~ 変化 ~
≪ピピピピ・・・・≫
部屋に響き渡る目覚ましのアラーム音に、東邦学園高等部1年生の日向小次郎はベッドに横たわった格好でパチリと目を開いた。いつもどおりの、瞬時に睡眠から覚醒に切り替わる見事な目覚めだった。
ムクリと上半身を起こし、両手を上げて伸びをし、大きなあくびを一回だけする。体内に十分に酸素を取りこんだところでトン、とベッドから降り、隣の寝台に未だ伏せたままの友人に声をかけた。
「おい、若島津。朝だぞ。起きろ」
二人の朝は早い。サッカー部の朝錬があるからだ。しかも一年生だから上級生よりも先にグラウンドに出て準備を整えておく必要があるので、尚更早い。
声をかけても無言の若島津に、日向は肩をすくめた。古くからの付き合いだから、同室者が極端に朝に弱いのは知っている。だが、だからと言って放っておく訳にもいかない。遅刻して怒られでもしたら、それこそ馬鹿々々しい。
「おい、若島津」
「・・・まって、いま・・おき、る・・」
途切れ途切れに発せられた声を聞いて、日向は準備の手を止めて思わず振り向く。若島津の声は一夜にして、酷い風邪でも引いたかと思うくらいにガラガラの声に変わっていた。
「若島津。お前、どうした。風邪か?大丈夫か?」
日向の声音が、一転して心配そうなものになる。だがベッドから起き上がった若島津の顔色は特段悪くもなく、本人も自身の声に驚いたような顔をしていた。
「ひゅうが、さん・・・おれ」
「若島津?お前、ほんとにどうしたんだよ」
喉に手を当てて確かめるように撫でさすっていた若島津は、日向に向かってにっこりと笑いかけた。
「ようやくきた。・・・こえがわり」
「声変わりかー!とうとう健ちゃんも、始まっちゃったかー」
「はじまっちゃったとは、なんだ。そろそろこないと、おかしいだろ」
サッカー部の朝錬を終えて教室に入り、反町が話題にしたのは突然に始まった若島津の『変声期』についてだった。
「そりゃあ、そうなんだけどさあ。それにしても健ちゃん、苦しそうだね」
「・・・まったく、な」
「え?なに?・・・あ、やべ、先生来た!俺戻るわ」
日向と若島津は同じクラスだが、反町は違う。隣のクラスだった。自分の担任がやって来たのを開いているドアから目敏く確認して、慌てて飛び出していく。
日向はその様子を机に頬杖をついて眺めながら、「そういや、仲間内では反町が一番早かったかな」と思い出していた。何のことかというと、変声期のことだ。
反町は中学一年のある日に急に声が出なくなり、変声期を迎えたのだった。
しばらくはゴロゴロと喉が鳴るような音が混ざった声を出していたが、数か月すると落ち着いた。すると以前よりも低く、すっかり子供っぽさの抜けた声に変わっていたのだった。
『うわ、何?そのドスの効いた声。似合わねえー!』
『うるさーい!』
『まさか反町に先を越されるとは思わなかった』
『いやー、俺自身も意外だわ。・・・ね、日向さん。俺の声、どお?渋くてカッコイイ?』
『渋いかどうかは知らねえけど、いいんじゃねえの』
最初こそ周りの人間も反町に対して『喋るの、どんな感じ?』『喉、痛くねーの?』などと興味津々だったが、そのうち次から次へと変声期を迎える生徒が出始め、それほど珍しいことでも無くなっていった。日向自身も丁度一年ほど前に声変わりを迎えた。中2から中3に上がる春のことだった。
自分では最初は気づかず、風邪か何かで喉の調子がおかしくなったのだと思った。
だが一向に調子は元に戻らず、反町から『日向さん。それって、声変わりなんじゃないの?』と指摘されて、初めて気が付いた。それくらいにあっさりしたもので、日向の場合は終わってみても劇的な変化は無かった。
(まあ俺の場合は、元から低い声だから別にいいんだけどよ・・・)
子供の頃から、地声は低めだった。だからそれほど変わらなかったとはいえ、他人に比べて甲高いという訳でもない。
それに反町が言うには、この時期だけで声変わりが終わるのではなく、これから数年をかけて徐々に変わっていくとのことだった。二次性徴期の終わり頃にかけて、大人の声に完全に変わるのだという。ならば、その頃にはまた違う声になっている可能性もある。
それよりも日向にとって意外だったのは、若島津だ。
若島津は同級生の中でも背が高く、骨格や筋肉も発達していて成長の早い方だった。だがその若島津だけ、高校生になっても声変わりが来ていなかった。
若島津自身にその事を気にしている様子は無かったから、日向も『いずれは変わるんだろう』と、それほど心配もせずにこれまで来たのだが・・・・。
(こいつは、どんな感じになるんだろうな・・・)
始まってみれば、どんな風に若島津の声が変わっていくのか、楽しみではある。
反町みたいにガラリと印象が変わるのかもしれないし、自分のようにそれほどの変化は無いのかもしれなかった。
(どうせだったら、すっかり印象が変わる方が面白いな。それでいて、こいつに似合うような・・・落ち着いた声がいい)
これまでの子供の声だって、別に悪くはなかった。ただ若島津の外見からすると多少はトーンが高いような気がしていたのと、変わるのであれば、声量がありつつも落ち着いた声がいいと日向は思っている。キーパーという若島津のポジションからして、周りが耳にした時に冷静になれるような調子の声がいい。チーム内でも自分はメンバーを引っ張ってガンガンに煽っていくタイプだから、若島津には逆の役割を期待している。試合においていざメンバーが浮足立った時に、スっと鎮めて欲しいのだ。
「なに?ひゅうが、さん」
いつの間にかじっと見つめていたらしい。若島津に尋ねられて日向は気づいた。
その声も掠れていて、いかにも発声がしづらそうだ。本当に個人差があるんだな、あんまり無理をして喋らせたらいけないな、と日向は思った。
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