一眼レフ・カメラの発達 ( PENTAXを中心にして… )

目次

  まえがき

1 クイックリターンミラー

 ペンタ・プリズム搭載

 自動絞り(半自動絞り)

 ファインダースクリーンの改良

 TTL露出計内蔵

 開放測光と自動露出

 マウントの変更(SマウントからKマウントへ)

8 小型化競争

 プログラム自動露出

10 自動ピント合わせ(AF)

11 マウント

11 パワーズーム

12 デジタル化

13 手振れ防止機能

14 レンズ内モーターによるAF

番外1 マウント

番外2 システムカメラ

  あとがき

まえがき

 一眼レフ・カメラというのは、撮影に使用するレンズとフィルム(またはCCD・CMOSなどの撮像素子)の間に45度の角度で鏡を置いて、光路を切り替えることで実際に撮影されるイメージをファインダーで確認することができるカメラをいいます。撮影用の光学系とファインダー用の光学系が一系統であるため(一眼)、ファインダーから見える像が撮影される写真の像とほぼ一致します。ドイツ語のシュピーゲル・レフレックス(Spiegel reflex 、鏡の反射)という言葉通り、反射鏡を使ってファインダースクリーンに結像させる機構が特徴であり、レフの語源もここにあります。

 一眼レフ・カメラの草創期は19世紀末にまで遡りますが、35oフィルムを使用したカメラは、1936年のソ連製が最初のようです。PENTAXでは、1952年に「アサヒ・フレックスT」でこれを実現しました。

 一眼レフ・カメラの場合、ミラーをフィルム(またはCCD・CMOSなどの撮像素子)の前に置く必要があるので、レンズのバックフォーカスをその分だけ大きくする必要があります。そのため、それまでの対称型のレンズ構成では焦点距離を標準レンズより短縮することは出来なかったのです。それが、1950年アンジェニューが発売したレトロフォーカスの登場により、焦点距離がバックフォーカスよりも短い広角レンズも作ることが出来るようになりました。これが、一眼レフ・カメラが当時レンズ交換式高級カメラの主流であったライカやコンタックスなどのレンジファインダー・カメラの競争者となれた最大の技術革新と言えるでしょう。

 一眼レフ・カメラの機構・機能は、より容易に撮影したいという欲求、また、当時の成功者であるレンジファインダー・カメラと同様な操作性にならないかという要望に応えるということから発達しました。日本のカメラメーカー各社は、それに応えることでより多くの顧客を獲得しようと、抜きつ抜かれつの激烈な競争を繰り広げました。そのことで、日本のカメラは世界に冠たるものになったのです。ここでは、その発達の軌跡について、PENTAXを中心に据えて辿ってみようと思います。

1 クイックリターン・ミラー

 最初の大きな機構的技術革新は、クイックリターン・ミラーの採用です。レリーズするとミラーが跳ね上がり、ファインダーが暗くなったままになるという不満を解消するために搭載されました。これは1954年に「アサヒ・フレックスU」で最初に実現しています。

 ※資料画像 Asahiflex UA

 よく考えると、シャッターが作動すれば既に写真は写っているので、もうそれ以上ファインダーで見ている必要は無いのですが、感覚的な要求でもそれがある以上は、その実現が商売に繋がるということです。

 そもそも一眼レフ・カメラの発達は、前書きでも触れたように、当時の主流だったレンジファインダー・カメラに追い付き追い越せという方向で行なわれています。接写や超望遠のように、もともと一眼レフのほうが圧倒的に優れているという点もたくさんあるのですが、ファインダー関係の機能だけは、標準レンズ使用の場合、ヒューマン・インターフェイスという観点からは、レンジファインダー・カメラの方が優れていました。この劣等を克服する努力が、初期の一眼レフ・カメラの発達そのものだとも言えるでしょう。

 PENTAX初代の「アサヒ・フレックスT」では、シャッターボタンを押すと、フォーカルプレイン・シャッターの前に置かれているミラーがフィルム巻上げによってチャージされたバネの解放される力で上部に跳ね上がり、その後、シャッターが作動します。この機能が一眼レフ・カメラの基本的自動作動機構です。ここに様々な機能を付加していくことで、一眼レフ・カメラは今日の地位を築いたのです。

 

 ペンタ・プリズム搭載

 ファインダーに関しては、レンズを通ってきた光がフィルム等の表面に結像するものと同じものを、一度鏡に反射させてからファインダースクリーンに結像させてそれを見るという一眼レフの原理から、見える像がフィルム面とは違って上下は正立するものの、左右が逆の鏡像になってしまい、上からファインダースクリーンを見るという方法ではカメラ操作に慣れが必要で、速写性の点からも、レンジファインダー・カメラと同じようなアイレベルファインダーで正立正像となるようにとの欲求が高まりました。これを実現するためには、上下は逆にせずに左右だけを逆にするペンタ・ダハミラーかペンタ・ダハプリズムが必要であり、これは1948年「コンタックスS」が最初に実現したもので、1957年に「アサヒ・ペンタックス」として実現しました。

