~ 変化 ~2







「~~・・・」

いつかは来ると分かっていたことではあるが、なったらなったで煩わしい。若島津は喉の奥で声を出さずに唸った。

変声期が始まって一か月ほどが経った。始まった頃よりも今の方が変化が進み、若島津はすっかり不便な毎日を過ごしている。

まず大きな声を出せない。
それこそサッカーではGKは声を出してDFに指示を出さなくてはならないが、その声を出せない。出そうとしても出ないし、無理に出したところで通らない。そういった意味でものすごくストレスが溜まる。

(あの人も、こんな時期を我慢してた訳だよな・・・)

去年、日向が声変わりになった際にはここまでガラガラな声にはならなかったような気もする。だが、それでも本人にしてみたら違和感があった筈だ。

「若島津。もう寝る準備できたか。そろそろ電気消すぞ」
「ん」

だが意外なことがあった。
変声期に入ってからというもの、若島津が喋らなくてもいいようにと、何くれとなく日向が気を遣ってくれるのだ。

(そんなタイプじゃないと思っていたんだけど)

だが意外だと言いつつも、一方では納得している自分もいる。日向は我が強いために周りを顧みることの無いように思われるが、実のところ弱者には親切だし、自業自得でなく困っている人間には躊躇なく手を差し伸べる。
声変わりにある自分が弱者かどうかというのはさておき、おそらくよほど不自由そうに見えるのだろう。または辛そうに。
若島津がちょっと無理をして声を出して、その後にゼイゼイと喉を鳴らしていると、『気を付けろよ』とか『無理してしゃべんなくていいから』などと言ってくれる。
しかもそんな日々が続くうちに若島津は気が付いた。日向とは言葉を交わさなくても、アイコンタクトや身振りで、ある程度の意思の疎通が図れるのだ。

(日向さん以外とは全く駄目だけどな・・・。さすがに小学校から一緒だと、違うもんなのかな)

若島津は、自分にとって日向が『特別』な位置にあるのだと分かっている。自覚がある。日向にとっても、自分がその辺の奴らとは違うのだということも分かっている。
だがそれでも、互いの『特別』が同じものだとは思っていない。だからこそ、思ってもみないところで日向との繋がりを確認できたことが嬉しい。



若島津は日向のことが好きだ。それは恋愛という意味で、だ。
いつ頃からかと問われたなら、『いつの間にか』、『気が付いたら』という答えになるだろうと若島津は思っている。何かがあったから好きになった、何かをされたから恋に落ちた、といったことではなかった。

ただ少なくとも、小学生の時にはそんな感情は無かったと思う。単純に一番仲のいい人間で、気心が知れていて、一緒にいて楽しかった。他の誰よりも付き合いやすかったし、友人としては誰と比べるまでもなく、一番に好きだった。
そのうえ日向は同い年ながら、尊敬できる人間でもあった。日向が他の友人たちのように子供であることを享受するのではなく、家族のために努力を惜しまず精一杯に毎日を過ごしているのを、その頃の若島津は近くでずっと見ていた。

そんな相手に子供の時分に巡り合えたことは、本当に運が良かったと思っている。日向は若島津の人生に大きく影響を及ぼした。その証拠に自分は今、東邦学園に進んで東邦学園の寮にいる。
そんな出会いが一生のうちにたとえ一回でも、一体どれほどの人にあるというのだろう。

(ただ、俺の場合は・・・そこで終わっておけば良かったんだろうけれどな     


日向は異性ではない。そんなことは誰に言われずとも分かっている。毎日同じ部屋で寝起きをし、着替えをし、同じ風呂に入っているのだ。身体つきが子供のものから大人のものに変わる様子だって、つぶさに見てきた。その体の中心には、もう子供のものではない、自分と変わらない形の生殖器がちゃんとついている。

それにも関わらず、若島津は日向に対して恋心を抱き、その肉体に性的魅力を感じるのだ。そこに戸惑いを感じた時期もあるにはあった。
だが誤魔化しようもなく日向のことが好きだし、日向にも自分のことを好きになって欲しい。抱きしめたいし、キスしたい。自分に正直になるなら、それ以上のことだってしたい。

これからこの気持ちがどう変わっていくのか、どう進展していくのかは分からないが、今の時点で日向を愛おしく思っていることは嘘ではないし、この感情を無いものとするなら、それこそ嘘になる。

(思い返してみたら、あの頃には既にこんな気持ちを持っていたのかもな・・・)

親友であった筈の日向を性の対象として見始めたのは『あの頃』かもしれないと、そう思い当たる時期はある。中学1年生の時のことだ。

たまに無理がたたって倒れることのある日向が、その時も熱を出して寝込んでいた。寮監に病院に連れていって貰っていたが、若島津が学校を終えて寮に戻ると、朝に着ていたものと違う衣服を身に着けた日向がベッドで横になっていた。寮監が着替えをさせたのだと知って、胸の中にもやもやした割り切れないものを感じた。

高熱に苦しむ日向が一人で着替えられなかったというのは理解できる。だがそれでも、自分のいない所で、もしかしたら他の誰の目も届かないところで、日向が他人にその肌を晒したのかと思うと許容し難かった。

(あれは二年以上も前のことだけれど・・・今だったら、絶対に誰にも任せないよな。この人のこと)


灯りを落とした暗い部屋の中、ベッドに潜り込んだ若島津は寝返りを打って、日向の方に視線を向ける。

日向は消灯して布団を被れば、たちまちのうちに眠りに落ちてしまうのが常だった。今もあっという間に健やかな寝息をたて始め、微動だにしない。
その呼吸音が一定で落ち着いたものになっていることを確認してから、若島津は自分のベッドを降りた。寝ている日向の傍に近づく。

高校生になって、随分と男らしく精悍になった日向の顔をじっと見つめる。サッカーの試合や練習ともなれば眦をつり上げて怒号を放つことも多く、そんな時には近寄りがたいほどに迫力のある強面になる。
それでもこうして目を閉じれば、幾らかあどけない顔をしていた。意外なほどに長い睫毛が頬に影を落とす。

若島津は日向の通った鼻筋をそっと指先でなぞる。目覚める気配は無かった。

「・・・きだよ。あんたも、おれ・・きに、なっ・・」

変声期の掠れた声は音に成りきらず、空に消えていく。

この声がちゃんと出るようになった頃には、自分の気持ちを日向に告げられるだろうか。それくらいの覚悟は、その頃の自分にできているだろうか。      若島津は考える。

     こんなところで止まっている訳には、いかないもんなあ)

どうしたって欲しいものは欲しいのだ。急ぎ過ぎる必要はない。それよりは確実に。全ては計画的に。

頭も力も運も、自分の持っているものは全て駆使して、この強くて美しい生き物を手中に落とすのだ。いつか必ず。

若島津は眠る日向の上に屈み込み、その唇に触れるだけのキスをした。
それは情欲からというよりも、誓いのキスに近いものだった。








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