~ 強面天使と悪魔な俺 2~ 2
「ひぁ!」
突然背後から掛けられた声に小次郎が奇声を発して振り向くと、薄暗い廊下に道着を身に着けた少年が一人立っていた。小次郎の知らない子で、背丈はほぼ同じくらいだった。ということは1つ2つは年上なのかもしれない・・・と内心びくびくして、小次郎は黙ってその少年を見返した。
少年の方はといえば、一向に返事をしない目つきの悪い侵入者を不審に感じたらしく、きつい口調で問い詰めてくる。
「誰なんだよ、お前。・・・お前のこと、この家でも道場でも見たことがねえな。何、他人の家に勝手に入り込んでんだよ。まさか泥棒しようって入ってきた訳じゃねえだろうな」
「・・・・・」
自分が盗人扱いされているのだと知って、小次郎の顔から血の気が引いた。それに健から「家に来ちゃいけない」と言われていたにも関わらず、家に上がり込んでいたのを見つかってしまった。この少年の顔は見たことが無いものの、格好からしても若堂流の道場に連なる者だろう。傍目には分かりづらいが、小次郎は混乱していた。
「おい、何とか言えよ!」
「・・・・あ!」
未だ一言も口を開こうとしない小次郎に焦れたのか、少年が駆け寄ってきてその腕を掴んだ。小次郎は慌てて帰ろうと玄関の三和土で中途半端に靴をひっかけているところだったが、腕を強く引かれて身体が傾ぐ。
「黙って逃げようだなんて、どういう魂胆だよ!やましいことが無いなら、逃げる必要もないだろッ!」
「や、あの・・・、やましくなんかないけど・・っ」
(だけど、約束を破ったことが健にバレたら、怒られる!きっと怒られる!)
未だかつて、小次郎自身が健を怒らせて酷い目に合わされたことなど一度も無い。だが健が他人に向けた怒りなら何度も目の当たりにしてきた。
健の怒り方はパッと燃え上がるようなものではないが、その代わりに心の内で人知れず静かに火が回り始め、気が付いた時には手遅れなほどに荒れ狂っている。
赤い炎というよりは、青い炎。赤や黄色の炎ほど目立たないのに、実はより高い温度で燃え続け、触れるもの全てを焼き尽くす。
小次郎は本当に怒った時の健をそのように見ていた。そしてそこまで怒りに駆られた時の健は、小次郎でも宥めることが出来ないのだ。
掴まれた腕をなんとか振り払おうとしてもがきながら、小次郎は完全に靴を履けていない足で器用にサッカーボールをすくい上げる。左腕を引かれ、右腕でサッカーボールを抱えると今にも泣きだしそうな情けない顔をして少年の方を振り向いた。どうあっても見逃してはくれなさそうな相手の顔を、離して欲しいと懇願するように目を潤ませて見上げる。
そんな表情をしても似合わないことは分かっているけれど、だからといって取り繕う余裕も今は無かった。
「やましいことなんか、ないけど・・・っ!だけど、お願い!健には俺が来たこと、内緒にして!」
振りきれないのなら、と逆に相手の道着の胸元にしがみついて頼みこんだ。
「へ?健?」
一方でしがみつかれた少年は、自分と同じくらいの身長で逞しく厳つい顔をした相手から「お願い!」などと可愛らしい台詞で訴えられ、目をパチクリとさせた。それから今頃気が付いたかのように小次郎の抱えるサッカーボールに目を向けて、首をひねる。
健。サッカーボール。留守宅に上がり込む同年代の少年。健。サッカーボール。留守宅に・・・
「 あー!分かった!お前、『小次郎』だろう!?」
突然に大きな声で名前を呼ばれて、小次郎はビクリと大きく身を震わせた。
「え・・・、何?何で?」
「お前だろう、『小次郎』っていうのは!」
「う、うん」
拘束されていた筈の腕はいつの間にか解放され、代わりに少年の手はこちらに伸びて小次郎の顔を指さしていた。呆気にとられる小次郎の前で、「何だ、そうならそうと早く言えよ」とか「あー、なるほどねえ」などと一人で呟いている。
