~ 強面天使と悪魔な俺 2~



「小次郎。若島津さんちに回覧板持っていってくれる?」
「はーい」

家の中で末っ子を相手に遊んでやっていた日向家の長男は、母親の頼みに快よい返事をした。

「兄ちゃん、ちょっとお使いに行ってくるからな。その間いい子にしてるんだぞ」と、自身もまだ子供ながら面倒見のいい長男気質を発揮して、兄が離れていくのをむずかる弟をあやす。

ただ歳は確かに11歳と子供ではあったが、見た目は随分と大柄で大人びていた。日に焼けた手足は色も黒く、筋肉質でがっしりとしていて逞しい。無造作に伸びた前髪の隙間からは、眦の上がった目が眼光鋭く覗いている。慣れた弟はさすがに今更怯えることもないが、小次郎をあまり知らない子供であれば怖がって近寄れないのではないか・・・というほどに厳つい、強面と言ってもいいような風貌をしていた。

「にーちゃ。あそぶ」
「ああ、帰ってきたらな」

小次郎は勝の細くて柔らかな髪をサラサラとすいてやる。年の離れた弟と妹は、小次郎によく懐いていてとても可愛らしい。普段から同い年くらいの子供には遠巻きにされるか、喧嘩を売られるかのどちらかだったから、余計に「にいちゃん、にいちゃん」と慕ってくれる弟たちのことを小次郎は可愛がっていた。

(だけど・・・)

ふと小次郎は思う。

(こいつらが大きくなって、俺が・・・周りから嫌われているって知ったら、どうするんだろう)

尊も直子もまだ小さい。勝など小次郎からすれば赤ん坊と変わらない。
今は無条件に自分を慕ってくれている弟たちが、兄がその外見のせいで周囲から浮いていて、疎ましがられていると知ったなら         
もしそうなったら、この可愛らしい弟たちにも、自分は軽蔑されてしまうのだろうか         

そんな風に考えて、小次郎はため息を一つ零す。

実際には小次郎の方が周りに対して緊張にも似たバリアを張り巡らせているのであり、決して周りの人間の全員が全員、小次郎のことを忌み嫌っている訳ではないのだが、当の本人はそのことに気が付いていない。自分には友達というのはただ一人、隣に住んでいる若島津健しかいないのであり、これからもそれは変わらないのだと思っていた。

「にーちゃ?」
「・・・何でもないよ。お前はちょっとお昼寝しような」

眠くないと主張する末っ子を座布団を幾つか並べた上に転がして、小次郎は母親から依頼された用事を片づけるべく立ち上がった。










「こんにちはー!」

小次郎は若島津家の門をくぐり、玄関口へと回った。回覧板を渡すだけなら、郵便受けに入れておけば用は済む。だが小次郎は、「若島津家の皆さんへ渡しておいて」と母親からお菓子を言付かっていた。
それは小次郎の母が働いている菓子工場で出た規格外     形が悪くてはじかれたものや、切り落とした部分など    を安く販売しているものだった。味は正規品と変わらないので、日向家の子供たちにも、若島津家の人たちにも好評で喜ばれている。それで母親はたまにそれらを買ってきては、日ごろから我が子と仲良くしてくれている健たちにもお裾分け、と小次郎を使いに出すのだ。


だがこの日は小次郎が若島津家の玄関の引き戸を開けて挨拶しても、返事が無い。鍵が開いているからてっきり誰かいるものだろうと思っていた小次郎は拍子抜けした。

(あれ。珍しいな)

普段から人の出入りの多い家だ。家人以外でも、空手道場に関わる人間がこの家の中を歩いているのをしょっちゅう見掛けるのだが、今はそれも無い。

(みんな道場の方にいるのかな・・・)

そう考えたのち「おじゃましまーす」と一応は声を掛けて、小次郎は家に上がり込んだ。健と兄弟のように育ってきた小次郎のことを、この家の人たちは息子同然に扱ってくれているから、留守中に上がり込んだからといって何を言われることもない。寧ろ「留守番ありがとう」と喜ばれるだろう。その点では躊躇いなく小次郎は一歩を踏み出した。

脱いだ靴は行儀よく三和土に揃えて並べる。ここまで蹴ってきたサッカーボールもその横にチョコンと置いた。このサッカーボールは日向家の父親が亡くなる前に買ってくれた、小次郎の宝物だ。どんなに近い場所に行くのでも、学校に行くのでも、小次郎はこのボールを足元から離すことは無かった。

「・・・ねえ、ほんとに誰もいないの・・・?」

外は段々と春めいてきているというのに、家の中はひんやりとしていた。よく磨かれた長い廊下は薄暗く、恐る恐る問いかけた小次郎の声を反響させる。
幽霊や怪談といった類のものが大の苦手の小次郎には、少し不気味に思えた。

(やだなあ。早く帰ろう。・・・でも、ほんとにどうしたんだろう。おばちゃんは・・・?)

