~ 強面天使と悪魔な俺 ~エイプリルフール編 2
「・・・健?」
驚いてくれるかと思った親友は、何の反応も返してこなかった。
なになに?ほんと!?だれ!?クラスの子?どんな子なの!? 小次郎が健のために用意した嘘を信じたのなら、そういった質問が矢継ぎ早にされてもいい筈だった。もしくは頭から信じていないのなら、「また、小次郎ちゃんはそんなこと言って」と笑い混じりの呆れた声が返ってくる筈だった。
なのに、健は何も言葉を発しない。それどころか微動だにしない。
ただ感情の読み取れない不思議な表情をして、じっと小次郎を凝視していた。
「・・・あの、健?」
(・・・どうしよう。こういうのって、いつ「嘘だよ」ってバラせばいいんだろう・・・)
健に対して些細な秘密を持ったことはあったけれども、嘘をついたことは未だかつて無かった。健に、ということではなく、誰に対しても嘘をつこうとしてついたことが、小次郎にはそもそも無い。思い込みや予想で口にしたことが結果的に間違っていて嘘のようになったことはあるけれど、意図的に人を騙そうとしたことは無かった。
だから当然、自ら嘘であることをバラすなどという高度なスキルを要する行為も、経験が無かった。
『うっそでしたー』と勝は明るくあっけらかんと白状していたけれども、今のこの場ではそんな風に簡単には打ち明けにくい雰囲気を感じた。この先をどう進めればいいのかと、小次郎は困惑する。
「・・・どれくらい」
「え?」
「どれくらい、そいつのこと、好きなの。おれよりも、好きなの」
「う、うん・・・。あ、えっと・・・。そうじゃなくて」
どう言えばいいんだろうと小次郎が逡巡しているうちにも、健の顔からは更に表情が抜けていく。小次郎が焦って「えっと、えっと・・」と繰り返していると、健は唐突に立ち上がった。
「来て」
小次郎も手首を掴まれて立たされる。そのまま引っ張られるようにして部屋から出され、足音も荒々しく階段を下りる健についていく。
「どこに行くの?健」
いくつもの部屋と廊下を通り抜けて、健は黙って小次郎の手を引いて進んでいく。何処に向かっているのかと小次郎が訝しんでいると、表の玄関ではなく裏口へと辿り着いた。その扉を開け放すと健はサンダルも履かず、裸足であるのも気に留めずに裏庭へと降りる。健が手を離してくれないので、小次郎も仕方無く靴下のままで続いて降りた。
小次郎には自分がどういう状況にあるのか、何が起こっているのか分からなかった。健が自分を引っ張ってどこに連れていくつもりなのかも。
だが離れの裏口を出て奥に進めば、そこにはうっそうと木々の茂る裏山との境に古い蔵が一つあるだけだ。
まさか、と小次郎は思った。まさか、健は自分をそこに連れていくつもりなのではないか と。
幼い頃に一度だけ、健と一緒に蔵の中に入ったことがある。薄暗くて黴臭くて、小次郎にとっては不気味な場所でしかなかった。いかにも物陰に得体の知れない何かが潜んでいそうな、そんな雰囲気を醸し出していた。
健は平気そうに中を見回して探検したがっていたけれど、蔵の中のひんやりとした空気も、そこかしこに積まれた年月を経た収蔵品も、小次郎には恐怖の対象でしかない。だから「早く出ようよ、健。こんなところにいたくないよ」と訴えて、健にしがみついて早々に立ち去ったのを覚えている。
それ以来、二度とその蔵には足を踏み入れていない。
「・・・健、どこに行くの?ねえ。健・・・。・・・健ってば!」
足取りも確かに、健はまっすぐにその蔵に向かっているようだった。まさか、と思っていたその事態が現実になりつつあることに気が付いた小次郎は、顔を強張らせる。あの頃から随分経ったけれど、もう小学6年生になるけれど、それでも今だってあそこに入ることを思うとゾっとした。
「ねえ・・・健!やだ、やだ!そっちに行きたくない!やだ、健!やだってば!」
嫌がって立ち止まろうとすると、乱暴な手つきで健が小次郎を引っぱる。強い力に腕も肩も痛みを覚えて、そのことにも小次郎はショックを受けていた。これまでの長い付き合いにおいても、健はいつだって小次郎にだけは甘くて優しかった。こんな風にぞんざいに扱われたことは無かった。
「けん・・・っ!」
蔵に近づくのだけは嫌だと、小次郎は必死で健に抗う。
体重をできるだけ後ろにかけて足を踏ん張って、健に引きずられないように抵抗する。だが健の力は小次郎のそれ以上に強かった。
小次郎と健は徐々に、けれど確実に、普段は人の訪れない古びた蔵の前へと近づいていた。
(いやだ、いやだ、こわい !)
