~ 恋にもならない ~2
「若林君、お誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとうな」
誕生日も二十歳を越えれば、さほど嬉しいものでもない。だから祝福の言葉なんてあっさりしたものだ。
それよりも岬持参のシャンパンを開けて美味い料理を食べながら、互いの近況を聞いたり思い出話に花を咲かせることの方に忙しかった。
ディナーは殆どを日向が準備した。見掛けによらず料理は好きらしく、短い時間で手際よく作ってくれた。家が母子家庭ということもあって、子供の頃から料理でも掃除でも、出来る家事は何でもやっていたらしい。
「メシを作るっていっても、ガキの頃は簡単なものばっかだったけどな。東邦では寮に入ったから作る機会もなかったし。だからここにある殆どは、イタリアに来てから覚えたもんばかりだ」
「レッジアーナの時、チームメイトにリストランテのオーナーシェフがいたんだものね。どれも美味しかったよね」
そのことも俺には初耳だったが、岬はそのチームメイトが経営している店にも行ったことがあるらしかった。
「・・・お前たちって、こんな風にちょくちょく会っているのか?」
少し酒も回ってきたところで、俺は以前から気になっていたことを切り出してみた。
恋人同士とはいえ、フランスとイタリアに別れて過ごしているのだから、正真正銘の遠距離恋愛だ。難しいこともあるだろう。遠征で留守がちにしているだけで彼女と別れた経験のある俺には、到底無理だと思われる。継続していくコツがあるのなら、教えて欲しいくらいだった。
「そんなにしょっちゅうは会えないよ、やっぱり。でも月に一度は会うようにしているよね」
「ここに来るよりは近いからな。車で7~8時間ってとこか。トリノとパリで」
顔を見合わせてそんなことを確認し合う二人は、やはり仲睦まじい。正直、妬けないでもなかった。
おかしいかもしれないが、俺はその昔、岬のことを勝手に『同志』のようなものとして捉えていた。こいつが自分に一番近い存在だと、そんな風に感じていたのだ。
それは俺たちの間に、小学校卒業後に日本を出て、言葉もロクに通じない場所で一人で闘わなきゃならなかったという共通点があったからかもしれない。ドイツに来たばかりで周りが敵だらけで辛かった頃、『俺だけじゃない。今頃あいつも闘っている』と思うことは、随分と大きな慰めになった。
それがおよそ3年後に、岬は「父さんが日本に帰って絵を描くというから、僕も一緒に帰るよ」と急に言いだして、本当に帰国してしまった。
暫くは互いに連絡を取ることも無かったが、俺の方はたまに日本にいる岬のことを想ったりもしていた。
『同志』の近況が気にかかっていたのもあるが、単純に日本に戻ったのが羨ましいというのもあった。どうしているのだろうと想像して、懐かしい故郷に思いを馳せた。俺自身はずっと帰れていなくて、友人たちの顔も忘れかけていたから。
ところが岬の方はといえば、そんな俺のことを思い出すでもなく、日本で再会した日向と順調に恋を育んでいたという訳だ。
岬が恋愛していると知った時、その対象が男であるということ自体はそれほど意外に思わなかった。岬自身が中性的な容姿をしているからか、そういう性指向だったのかと思っただけだ。
それよりは相手が日向だという事実の方が、よっぽど衝撃的だった。
何しろ、日向だ。裏表なく真っ直ぐで気持ちのいい男ではあるが、如何せん喧嘩っぱやいし、腕っぷしも強い。事実、松山だって俺だってこいつに殴られたことがあるのだから、口より先に手が出るタイプなのは間違いない。
そんな男と付き合って大丈夫なのか。何か揉め事があったなら、その度に岬が大変な目に合うんじゃないのか・・・と案じたりもした。
「・・・お前らはほんと仲がいいな。喧嘩したりはしないのか。殴り合ったりさ」
こうして二人を見ているとそれも杞憂だったとは思うが、それでも一度は聞いてみたかったことを口にした。
「僕と小次郎が喧嘩?無いよ。口喧嘩すら無いのに、そんな、殴り合いなんて」
ねえ?と岬が日向に同意を求めれば、日向は俺に向かって「お前、俺が岬に暴力振るうんじゃないかって心配しているんだろう」と唇を尖らせた。
「いや、そういう訳じゃないが。・・・ただお前が岬に口で勝てるとは思わないから」
「僕、これでも喧嘩は割と強い方だと思うんだけどな。若林くんだって身をもって知ってるじゃない?」
「・・・それをここで言うか」
確かに岬の言う通り、俺はこいつからも殴られたことがある。あれは身体的というよりも、精神的にダメージが大きい一発だった。
ジュニアユースの時の話だ。
フランスで久しぶりに会ったというのに、挨拶もなくいきなり岬に平手で頬を張られた。
怒りよりも呆然とする方が先で、どうしてと理由を問えば「君、小次郎のことを殴ったでしょう?だから、その仕返し」と言われて更に呆ける羽目になった。
「あの時の若林君、目を真ん丸にして面白かった。当時は僕も怒り心頭だったから流しちゃったけど、後から思いだしたらおかしくって・・・。魂の抜けたような若林くんを見たのって、あれが最初で最後だよね。今のところ」
「・・・二度目は無いだろ。本気で痛かったんだからな。主に心が、だけど」
クスクスと笑う岬は全く悪びれない。それよりは横にいる日向の方が、ばつの悪そうな顔をしている。
それはそうだ。仕返しも何も、俺はちゃんと日向に殴り返されていた。俺のパンチが先にヒットしたのは確かだが、あれは日向にやり返された時点でお互い様だった筈なんだ。
だけどあの時の岬は、日向が何度そう説明しても納得しなかったし、退かなかった。
君と小次郎との体格差をどう考えているの!?思い切り殴ったりして、歯が折れたりでもしたら、どうするの!?
それでなくても、こんな可愛い顔に傷を残して・・・どう責任取るっていうつもり!?
小次郎が許しても、僕が許さないから!次にこの子に手を出したら、僕が相手だから!
あの頃はまだ付き合っていなかった筈だが、きっと想い合っていたのだろう。”この子”を背に庇って威勢のいい啖呵を切る岬と、オロオロしながらも顔を真っ赤にさせていた日向を覚えている。
それと肩を震わせて笑っている三杉も。
そんな珍しいものを見たのも、あの時が初めてだった。
「ああ・・。でもあの時の小次郎は、ほんと可愛かったな・・・」
岬がほろ酔い加減で嫣然と微笑む。普段は清潔感のある好青年にしか見えないのに、そんな表情をすると色気が駄々漏れだった。
それに対して日向がなんとも情けなさそうなツラをして「その話はもうやめてくれ」と懇願したりするものだから、俺と岬は一緒になって笑った。
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