 ※資料画像 「AP」と「Takumar 58oF1:2.4」

 なお、このとき同時にマウント径をそれまでのM37からM42に変更して、開放F値を小さくするために必要なレンズ口径の拡大に備えました。コンタックスを始めとした先進ヨーロッパのカメラでこのマウントを採用するものが増えたのも、その変更の要因でしょう。

 この変更時には、マウントアダプターを供給して従前レンズの下位互換は維持しましたし、カメラマウントの方を切削加工する改造を施すことでレンズの上位互換を保った従前カメラ個体も存在します。

 

 ペンタ・プリズムとクイックリターン・ミラーを搭載したことで、それまでの主流だったレンジファインダー・カメラとの使用感の差が縮まり、普及に弾みが付きました。1958年のMinolta SR-2Zunow Pentaflex1959年のNikon Fという具合に、国内有力各社で新規発売が相次ぎました。

 なお、ペンタ・プリズムを鏡とするために外側に金属の真空蒸着メッキがしてあるのですが、このメッキ用金属に、初期にはアルミを用いていたので反射率が低く、「SP」や「ES」などは少し暗いファインダーだったのですが、それをKマウント化以降では銀にすることで随分と明るくなりました。

 また、プリズムを軍艦部に固定するために緩衝材としてモルトプレインを使用していたことから、これの経年劣化溶融粘着によってプリズム外面メッキを侵して傷が生じてしまう故障が各社ともに頻発しています。メッキに傷が付くと、ファインダー内にそれが見えてしまうので、見え心地が著しく阻害されます。

 

 自動絞り(半自動絞り)

 次に行われた技術革新は「自動絞り」で、これもファインダーの見え方を改良するための技術です。

 一眼レフ・カメラのファインダーは撮影用レンズを通った光を結像させているので、レンズを絞り込むと暗くなります。明るい絞り開放でピント合わせを行い、シャッターを作動させるときだけ絞り込むようにすれば、ピント合わせのやり易さは向上します。そのため、絞り環を操作して絞り開放にしてからピント合わせを行い、シャッターを切る前に必要絞り位置にするという撮影方法が取られていました。この撮影方法をファインダーを覗いたままの手探りでも出来るようにするために、絞り環を二重にして、絞り値設定用の各段クリック付きのものと、絞り開放と設定された絞り値との往復をフリーで行うものを設けた、「プリセット絞り」という形式の交換レンズが造られました。

 この煩雑な手動による絞り込みを撮影時に自動で行なう自動絞り機構の搭載は、一眼レフ・カメラの機構改善として最も重要なものでした。この実現のためには、レンズ側にある絞りをマウントを隔てたカメラ側から操作するという仕組みが必要になり、レンズとカメラを単に正しく結合するだけの装置だったマウントに、絞り操作機構の連結部分が必要となったのです。これは1961年に 「S2後期型」および「S3」と標準レンズ55mmF1.8「Auto Takumarの組み合わせで実現しています。

 なお、この「Auto Takumar」は、「K」および「S2前期型」と組み合わされた半自動の「Auto Takumar」と名称は同じですが、絞り環がピント環のマウント寄りに移されています。また、絞り環の回転方向も、 他のTakumarとは逆になっていました。

 この自動絞り機構の採用によって、交換レンズ側でも、マウントの連結機構以外に、絞り環の位置がピント環の前方で繰り出される先端部からピント環の後方へと移されるという大きな変更が行われました。これにより、絞り環の位置がどの交換レンズも一定となり、ファインダーを覗いたままの手探りでの操作性が増しました。

 自動絞りの実現により、絞り込みを忘れることによる露出不正画像は無くなり、シャッターチャンスを逸することも少なくなり、速写性も著しく高まりました。

 レンズとカメラとの回転方向の位置決めが正確にならないネジ・マウントであるM42マウントは、相互の連絡機構を組み込み難いという欠点があります。これのために、自動絞りは、それが正確なスピゴット式やバヨネット式マウントが先に実現しています。

※ Zunow Pentaflex (1958)

※ Nikon F (1959)  Fマウント

※ Minolta SR-3 (1960)  SRマウント

 

 なお、これに先立つ過渡期の技術として「半自動絞り」というものがありました。レリーズする前に手動でレンズ側に絞り開放へのバネ・チャージを行い、レリーズ時に そのバネが開放されて絞り込まれるというものです。これは1958年に「K」と「Auto Takumarの組み合わせで実現しています。

 「K」と「Auto Takumar 55oF1:1.8」

 ネジ・マウントの制約から、カメラからレンズへの連絡機構には、銃などの技術である指で引き金を引く作動イメージを用いています。

 また、この半自動のカメラ側連絡機構との互換性を維持する形で、PENTAXは自動絞りを実現したのです。その精妙な仕組みを狭小なマウント部に組み込んで量産する技術は、その後の精密機械工業分野における日本の躍進とは不可分のものです。

