~ 強面天使と悪魔な俺 ~エイプリルフール編 3







「やだあ      !けんっ、けん      !」

ただただ恐ろしかった。どうして自分がこんな目に合わなければならないのか。小次郎は更に力を籠めて扉を叩く。泣き過ぎて苦しい息の下から、ひたすらに健の名前を呼ぶ。


「・・・小次郎ちゃんが悪いんだよ」

ふいに健の声が聞こえて、小次郎の体がピクリと揺れた。

「おれ、いったのに。おれよりも好きな奴とか、おれより大事な奴なんか作ったらどうなるか分からないって。俺、ちゃんと小次郎ちゃんに言ったよね?」
「・・・けん・・・」
「なのに、どうしてそんなこと言いだすの?そいつのこと、俺より大事なの?俺はそいつよりどうでもいいの?もう俺のこと、いらないの?・・・・そんなの、許さないよ。そうじゃないって、俺じゃなきゃ駄目だってなるまで、小次郎ちゃんをここから出してあげない。小次郎ちゃんがそいつのことを忘れるまで、絶対にここから出さないから」
「や、やだっ!けんっ、・・・出して!お願い、出してっ!」
「おばさんが探しに来ても、誰が来ても、出してあげない。小次郎ちゃんが元の小次郎ちゃんに戻るまで・・・・俺のことが一番好きで、俺と家族の他は誰もいらない、って・・・小次郎ちゃん、そう言ってたよね。そうなるまで、絶対に出してあげないから。許さない。俺は、俺には小次郎ちゃんしかいないのに、ずっとそうだったのに。小次郎ちゃんは違うだなんて、認めない」
「・・・けんっ!」

小次郎には健の言っていることが分からなかった。

健が一番で誰よりも大事なのは、小次郎にとっても何一つ変わっていない。確かに『好きな女の子ができた』と嘘はついたけれど、『健よりも大事』だなんて一言も言った覚えはなかった。


小次郎は冷たい金属の扉に額をつけて、そのすぐ向こう側にいる幼馴染を想う。厚い扉を挟んではいるけれど、健の気配はちゃんとそこに感じられた。
深呼吸をする。健が傍にいると思うと、それだけで少し落ち着いた。

健は「ここから出さない」とは言っているけれど、「置いて行く」とは言っていない。だから小次郎は、自分がここにいる限りは、健もこの蔵の前から立ち去らないのだと信じられる。小次郎がこれまで健に嘘をついたことが無いように、健も小次郎に嘘をついたことが無かったから。

       俺が、嘘なんかつくから。だから健が怒ったんだ。くだらないことをして、健の気持ちをちゃんと考えないから・・・。だからこれは、バチが当たったんだ)

蔵の中は昔の記憶に違わず、暗くて湿っぽくて変な匂いがする。小次郎は怖くて後ろを振り向くことが出来ないけれど、こうしてパニックを脱して落ち着いてみれば、次に襲ってきたのは『どうしてこんなことをしてしまったんだろう』という後悔だった。

健は『小次郎ちゃんが悪い』と言った。本当にその通りだと思う。
直子や勝みたいに、可愛い嘘ならついてもいいのだと思った。それに付き合って騙されるフリをして、自分はとても楽しくて幸せな気持ちになったから       
だから健にも試してみようと思った。健が『なあんだ』と言って笑うのを見たかった。楽しんでくれればいいと思った。
けれど、された人がどう感じるかは、その人次第だ。ましてや自分は直子や勝みたいに幼い子供じゃない。嘘をついたってあんな風に可愛らしくも、下手でもなかっただろう。相手を傷つけないためには、嘘じゃないのかと怪しむ余地を与えることが必要だ。完璧に騙してはいけないのだ。
そんなことにも気が付かないで、自分は健を傷つけてしまった       。小次郎はそのことを心の底から悔やんだ。

(馬鹿だ、俺。健がいつも優しいからって、調子に乗って、笑って許してくれるだなんて思って。それなのに実際は、健に嫌な思いまでさせて       

先ほどまで流していたのとは違う、恐怖からでは無い涙が小次郎の瞳からポロポロと零れ落ちる。

「ごめん・・・本当にごめんね、健」

俺、健に悪いことをした        小次郎が扉に頭を押しつけて謝罪の言葉を口にすると、向こう側で健の身じろぐ気配が微かにした。
健が聞いてくれている、自分をこんなところに閉じ込めるくらいに怒っていたって、ちゃんと聞いてくれている        そう思うと、懺悔をしているにも関わらず、小次郎の胸がほんの少しだけ甘く疼いた。

「嘘をついてごめんね。・・・・ごめんなさい。人を悲しませる嘘はついちゃ駄目なんだって、俺、知っていたのに。なのに俺、健にそういう嘘をついちゃった・・・。ごめんね」
「・・・うそ?」

ごめんなさい、と謝れば、健からは「・・・うそ、って何がうそ?」と返ってきた。

「好きな人ができたっていうの・・・嘘だよ。他に好きな子なんかいないよ。男でも女でも、健が一番だよ。健が一番好き」
「・・・どうして、嘘をついたの?」
「エイプリルフール・・・だから・・・。だから、俺、健を驚かそうと思って・・・」
「・・・ほんとに、驚かそうと思っただけ?信じて、いいの?」
「健。信じてくれる?」
「・・・・・」

