暑いよう、もう歩くのやだあ」といって愚図りだした直子を、最後は抱き上げて歩いた。
ようやく神社に着いた頃には、小次郎も汗だくだった。

明和神社は、こんな田舎町のどこから人が集まってきたのか、というほどに混雑していた。これは直子と尊とはぐれたら大変なことになるな・・・小次郎は明和の祭りを甘く見ていたことに気が付いた。多分、母親だってここまで人が多いとは思っていなかっただろう。

「尊。直子。絶対に兄ちゃんから離れるなよ。迷子になったら、見つからないかもしれないからな」
「うん」
「はーい」

直子とは手を繋いで、尊には自分の服を掴ませた。絶対に食べる!と直子が主張するので、まずはかき氷の露店を探して歩く。ようやく見つけた店は長い行列が出来ていて、並ぶのもまた一苦労だった。だが手にしたかき氷を美味しそうに食べる直子が可愛くて、小次郎としてはそれを見るだけでも満足だ。

「次は?尊は何が欲しい?」
「兄ちゃんが行きたいところでいいよ」
「・・・お前、こんな時くらいはちゃんと欲しいものを言えよなー」

直子とは対照的に、尊はあまり自分の望みを口にすることが無い。我儘も言わないし、愚図って小次郎を困らせることもない。『我が弟ながら、出来のいい奴』と自慢に思う一方で、時折いじらしくもなる。
多分、尊は覚えているのだ。直子や勝と違って、父親が亡くなったばかりのあの頃のどうしようもない不安や辛さを、尊は多分、自分や母親と共有している。まだ小学1年生の尊が直子や勝の側でなく、こちら側にいることに小次郎は申し訳なささえ覚えていた。

(尊はまだ、こんなに小さいのにな・・・)

だからこそ、こんな特別な日くらいは楽しんで欲しい。

「じゃあ、尊。兄ちゃんと一緒に歩いていて、気になるものがあったらすぐに言えよ?いいな?」
「うん」

立ち並ぶ露店を冷やかしながら歩き、たまに直子の望んだとおりにヨーヨー釣りや籤引きを楽しんだ。そうして石畳の参道を進んでいくうちに、やがて広場に辿りつく。中央には背の高い櫓が組まれており、その舞台には大小の和太鼓が4つ並んでいた。これから子供会による演奏が始まるようだった。

「あ。あれ、同じクラスの子だ」

尊が舞台を指さして告げた。どうやら小さい太鼓は低学年の子供が、大きい太鼓は高学年の子供が叩くことになっているらしい。櫓の下にも学校で見覚えのある顔が何人か並んでいた。
同じ年頃の子や、見知った顔が舞台に上がり始めたことで、尊と直子の興味も惹かれたようだった。

和太鼓の演奏は、子供たちによる年に一度の出し物だと思えばこんなものか、といった感じだった。上手なのか下手なのかも小次郎には分からない。
だが舞台の上に並んだ子供たちは揃いの法被を着てハチマキを締めて、皆が楽しそうにしているのが印象的だった。また舞台の下では親らしき大人たちが集まって写真を撮っていて、こちらも和気あいあいと盛り上がっていた。
こういうのもいいよな、と小次郎は素直に思う。

「兄ちゃん。直子も太鼓、叩いてみたいよ」
「直子も?・・・・うん、そうだな。直子はもうちょっと大きくなってからだな」

この祭りの舞台の上で彼らのように太鼓を叩くには、子供会に入る必要があるのだろう。そうであるなら、もしかしたら直子にはやらせてあげることが出来ないのかもしれない。
だが目をキラキラさせて自分を見上げてくる幼い妹に、「無理かもしれない」とは言いたくなかった。それに直子が小学校に上がる頃には母親にも余裕が出来ているかもしれない。自分がもっと家の中のことを手伝えば済むことだ。自分が働いて母親が楽になれば、その分直子や勝にしたいことをさせてやれる。それがいい、そうしよう。

小次郎はそう結論づけると、直子を抱き上げた。

「健ちゃんの空手はいつ始まるの?」
「太鼓が終わったら、って言っていたから、もうすぐだな」

若堂流による空手の演武は、子供会の出し物が終わったら・・・と健から聞いていた。舞台の上では太鼓の演奏が終わって、今は撤収作業の最中だ。いよいよ健たちの出番が近づいている。
気がつけば空も夕暮れ色に染まり、うだるような暑さも落ち着いていた。広場を囲むように茂っている樹々からは煩かったアブラゼミやクマゼミの声も聞こえなくなり、今はヒグラシが鳴き始めている。人が先ほどよりも更に増えて、櫓を飾る提灯にも電気が入り、本格的に祭りの雰囲気になってきた。

小次郎は少しドキドキしてきた。健も暁も「絶対に見に来い」と言っていたが、空手の形というものを見たことが無いので、それがどれほどのものなのか分からない。こんなに目立つ舞台の上に友人が立つと思うと、どことなく気恥ずかしさも覚えるし、何だかそわそわして落ち着かない。

「次は、若堂流空手道場の子供たちによる      」とアナウンスが入ると、ぞろぞろと道着を身に纏った小さな子供たちがステージに上がってきた。尊と変わらない年齢に見えるから、小学1年生か2年生といったところか。6人の少年少女が静かに前後2列になって等間隔に並ぶと、起立の姿勢を取って礼をした。

「~~~!」

小次郎には聞き取れなかったが、前列の先頭にいる少年が何事か掛け声を上げると、ざ!と全員が一斉に構えを取る。正面に向かって突きと蹴りを連続で繰り出し、「エイッ!」と気合を入れたら今度は身体の向きを変えて正拳を突きだす。動くのも止まるのも踏み込むのも、全員の動作が揃っていた。低学年の子たちがこれだけ息を合わせるのに、どれほど練習を繰り返したのだろうと思うと小次郎は感動すら覚える。先ほどの太鼓の演奏とは対照的に、どの子からも笑顔は見られず、みなが真剣な顔をして技を披露していた。

演武を終えて子供たちが一礼すると、舞台の周りは拍手に包まれた。小次郎も思い切り手を叩いた。

(・・・小さい子たちでも、これだけすごいんだもんな。若島津や暁兄ちゃんなら、どんなに恰好いいだろう)

次に現れたのは、先ほどよりも少し大きい子どもたちだった。彼らの演武もまた素晴らしかった。
若堂流の中でも上手な子供を選んでいるのかもしれないが、健の話していた「PRも兼ねて」ということなら、十分にその役割は果たしただろう。隣にいる尊を見れば、すっかり惹きこまれたように舞台の上を見つめている。今夜は何人もの男の子が家に帰ってから「空手を習いたい」と親に強請るのかもしれなかった。









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