Minolta SR-2 (1958)

 このMinoltaの半自動絞りは、レンズの絞り開放へのチャージはフィルム巻上げと連動していましたから、Auto Takumarのようにレンズへの手動チャージは必要としていません。機械的連結位置が正確にできるバヨネット式マウントの利点を生かした、より先進性が高いものと言えます。

 

 ファインダースクリーンの改良

 レンジファインダーでのピント合わせは、二重像を合致させるもので非常に分かりやすい仕組みなのですが、これが一眼レフ・カメラの場合、当初はファインダースクリーン中央部のマット面のボケ具合でピントの山を掴むというものだったため、ある程度の慣れが必要でした。 いわゆる「PK」は「単純マット」で、これを改善したのが、中央部に「マイクロ・プリズム」を組み込んだファインダースクリーンの採用です。

 「マイクロ・プリズム」というのは、微細なピラミッド型のプリズムを多数並べてあり、フォーカスが外れているときは像がギザギザに見えるが、フォーカスが合っているときはマット面と同じように正しく像が見えるという仕掛けです。これは1958年に「Kで実現しています。 1961年の「S3」では、「クロス・マイクロ・プリズム」に改良しています。

 Nikonの場合、1952年にイハゲー、1953年にコンタフレックスが採用した 「スプリット・イメージ」という二重像を合致させる方式のファインダースクリーンを1959年に「F」で採用しています。

 「スプリット・イメージ」は、スクリーン上中央につの楔形プリズムを形成することによって、フォーカスが合っていないときに像が分割されるように見える仕掛けです。その後、これが主流の方式となりました。PENTAXが採用したのは、Kマウント化後のことです。

 

 自動絞りが実現したことで、ファインダーの明るさという点でレンジファインダーに大きくは劣らないことになり、ファインダースクリーンの改良も加わったことでピント合わせの容易さも向上して、ユーザーの違和感解消に繋がりました。 また、手動で絞り込むことで実際のボケ具合も確認できるということが、レンジファインダーでは出来ないこととして強みにもなったのです。

 TTL露出計内蔵

 写真を写すためには、フィルムの感度に合わせたシャッター速度と絞り開度の組み合わせで適正な露出を行なうのですが、その露出値の測定が必要になります。単体露出計以外にも外部アタッチメント式や内蔵の外光露出計を用いて行なっていたそれを、カメラ内にレンズを通ってきた光(TTL)を測定する装置を組み込むという技術革新が行なわれました。 これによって露出精度や使い勝手が飛躍的に向上し、一眼レフ・カメラの普及に拍車がかかりました。

 最初は、絞りを作動させることによる実絞りでの測光による仕組み(絞込み測光)でした。これは1964年に「SPで実現しています。1960年フォトキナに展示した「SP」試作機では絞込みスポット測光であったのですが、測光センサーがファインダー視野内に見えるということが試用したプロから嫌われたため、販売された製品ではファインダースクリーン面の平均測光という方法になりました。

 スポット測光が実現するのは、測光素子の性能向上とカメラの更なる電子化が必要でした。

※ Nikon F Photomic T(絞込み測光) 1965

※ Nikomat FT(絞込み測光) 1965

 

 開放測光と自動露出

 測光のたびにスイッチを押す必要があり、ファインダーが暗くなるのは不便だという要求から、自動絞りによる開放絞りの状態で測光し、それを実際の絞りのときの状態に換算して表示する仕組み(開放測光)が登場しました。これにより、マウントにレンズの絞り位置をカメラ側に伝達する機構が必要となりました。

※ Topcon RE super(開放測光) 1963年 エキザクタ・マウント(口径38oFB44.7o)

※ Nikomat FTn(開放測光) 1967

※ Nikon F Photomic FTn(開放測光) 1968

※ Minolta SR-T101 (開放測光) 1966

 

 なお、上記Topcon RE superの開放測光の仕組みは、メーター全体を絞り値の変更に合わせて鎖と滑車、歯車などで物理的に動かすというもので、可変抵抗を用いた電気回路でメーターの振れ幅を制御するというものではありませんでした。この開放測光を実現するためのTopconの絞り環に設けられた連動爪の仕組みは、その特許使用料を払ったMinolta、MCロッコールから使用しています。

 絞り環に直接付けられた爪で連動させるため、それを受けるカメラ側の連動爪はマウント外に露出しています。可動部が露出していることから、防塵・防滴性の確保には向かない方法です。この点、PENTAXKマウントは 、可動部がすべてマウント面よりカメラ内部に設けられていますから、このことにより、1980年「LXの防塵・防滴は実現したのです。

 

 TTL露出計を組み込んだカメラのファインダー内では、メーターの指針が見えるようになっていました。この指針を利用して絞りやシャッター速度などを設定するのですが、その方法に種類ありました。

