北海道の蒸気機関車


J・H氏撮影の番外編
 
 
1970年〜1973年

 

私の従兄弟のJ・H氏が、昔、常磐線の沿線に住んでいて、私はよく彼の家(私のおばさんの家)を根城にして、当時の常磐線や成田線を撮りに行ったものです。それを見ていたのかどうか知りませんが、彼が学生の時、数回にわたって北海道に旅行して、貴重な鉄道写真を撮っています。私はすでに社会人になっていましたので、簡単には出かけることは出来ませんでした。丁度今、幸か不幸かコロナ禍でもあり、デジタル化する時間もあったので、ネガを送ってもらい、50年ぶりに開けて何枚かをスキャンしてみましたが、驚くような写真ばかりで、これはこのままお蔵入りさせてしまうのは惜しいと思い、「番外編」としてここにアップする事にしました。
写真は撮る人によって全く違うものになる、と言うのは本当ですね。撮るパターンや角度がその人に染みついて、なかなか違う写真は撮れないものですが、こうしてみるとC62重連も、こんな撮り方があるんだ、と反省させられます。また、彼は当時ほとんど誰も行かなかった、深名線のストーブ客車を連結した混合列車も撮っていますし、なかなか行くのに大変だった、南稚内の原野のC55や9600も撮っています。1970年にはまだ沢山良い被写体が走っていたんですね。是非、当時を懐かしんで下さい。心配なのは、フィルムがかなり劣化していることです。あとの対応は彼に任せますが、貴重な写真は殆ど私が取り込んで、ここにアップしました。
なお、当の本人も当時を忘れていて場所なども推測によるところがありますが、判明次第、改正していきます。
 
 

まずは函館本線・山線です(順不同です) 
 
 

 
急行ニセコ1号の露払いとしてやってきた、岩内線からの小沢経由・倶知安行の貨物列車です。倶知安区独特の二つ目の9600です。
 
 
 
 
 
 

 
その後しばらくして、真打ち登場です。目名を通過、上目名に向って加速するC62重連ニセコです。まずは顔を出したところを1枚。
 
 
 
 
 
 

 
手前で標準レンズで2枚目を全編成入れて切っています。この日のニセコ1号は荷物車はなく、郵便車だけです。ここからのジェット機音が凄いです。
 
 
 
 
 
 

 
ここは有名な二股川鉄橋です。私の時は「ていね」で上り「宗谷」とは二股交換で、運転停車のニセコは黒煙を吐いて出発していきましたが、この
「ニセコ」の時代は、交換が蕨岱になったので、二股駅は通過したため、特に夏はこの程度の煙しか出しませんでした。本務機は何号でしょうか。
 
 
 
 
 
 

 
おなじみの夜の倶知安ですが、雪はありません。ただ夏ならば明るいので、恐らく春休みに行った時の雪解けの3月ではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 

 
珍しく3号機が前補機になっています。ここは然別−銀山間の急勾配の場所ですが、あまり煙を吐いていません。実際はこんな風だったんでしょう。
 
 
 
 
 
 

 
小沢〜倶知安間を登る上りニセコ1号。本務機は15か16号ですね。3号機ではないようです。幸い全部の写真が前補機は2か3号機でした。
 
 
 
 
 
 

 
ここは倶知安峠のトンネルを出たところですが、まだ少しの間、倶知安に向って下り勾配にはならない為、煙は吐き続けます。うまいところを狙っています。
 
 
 
 
 
 

 
ここは今は廃駅の上目名です。なぜかD51重連の列車が来ました。タブレット受け器が既にセットされていて、列車は通過だと分かります。
 
 
 
 
 
 

 
駅員さんがいて、まだ生きていた上目名駅。助士がキャリアを受け器に投げ込む瞬間です。何の列車だったんだろう?素晴らしい写真です。
 
 
 

そして深名線に
 
 
 

 
彼は1973年の3月に深名線にも行っています。冬季の季節列車9990レ(混合列車)のスハニ62ストーブ列車から前方を撮っています。
 
 
 
 
 
 

 
スハニ62のストーブ列車です。貨車にはスチームホースがないため、蒸気暖房が使えないのでストーブ列車に改造しました。
 
 
 
 
 
 

 
北母子里駅に停車中の9990レです。ストーブ列車の煙突が見えています。車掌さんが荷扱いしている数分間だと思います。
 
 
 
 
 
 

 
彼はそのまま乗って次駅、白樺仮乗降場で下車。朱鞠内まで行く混合列車の後ろ姿・9990レを撮っています。3月でもこの深雪なんですね。
 
 
 
 
 
 

 
これは翌日の名寄発の上り9990レです。良くここまで雪中を登ったと感心しますが、本人は熊の出没が怖かったと言っています。  天塩弥生〜北母子里
 
 

 
 
 
 

 
同じ深名線ですが線路際の雪の壁が高いので、駅以外では下回りが隠れるのは仕方ないです。下り9993レ名寄行です。場所は白樺付近のようです。
 
 
 
 このあと天北線に行ったようです
 
 

 

ここはネガのコマを追っていくと、どうやら天北線の山軽付近ではないでしょうか。確かに9600の貨物が走っていました。まだ浜頓別から山中に入る前です。
 
 
 
 

 

 
この駅はどこだか分かりません。この後、宗谷本線に行くのには南稚内に出たのか、音威子府に戻ったのか?ネガを追っても分かりません。
 
 
 
 
 
 

 
それで、次は宗谷本線・紋穂内にとんでいます。これは恐らく紋穂内駅方面の貨物列車を、天塩川の土手付近から撮ったものと思われます。
 
 
 
 
 
 


これは、紋穂内から歩いたのかよく分かりませんが、山裾で山がそんなに高くないところを見ると、紋穂内の線路際の小山から結氷の天塩川を臨んだようです。
 
 
 
 宗谷本線・南稚内〜抜海で

 
 


別な年の夏に戻ります。朝の夜行・急行利尻(南稚内 6:20)がC55の重連でやってきました。利尻は稀に重連になったようです。
 
 
 
 
 
 


南稚内特有の原野です。冬は海からの突風が凄いです。夏はのんびりした光景ですが、冬は絶対行きたくありません。しかもすべて歩きです。
 
 
 
 
 
 

 
ここは海岸線からだいぶ南稚内に降りてきたところで、ここから稚内方面は割と開けた光景になります。笹薮だけの原野には思えません。
 
 
 
 
 
 


これも南稚内〜抜海間ですが、どのあたりでしょうか?上り列車なので、海岸際までは登り勾配で力行するはずですが。日中の(朝の)貴重なC55の列車でした。