誰よりも信頼していた筈の健が、小次郎が何を言っても止まってくれない。それどころか振り向きすらしてくれない。そして他の誰かに助けを求めるにも、周りには自分たち以外の人間の気配がなかった。
このままでは暗くて不気味なあの場所に連れていかれる。健によって。小次郎の大好きな、優しくて完璧な幼馴染の手によって。
小次郎はパニックを起こしかけていた。
「やだ!嫌だ、健ッ!やだ、怖い!怖い!やめて!そっち行きたくないっ!」
がむしゃらに暴れて健の手を振りほどこうとする。だが健の指が肌に食い込むほどの力で更に強く掴まれて、小次郎は短い悲鳴を上げた。
健はとうとう泣きだした小次郎を気遣う素振りもなく、捉える手の力も抜かない。蔵の前まで小次郎を引き摺ると、そのまま空いている方の手で重い扉を器用に開け、できた隙間の中へと小次郎を無造作に放り投げた。
「 いやあっ!!」
コンクリ打ちの床に体を強く叩きつけられて、一瞬目の前に星が飛ぶ。だがすぐに自分が横たわっているのが蔵の中であることを認識すると、小次郎は慌てて起き上がり、健が立ち塞いでいる唯一の出口である扉へと向かった。
「・・・あッ!」
指先が健に触れたかと思った途端、今度は胸を強く押されて再度床に転がった。尻と背中を強かにぶつけて、痛みに呻く。自分が何をされたのか、咄嗟には小次郎には理解ができない。尻もちをついた格好のまま、呆然と外界との境に立つ幼馴染を見上げた。
健の姿は逆光になっていて、どんな表情をしているのか小次郎からは見えなかった。だが今の健が纏う、狂気にも似た暗い情念のようなものは本能的に感じとることができた。知らず、小次郎は身を震わせる。
「・・・けん」
どうしてこんなことを・・・?と問おうとしたが、それが言葉になる前に無情にも蔵の扉は軋んだ音を立てて閉められてしまった。
途端に暗さを増した閉ざされた空間に、小次郎は声にならない悲鳴を上げる。半ば恐慌を来しながらも、それでも助けてくれるのは健しかいないとばかりに、自分を置き去りにした本人に助けを乞う。
「けんっ!!出して!健、健っ!やだあ!!暗いよ!けんっ、出してようッ!」
出して出してと泣き叫びながら、めいっぱいの力で扉を叩いた。手が痛んだが、それも気にしてられなかった。小次郎を突き動かすものは、仄暗い闇の中から何か恐ろしいものが出てくるのではないかという、幼くも原始的な恐怖だ。
「出してっ出して!けん!怖いよっ!なんで!?なんで、こんなことするの!?」
小さな頃から暗いところも狭いところも苦手なのを、健もよく知っている。むしろ今まではそういったことで小次郎が怖い思いをしたなら、一番に助けてくれたのが健だった。
この蔵にだって、一度嫌だと小次郎が言ったから、遊びでも近づくことは無かった。健が思い出させもしなかった。
なのに 。
「健、そこにいるんでしょ!?お願い、出して!ねえ、何か言って!しゃべってよ!健っ、いるんだよねッ!?」
蔵の周辺には用事が無い限り、誰も近づかない。一人でここに置いて行かれたなら、助けに来てくれる人はいないのかもしれなかった。
まさかとは思うけれど、健はこのまま自分をここに残していってしまうのでは ?
そうして誰も小次郎が蔵の中にいると気が付かず、何時間も何日も、自分は放っておかれるのでは ?
そんなことを考えると、小次郎は恐怖でどうにかなりそうだった。
back top next