 PENTAXは「SP」で採用したのが絞込みTTL測光で、シャッター速度ダイヤルに連動する回転式可変抵抗器による電圧変化でメーター指針を動かし、指針が定点に合致したときに適正露出となる「定点式」という方法でした。それに対して、絞り環の移動を鎖や滑車によって伝達する仕組みの当時の開放測光勢は、シャッター速度ダイヤルに連動する回転式可変抵抗器による電圧変化や光の変化で動くメーター指針を絞り環と機械的に連動する別の指針が追いかけて、両方の針を合致させる「追針式」という方法を採用しています。この方法は、いわばシャッター速度優先測光とでも言えるような方式です。定点式の定点を絞り環で動かす、とでも言い換えると理解しやすい仕組みです。

 PENTAXが「ES」で採用した開放測光の仕組みである絞り環のTTL測光との連動は、シャッター速度ダイヤルと同じく、可変抵抗器による電圧変動を利用しています。より電子化が進んだ方法なのです。絞り優先AEだった自動露出モード時のファインダー内のメーター指針は、上下に並べて表示したシャッター速度を指し示す方式ですが、1/1000から1/60までの機械式シャッター速度を手動で選択する時には定点式となります。

 当時、ユーザー間で「定点式」と「追針式」の使い易さに関する優劣論争がありました。「定点式」より「追針式」の方が、絞りとシャッター速度の組み合わせが掴み易いという声があったようです。

 

 露出計が内蔵されると、それを利用した機能として、シャッターボタンを押したときに露出が自動で設定される機構というものへの要求も出てきます。これへの対応のためには、当然 、開放測光による常時測光が必要ということになります。PENTAXには、露出の要素のうち、写真の質を決定するのは絞りである 、という哲学があって、自動露出のうち、絞り優先AEを選択したようです。そのために必要なシャッターの電子制御化を 、一眼レフ・カメラ(フォーカルプレイン・シャッター)では最初に実現しています。これは1971年に「ES」と「SMC Takumarの組み合わせで実現しました。この横走り薄幕シャッターを電子制御する技術は「LX」でも使われています。

 レンズ交換式カメラには必要な方式であるフォーカルプレイン・シャッターというのは、先幕(前幕とも言う。)と後幕で構成されています。この基本構造は、横走り式の布やチタン幕でも、縦走り式の畳込み金属板でも同じです。フィルムなどの感光面は常時幕2枚で覆われているのです。レンズ・シャッターでは 、レンズを取り外すと感光面が露光してしまいますから、別に感光面を覆う装置が必要です。また、レンズシャッターの場合、高速シャッターは、幕速に依存するために全開1/500程度が限界でしたが、フォーカルプレイン・シャッターの場合は、先幕と後幕とで作る露光面を狭くすることで露光量を調節できることから、見掛け上は、より高速なシャッター速度が得られるという利点があります。でも、速く動く被写体の場合、写った画像が歪むという弊害があります。横に移動する被写体を撮影した場合に、横走り式の場合は左右が収縮し、縦走り式の場合は斜めに歪みます。

 フィルムを巻き上げることで、同時に、シャッターを作動させる幾つかのバネの圧縮又は伸張と、先幕と後幕のスタート位置へのセットが行われます。このときにも幕は2枚同時に移動しますから、感光面は2重に覆われています。このことで感光を防いでいます。

 シャッターボタンを押すと、圧縮・伸張されているバネが開放される力で先幕が走り出し、感光面(アパーチャー)が開放されてフィルム面などを露光します。その後、必要な時間を置いて後幕が走り出し、アパーチャーを閉じて露光を終了します。これがシャッターの作動サイクルです。このうち、後幕を作動させる時期を機械的時計装置で制御していたのを電気的に行うようになったのが電子制御シャッターです。

 その仕組みですが、後幕の走り出しを直接制御するのは電磁石であり、通電されていることで磁石となって後幕を拘束しています。その通電を絶つことで磁力が消えて拘束が解かれ、それにより 、後幕はバネの開放される力で走り出す、というのが通例の方法です。電磁石への通電の長さを電気回路によって制御する技術が、この自動化の最大の要素でした。

 TTL測光センサーをファインダー接眼部内側に置いてファインダースクリーンの輝度を測定している関係で、開放測光でシャッター速度を電気的に自動制御するためには、ミラーが作動してファインダースクリーンが暗くなる前の時点の測光値を使わなくては、正しい露出となりません。このための機械機構や電子回路の工夫が、この方式の成立には不可欠でした。

 「LX」はダイレクト測光という方式を採用していますが、これは、測光センサーをミラー室下部に置き、一部をハーフミラーにした主ミラーが下りているときには 、ハーフミラーの裏に設置した小ミラーで光を導き、ミラーアップ後は、シャッター幕やフィルム面の反射光を直接測光しつづけるというもので、長時間露光の正確さが極めて高い方式でした。シャッター幕には 、フィルムの反射率と同等にする工夫も施されています。

