~ Level3の関係性 ~2





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「・・・というようなことがあったのを思い出しました」

チュー!と勢いよくストローからバナナ味の豆乳を飲みつつ、クリっとした目に愛嬌を浮かべてタケシが話し終えると、「ほほうー」という声がどこからともなく上がった。

「やっぱり若島津は、昔から変わらず若島津なんだな」
「日向さんもな」
「明和ってチームは知らないけれど、どんなだったか何となく想像がつくもんな~」
「まんま、ウチじゃねえの?」

東邦学園中等部サッカー部員の一部のメンバーは、風呂上がりのひと時を寮の談話室で過ごしていた。輪の中心にいるのは3年生の反町一樹で、話題は 『若島津の都合のいい潔癖症』 についてだった。

「既にその頃から始まっていたのか。アイツのなんちゃって潔癖症は」
「なんちゃってかどうかは分かりませんけど。小学生の頃の若島津さん、泥とか自分の汗とかで汚れるのは全然構っていませんでしたけど、他人に触られるのとか、本当に苦手そうにしていましたよ。日向さんだけが特別で、日向さんなら近くに寄っても大丈夫で。僕が見るに、昔よりその傾向が強まっているような気がしますけど」
「いーやっ!あいつは確信犯だかんねっ!日向さんだけ特別~って態度でいれば、そりゃあ日向さんだって絆されちゃうってもんだよ。ガキの頃はともかく、今はあいつの 『人に触りたくない』 って、単なる方便じゃねえの?だって俺らのこと、ガンガンにどついてくるもんなぁ?」

なあ?と反町に同意を求められたチームメイトは、曖昧な顔をして、取り合えずといった体で頷く。

「日向さんも日向さんだし! 甘い顔するから、あいつがつけあがるんだし!」

まあまあ、と島野が宥めても反町の愚痴は止まらない。そもそもの事の発端は、昼食後の一本のコーラだった。





東邦学園には自宅から通う生徒と寮で生活する生徒がいるが、入寮者は弁当を持参できないため、昼は学食を利用することになる。部活やクラスの仲のいい者同士といったグループで食事を取る事が多いが、特にサッカー部では部員同士で集まる傾向にあった。別に誰かが声をかけるというのではなく、日向がいるテーブルに自然と部員が集まってくるだけの話ではあるが。
その日の昼も、いつもの席に座る日向の左隣に若島津、向かい側に反町が陣取っていた。この定位置は滅多に変わることは無かった。

「ごちそうさま」

一足先に唐揚定食を完食した日向が礼儀正しく手を合わせる。それから食器とお盆を下げると、既に習慣となっている食後のコーラを買ってくる。学食の脇にある売店では、瓶のコーラを販売していた。これを見つけた時の日向は、後に周りが思い出してはニヤついてしまうほど、子供のように素直に喜びを顕わにした。甘い飲料がどちらかというと苦手な若島津には分からないが、日向によれば瓶と缶、ペットボトルのコーラではそれぞれに味が微妙に違うらしい。
売店で王冠をはずしてきた瓶コーラを手に日向が戻ってくると、炭酸がシュワシュワとガラスに弾ける心地よい音がする。そのうえ日向が実に美味しそうにそれを飲むものだから、反町はついねだってしまったのだ。
「日向さん。一口ちょうだい」と。


ここまでは何の問題も無く、よくある光景だった。

ところが、そこで「あ、俺にも一口」と手を挙げたのが若島津で、それが常とは異なる点だった。甘いジュースなど普段は口にしない若島津も、やはり日向が飲む姿に釣られたらしい。
日向は「珍しいな、お前がこんなの飲みたいだなんて」と言うと、一旦反町に渡しかけた瓶を戻して、若島津に差し出した。先に手を挙げた自分ではなく、後から言い出した若島津に瓶が先に手渡されたことに、反町は大層な衝撃を受けた。

「ええっ!ちょっと待ってよ、日向さん!俺の方が先に飲ましてって言ったじゃないですかあ!」

反町が抗議すると、

「しょうがねえだろ。こいつ、俺以外のヤツが一回口つけたもの、駄目なんだから」

日向が当たり前のように答える。

きょとんとした顔で 『何がおかしい?』 と言わんばかりに他意の無い視線を向けてくる日向と、その隣ですました顔をして瓶を傾ける若島津に、反町はしばらく開いた口が塞がらなかった          






