~ Equestrian ~2
きっかけは若林だった。
引退後に何をしようか、地元の明和で子供たち相手にサッカーを教えようか・・・と、ぼんやりとしか先のことを考えていなかった日向を、若林が静岡の実家に誘ってくれた。「家族も会いたがっているから、久しぶりに遊びに来い」と言われて、日向も喜んで赴いた。
その時に若林家の敷地内にある馬場に連れていかれ、そこで日向は馬という生き物を初めて間近で目にしたのだった。
人生初対面の馬は、ひたすらに大きかった。
堂々としていて、筋肉に覆われた逞しい体躯は艶々とした毛並みを纏い、美しかった。そして賢く、優しい目をしていた。
元々日向は動物が好きだ。子供の頃には犬や猫を拾ってきては、若島津に呆れられたり怒られたりしていたくらいで、小動物でも大きな動物でも好きだった。だから馬と打ち解けるのも早かった。
馬に興味を持った日向に「良ければ乗ってみないか」と持ちかけ、日向が持ち前の運動神経の良さであっという間に乗馬をマスターすると、「馬術という競技もあるぞ」と教えてくれたのも若林だった。
若林自身はまだサッカーを引退してはいなかったから、その後ドイツに戻ったが、「馬場も馬も、家のものは好きに使っていい。それに見上さんが乗馬も得意だから、教えて貰うといい」と言って去っていった。
それ以来、日向は若林家に通い詰めて泊めて貰うことも多くなり、それと比例するように馬に夢中になっていった。
そのことに当然いい顔をしなかったのが若島津だ。
「松本さんに連絡して、東邦大の馬場を特別に使えるようにして貰ったから!だからすぐに東京に戻ってきて!一刻も早くその家を出て!」と懇願されて、日向は半分嬉しく、半分残念に思った。その頃にはもう、若林家の馬場には日向のパートナー候補として『源三』と名付けられた馬がいたからだ。若林がはるばるドイツから贈ってくれた、優秀な馬だった。
以降は東京と静岡を行ったり来たりの生活を送った。『源三』の存在を知った若島津が、「この馬の名前は『健』ですから」と葦毛の馬を贈ってくれて、東京にも日向のパートナー候補の馬ができた。日向は二頭の馬を分け隔てなく可愛がった。
だが一つ問題があった。
馬術の大会に出る上では、騎乗する馬を一頭だけ選ばなくてはならない。
既に馬術の本場であるドイツで実績のある源三にするか、若くて経験は少ないけれども身体能力の優れた健にするか 。
どちらの馬も今となっては、日向にとって大事な掛け替えのない存在だった。だがその二頭のどちらかを選ばなければならない。
実生活ではパートナーとして若島津を選んでいる日向であったが、それと馬とは関係がなかった。源三も健も、どちらの馬もいつだって日向に一所懸命に応えようとしてくれる。両方とも同じように可愛いのだ。
日向は健を一旦静岡に運び、同じ馬場で源三と比べてみた。
その結果、日向は健を選んだ。決め手は半年ほど前に源三が負った怪我だった。
ほぼ治ってはいたが、痛いとも辛いとも言えない源三のことを考えると、日向はここで無理をさせる気にはなれなかった。
だが選ばなければ選ばないで、胸が痛む。日向は自身に言い聞かせるように、言葉を紡いだ。
「健には健の、源三には源三の、それぞれに得意なことがあるんだ。馬場馬術はまだ源三の方が上手いし・・・俺自身が上手くなるのも勿論だけど、あいつらのいいところも、俺はもっともっと伸ばしてやりたいんだ」
源三を切った訳ではない。怪我を完全に治して万全の状態に戻したら、もっとしたいこともやってみたいことも沢山ある。
30代半ばでサッカーを引退して40の大台も見えてきたというのに、日向は自分がまるで子供であるかのように感じる。したいことが有りすぎて、気が逸るのだ。離れていると一刻も早く健と源三に会いたくて、じっとしていられなくなる。
「日向さん・・・。馬もいいけれど、俺のことも忘れないでね。今度は試合、いつ見に来てくれる?」
「ああ、そうだな。ごめん。来週は忙しいから・・・再来週に見に行くよ」
「・・・もう。ほんと冷たいんだから。・・でも、仕方がないよね。応援しているって言ったのも俺だし」
「お前がそう言ってくれるから頑張れるんだ。・・・ありがとうな」
「どういたしまして。・・・愛してるよ」
支えるつもりが、やはりいつまで経っても支えられている。日向は若島津の首に腕を回し、抱きついた。若島津も日向のことをギュ、と抱き締め返した。
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