若島津家の当主や子供たちが道場にいるとしたら、それはおかしいことではない。だが母親までいないのは、珍しいことだった。どの部屋を見回っても、広くてがらんどうで静まりかえっていて、小次郎はいつもなら賑やかなこの家と実は違う場所に迷い込んでしまったのではないかという、不思議な感覚に陥った。

言いようのない恐れがじわじわと押し寄せてくる。小次郎はぶるりと身を震わせると、急ぎ足で台所に向かい、そこにあるテーブルの上に回覧板とお菓子の袋を置いた。袋は何の変哲もない白のビニール袋だが、中身を見れば誰が持ってきたのか分かる筈だ。

(どうしようかなあ。・・・鍵もかかってないんじゃ不用心だし、やっぱ留守番してた方がいいんだろうけど。この家、俺んちみたいに何も盗られるものがない家と違うし。でも・・・。)

このあたり一帯の地主でもある若島津家の家は大きい。屋敷と呼んでも差し支えないほどだ。現在の母屋の他に、奥には離れとして使っている古い建物がある。昔、健の祖父の時代に母屋として使っていたものだ。それに空手道場と、小次郎たちが住んでいるアパート。更には畑と山があり、また明和の違う場所にも幾つか駐車場や賃貸住宅を持っているのだという。

誰かが留守番をしていた方が安心なのは間違いない。だけど正直、小次郎はここに留まるのが怖くもあった。


(あ、でも。今日は来ちゃ駄目なんだった・・!早く帰らなくちゃ       !)

バイトがあるとか、勝の相手をしなくちゃ、とかそんなことのためではなく、今すぐ引き上げなければいけない理由があることを小次郎は思いだした。どうしよう、どうしよう、忘れてた!と気が焦る。すっかり頭の中から抜けていのだが、今日は健から「うちに来ちゃダメ」と言われていたのだ。

たまに健がそんな風に小次郎に対して「今日は家に来ないで」と言うことがある。小次郎が理由を尋ねると、「客が来るから」としか答えない。だけど、そうであるなら邪魔をするつもりは小次郎にも無いから、大人しく言うことを聞く。
健に会えないのも、若島津の家に行けないのも少し寂しくはあるけれど、どんなに親しく兄弟のように過ごしていたって、やはり違う家の人間なのだから仕方が無い。

(でも、夜になれば、健が来てくれるかもしれない)

小次郎に出入り禁止を言い渡した日には、夜遅くになってから健がこっそりとやってくることがある。小次郎の顔を見て、少し話をしただけで帰っていくけれど、「小次郎ちゃん、今日は一緒にいられなくてごめんね」と優しく頭を撫でてくれるから、それだけで小次郎はその日感じていた淋しさも忘れることが出来る。

綺麗な顔をして、勉強もスポーツも出来て、裕福な家の子供なのにそれを鼻にかけるようなところも無い、隣の家の幼馴染。いつだって優しくて、小次郎の弟たちのことも甘やかしてくれる健は、小次郎にとって自慢の、何にも代えがたい大事な友達だ。

だから細かいことは説明されずに「今日から暫くは家に来ないで」と健に言われて、少しばかり胸がチクンと痛んだとしても、小次郎はその痛みには気付かない振りをし続けた。夜になればきっと健に会えるのだから、どうってことない。

そうやって自分なりに折り合いをつけて、出入り禁止の日には健のことはなるべく頭から追い出して、決してこの家に近づかないようにしていたのだ。これまでのところは。
なのに、今日はたまたま忘れてしまった。


早く戻らなくちゃ、と慌てて踵を返して玄関に向かう。だがその時に奥の方から人が現れて誰何された。


       お前、誰?そこで何してんの?」










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