(もう、俺帰ってもいいのかな・・・)
早く辞去しないと本当に健に見つかってしまうかもしれない。だけどその前にと、小次郎がもう一度口止めをしようと唇を開きかけた時、少年がニっと笑った。
「俺はリツ。若島津律。 健の従兄だよ」
律は「健に見つかったら困るから」と渋る小次郎を引っ張って、道場から離れて人目につかない場所にある、奥庭の一角にやってきた。
「いやあ、俺さあ。ずっと話だけは聞いてたんだよ。健に仲のいい友達がいるって」
「・・・」
律は機嫌よさそうに笑っているけれど、対する小次郎は警戒を解こうとしない。一定の距離を保ったまま、黙りこんでじっと律の顔を見つめていた。
「何もしないって。そんなに睨まなくてもいいだろ」
別に睨んでいるつもりはない。だけど他人からはそう見えてしまうというのはもう分かっているし、仕方が無い。小次郎は諦めたようにため息をついた。
睨むなよ、と言いつつも律がニコニコと楽しそうにしているのが救いではあった。少し落ち着いた小次郎は、改めてじっくりと律のことを観察する。
健の従兄だというのは、本当なのかもしれない。そう思って眺めてみれば、少し目元が似ているような気がした。
それに健に年の近い従兄がいることは、健の母親や姉たちからも聞いたことがある。確かこの少年だけでなく、他にもいた筈だ。だが今日まで小次郎は、そのうちの誰一人として実際に目にしたことは無かった。その存在を耳にしたことがあるだけだ。
幼馴染として誰よりもお互いの近くで育ってきたというのに、健は小次郎の前では親戚の話は一切したことが無かった。盆や正月といった機会には親戚が大勢この家に集まっているらしいが、そんな時でも小次郎に紹介してくれたり会わせてくれたりしたことは無い。
それどころか、毎回今日のように『小次郎ちゃんは、今日は家に来たら駄目だからね』と健から出入り禁止を申し渡される。
お客さんが来るからね 健にそう言われても、幼い頃には「子供が来るのなら、自分も一緒に遊べれば楽しいのに」と、実のところ小次郎は不満に思っていた。だがそれも、短い間のことだった。やがて自分の存在や外見のせいで起こる騒動を思い知り、小次郎には別の考えが頭をもたげるようになる。それは、健は自分のことを親戚たちに見せるのが嫌で、それで「来るな」と言っているんじゃないかということ 。
ほんの小さな頃から、生意気な顔をしているとか、怖い顔だとか、散々周りから悪し様に言われた。大きくなったら更に面倒なことに、頭のおかしい奴らに絡まれるようにもなった。
それくらいに自分は人相が悪く、人に与える印象が最悪なのだ。健が親しい人間に自分のことを見せたくないと思ったって、仕方が無い 小次郎はそう考え始めた。
そう思うようになってからは、若島津家から賑やかで楽しそうな声が響いてきても、そのことは考えないようにして、何事もないかのように振る舞った。普段と同じように外ではアルバイトとサッカーの練習をして、家の中では弟たちの面倒をよく見て過ごした。
「健ちゃんの家、楽しそうだね。誰か来ているのかな」と弟たちに無邪気に尋ねられたら、「お客さんが来ている間は、邪魔しないようにしような」と優しく諭しもした。
だがそう答えながらも、小次郎は心の中で弟たちに謝っていた。自分がこんな見た目じゃなければ、健が人に紹介するのを避けたいと思うような人間じゃなければ、お前たちまで遠ざけられることはなかったかもしれないのに 、と。
小次郎は兄弟の誰とも似ていない、強面の自分の顔が大嫌いだった。
なのに。
目の前の、健の従兄だという少年は小次郎が「帰りたい」と言っても離してくれない。健に見つかったらどうしよう、と小次郎は困り果てる。