しばらく無言が続いた後、ゆっくりと蔵の扉が開かれていく。
小次郎は涙に濡れた頬も拭わずに、そこに現れた健に飛びついた。

「健っ!ごめんね!ごめんねっ!」
「・・・小次郎ちゃん」

健は自分よりも大きい小次郎をギュっと抱きしめて、「ちゃんと話を聞かせて」と耳元で囁く。小次郎は一旦健から身を離して、その顔を見つめて、そして驚いた。

「・・・けん?」

健の目元は、真っ赤に染まっていた。日焼けをしていない肌理の細かい白い肌に、目の周りだけが赤くなっている。そのことが、健が泣いていたのだという事実を小次郎に知らせた。こうしている今も、見る間に健の瞳に涙が盛り上がり、一筋頬を流れ落ちていく。

「けん」

健が泣いているのを見るなど、それこそ幼稚園の時以来だった。小次郎は小学生になっても何度も健に泣き顔を見せてきたが、健は小次郎の前では泣いたことが無かった。本当に幼かった頃に幾度か記憶にあるだけで、少なくともこの数年は目にしたことが無かった筈だ。
それほどに自分の浅はかな行為が健を傷つけてしまったのだと、小次郎は罪悪感に胸が締め付けられるようだった。

「・・・健。泣いてたの?ごめんね。嘘だから、もう泣かないで」
「・・・小次郎ちゃんが酷いことをするから。俺よりも好きな奴ができたなんて、そんな酷い、嘘をつくから」

静かに瞬きをすると、健の涙が次から次へと頬を伝い、地面にポタポタと落ちていった。泣かせてしまったことに自責の念を覚えながらも、小次郎ははらはらと涙を流し続ける健から目が離せなかった。魅入られていたといってもいい。涙の滴を頬にのせた健は、それほどに美しかった。

「俺を泣かせることが出来るのは、この世で小次郎ちゃんだけだから。覚えておいて。それと、もう二度とこんな嘘はつかないで」
「・・・うん、うん!もう二度とつかないよ!ごめんね。健。」

もう一度小次郎は健の首に抱き付いて、体温の高い、熱い体を押しつける。健も両手をめいっぱい小次郎の身体に回して、力の限り抱きしめた。

「もうエイプリルフールでも、絶対に嘘なんかつかないよ・・・」
「俺が笑えるような嘘なら、ついてもいいんだよ。騙されたって分かっても喜ぶ嘘、とかさ。・・・こういうのはもう御免だけど」
「・・・これだって、健が笑ってくれるって思ってやったんだ。俺には難しいから、もういいんだ」
「じゃあ来年は俺がやってあげる。小次郎ちゃんを驚かせて、幸せにしてあげる嘘、ね」
「・・・うん。・・・来年も、再来年も」
「うん」
「その次も、そのまた次も、健ならいいよ。いっぱいいっぱい、俺を騙して」
「・・・小次郎ちゃん、大好き」

二人は顔を見合わせて、クスクスと笑った。その拍子に健の目に溜まっていた涙がポロリと零れる。無意識のうちに小次郎は唇を寄せて、その雫をちゅ、と吸い取った。
驚いて目を丸くする健に、小次郎は慌てて弁明する。

「あ!ごめんっ!ごめんね、つい・・・!」
「謝らなくていいよ。この間のお返しだね。嬉しいよ」

そう言って健が艶やかに笑う。小次郎の知っているどの人間よりも綺麗な、晴れやかな笑顔だった。小次郎は眩し気に目を細めた。

「小次郎ちゃん、部屋に戻ろうか」
「うん」

健はまず自分が立ち上がると、次に小次郎の手を引いて立たせてやった。それは先ほどの激情にかられたものと違って、ひどく恭しく丁寧な手つきだった。

「やっぱり、痕になってる・・・。痣ができちゃった。ごめんね、小次郎ちゃん。俺、手加減できなかったから」
「え?」

言われて健の視線を追うと、自分の腕に健の指の跡がついていた。あれだけ痛かったのだ。痣になっても不思議じゃなかった。

「帰ったら冷やそうね。・・・でも、ちょっといいかも。この痕を見ると、小次郎ちゃんは俺のもの、って感じがする」

本気とも冗談ともつかない健の言葉を、小次郎は自分でも不思議なくらいにすんなりと受け入れた。今更だとも思った。
健は誰にでも好かれているが、自分には幼い頃から健しかいないのだ。健だけが友達だと思って過ごしてきた。そして健はそんな自分の傍にいると約束をしてくれた。だから健は自分のもので、自分は健のものなのだ。

それなのに自分はあんな嘘をついた。健が驚くのではなく、傷ついたのは当然だ。やっぱり自分は馬鹿なことをしでかしたのだ。


「俺は健のものだよ。この間、健が自分でそう言ったんじゃないか。『俺のものでいて』って。忘れちゃったの?・・・痣なんか消えても、俺は健のものなんだよ」

せめてもの贖罪と、揺るぎない信頼と、尽きない愛情を。

自分が差し出せるものはそれくらいしかないから、そのどれもが大切な幼馴染に伝わりますように       。首を傾げて健の目を覗き込み、小次郎が告げる。




小次郎の言葉、そのふるまいに健が目を丸くするのは、今日だけで2度目だった。更には泣き顔も見せた。小次郎が絡むと、普段は『何をしてあげても甲斐が無い』と家族に揶揄われるほど感情の起伏が無いのに、こうまで変わってしまう。

健ははにかむように微笑んで、「・・・やっぱり小次郎ちゃんには勝てそうにないなあ」と幸せそうに呟いた。







END

2016.04.14

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