~ 月に花火 ~




夏休みが終わりに近づくと、夏祭りの時期がやってくる。
明和の町は普段は田舎で何もない静かな土地でしかないが、祭りの準備が始まるこの時期だけは少し様子が異なった。
住民たちが土日になると自治会館に集い、ああでもない、こうでもないと合議を重ねる。中には年を取った者もいれば、若い者もいた。


町の北にある若堂山を背にして鎮座する明和神社において、氏子が中心となって祭りを開く。いつもは駐車場として使っている広場に青年部が櫓を建て、その舞台の上で子供会は太鼓を披露し、婦人部は盆踊りの手本となる。
参道の両脇には露店が幾つも立ち並び、提灯が飾られ、明和の住民だけでなく近隣の町からも客が次々と訪れて、古式ゆかしい社のどこもかしこも人で溢れかえる。そのうち酒の回った男たちが陽気に騒ぎ始めて無礼講となり、いつにない賑わいが夜遅くまで続く。
これが昔からの明和の町の夏祭りだった。



「今度の土曜日?お祭り?」
「そ。お祭り。お前も行くだろ?」

今週末の土曜日はサッカークラブの練習が無い。どうしてだろうと小次郎が疑問に思っていたら、隣を歩く若島津健に「当然だろ。お祭りだよ、その日」と事もなげに言われた。
そのうえで「お前も行くよな。一緒に回ろうぜ」と誘われたのだ。

「お祭り・・・。へえ。そんなの、あったんだ」
「そりゃあ、あるだろ。どこでもあるだろ。日向も太鼓、叩くんじゃないのか?」
「太鼓?」
「太鼓・・・って、あれ?子供会に入ってる奴って皆、毎年太鼓を叩くんだよ。夏休みの間に何回か練習してさ。聞いてない?」


健の話は小次郎にとって初耳だった。そもそも明和の祭り自体が初めてだ。この町に引っ越してきてからまだ一年が経っていないのだから、それも当然だった。

クラブの練習を終えて家に向かっているところだった。夏の陽は長い。夕方の6時半を過ぎても外はまだ仄かに明るかった。
小次郎は、自転車を押す健と並んで歩く。小次郎自身は自転車を持っていないから、クラブへの行き帰りでも、公園に遊びに行くのでも、いつも徒歩かランニングがてら走っていた。だが健がそんな自分にいちいち付き合っていたら帰るのが遅くなってしまうのも分かっている。それで『お前は自転車に乗って先に帰れ」と言うのだが、健はただの一度もそうしたことは無かった。



「子供会・・・。もしかしたら、俺んち、子供会って入ってないかもしれない」

子供会・・と口の中で小さく呟いて少し考え、小次郎は答えた。

「え?そうなの?」
「うん。俺んち、母ちゃん働いているから、そういうのできないって。前に母ちゃんが言っていたことがある」

母親の職場は土曜日も昼まで仕事がある。そうでなくても直子や勝がまだまだ幼くて、面倒を見るのに手もかかる。何も手伝いができなかったり、役目を果たせないくらいなら、最初から入らない方がいい・・・そんなことを確か言っていたように思う。

「・・・ふーん。子供会に入らないっていうのも、アリなんだ。それならそれで、いいんじゃね?俺は入っているけどさ、でも太鼓は叩かないし」
「そうなのか?何で?」

入っている子供は皆、と先ほど健が言ったのだ。小次郎は理由を尋ねた。

「毎年、うちの道場も祭りの舞台で演武を披露するんだよ。若堂流のPRも兼ねてさ。俺はそっちに出るから」

だから太鼓の練習をしている暇はないのだという。

「演武?」
「空手の形を見せるんだ。俺は何人かで舞台に上がるけど、今年はセンター・・・真ん中でやるからさ。見に来いよ」
「へえ。・・・うん、分かった。それの始まる時間、教えてくれよ。バイトはあるけど、間に合うように行くからさ」
「絶対だからな。家に帰ったら、時間聞いておく。必ずだぞ。ちゃんと来いよ?」

そんなことを話しているうちに、分かれ道まで来た。ここから先は、若島津家と日向家のある方向は異なる。
何も言わずに日向の家の方へと自転車を押していこうとする健を、小次郎が呼び止めた。

「おい。お前の家はあっちだろ」
「送ってく」
「そしたら、お前が帰りに一人になるだろうが」
「俺は自転車で帰るからいいんだよ。・・・最近は、男でも一人で歩くのは危ないって、姉ちゃんが言ってたぞ」
「俺は大丈夫だよ。お前こそ早く帰れ。今はまだいいけど、もっと暗くなると自転車の方が危ないんだからな。車に気を付けろよ。マジで」

車に轢かれる危険性と変質者に狙われる可能性と、どちらがよりあるのかといえば車との事故の方が遭遇する確率は高いのかもしれない。だが健としてはここで引くつもりもない。たまに小学校からも保護者宛に「不審者による子供への声掛けがあったから、注意するように」とのメールが送られてくる。
送る、送らないで揉めている間にも時間は過ぎて、少しずつ辺りが薄暗くなっていく。どちらも引かないので終わりがない。健がどこを落としどころとするか考え始めた頃、「健?・・・小次郎も。何してるんだよ、こんなところで」と声を掛けられた。

「兄貴」
「・・・こんばんは」

健の兄である若島津家の長男、暁だった。健や小次郎とは反対の方向、駅の方面から歩いてきていたのだが、聞き覚えのある声に気が付いて周りを見渡したところ、思ったとおり弟とその友人を見つけて近づいてきたのだ。
健によく似た面差しの、だが弟よりも幾らか穏やかな印象を与える年上の少年に、小次郎はペコリとお辞儀をした。

