鉄 道 風 景 A
東北地方の鉄道にはJRをはじめ、結構たくさん通いました。Aでは他の東北の私鉄を特集します。今ではもう見られない路線や車両たちです。あっという間に次々になくなってしまいました。在りし日の姿です。 |
弘南鉄道・栗原電鉄・小坂鉄道・
十和田観光電鉄
写真はたくさんあるのですが、その中でも選んで数枚ずつ貼ります
東北地方も日本海側へは、必ずこの寝台特急「あけぼの」を利用しました。ED75牽引で白帯統一時代の少し前の「あけぼの」です。
■弘南鉄道
まずは弘南鉄道に。東急から来た改造車3404形が元気に走っていました。貫通路は必要ないということで埋められています。
大鰐線をぶら散歩して、収穫前のリンゴと旧型電車をコラボしようとしましたが、線路に隣接したリンゴ畑はありませんでした。
ここが探した中で、線路に近く電車も写せる大鰐線では唯一の場所でした。なんと これも東急から来た3403がやってきました。
ここは有名な津軽大沢駅のすぐ脇の国道の陸橋上からですが 幸運にも岩木山が夕暮れ時に綺麗に写りました。気が付かなかったのですが
3404とコンビを組んでいた電車はこの年に廃車予定だったクハニ1271だったのです。これらの電車は1995年までに全て廃車になってい
ます。実りの秋で、黄金の絨毯と、岩木山、そして間もなく終焉を迎える貴重な車両を撮ることが出来たのは、ひとえに 運だけでした。
■くりはら田園鉄道
廃線の噂が立っても生き延びていた「くり電」。鉱石列車廃止と共に電化をやめて、ディーゼル化したという変わった路線です。朝の若柳駅。
ここは宮城県のコメどころで、秋には素晴らしい一面の黄金の絨毯の中をKD95形DCが走ります。日産製のエンジン音が独特でした。
これは名鉄から来た2軸の(単車)DCで、私が行ったときは普通運用ではなくイベントでしか走りませんでした。
勿論イベントに合わせて行ったのですが、ファンは見かけませんでした。結構スピードは出すのですが、揺れが激しく脱線するかと心配しました。
この時は、まだ稲穂が実っておらず、一面緑の絨毯を駆け抜けていきました。名鉄車が東北で走るなんて思ってもいませんでした。
■小坂鉄道
雪沢〜茂内間の道路に近い、3重連を撮るには手軽な場所です。小坂製錬から排出される濃硫酸を大館まで輸送していました。この日はコキ3両を併結です。
茂内は補機開放駅ですが、小坂に戻る機関車は通過しますので、機関士がタブレットを掬い取ります。まだ通票閉塞でした。
大館行重連の列車は補機は解放され単機になり、小坂には単機で戻ります。後の受け器にはキャリアが投げ込まれています。
これは午後の大館に、カラのタキを迎えに行く重連列車です。本来は濃硫酸運び出しのスジですが、なぜか
小坂からのタキは運休でDD13だけが重連でやってきました。それにしても、ここの腕木信号機が物々しい
しいですね。ただしこの信号機は小坂行列車用です。この種の信号機は、駅の構外にありながら、呼び名は
「場内信号機」です。この先の駅に進入してよいかどうかの信号機で「場外信号機」と呼んでも不思議では
ありません。茂内で当時生きていたのは右の上下段の黄と赤羽根の信号機です。これは列車は「通過しては
いけない」の意味で、小坂行の 茂内駅進入禁止を示しています。 従って大館行の列車に対しては何の作動
もしません。参考に茂内駅の信号機操作小屋を下に貼ります。昔の広大な構内を想像出来ます。
上の列車がタキを牽引して来て小坂に帰る時の「進入可」の茂内場内信号機です。
最盛期にはこれだけの信号テコを使用したんですね。茂内駅テコ小屋。
山の右奥から下ってきた濃硫酸列車は出発線に入って一旦停車。すぐ2両の補機が連結され、茂内まで3重連となります。
■十和田観光電鉄
三沢駅を出発した十和田市行電車は古牧温泉脇を通ります。まだ古豪が頑張っていました。東急の車番をそのまま使っていました。
途中の七百駅で列車交換します。単行電車もあるので、クモハも両運転台に改造されています。
これは2004年(東急ステンレス車がすでに運行)春に行われた特別運転電車です。桜で有名な工業高校前で撮りました。
この桜並木で、多少場所を変え、数往復撮っています。廃車の東急車の部品即売会もやっていました。
これらが、まだかろうじて撮れた東北の列車たちです。NO.3に続きます |