第4弾
その2


驚きと懐かしい写真が続きます


十勝沖地震とともに消えた南部鉄道


私も全く知らなかった鉄道です。昭和の初期に開業した旅客鉄道で、東北本線尻内駅から五戸を結んでいた全長わずか12.3kmの非電化鉄道です。よくある鉱山からの運び出しや酪農の搬送と言った専用鉄道ではなく、岩手県下の人流のための鉄道で、更なる路線拡張計画もあったようです。しかしながら1968年5月に発生した十勝沖地震により、全線が壊滅的な被害を受け、その後は復旧もされないまま、廃線となりました。私はそのころ、ヨンサントオで電化される東北本線に通っていて、尻内(現八戸)駅はよく通っていたのですが、恥ずかしながら、その存在すら知りませんでした。そんな鉄道をFT氏は地震発生の1年前に撮りに行っています。
地震で廃線になるなどとは誰も思っていなかったはずで、写真にはとても希少性があるかもしれません。当時の終点・五戸駅もしっかり撮っています。なお、この路線は狭軌(1067mm)でナローではありません。



撮影日:1967年9月  東京 FT氏撮影
      

ウィキペディアより引用


順不同です(当日の氏の行動順ではありません)



終点の五戸駅です。1951年に国鉄のキハ41094(1934年日本車両製)の払い下げを受け、この頃は旅客用の主流だった様です。







ここが、この路線の車両基地になっていたようです。貨車、トレーラー、DL、の姿が見えます。また、小さな庫も見えます。結構、荷扱いもあったようですが荷物の扱い高は、乗客運賃に比べれば微々たる数字でした。やはり人流中心の鉄道だったのですね。







開業時はタンク蒸気機関車の牽引でした。米国ピッツバーグ社製の、美しい機関車のようで、是非、保存してほしかったと思っています。このDLはDB25-1で、1952年の日本車両製です。B形ロッド駆動式です。転車台がないのでエンドキャブ式を採用しています。







凄い機関車です。国鉄と同じ軌道幅の機関車ですから、しっかり造られています。連結器も両側に自連が取り付けられています。







ハフ103です。1930年、日本車両でキハ103として製作された2軸のガソリンカーで、1950年エンジンを外して客車化されました。珍車ですね。







もと国鉄の木造客車・ナハ13539(1920年川崎造船所製)を借り入れ、1954年、正式に払い下げを受けた車両です。この時代に、こんな古典客車が走っていたとは驚きです。妻面は塞がれ、入口も3か所、窓配置も不規則ですが、戦時に国鉄が改造したもののようです。







さすがに簡易軌道とは違って、吊りサボもあり、しっかりしたトレーラーです。。







氏は、途中で走行写真や無人駅での写真を撮るため、尻内の燐駅、張田駅に降り立ちました。これは前述の国鉄払い下げのキハ41094→41001です。これが旅客輸送の主流だったんですね。昼間は1両のようで、混んでいます。







これも国鉄キハ40000形の払い下げの40002ですが、この時にはエンジンを取り外され、単なる客車、「ハ」になっています。ヘッドライトも撤去されています。釧路臨港鉄道から動力車のキハ1001を譲り受けた時点で、これの動力を取りはずした様ですが、定かではありません。






これも走っていました。41001は上記の国鉄キハ40000形(キハ04)の払い下げというのはスタイルですぐ分かりますが、これは全く前面が変わっています。撮影者の説明では以下の通りです。1964年、旅客営業を廃止した釧路臨港鉄道のキハ1001を譲り受けた車両です。もとは、1938年、日本車両で北海道鉄道(千歳線の前身)キハ553として新製され、鉄道省買収後キハ40363となり1951年、釧路臨港鉄道に払い下げられました。よくこんな経歴を調べられたものです。それにしても、江若鉄道のC9形気動車の前面形状に酷似していますね。SNSのXにて確認できます。https://x.com/matsumi_saka/status/984389344415764482





五戸にいたDLと、ハフの2両がやってきました。これは恐らく尻内に向かう客車列車(本来は混合列車のスジ)と思われます。乗客は結構いますね。







次駅が尻内ですので、しばらく待つと戻って来ます。これが混合列車です。恐らく尻内で貨車2両を連結したのでしょう。五戸に向かいます。大震災で廃線になるとは思ってもいなかったので、この混合列車は貴重なショットかもしれません。いずれも張田駅付近です。







まだ続きます