~ Level3の関係性 ~4






最初は確かに、手と手を絡めたり、肩を抱かれたり、といった「ちょっと、男同士の友達としてはどうかなー」というレベルのスキンシップだった。
それがクリアされると、今度はゆるく抱きしめられた。それも慣れると、若島津の要求はどんどん上がっていった。もともと課題を与えられると、どうにか達成したいと思う体育会系気質の日向だから、途中までは何の疑問もなく、それに付き合った。寧ろ 『よし!次!』 とばかりに燃えた。

だが、今のこの状態はどうなのだろう。さすがにおかしいのではないだろうか・・・・。そう思い始めたのが、抱きしめられたり匂いを嗅がれるだけでなく、舐められるようになってからだった。
これがキスされたとか、性的な場所を触られたとかだったら、すぐにでも日向も拒否していただろう。だが 『舐める』 というのはどういう行為なのだろうと、日向は悩んだ。一応は、治療のようなものとして行っているのだ。若島津にとって苦手な接触行為の究極が 『舐める』 なのかもしれない。そうだとしたら、嫌だと思っても自分も耐えるべきなのか。そう考えた。

とはいえ、今のところ上半身限定ではあっても、同性の親友に体中を舐められてベトベトになるのは決して気持ちがいいものではない。『今度は俺が潔癖症になるかもしれねえじゃねえか!』 と日向が不安を感じて及び腰になったとしても、誰も責めたりはしないだろう。
なのに、さっきから日向が 『やめろ』 と言っても、若島津は一向に止めようとしてくれない。

            こいつ、酷え。

自分は出来るだけ協力をしているのに、好き勝手しやがって        と、道理の通らなさに腹が立ち、かつ悔しさのあまりに、日向の瞳に涙の膜が薄く張る。

「お前なんか、もう知らねえ!風呂、せっかく入ったのにっ! おれ、お前のせいで、首も背中もベタベタじゃねえかよっ・・・」
「後で拭いてあげるから。だから、もうちょっと練習させて・・・、ね?」
「ひゃっ・・」

今度は耳の中に舌が入ってきて擽られ、背中が跳ね上がる。ピチャ、という水音が直接脳に響いてくるような気がして、こうなると恥ずかしいとか、気持ち悪いとかの問題ではなく、体が他人の思惑によって自由にならないという、原始的な恐怖が襲ってくる。

「や、やだ、やだやだ。わか・・っ、やぁ・・!」
「・・・日向さん」

首を振って逃げようとする日向の声に、怯えが混じり始める。
それを敏感に察知した若島津は、今日はこんなところか・・・と一つため息をついて、大人しく日向の背中から降りた。
自分が他人の気配に慣れるため・・・と始めたこの行為は、既に若島津の中では 『日向に自分を慣れさせる行為』 に意味がすり変わっている。勿論、そのことを若島津は自覚しているが、日向には何も告げてはいない。その必要もないと思っている。

解放された日向は慌てて起き上がって、服装を整えた。「・・・度が過ぎてんだよ、この馬鹿ッ! お前、さっき拭くって言ったからな!ちゃんと拭けよな!嫌だって言ってんのに、遠慮なく人のこと舐め回しやがって!」と悪態をつくが、涙目で睨まれても若島津は反省どころか煽られるばかりで、実のところ楽しくて仕方が無い。

「うん。ごめんね、日向さん。タオル濡らしてくるね」
「・・・お前、もう大丈夫なんじゃねえの?俺のこと、こんな風に、な、舐めるくらいなんだから、他のヤツと肩組んだり腕くんだりとか、そんなの全然イケんだろ!?」
「うーん・・・。それがそうでも無いんだよね」

クラスメイトで試したりはしているけれど、思ったように克服できていないのだと、若島津は言う。

「だからもう少し、協力してね。日向さん」
「・・・・・嘘だろぉ」

緩く後ろで結んだ髪を揺らして、若島津がニッコリと笑う。爽やかな笑顔の裏に、何かしら薄ら寒いものを動物的な勘で感じ取ったのか、日向はその身をぶるりと大きく震わせた。

「あ、体が冷えちゃったかな。タオル、熱くしてくるから少し待っててね。綺麗にしたら、寝ようね」
「・・ちょ、ちょっと待て。若島津」

タオルを手にして部屋を出て行こうとした若島津を引きとめて、さきほどよりも青ざめた顔をした日向はつい聞いてしまった。見なければいいのに、気がつかなければいいのに、人というのは怖い物ほどその存在を確かめたくなってしまうものらしい。

「お、お前がさ、この練習が必要なくなる日がゴールだとして・・・・、おれたちは今、ど、どの辺に、いる・・・?」
「えー?そもそもゴールがあるのかどうかも微妙なんだけど。そうだなあ、強いて言うなら・・・」

そしてご多分に漏れず、日向は尋ねたことを激しく後悔する羽目に陥った          










給湯室で蒸しタオルを作った若島津は、自室へ戻る途中で談話室の前を通り過ぎ、先程反町たちがここで集まって話していたことを思い出した。

タケシが明和時代の懐かしいエピソードを披露していた。若島津は通りかかっただけなので最後まで聞いていた訳ではないが、反町にしろ島野にしろ、どういう反応をしたかは想像がつく。きっと皆苦笑しつつも、さもありなん、と納得していたことだろう。
だが若島津自身にとっては、笑い話どころか、人生を左右する大きな変換点でもあったのだ。

幼い頃から他人と触れ合うのが苦手だった。子供は大人に比べると距離感が近いので、油断するとすぐに若島津が不快だと思う領域にまで侵入される。成長するにつれて辛さも緩和されるかと思いきや、願いに反して、思春期が近づくと日常は一層過ごしにくいものになっていた。
それなりに悩んだりもして、でも何とか普通の子供のように過ごして見せていたその頃。若島津は日向に出会って、親しくなったのだ。


