EF5861と言う機関車


1953年製造のEF58形電気機関車の中でこの61号機と60号機が
お召牽引機として特別製造され、61号機は東京機関区に、60号
機は浜松機関区に配置されました。 車体の各部に格調高い装飾
が施され、お召列車以外にも列車を牽引して走りました。   
私はEF58のお召列車を見たことはありませんが、 1960年から
70年以降も、細部は改造されたものの、最後までその美しい姿
を見せてくれました。一方60号機は正確にはお召予備機であり
扱いも粗雑でした。これは私が61号機を追いかけた記録です。

 
 
 


いっとき61号機は急行「安芸」の牽引専用に充たりました。これは糸崎到着後、昼に糸崎機関区で休む61号機です。 糸崎は東京機関区と違い
とても広い機関区だったので、このような写真が撮れました。ワイパーは原型のKW3Dが抜群です。従って水切りも直線です。残念なことは
パンタグラフが上がっていないことです。多分これもまだ広幅のPS14Aではなかったかと想像します。        昭和42年 糸崎機関区

   
 
 
 
 

 
週末特急の「踊り子」号は東京機関区の受け持ちでしたが、61号以外は醜いゴハチばかりで、これに当たるかは運だけでした。牽引機関車
が分かれば、もっといい場所で撮ったのですが、どうやってみんな知ったのでしょうか?既にワイパーが変わっています。    東神奈川
 
 
 
 
 

 
リバイバル「はと」が昭和57年7月24日に走りました。ただ「はと」は下りだけで、翌日の帰路は「つばめ」になった記憶があり、「はと」を撮る
チャンスは1回きりでした。14系客車は目障りなので、61号とヘッドマークだけ写るところを探しました。かなり緊張して撮った記憶があります。







翌日の帰路のリバイバルは「つばめ」のマークでした。「つばめ」が5回、「はと」は1回だけでした。天気も悪く安直に真鶴で。




 

晩年はお座敷列車を主に牽引していました。これは局報に出ていたのでカーブで待っていたら案の定61が牽引してきました。 真鶴〜湯河原
 
 
 
 
 
 

 
夜、お座敷列車が小田原まで走るので、東京駅で61牽引を確認した後、新幹線で小田原まで先回り。夜のマルーンの機関車も雰囲気があります。
 

 
 
 
 

 

 
お座敷列車の合間を縫って、このころ盛んに「創価臨」が走りました。東京機関区に61がいないときはだいたい当たります。 函南〜三島







年代が戻りますが、これは昭和37年の普通列車です。熱海行だったような。。。電車がまだ少ないころですね。 東神奈川の跨線橋から







品川駅に到着のお座敷列車です。夜遅い時間で、他のホームには人影も見えず良い雰囲気です。青帯の旧客改造は61にピッタリです。







東京駅に61号機が12系を牽引して停まっていたので、浜松町で待ち受けました。天気も悪く粒子も粗い、汚い写真になってしまいました。







晩年は「創価臨」が多く、12系客車はお召指定機には全く似合わず、足も遠のきました。間違ってブルトレでも牽引しないかと夢見たり。。。







これも小田原です。誰にも邪魔されずに、ホームでゆっくりバルブで撮るのも最高です。やはり旧客がいいですね。







東京機関区に茶色の機関車がいないときは要注意です。大阪からの回送が局報に載っていたので、とりあえず行って見たら、なんと14系
寝台を12両牽引してやってきました。「紀伊いなば」の昼間バージョンでした。もっとも特急は宮原区の持ちですが。  大井町〜大森









これは14系ハザの12両編成を浜松町のホームのかなり後ろから撮ったのに全編成は入らず。でもこういう写真もいいかもしれません。



他にも61号機の写真はあるのですが
失敗も多く 恥ずかしい写真ですので
思い出だけ 残しておきましょう。