昭和の直流電気機関車A


1960年代の貨物用電機

 

昭和の時代は戦前に生まれた貨物用機関車も、また海外から輸入した機関車はまだ多く残っていて、我々の目を楽しませてくれました。
英国デッカー社製などはその典型でした。また中にはEF13のように、中央線の旅客列車を牽引した、客貨兼用もありました。また新鋭機のEF60などはそもそも貨物用として誕生しましたが、500番台はEF58に替わって特急のブルートレインを牽くようになりました。
ここでは、貨物用として製造された電気機関車(昭和38年〜)の身近な直流貨物機関車を集めてみました。
 
 

まずは番号の若い順からですが改番もあり順不同です
 
 
 

 
いつも田端機関区に行くと停まっていました。昔は蓄電池機関車。一体どこを走るんだろうといつも1枚は撮っていました。 昭和38年








国産の電気機関車で、戦後中央本線で走っていましたが、昭和35年には順次廃車され、八王子の庫に1両だけ静態保存されていました。








昭和50年代後半まで南武線、青梅線をまで走っていたなじみ深い機関車です。区名札は「立」ですが八王子にも配属されていました。








青梅線の有名なお立ち台です。クルマの少ない時代でした。ED16はもっぱら石灰輸送に充てられていました。 石神前〜日向和田









英国Dick Kerr(デッカー)工場で製造された機関車を改造したED17です。中央線でまだ現役でした。独特のスタイルです。  八王子








これはED17の形式に入っていますが、生い立ちは違っていて、スタイルも前部デッキ付きとなっています。戦時中の軍需輸送
の増加で貨物用電機増備の為、ED51形から改造された異色機関車です。戦後は国府津機関区久里浜支区に配属され横須賀周辺
の近距離貨物輸送に使われていたようです。これも外側のフィルターはまさにデッカーを彷彿させます。  昭和40年 横須賀






 
  
 

 
大宮機関区には何度も行きました。北に向かう一大機関車基地でした。電機エリアにはEF10の3次形がいました。 昭和37年
 
 
 

 
 
 

 
これはEF10の1次形で国府津機関区所属です。ボディーはEF53に準じていても先輪は1軸で寸詰まりでした。 昭和39年 保土ヶ谷
 
 
 






確か東海道のEF10の2次形を撮っていますが見当たりません。これは飯田線転属後の鋳鋼製台枠で、丸いボディースタイルです。




 
 

 

中央線専用だったEF11です。回生ブレーキ採用でリベットなしの半近代的機関車ですが、たった4両しか製造されませんでした。
 
 
 
 

 
 

 
大宮には次第にEF12が集結し始めました。我々は高崎線でしか見ることが出来ませんでした。万能機だったEF15も見えます。
 
 







中央線でも客貨両用で使用され汎用性の高い機関車でした。これが山手線の貨物線を堂々と走っていました。 昭和39年 田端









これが中央線で客車牽引で頑張っていたEF13です。新宿まで列車を牽いて来ていたのでなじみの機関車でした。 昭和43年 小淵沢 







  

EF15が大宮で見れるようになりました。貨物機関車も近代的になっていきました。スノウプラウを付けているのは上越線用でしょうか。

 








幹線用ではなく地方線向けに作られた高性能機関車でした。スタイルもデッキ式から箱型に変わりました。 昭和39年八王子 
 
 
 

 
 
 

 
EF12に挟まれて大宮工場出場したてのピカピカのED61です。基本はED60 と変わらず、中央線の急勾配用に特化して製造された貨物用機関車です。





 
 

 
今では想像もつかない武蔵小金井駅を通過するED61牽引の上り貨物列車です。どこまで走っていたのでしょうか。新宿では見た記憶はありません。








 
軸重の大きいED61に替わりローカル線用のED62が登場。これは1号機です。主として飯田線に投入されました。 飯田線上片桐駅









その後、東海道・山陽の輸送量増大に伴い、国鉄はEF15に替わるマンモス8軸全長22.5mの強力貨物用機関車を作りました。
私は決して「格好の良い」機関車と思ったことは無く、他の列車のついでに撮っていました。これは昭和38年の沼津駅です。










EH10は試作機の4両だけパンタグラフが車体の中央寄りに取り付けられ他のEH10と違っていました。山陽まで走るので試作機が撮れるのは運だけでした。 田端


 
 
 
 
 

 
この機関車が登場した時には驚きました。洗練されたスタイルで、強力馬力の機関車を貨物牽引でどうするんだろうと。  早川
 
 
 
 
 



 
しかもブルートレインの終焉時に「特急寝台」を牽引するとは思ってもいませんでした。私のEF66はここまでで終わりでした。 真鶴




 
以上が我々の撮れた電気機関車ですが、これらの走行写真は更に別に特集でご紹介します。

 
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