 このダイレクト測光は、その測光センサーの場所を後発のAFセンサーに奪われてしまったので、残念ながら後継されていません。

Nikomat EL (絞り優先AE) 1972

Minolta X-1 (絞り優先AE) 1973

Canon EF (シャッター速度優先) 1973

 そのころ既に実現していた(1968)他社(Conica FTA)TTL自動露出はシャッター速度優先AEで、シャッターボタンを押し込んで行くことで露出計の指針をくわえ込んで固定し、同時に絞り込まれて行って必要な位置まで絞られたときにレリーズされるという、作動としては半自動の機械式に近いもので、電子制御とは程遠い、レンジファインダー・カメラで既に一般化していた自動露出の方法でした。

 この方式の最大の欠点は、ストロークの長いシャッターボタンを押すために、ある程度の力を継続的に加えていく必要があり、そのことで、タイムラグとカメラブレを生じさせ易いことです。

 

 上で触れたように、PENTAXは写真における基本的な哲学として、写真の質を決定するのは絞りである 、という考えを確固として持っていたのだと思われます。人があることを考え進めるときには、何かしらの出発点や考えの基礎というものがあります。中には 、これの希薄な人(B型人間)もいて、飛躍的な発想はそんなところから偶然に生まれることもありますが…

 PENTAXは、発想の飛躍が少ない企業(A型人間集団)です。こつこつと改良を加えて行くことに価値を置く企業風土があるのです。そしてこの改良の根底には、いつも「絞り優先」という哲学があったように見受けられます。

 また、新たな機能の追加に際しては、小手先の便法を選択することを潔しとせず、根本的な解決法を選択することを目指してきました。その表れが開放測光対応 「Sマウント」であり、シャッターの電子制御であり、カメラ側からの正確な絞り開度設定ができる「KAマウント」の制定でした。そして、新機能の追加により生じる影響を可能な限り従前ユーザーに与えない方法というものを志向してきた 、という実積があります。これがPENTAXの良心であり、企業哲学なのです。 亭主はそれと感じて、良しとしてきました。

 マウントの変更(SマウントからKマウントへ)

 開放測光のためには、レンズとカメラの正確な位置決めが困難であるネジ・マウントのM42マウントよりも、バヨネット式マウントの方が優れているのは、PENTAXも早くから認識していました。「Nikon F」が世に出るとすぐ、1960年代中ごろには試作発表も繰り返し、1969年に出た中判一眼レフカメラの「6×7」は、外爪・内爪併設のバヨネット・マウントにしています。

 ところが、PENTAXは「SP」の大成功により、大量のM42レンズ資産を手中にしているユーザーに配慮して、M42マウントから離れる時期を逸してしまいました。絞り優先という企業哲学の下では、変更の必要性に対するモチベーションがいまいち足りなかったのかもしれません。その中で解決を求めた方法として、1971年に「SMC TAKUMAR」で採用した開放測光対応マウントだったのです。FUJICAなどが採用したマウント外の外爪連動式に対して 、内爪連動式とでも言うべきこの仕組みは、狭いマウント内に全部の機能を巧妙に組み込んだ驚くべき機構で、その後のPENTAXのコンパクト化を実現する基となった構想と技術志向性の高さでした。

 でも、このことによってM42マウントの標準性、互換性を損なってしまいました。各社が各様の開放測光方式をM42マウントに加えたのです。このことがM42マウントの致命傷ともなりました。

 そんな状況の中、PENTAXもようやくM42マウントに見切りを付けることになりました。バヨネット・マウントとして1975年に 「KX」「KM」「K2」で移行したのが「Kマウント」です。この新マウントは 、フランジバックをM42マウントと同一の45.5oにしたので、マウントアダプターを用いることで、自動絞りは使えないという不完全なものながら、それまでのM42マウントレンズ群の下位互換性を維持しました。

 機能の全てをマウント内に収めるという「SMC TAKUMAR」マウントの哲学も継承しました。このことはあまり語られていないのですが、その後の防塵・防滴という技術のためにも、これは確かに間違いの無い選択でした。

 また、このKマウント規格の特許を公開したので、他のメーカーもこれを採用するものがありました。M42マウントの開放測光対応が各社ばらばらになったことによるデメリットを反省したのかもしれません。新たな国際標準となして、一眼レフの旗手の座を得んとするという気概もあったのでしょう。

 

 マウントの変更ということは、他の多くのカメラメーカーでも行なわれています。そんな中で、レンズをカメラに取り付けて写真を写すことが出来るという最も基本的なことをそのカメラの初代から継続したのは、現行カメラではNikonFマウントだけで、旧規格マウントレンズにマウントアダプター併用ということで継続したのはPENTAXKマウントです。また、MF時代から継続しているのは、このFマウントとKマウントだけです。電気接点やAFカプラーなど新しい機能が必要となるたびに それを追加してきたので、旧来のレンズについて、最低限の互換性は維持されました。

 今は家電メーカーのSONYがカメラ事業を引き継いでいるMinolta、SRマウントからMCMDまでは下位互換性を継続しましたが、AF化に当たって新設された現行αマウントからはフランジバックが長くなったため、互換は絶たれました。