「なるほど、お前が小次郎かあ。俺、一度会ってみたかったんだわ」
「・・・・・」
これまでの経験上、『一度会ってみたかった』という言葉は、『一度手合わせしてみたかった』という意味で発せられることが多い。小次郎は顔を強張らせて、無言で一歩後ずさった。
「アキ兄が言ってた。自分よりもよっぽど健の兄弟みたいな奴がいるんだって。健がそれくらい大事にしてる奴なんだって」
「暁兄ちゃんが?」
暁は若島津家の長男で、健の4つ年上の兄だ。若島津家の中においては比較的温厚で優しい性格をしている長兄は、小次郎のことも実の弟と分け隔てなく可愛がってくれる。小次郎も大好きで頼りにしている、本当の兄のような存在だ。
「そ。健って頑固な割にはあまり物事に執着しないし、その分適当だったり、やる気もあるんだか無いんだか分からないとこがあるだろ?でもいざその友達が関わると、何一つ妥協しないってアキ兄は言ってた。その友達って、お前のことなんだろ?」
「・・・・・よく分かんない」
小次郎には律の言っていることがよく理解できない。『適当』や『やる気があるんだか無いんだか』というのは一体誰のことなのか。小次郎からすれば、健は完璧に近い存在なのに。
「健に言っても、全然そいつに会わせてくれねーしさ。随分ガキの頃から・・・それこそ幼稚園児の頃から俺言ってたんだぜ?一度見てみたいから会わせろ、って。・・・おばさんもアキ兄も、みんな『可愛い可愛い』って言うしさ。志乃姉なんか、『女の子だったら健と結婚させたのに』とかまで。それじゃあ俺も見てみたくなるじゃん?」
「・・・・」
自分がいない場所でも、そんなことを言っていたのかと、小次郎は恥ずかしくなる。顔が火照って熱くなるのが自分でも分かった。
「・・・なあ。念のため聞いておくけど、お前がその『小次郎』でいいんだよな?アキ兄たちが可愛いって言ってたから、違うのかなーとも、ちょっと思ったけど・・・。だけど、確かに名前は『小次郎』って言ってたんだよ。え?もしかして他にもいんの?小次郎って?」
それほどある名前ではないだろう。暁兄たちが言っているのは自分のことで間違いないと小次郎は思う。若島津家の人たちはみんな少し変わっていて、普通なら『怖そう』だとか『太々しい感じ』としか言われない小次郎のことを、何故か昔から可愛い可愛いと言って構ってくるのだ。
「ああ、でも健は別かな。アキ兄とかが『可愛い』って言っても、『そうでもない』って返してた。『普通だよ』って。」
「・・・健が?」
小次郎は弾かれたように顔を上げた。
「健の方が正しいな。お前が可愛いって、どうかしてるよな、アキ兄たちも。お前どう見ても可愛いって感じじゃねえよなあ。デカイし、ゴツイし」
「・・・うん。そう、だろ?暁兄ちゃんも、志乃姉ちゃんも、ちょっと変なんだ。変わってる」
小次郎は笑って律に応えた。器用ではないから上手に笑えているかどうかは分からないけれど、こうした対応は年季だけは入っているから、きっと大丈夫だと思う。
「あ、もう道場に戻らなきゃな。俺、春休みだからこの家にしばらく泊まりにきてるんだ。たまには爺ちゃんにも顔見せなきゃいけないし。だから小次郎、明日もこの時間にここで会おうぜ」
「え!?どうして?」
ようやく解放されると安堵したのもつかの間、思いもしない誘いを受けて小次郎は驚いた。
「やっと会えたんだし、まだ話し足りないし」と律は続ける。「それに 」
「健に内緒にして欲しいんだろ?」
健に少しばかり面立ちの似ている少年は、さすがに若島津家の一員としか言いようが無い。駆け引きなどしたことのない小次郎が太刀打ちできる筈は無かった。
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