昭和の直流電気機関車@


1960年代の大型旅客用電機

 

昭和の時代は戦前に生まれた機関車や、海外から輸入した機関車も残っていて、我々の目を楽しませてくれました。
ただ、昔の急客機がもう都落ちして番号も変わり、各地でひっそりと入れ換え用や短距離輸送に使われているのも多かったのです。大阪にはもとEF54の改造型でEF14が昭和35年には大阪駅に駐留しているのを一度通りすがりに見ましたが、EF53を見ていた私には格好の良い機関車とも思えず、スルー。(今では下車して撮っておけばよかったと後悔)
また戦前にはその流線形スタイルで一世を風靡したEF55も30年代末期までは高崎線でEF53と一緒に活躍はしたものの、流線型も改造され本来の美しい姿は早々に姿を消しました。
ここではそれ以降(昭和36年〜)の身近な直流機関車を集めてみました。
 
 

まずは番号の若い順からですが改称もあり順不同です 
 
 

 
東京機関区にいた3両のEF53の18号機です。形式入りプレートで2軸の先台車を持った実に美しい機関車でした。しかしこの頃は
本線仕業は無く、わずか隅田川から東京駅や汐留駅に荷物車の運搬の寂しい姿しか見られませんでした。東京駅に駐留するEF53。




 
 
 
 

 
隅田川から荷貨物を牽引して東京駅に到着するEF53。  いずれも昭和37年
 
 
 
 
 
 

 
いつまでEF53がいるのか分からないので、上野の地上ホームを通って東京駅に向かう荷物列車を狙いました。もうすでに
手入れもされずにかなり汚い機関車に成り下がっていました。EF53の晩年でした。    常磐線・上野駅のホームから
 
 
 
 
 
 

 
SGを搭載した急客機EF56の初期型で、7号機まではボディが丸みを帯びた独特のスタイルでした。大宮工場全検出場間もない6号機。 昭和39年 大宮
 
 

 
 
 

 
地上ホームから出発する東北本線の下りEF56牽引普通列車。暖房用蒸気を吐き出しています。冬だったんでしょうね。
 
 
 
 
 
 

 
電車の少ない頃は、夕刻は通勤用の客車が活躍。後期型の角ばったスタイルのEF56です。これは平凡でした。 昭和38年 尾久駅
 
 
 
 
 
 

 
これは夕刻、上野に向かう急行ですが、今時刻表を見てもこの時間帯の急行列車はありません。なんだったんでしょう。  尾久駅
 
 
 
 
 
 

 
40年には窓枠が露骨なHゴムに改造され、以降EF56を狙うのは諦めました。




 
 

 
上野駅に17番ホームがあった時代です。ホーム脇が道路と言う今では信じられない上野駅。手入れの悪い汚いEF57でした。この
 17番線は高崎線に使用されることが多かったのですが、昭和37年は全車宇都宮に転属していた筈です。2号機以降の標準型です。
 
 
 
 
 
 

 
この頃は尾久機関区に良く遊びに行きました。出区を待つ旅客用電気機関車がいつも待機していました。 昭和37年 尾久機関区
 
 
 
 
 



 
中学生の時代では結構遠かった川口駅に列車を取りに行きました。これは上り急行「八甲田」ですが、本来は寝台車、1等車を連結した
優等編成なのに、深く考えもしないで安易に撮っているので急行八甲田と分かりません。初心者だったのですね。  昭和37年 川口駅
 
 
 
 
 
 

 
父親から借りたドイツ製の蛇腹カメラです。良く撮れたのですが1/100までしかなく、レンズも暗く、停まっている車両でないと
撮るのが難しいカメラで、東京駅で停車中を何枚か撮っています。お召し指定機だった美しいEF5860が居ました。  昭和36年

 
 
 
 
 

 
それでも一眼レフになってからは、走行が撮れるようになり、近場の保土ヶ谷〜戸塚にはよく行きました。午前中は長距離急行
 が続々と上京する優等列車が撮れました。これは見事な編成だった夜行急行「出雲」です。  もう昭和40年になっていました。
 
 






お召し指定機の61号機です。お召用の装飾と配慮が随所に表れています。これは当時急行「安芸」の牽引専用に当たっていて、日中はパンタを降ろして
糸崎機関区で休んでいました。東京機関区ではこのような広さがないので、こういう角度で撮れたことはとてもラッキーでした。   昭和41年 糸崎
 
 
 
 
 

 
旧型デッキ式機関車や巨人機EH10機関車に替わってEF60形機関車が登場しました。貨物専用が前提だったため暖房設備はありませんでした。
 これはラストナンバーの129号機です。これで本線は強力な貨物機関車に置き換えられました。 後に、特急牽引機の500番台が登場しました。 
 

 
 
 
 

 
このEF61は高速でEF58の後継であり暖房設備も備えていました。ただ、関西・山陽専用の機関車でこのころ東京地区では電車列車が台頭し、寿命も短く
関西では最後はお決まりの荷物専用となってしまいました。東京地区で見られたEF61は急行「高千穂」の牽引のみでした。 昭和40年 保土ヶ谷〜戸塚 
 
 
 
 
 

 
碓氷峠の急勾配用に設計されたEF62。従って汎用性は低く、上野に姿を見せたのはこの夜行急行「越前」だけでした。旧客時代。
 







これは勾配用の貨物専用の2次形で暖房設備はなかったのです。1次形と共に当初からこの色訳で登場していて、従ってこれを茶色に
塗ったイベント用機関車がありますが、本来存在しなかった塗装です。これも暖房の要らない12形客車を牽いています。  甲府駅




 
 
 
 

 
本来貨物用であったため、上越線、中央線、篠ノ井線が活躍の中心となりました。1000番台は晩年特急を牽くことになりました。これは清水越えの先頭補機。

 
 
 以下の機関車は改造機です
 
 
 

正確に言うと改造ではなく、製造途中で3両が設計変更され、貨物用として製造。晩年は浜松機関区に配属。細々と静岡県内の近距離貨物
の仕業に就いていました。しかし戦後の箱型EF58の前の粗悪なデッキ式を彷彿とさせる素晴らしいスタイリングでした。大きいパンタ!
 
 
 
 

 


EF53改造のセノハチ後補機使用に改造されたEF59です。八本松で走行中に連結器を自動開放させる装置が見えます。特急貨物は
瀬野通過の為、広島から後補機を連結しました。常時2両連結で使用されていました。EF56なども補機用に改造されていました。
 
 
 
 
 
 

 
これが瀬野から連結された後補機で、最後尾がEF56の1次形を改造したEF59です。有名な撮影地でしたが瀬野からは遠く、バスで行った記憶がります。
手前はトンネル出口で長い貨物の後、この2両のF形重連補機の もの凄い吊り架けの轟音が響き驚きました。D52の時代はどんな迫力だったのでしょう。



 
以上が我々の撮れた電気機関車ですが、EF58や60、65の特急牽引機は更に別に特集でご紹介します。
尚、EF66は本来貨物用で製造されたもので貨物用機関車に含めて紹介します。


 
 
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