 Canonはスピゴット式のRFLFDnewFDと 下位互換性を継続しましたが、バヨネット式となったAF「EOS」用の現行EFで絶たれました。このEFマウントは 、機械的な連結機能がバヨネット以外は皆無で、機能の連結はすべて電気的に行ないます。したがって、絞りもカメラからのみ設定可能で、AFと同様にレンズ内蔵モーターで動かします。その意味で、カメラが精密機械装置であるという定義から最も遠いところにあるマウントだと言えます。

 先にも触れましたが、Kマウントは、可動部がすべてマウント面より内部に設けられていることが特長です。カメラの大敵である埃や湿気の侵入を防ぐ上でも、可動部を露出させたくないという設計ポリシーによるものと思われます。この点が、現行では最も古いマウントであるNikonFマウントより基本性能が上と言えます。

8 小型化競争

 1973年Olympus M-1(ライカの理不尽な苦情により、すぐにOM-1と改名)が宣戦したカメラ小型化戦争に、PENTAXは1976年「MX」「ME」で応戦しました。特に「ME」は、「K2」で初採用したセイコー製縦走り電磁制御シャッターを搭載して、シャッター速度ダイヤルを持たない絞り優先AE専用機として登場しました。

 また、マニュアル機「MX」は、その横走りシャッター小型化技術を「LX」に継承しています。

 1979年の「ME super」は、「ME」に押しボタン選択によるシャッター速度選択機能を加えました。 この仕組みの基本思想そのものは、現在の電子化されたカメラのすべてが採用しているものの原型となりました。

 Mシリーズのカメラのためにシリーズ化されたのがMシリーズの交換レンズです。カメラの小型化に合わせて鏡胴をコンパクトにし、光学系もコンパクトなものに変えています。その弊害でか、前の時代のKシリーズの交換レンズより世間の評価の低いものが多くなっています。カメラがベストセラーになったために販売量が多いのが中古市場での評価を低くしている一因ではありますが…

 プログラム自動露出

 自動露出もシャッター速度を優先して行ないたいという要求が高まり、これに対応することになります。そのためには、カメラ側から絞りを精密に操作する仕組みが必要です。このためには 、絞り機構やマウント機能の大幅な改変が必要でした。Kマウントの絞り連動レバーの作動量と絞り開度は比例していなかったのですが、これを比例して動くように改良したのです。

 また、Kマウントレンズのように、取り外した時には常時閉式の絞り装置の場合、カメラ側からの絞り操作のためには、レンズの最少絞り値が何なのかということと、開放絞りがそれから何段目にあたるのかという情報が必要です。そのレンズごとに異なる固有情報を、マウント面に設けた電気接点という形式で伝えることにしました。

 さらに、シャッター速度優先AEやプログラムAEの場合、最小絞りにしておく必要がありますから、フールプルーフのためにも、その対応位置であることをカメラ側に伝達する仕組みとして、A位置というものを絞り環に設けました。その位置に絞り環を設定すると可動式電気接点が導通となり、カメラはそれを知る仕組みです。それが 「KAマウント」です。これは1983年「super A」と「Aレンズ」の組み合わせで実現しました。この仕組みは、外見はスマートで分かりやすい優れた仕組みですが、内部機構は 、これにより大幅に複雑化し、製造コストのかかるものになっています。後年、絞り環を省略するメリットになった原因の一つでしょう。

Nikon FA (Ai-Sニッコールとの組み合わせ) 1983

Minolta XD (MDロッコールとの組み合わせ) 1977年 

Canon A-1 (FDとの組み合わせ) 1978

 

 余談になりますが、Kマウント制定時に、自動絞りのための絞り連動レバーを絞り開度と比例して作動するものとしなかったことが、ものづくりの中での先見性という点で悔やまれる最大の問題点です。このときには既にシャッター速度優先AEというものが実在し、その実現のために必要なソースというものは予見可能だったはずで、「たら・れば」の中では非常に大きな痛恨事でした。

 もしこのときに実現していたら、フルモードAEの登場は5年近く早くなっていたかもしれませんし、すべてのKマウントレンズが「絞りはカメラ側から設定するもの」という 現在のトレンドに沿ったものでありつづけられたのです。

 しかしながら、写真を決定するのは「絞り」であるという確固たる絞り優先哲学が支配している企業風土の中では、その優先を否定する発想が自発的な力を持つことは極めて困難であろうことも理解できます。

 この絞り優先思想はNikonにもあったようで、カメラ側から絞りを正確にコントロールすることが可能になった時期はPENTAXと同じです。

10 自動ピント合わせ(AF)

 完全自動露出が実現すると、次の要求はピント合わせの自動化です。これも、カメラ側からレンズを操作しなければなりませんから、マウント機構の更なる大改変が必要でした。これは1987年「SFX」と「Fレンズ」の組み合わせで実現しました。

※Minolta α7000 (1985)

