福井鉄道の200形

ちょっと前の福鉄です
 

昭和35~37年に福井鉄道自社発注で製作された当時としては画期的な北陸の電車が50年間走り続け、平成時代の終わりに、いよいよ終焉を迎えるに至りました。私は地方私鉄の旧型車は、どれも同じに見えて殆ど写真など撮りに行っていません。旧型どころか、この200形も全面広告の時代もあって、まったく写欲が湧きませんでしたが、平成の半ばごろから、特に冷房改造後からは3編成の200形はカラーリングも固定され広告も消え、とても素晴らしい、写欲が湧きすぎるほどの車両に変貌しました。私は小松空港に何度降りたったことでしょうか。ただ、この路線には絶景と言う場所はなく、ごくオーソドックスな街中を走る200形の写真が殆どです。今では福井に通い詰めた時代がとても懐かしいです。

  
 
 
 
晩年は、新しい低床車の車両が主力となり、大型の200形は朝夕のラッシュ時に、一度に多くの乗客を運ぶために使用されるだけになり、ラッシュが過ぎると回送で車庫に帰る姿が多くなりました。朝早い電車で木田四ツ辻の交差点まで行き、200形を狙ったものです。
 
 

 
 

  

普段は、朝夕の通勤時にしか走りませんが、どうやらその日の仕業は武生新駅で決めているようで、日中運行もありました。

 
 
 
 
 
 


田原町から木田四ツ辻間は路面併用で、街中の道路の真ん中を堂々と走ります。従ってホームからしか狙えません。
 
 
 
 
 
 

ここは単線区間で専用軌道です。勿論このほうが写真的には良いのですが、撮る場所が限られてしまいます。夏の暑い日!
 
 
 
 
 
 

ここは有名な場所ですが、分りにくい狭い道です。武生新駅で運用と時間を聞いて待ちました。200形203号のこの塗装と看板は抜群でした。
 
 
 
 
 
 

この201号もなかなか渋い塗装です。この時は秋の菊人形祭りのヘッドマークを付けていました。これもいけます。家久とサンドーム西間の鉄橋ですが新ポールの間隔が短く、しかもバックは工場!結局こんな写真に。

 
 
 
 
 
 

 

これは早朝の田原町行の通勤電車です。真夏で朝から暑く、駅からここまで行くのに辛かった覚えがあります。電車の駐留場所は色々なところにあり、どこから来るかは朝一番で全線を乗って確認しないと分かりません。朝の日光で車体が黄色になっています。

 

 
 
 
 

 

これも追いかけて木田四ツ辻の交差点まで行きました。もうすでに回送となって引き上げるところでした。効率悪いです。

 
 
 
 
 
 

 

武生新駅です。ここで運用を決めるのですが、200形はなぜか30分くらい前まで決まりません。決まるまでは駅で待ちます。ただ一旦決まると、とても親切な担当者で、その後の運用をしっかり教えてくれました。

 
 
 
 
 
 

 

これはJR福井駅まで行く分岐線で、戻って来た202号が本線に合流するところです。三編成の200形では唯一正面にロゴが入っています。、

 
 
 
 
 
 

 

202号は新塗装のホヤホヤなのに、菊人形祭りのマークが汚れているのがミスマッチで笑えます。武生新駅の駐留線です。

 
 
 
 
 
 

 

朝のラッシュ時に武生方面から来る202号。運転士さんは立ちっぱなしで市役所前まで運転します。もう屋根が汚れています。

 
 
 
 
 
 

 

こんなのもいました。元名古屋市営地下鉄で、2両連結に改造したものです。これは連接車ではありません。狙って撮りたい車両でもありませんでした。

 
 
 
 
 
 

ドイツのシュトゥットガルト市電の路面電車(GT-4形)です。走行日ではありませんが、撮りやすいところに停まっていました。