どうした、何かあったのか       と再び兄に問われて健は今の状況を説明する。小学5年生の男の子二人が送っていく、いかないで押し問答をしていることに中学生3年生の曉は「何やってるんだよ、お前たちは」と呆れたように笑ったが、「それなら俺も一緒に小次郎を送っていくよ」と言って問題を解決してくれた。

若島津兄弟に押し切られたような形になった小次郎だが、健が帰りに一人になってしまうという懸案さえ無くなれば、一緒に帰れるのは正直嬉しい。「ありがとう」と素直に礼を述べる小次郎の頭を、暁はグシャグシャと撫でた。


「小次郎も、今度の祭りには来るんだろ?」
「今さっき、その話をしてたところだよ」
「俺らの演武、見に来るって」
「そうか。それなら良かった。今年は健も目立つだろうし、小次郎が来ても楽しめると思うよ」
「うん」
「俺は他の奴も一緒だけどさ。兄貴は一人で舞台に上がるんだよな」
「一人で?・・・すごいね。暁兄ちゃん・・・のも、俺、絶対に見るから」

『暁兄ちゃん』と呼ぶのに、小次郎は少し口ごもった。

若島津家に遊びに行くようになって暁とも顔見知りになり、徐々に親しく話すようにもなってきた。そうなってから悩んだのが、暁のことをどう呼べばいいのか、ということだった。同級生である健のことは『若島津』と普通に苗字で呼んでいるが、暁のことも苗字で呼ぶと訳が分からなくなる。だからといって『暁くん』や『暁さん』というのもピンと来ない。
それならと本人に聞いてみれば、「健が昔みたいに『兄ちゃん』って呼ばなくなったからなあ。小次郎はそう呼んでくれる?」とのことで、暁兄ちゃん、と呼ぶことにした。だが日向家では自分が長男なのもあって、誰かを『お兄ちゃん』と呼んだことは今まで無く、なんとなく気恥ずかしい。

ほんのりと頬を赤く染めて『暁兄ちゃん』と呼びかける小次郎のことを、傍らを歩く健は無言で見つめていた。







「もうここでいいよ。・・・送ってくれてありがとう。暁兄ちゃんも、若島津も」
「ああ。またな、小次郎。今度は祭りの日かな」
「俺はまた明日・・・かな。クラブ、行けたら行くよ。電話する」

三人で話しながら歩けば、日向家に到着するのもあっという間だった。アパートの敷地と前面道路との境で、小次郎は「ここまででいい」と切り出した。本音を言えばもう少し歩いていたかったくらいだけれど、着いてしまったものは仕方が無い。

小次郎は学校でも健と二人きりで行動することが多く、それ以外の友人がそこに加わることは滅多に無かった。父親が亡くなって明和小に転校してきた頃は、家の中が不安定なこともあって周りの子供たちと慣れ合うだけの心の余裕が無かった。何があっても、どんなことをしても、自分が家族を守るのだ       そう覚悟して無我夢中で毎日を過ごしていたから、新しい環境になっても『友達を作りたい』だなんて悠長なことは頭の隅にも上らなかった。

その結果、同年代の少年たちが小次郎に近づいてくることは無くなった。他人を寄せ付けない当時の小次郎に対して、その壁をものともせずに話しかけてきたのは、今隣にいる健くらいのものだ。
健にしても、別に一人でいることの多い小次郎に気を使った訳ではなく、逆に意に介することなく話し掛けたい時に話し掛けただけのことではあったけれど。
それでも会話を交わすようになればお互いに気が合ったし、話もはずんだ。知り合ってからの日は浅いものの、小次郎が健とだけ親しくなるのも当然といえば当然だった。

今はある程度明和の地に馴染み、バイトもして、家の中も明るさを取り戻しつつある。だから以前ほどに他人を拒絶している訳ではない。だがそれでも学校のクラスメイトには未だに距離を感じている。
だからこそ、短い時間とはいえ健だけでなく暁とも一緒に過ごせたことは、小次郎にとって喜ばしいことだった。


「祭りの件。忘れるなよ、小次郎」

別れ際に暁は「絶対に来いよ」と念を押して、くしゃくしゃと小次郎の髪を混ぜる。見た目以上に柔らかくあちこちに跳ねている髪が、更にグチャグチャになった。

「兄貴、遠慮なく触り過ぎ」

暁によって乱された小次郎の髪を、今度は健の手が直していく。若島津家の兄弟ふたりに頭をいじられ、小次郎はくすぐったそうに首をすくめた。

「・・・お前も、簡単に触らすんじゃねえよ」
「え?何?なにか言った?」

ポソリと呟かれた健の言葉は、小次郎には届かなかった。
それでも自分に向かって何か言われたのではないかと、動物的な勘を働かせた小次郎が問い返す。

「何でもねーよっ」
「・・いてぇっ!」

健が髪を触っていた手をそのまま小次郎の側頭部に滑らせて、グリグリと拳で押す。地味に痛くて、小次郎の体は逃げを打った。

「何すんだよっ!バカしまづッ!」
「あ、兄貴ー。兄貴のこと、日向が馬鹿だって!」
「違うっ!お前の方だ!馬鹿はお前しかいないだろーがっ!」

突然の理不尽な仕打ちに怒って掴みかかる小次郎と、それを躱しながらも更にちょっかいを出そうとする健は、傍から見れば単に仲良くじゃれているだけだ。
そんな年下の少年二人のことを、暁は楽しそうに笑って眺めていた。













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