NikonF-501 (1986)

 なお、それに先立つ1981年に「ME F」で世界初のAFは商品化されています。このときは、レンズ内にモーターと電池を内蔵したAFレンズが 「AF Zoom35-70/2.8」だけという製品展開だったことや、カメラのデザインがそのときのベストセラーである「ME super」とほとんど同じだったことに加えて、コントラスト方式のAFが高精度すぎて、被写体が動くとピントがなかなか決まらないという問題があったりして、あまり売れなかったようです。

 その失敗を踏まえて位相差式AFとした「SFX」と共に、一斉にラインアップした「Fレンズ」群が世に出たのです。このときに変更されて出来たマウントがKAFマウントです。KAマウント面にカメラ内モーターからのAF駆動カプラーを設け、電気接点を1個増設しました。同時に、従前のKAマウントとは下位互換を維持しながら一部の既存電気接点の役割を変更し、それをレンズ内に設けた電子基板上のROMに繋げて、そのROMからレンズ固有情報を読み出す方式としました。サードパーティのKAFマウントレンズの中には、シグマのようにこの下位互換の仕組みが施されていないものがあります。

11 パワーズーム

 「KAF」マウント内右下に電源を供給する接点2個を増設することで「KAF2」マウントとし、1991年「Z-10」と「FA」の一部のレンズでパワーズームを実現しています。この電気接点は、後年デジタル一眼レフになってからレンズ内AFモーター(SDM)の採用にも役立ちました。

 残念ながら、このパワーズームは主流とはなれず、MZシリーズカメラではその全機能が使える機種が無かったこともあって、FAシリーズで7種類作られた以後、搭載ズームレンズは作られなくなりました。でも、動画機能が搭載されるようになったデジタル一眼レフでは、これからその利便性が再認識されるかもしれません。

12 デジタル化

 PENTAXは当初、135フォーマットのデジタル一眼レフを開発していましたが、時期尚早であるとしてその商品化は断念しました。その開発機体を流用して作られたのが2001年の「MZ-S」です。

 その後、各社ともAPS-Cフォーマットのセンサー搭載機種が一般的になってくると、PENTAXも2003年「*ist D」でAPS-Cフォーマットのデジタル一眼レフを実現しました。 同機は、他社にはないハイパー露出システムを搭載した完成度の高いもので、発売時点で最小型・最軽量を実現しています。

13 手振れ防止機能

 カメラ内蔵の手振れ補正機能が2006年に「K100D」で実現しました。 これは撮影時には撮像センサーを電磁石の磁力によって浮揚保持し、手振れを感知するセンサーによる信号を利用して補正する仕組みです。有力他社が採用しているレンズ群の一部を動かして補正する仕組みと対立する方式となっています。両方式にはそれぞれ特長と欠点があるのですが、PENTAXの採用した方式は、装着できるどの交換レンズでも使えるというのが最大の利点で、従前ユーザーの利益保護という同社企業哲学に沿った優れた選択です。他社の採用しているレンズによる手振れ補正の場合、その効果を得るためには高価な交換レンズを購入しなければならず、従前所持していたものが無駄になるという不利益が既存ユーザーに与えられるのです。

 

 また、この方式の機構を利用することで、「K-7」において約100%視野率のファインダーを容易に得ることができました。視野率100%というのは製造に大きなコストが必要となるので、これを実現するのはそれまでハイエンドのカメラに限られていましたが、ミドルクラスの中でも低価格な 「K-7」で実現できたのは、その特長であるカメラ内手振れ補正機構の利用があって成し得た、言わば「プラスの副作用」とでも言うべきことでした。PENTAXにおいても視野率100%の実現は初めてのことです。

 さらに、手振れ防止機構は、撮像センサーのごみ取り、自動水平や構図の微調整などの諸機能を得ることにも役立っています。

 「K-3」からは、ローパスフィルター効果を得る機能を加えたため、ローパスフィルターを取り去って高解像度を得ることも実現しています。

14 レンズ内モーターによるAF

 2006年に発売された「K10D」は、防塵・防滴とともに、レンズ内に超音波駆動モーターを組み込んで、これでAFする仕組み(SDMおよびDC)に対応しました。 そのための電源や信号の伝達用として、パワーズーム用電気接点を流用しています。

番外1 マウント

 一眼レフ・カメラの最も重要な機構にマウントがあります。レンズとカメラを取り付ける部分です。様々なレンズを取り付けて使うことができるというのが一眼レフカメラの最大の売りなのですが、このマウントによって取り付けるということから、そこには様々な性能が要求されます。

 PENTAXのKマウントというのは、純粋な機械式マウントから始まって、その後加速されたカメラの電子化に対応するために電気的な接続機能を追加して下位互換を維持してきたマウントです。電気的な接続方法としてマウント面に接点を設けたという点で、他にほとんど類例を見ない特異なマウントです。接点部分にバネで保持された金属ボールを用いていて、レンズ装着時に強く接する構造ですから、接触不良による導通不良のようなトラブルが置き難い仕組みなのですが、製造コスト的にはあまり有利ではないのかもしれません。純粋機械式マウントからの発展 というのはNikonのFマウントも同様なのですが、それを含めて他のほとんどのマウントは、PENTAX自身の645マウントをも含めて、カメラ側マウント内部に端子盤式の電気接点を設けています。その方が合理性は高いでしょう。