これが反町が先程から一人拗ねている原因となったあらましだった。

「ほんっと、酷いよな~。俺、何気に傷ついちゃったもんね。俺だって健ちゃんが口つけたのなんか、嫌だもんねーだ」

ソファの上で体育座りをして下唇を突き出す反町は、何事にも 『明るく軽く、後引かず』 をモットーにしている彼にしては、珍しく本気で不貞腐れている。

「まあねえ。でもなあ、今更って気もするけどな・・・。もう諦めろ、反町」
「そうだよ、反町。2年以上もあの二人と一緒にいるけど、今までだって日向さんが俺たちを若島津より優先させたことが有ったかよ。そろそろお前の方が慣れろよ」
「ヤダ。慣れたくないし、諦めない。俺だって日向さん、好きだもん」

冗談めいた口調で駄々をこねて、それでいながら本音を吐露する反町に周りは苦笑する。反町のように皆が皆ハッキリと不満を口にする訳ではないが、その気持ちは分からないでもなかった。

彼らの敬愛する日向は兄貴肌で情に厚く、心優しい少年だ。仲間が困っていたり辛い状況にある時には常に助けになろうとしてくれ、誰に対しても裏表が無く、嘘をつかず、八つ当たりしない。ピッチの上では清々しいほどに俺様な絶対君主なのに、普段は礼儀正しくどちらかというと静かな方で、目立つことも好まなかった。そのギャップも、多くの者にとっては魅力的だ。

だがそんな彼らも時々、日向に対してやるせない気持ちになることがある。彼がいつも傍らに置いて離そうとしない、チームの守護神でもあり、彼の幼馴染でもある男が原因だ。長く一緒に過ごしていると、どうやら日向にとって、自分たちと若島津の間にはクッキリと明確な境界線が引かれているのではないか・・・、と感じることがある。
日向に拒否されている訳ではない。十分に受け入れて貰っていると思う。それだって、どこか人慣れない野生の猫みたいなところがある日向なのだから、十分だと満足するべきなのかもしれない。
だがあの男だけは日向にとってそもそも占める位置が違うのだと、無意識のうちに区別されているのだと分かってしまう瞬間は、確かに口惜しくもある。

「日向さんの美徳は沢山あれど、『依怙贔屓しない』 ってのは当てはまらないな。贔屓しまくりだ」

穏やかに笑う島野に対して、反町は軽く頷いた後、しかめっ面を向ける。

「俺はさ。本当のところ、若島津はどうでもいいの。あいつがどうこうじゃないんだよ。日向さんなんだよ。日向さんにもう少し、俺のプライオリティ上げて貰わないと、やってらんないよ。そりゃ若島津よりも特別扱いしてくれとは言わないけどさ。でもさ、せめて同等に扱ってくれてもいいじゃん。大体俺たちなんかひたすら走りまくってさ、後ろで偉そうに人に指示して、かつ罵倒しまくっているアイツに比べたら、尽くしてると思うんだよね」
「何の話だよ。サッカーと一緒にするなって」
「前線のお前らはまだいいだろー。後ろの俺たちなんか、背後から尋常じゃないプレッシャー感じるもんな。ミスでもしようものなら・・・・その後のゴールキック、怖いもんな」

一人むくれる反町を置き去りにして、サッカー部の面々は過去に若島津から受けた仕打ちがいかに酷いかを競って暴露し合い、笑い話にして盛り上がっている。その様子をしばらく楽しそうに眺めていたタケシは、いかにもいいことを思いついた、というように反町を振り返った。

「反町さん、このバナナ豆乳、意外とイケますよ。若島津さんは豆乳が苦手で飲めないから、これからは日向さんにコーラじゃなくて豆乳を勧めましょうよ!こっちの方がよっぽど体にもいいし、アスリートがコーラばかりっていうのもどうかな~って、僕、実は気になっていたんですよね」

邪気無くニコニコと笑顔を振りまくタケシに対して、反町は抱えた膝に頬をつけたまま、白けた視線を向けた。

「あのさ、タケシ。俺も豆乳は嫌いだし、人間の飲み物じゃねぇ・・・、くらいに思ってるんだけど。お前、知らなかった?」







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