あの練習のあった日は、夏の一歩手前ではあったがすごく暑くて、空が眩しかったのを覚えている。
走り回った身体は熱を持っていたし、喉が渇いて仕方なかったのに、たまたま水筒を忘れてしまった。若島津が自身の失態に舌打ちしていると、日向が水筒を寄越してくれた。

グラウンドで手渡された水筒にはよく冷えた麦茶が入っていた。逡巡した後、気がついたら水筒に口をつけて、喉を鳴らして麦茶を飲んでいた。日向が先に飲んでいたものだとか、唾液が混じっているのではないかなんて、気にならなかった。
単純に美味しかったし、隣で大きな目を見開いて吃驚している日向も可愛かった。その様を見たら、若島津は途端に可笑しくなって、声をあげて笑っていた。暗雲はきれいさっぱりに吹き飛んだ気がしたし、泥だらけで汗まみれの太陽が、不審そうにこちらを見ながらも傍にいてくれる。

なかなかに人生は楽しい、と子供ながらに心の底から思えたのは、あの瞬間からだ。


「さて、どうすっかなー・・・。もう少しじっくり攻めるか」

先程の脅えたような日向の声を思い出し、若島津はこれからの計画を練り直す。
あの時から、日向を手放すことなど考えられなくなった。普通にノンケで常識人の日向を、こうして時間をかけて少しずつ慣らしているのも、確実に手に入れるためだ。事を急いて怖がらせてしまっては、元も子も無い。
なんだかんだ言って、結構な無体を働いても許して貰えるところまで来ているのだ。日向の中で既に自分が特別な位置を占めていることは、分かっている。あともう少し余分に時間をかけたところで、どうということも無いだろう。

              それに、さっきの顔といったら。

若島津はさも可笑しそうに小さく笑った。


『10段階あるうちの、1、2、・・・うん。3くらいかな』
『さん!?マジか!!』

今のこの状況はどのレベルにあるか、と聞かれたので、10あるうちの3だと答えた。その瞬間、日向は叫び、ベッドの上にぺたりと座りこんで呆然と若島津を見上げた。

日向を傷めつけたいと思ったことは誓って無いが、彼の驚いた表情や困った顔を見るのは、ものすごく楽しい。
勿論、その元凶が自分である、という条件の場合に限ったことではある。それが他人によってもたらされたのであれば、己が全力でもってそれらを排除するだろうことは、若島津にとっては自明の理だった。

何と言っても、地球上に何十億人という人間がいる中で、どうやら自分が適合できるのはたった一人、あの可愛い人しかいないようなのだ。精一杯大事にして、この手で守って、幸せに長生きして貰うしか無いではないか。
日向の言う 『ゴール』 などはやって来ないと若島津には分かっているので、レベル3というのは冗談に過ぎないが、それでもこの先の二人の関係性がどう進むかを思うと楽しみだ。


若島津はその端整な顔に艶やかな笑みを浮かべると、蒸しタオルが冷えないうちにと日向の待つ部屋へ足早に向かい始めた。









********



「うまいっっ!」

日向の水筒からよく冷えた麦茶をゴクゴクと勢いよく飲んでから、ほーっと長い息を吐き出した若島津は、おもむろに興奮したように大声を上げた。

「これ、すげーウマイ!すげー、日向!超ウマイっっ」
「そ・・そうか?・・普通の麦茶なんだけどな」

頬をピンク色に上気させ目をキラキラさせて、常になくテンションの高い若島津に、日向は自然と腰が引けてしまう。それでも若島津はそんな親友にお構いなしに、半分逃げつつある日向と手にした水筒を何度か見比べたのち、突然にカラカラと笑い出した。

「あははは!すっげー!日向、すげえ。俺、絶対他の奴が口つけたのなんて、無理だと思ってた!」
「・・・・・」
「家でも『お前は神経質過ぎる』とか言われてさあ。俺もちょっと、自分でもヘンなのかな~なんて思って、将来、脅迫神経症・・っていうの?そんなのになったらどうしようとか考えたこともあったんだけど、違ってたみたいだぁ。あ~、良かったぁ。ありがとな、日向」
「・・・・いや、よく分かんねえけど。よかったな・・・」

普段は喜怒哀楽がそこまで表に出るほうではない若島津がはしゃぐのも珍しければ、その勢いに押されっぱなしで目を丸くしている日向も珍しかった。若島津の馬鹿笑いに最初は戸惑っていた明和FCのメンバーも、その衝撃が過ぎると面白いものでも見るかのように二人を囲む。

「若島津って、結構アブない奴だったんだな・・・」
「日向さん、ヘンな道に走らないでくださいよぉ。男同士なんて嫌ですからねっ。日向さんを好きな女の子は、沢山いるんですからね」
「そうそう。うちのクラスの女子にもさ、日向さん人気でさー。この間も・・・」

日向はそれらの言葉にどう反応すればいいのか分からず、日に焼けたスベスベの頬を仄かに赤く染めて下を向く。

これ以上ないくらいに上機嫌の若島津と、顔を赤くして黙りこんでしまった日向。それから周りでニヤニヤして茶化している先輩たちを、日向に誘われて明和FCに入団したばかりの沢田タケシが、可愛らしいドングリ眼をクリっとさせて興味深そうに見つめる。



いずれ全国大会準優勝の強豪チームとなる明和FCの日常の一コマは、若干1名の未来に穏やかならざる波紋を密かに投じたものの、おしなべては平和そのものだった         








END

2015.04.22

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