 Kマウントの絞り環位置をカメラ側に伝達する爪装置は、KAF2マウントまで下位互換のために残されていたのですが、カメラ側ではデジタル一眼レフを含む*istシリーズから廃止されたので、それ以降の交換レンズからは、一部を除いて絞り環自体が廃止されました。このことにより、それまで保ってきた下位互換性の多くを失うことになりました。

 1936 Exakta「口径38o・フランジバック44.7o」 …Topcon RE super

  1958 Minolta SR(MC・MD) 「口径45o・フランジバック43.5o」

  1958 Canon R(FLFDnewFD) 「口径47.9o・フランジバック42o」

 1959 Nikon F(AiAi-SCPU) 「口径44o・フランジバック46.5o」

 1960 Conica F「口径40o・フランジバック40.5o」

  1965 Conica AR「口径47o・フランジバック40.5o」

  1973 Olympus OM「口径44.8o・フランジバック46o」

  1975 Pentax K(KAKAFKAF2) 「口径45o・フランジバック45.5o」

  1975 Yashica Contax MM「口径48o・フランジバック45.5o」

  1979 Fujica X「口径40.8o・フランジバック43.5o」

  1985 Minolta A「口径50o・フランジバック44.5o」

  1987 Canon EF「口径54o・フランジバック44o」

 

番外2 システムカメラ

 多様なレンズを交換して使うことができるカメラということから出発している一眼レフですが、基本的なカメラ本体に様々な機能部品を選択的に取り付けることで多様な用途に幅広く使えるようにするというコンセプトが、システムカメラという概念です。その方向性が最も高まった時期には、色々な形式のファインダーや接写用の機器など、交換取付式の機能部品が数多く揃えられました。PENTAXでも「LX」において、数種類の形式のファインダーやファインダースクリーンと交換できたり、高速連写モータードライブを付け加えられるなど、最も多くの種類のシステム機器が揃えられました。

 その後、電子化による自動化やデジタル化が進むと、ファインダー内に多くの情報を表示する必要性や測光センサーの配置場所になるなどファインダー交換式の成立が困難になって、これを採用する機種は無くなりました。また、カメラ本体とレンズの間に取り付けるベローズなど接写用の機器も、AFに馴染まないために消えつつあります。高度に電子化が進んでいる状況では、「オールインワン」の方が安価に作り易いという背景もあります。

 現在、システムカメラとしてのデジタル一眼レフのために設定されている主要なシステム機器としては、電源用電池の増設を主要な目的としている縦位置グリップ、TTL測光機能と連動するクリップオンストロボがあります。

あとがき

 亭主がPENTAXの製品にこだわるのは、同時に他社の製品群を入手するだけの財力を持ち合わせていないことが最も大きな理由ですが、そんな懐さみしい既存ユーザーに不利益を与えないために最大限努力していることが窺えるPENTAXの企業哲学というものを、同社のこれまでの軌跡の中に感じているからです。また、同社の歴代の古い製品を自ら分解整備してその内部機構を目にすると、一眼レフカメラというものに、レンズというものに真摯に向かい合い、これの改良のために真っ正直に努力しているという状況が見えてきます。そんな真面目さが好きで離れられないのかもしれません。

 このような良き企業哲学が続く限り、亭主はこれからもPENTAXから離れないと思います。

 デジタル一眼レフの撮像面に置かれる撮像センサーの進化により、センサーでとらえている映像をモニターで見ながら撮影するという形式が発達しつつあります。これを利用するとミラーによるファインダーが無くても撮影が可能になり、ミラーレスと呼ばれるデジタル一眼カメラが登場しています。

 ミラーが無くなることで交換レンズのバックフォーカスを小さくすることができて、カメラをより小型化することが可能です。現在、EVFと呼ばれるファインダーの性能が従前のミラー式光学ファインダーより性能が劣っていますが、これの性能が向上して同等になれば、ミラーレスになるのは歴史の必然と言えるでしょう。そうなれば、かつて競争者として目標としていた距離計連動一眼カメラに唯一劣っていたコンパクトさにおいて比肩する存在となり、その歴史的交換レンズ群をも使用可能とする絶対的存在として君臨することができるでしょう。

 2010年8月現在、PENTAXにおいても開発に向けての研究が進んでいるということですから、近いうちに形になることでしょう。それはレンズ交換式の一眼カメラの行き着く先とでも言うべき姿ですから、その流れに乗り遅れたり背を向けることは、企業としての継続を危うくします。それだけ重大な技術革新、変換点ですから、しっかりとした方針が取られることを祈念するものなり…

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