~ Level3の関係性 ~3
「・・・わ、若島津っ!ちょっ・・お前、待てってば・・・!」
どうしてこんな状況になっているのだろうと、ベッドにうつ伏せに縫い付けるように押さえられ、日向は現在までに至った経緯を顧みる。
今日は風呂に入った後、課題が残っているので早めに自室に引き上げた。それがようやく終わると、生乾きの髪も気にせずにベッドに転がった。少し休んだら、軽く足の筋肉をほぐしてから寝る準備を始めるつもりだった。
そうこうしている内に同室の若島津が戻ってきて、「ただいま」と言うから、「おかえり」と返した。
特に変わったところもない、いつもの夜の筈だった。「日向さん、練習しよ」と若島津が言うのと同時に、ベッドが軋む音がして、背中に重みを感じるまでは。
「待てよ!俺、今日はふ、風呂入ったし!もう、入ったからっ」
「知ってるよ。俺も一緒に入ったじゃん」
「・・だ、だから、やだって!・・ひ、ぁ・・っ」
腕を背中に回されて体重をかけられ、身動きがとれない。その状態で何をされているのかというと、ただ自分の上に乗っかっている若島津にうなじを舐められている。
若島津の温い舌が首の後ろの薄い皮膚を撫でるように行き来する。その度に日向の背にゾクゾクとした悪寒にも似た震えが走る。
邪魔だとばかりにTシャツを捲られ、背中にも柔らかく舌が触れて舐め上げられれば、もう日向は変な声が漏れるのを抑えられなかった。
「あ、・・んっ、やっ・・、やめろって!離せってば・・・!」
「・・・ん。ごめんね、日向さん。でも、あんたすごくイイ匂いするんだよ。・・・なんかすげえ甘くて、いい匂い」
「そんなの、ボディソープか、シャンプーだろっ!お前だって同じの使ってるじゃねえかよ・・・!」
「違うよ。だって・・」
「・・ふ、あッ!」
今度は耳の後ろを舐められた。
「やっぱ日向さん、甘い・・・。舐めても甘いって、何だろうね」
「知るか!」
元々のきっかけは数ヶ月前、サッカー部で行った『3年生を送り出す会』だった筈だ。それは間違いない、と日向は思う。
日向と若島津は当時2年生だった。卒業式を間近に控えた3年生のために反町が中心になって会を企画し、日向や若島津、その他2年生と1年生も協力した。甲斐あって送別会は盛況なものとなり、最後にユニフォームやシンガードに寄せ書きをしたり、写真を撮ったりして和やかに終えたのだ。
だが若島津にとってはそうではなかったらしく、会を終えて部屋に戻ってきた時にはぐったりとし、心なしか青ざめた顔をしていた。さすがに心配した日向が「若島津、どうかしたのか。具合が悪いのか?」と問いかけたところ、若島津は細く息を吐いて、「唐澤先輩に、後は頼んだぞ・・・って、肩組まれました」と答えた。
唐澤というのは、若島津が入学してからの2年間にわたって、正GKの座を争った上級生だ。若島津が2年生になって一旦ポジションを奪ってからも、隙を見せればいつ奪い返されてもおかしくはないほどに実力のあるGKだった。日向も1年次に出場した試合で何度も背中を任せ、助けられた。鷹揚で快活な人柄も日向とは相性が良かったし、尊敬している先輩の一人だ。その人が 『後はお前に頼む』 と言ってくれたことが、どうして顔色を悪くする原因になるのか・・・と日向は首を傾げる。
「肩を組まれたんですよ。・・・その他にも背中を叩いたり、頭を触っていく先輩もいましたし」
さすがに若島津も最後の追い出し会という日に、目を赤くして泣き笑いの表情を浮かべた先輩たちが肩や背中に触れてきたからといって、その手を払い落とすなどという暴挙には出られなかった。彼らが何も嫌がらせで触れてくるのではないと、解っている。潤んだ目をして『全国制覇はお前たちに任せたからな。絶対、次こそ優勝しろよ』と言われれば尚更だった。卒業していく全員が、学年は違えども苦しい練習を共にし、時には衝突し、一つの目標を一緒になって追いかけてきた仲間たちなのだ。悔し涙も、喜びに弾けた笑顔も、お互いに見せ合ってきた。若島津にしても、心を尽くして送り出したいことには違いなかった。
だがそれでも、やはり他人に触れられるのは苦手なのだ。
「・・・気持ち悪い」
「・・・気持ち悪いって、お前。だって肩くらい、いつも円陣だって組んでるじゃないか」
「あれも、本当は苦手なんですって。一瞬で終わるから耐えられるだけで。それに俺、円陣では日向さんの隣を死守してるでしょう?」
そう言われればそうか、と日向は思い出す。だが若島津のもう片方の隣はいつも誰だったか?特に決まってはいなかったか・・・。もしかして、これまでもちゃんと円になっていなかったのか !?
日向は少々ズレたところで一人衝撃を受けていた。
「俺、少し病的なのかなあ。潔癖症っていうのとは違うと思っていたんだけど、やっぱり、ちょっと生きにくいんですよね・・・」
ベッドに座って俯く若島津が、常に無く悄然として、困ったような顔をしてひっそりと笑うのを見ると、日向もつい可哀相に思ってしまう。若島津が望んでこの状況になっている訳ではないのだ。日向はこれまで 『生理的に嫌なものは仕方が無い』 と、素人なのに分かったようなことを言って見過ごしてきた自分を後悔した。日常生活を送る上で若島津が辛い思いをするのなら、それは確かに病気なのかもしれない。なるべく早く、心療内科やメンタルクリニックで受診して、カウンセリングを受けた方がいいのではないか。
そう若島津に問うたところ、「俺、今ここでメンタルに問題があるなんて親に知れたら、問答無用で明和に連れ戻されるよ」と薄く笑われた。
「そりゃ・・・そうだよな。おじさんたちも心配するよな」
「うん・・・」
じゃあどうすればいいのか。このまま放っておく訳にはいかないだろう。運動部に所属しているのに肩を組む程度のスキンシップも耐えられないというのであれば、この先の学校生活でも困難な局面に陥るだろうことは、火を見るより明らかだ。
日向が困り顔で懸念していると、「・・・日向さんさ」と若島津が切り出した。
「日向さんならさ。俺、大丈夫なんだよね。触っても、触られても、肩組んでも」
「うん。・・・何で俺だけかな」
「ね。何でかは俺も分からないけど、日向さんだけなんだよ、近くに寄られても大丈夫なのは。だから、日向さんさ。・・・あんたで慣れさせてくれないかな。日向さんで人の気配に慣れれば、他の奴でも大丈夫になってくるんじゃないかな」
そういうの、パーソナルスペースって言ってね・・・と、若島津が説明するのを日向は神妙な面持ちで聞いていた。個人個人が持つ、自分の領域のようなもの。他者が入リ込むのを許容できない空間、エリア。それが自分は人より極端に広く設定されているのではないかと、若島津は言う。
「俺で何とかなるなら、何でもするけど。何をすればいいんだよ」
「日向さんに触ったり、近くに寄ったりするのを許してくれれば。・・・手を握ったり。身体に触れたり・・・。駄目?」
未だ顔色が悪いままの若島津を見たら、その頼みを無下に断るなど、日向にできる筈も無かった。
「俺に出来ることなら、いいぜ」
そう答えると、ようやく若島津もホッとしたように微笑んだ。
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