無駄な知識は無駄ではないかも…

… 前書き …

  古い一眼レフカメラやその交換レンズなどのカメラシステムを弄っていると、どうでもいいような知識が溜まってきます。知ったそのときは「へえ…」と思うのですが、時間が経つと忘れてしまいます。そんな可哀想な知識たちを記録するのも老後の暇潰しにはなるかなどと考えてこれを始めました。中身は他の部屋で取り上げているものと重複しているものが多いのですが、亭主が「無駄」と判断したものを選ぶつもりです。それは「無駄こそが人類をかくも他の数多の種より発達させた文化というものの真髄」だと信じるからです。無駄は無駄だからこそ大きな意味があるのだ…

… 目次 …

本家パンケーキレンズ「smc PENTAX M 1:2.8 40mm」の飾銘板は46mm径である。

純正Kマウント金具にあるロックピン受け穴の形状は2種類ある。

旭光学は、レンズ名称表記方法を2回大変更している。

「Super-Takumar 1:1.8/55」は焦点距離55mmではなく、実は56.8mmなのである。

PENTAXの「AUTO BELLOWS K」後期型から設けられたレンズ台座右脇のオプション台座は、

最終型である「AUTO BELLOWS A」後期型に至るまで、これを使うオプション部品が世に出なかった無駄仕様である。

シグマのKAFマウントは、タムロンと違ってKAマウント互換ではない。

K-7やK-5、K-3は、AUTO BELLOWSに縦位置で取り付けられない。

PENTAXにおける「アトムレンズ」の終焉時期は1977年である。

バルサム切れが頻発するのはKレンズ以降である。

TakumarなどM42マウントレンズの自動絞りは絞り全開が初期値だが、Kマウントレンズは絞り閉(絞り環指示位置)が初期値となった。

PENTAXのSマウントと一般的なプラクチカマウントとは同じではない。

マウント面に取付ビスのあるカメラやベローズ装置には、開放測光マウントの「TAKUMAR」を取り付けてはいけない。

「Super-Takumar 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」は、レンズ構成は同じでも、レンズ玉の形状寸法は異なっている。

「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」は、前期型・後期型の関係ではない。

Aレンズに至る旭光学MF標準レンズ構造の始祖は「Super-Takumar 1:1.4/50」8枚玉である。

「Super-Takumar 1:3.5/28」の飾銘板は、フツーのゴム道具では回せない。

「Super-Multi-Coated TAKUMAR」と「SMC TAKUMAR」は、同じ一連のレンズシリアル番号を付番しているらしい。

「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」と「smc PENTAX M 1:1.7 50mm」は、外見上の小変更を3回行っている。

レンズシリアル番号の付番方法には謎が一杯。

PENTAXの角レール簡易型ベローズ装置「BELLOWS UNIT」には、派生型が5種類ある。

飾銘板の文字列の位置について

折り畳めない1本丸レール白ステッカーの謎

ダブルレリーズが「前期型」から「後期型」へと替わった時期の考察

「AUTO BELLOWS」初代は、世に出てからの変更がハンパ無い

引き伸ばしレンズの中には、マウントに下駄を履いているものがある

今売られている裏糊付きモルトプレーンは、貼り替えても10年後にはベタベタになるから、やるだけ無駄

ケーブルスイッチFにも前期型と後期型が存在する

 

同じKAマウント金具でも前期型と後期型が存在する

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●本家パンケーキレンズ「smc PENTAX M 1:2.8 40mm」の飾銘板は46mm径である。

 この交換レンズは1976年に発売されたMシリーズカメラのために用意されましたが、フィルターサイズ49mmの鏡胴なのに、飾銘板の外径ネジはM46・P=0.5なのです。フィルターのネジ規格はP=0.75ですから、46mmフィルターが取り付けられる訳ではありません。当時としても結構安価な交換レンズなのに、なぜこのような手間のかかる構造なのかが不思議です。協力下請工場いじめだとしたら怒るでぇ…

 また、この交換レンズのもう一つの不思議さとして、絞り環の外径が63.4mmであるということです。Kシリーズ以降の鏡胴は、標準レンズと広角レンズは63mm、望遠レンズは62.5mmに統一されているのに、これだけが違っていて、しかも 最も大きな直径なのです。だから何なの、と言う程度の話なのでしょうが…

●純正Kマウント金具にあるロックピン受け穴の形状は2種類ある。

 Kマウント金具は、マウント面に信号端子などが増設されたことで何種類かあるのですが、それらを設ける以前のKシリーズ、Mシリーズの交換レンズに使われていた元祖Kマウント金具のロックピン受け穴の形状には2種類あるのです。その形状としては、初期のものはマウント外周が切り欠かれている「U字形」でしたが、ある時期から 、マウント外周が閉じている「楕円形」になったのでした。

 この形状変更の時期は、1980年銀塩PENTAX畢生の名機「LX」の発売時だと思われます。この高級カメラは「防塵・防滴」をキャッチフレーズとして売りだされたので、それで使われる交換レンズの方も、その優れた性能を損なわないようにするために変更したものでしょう。

 マウント外周が切り欠かれていると、ここから塵や水分が入り、ロックピン部分からカメラ内に侵入する経路となってしまいます。他にも交換レンズには絞り環など塵や水分の侵入する経路はありますが、ここほど大きな空隙面積ではないので、出来るだけの改良として 、これを変更したものと思われます。

 ところで、この改良について、当時のPENTAXがその変更理由を公告したのかどうかは不明ですが、両者があることを認識している人が少ないようなので、たぶん、公告らしいものはしなかったのでしょう。

 「K10D」以降のデジタル一眼レフは「防塵・防滴」を謳う機種が多いのですが、これらに使う場合、少なくともMシリーズレンズについては、ロックピン受け穴形状が楕円形のものを選ぶという拘りが欲しいものです。Kシリーズレンズについても、1980年以降も製造が続いていたものは同様です。折角PENTAXがこうして努力したのですから、ユーザーもその労に応えなくては…

 このロックピン受け穴の変更は、公開マウント規格であったKマウントを採用していた光学各社にも伝えられたと思われ、これを変更している機種もあります。主として開放F値1:1.2などの高級な機種に限られていますから、高級機「LX」ユーザーが使いそうな機種に採用したのかもしれません。ちなみに、価格破壊で有名な、現在では銘レンズとの評価も高い「XR RIKENON 1:2 50mm」には、この新規格は採用されていません。

 なお、後年PENTAXのAF高倍率ズームレンズをOEM製造した「TAMRON」のKマウント金具は、このマウント金具の変更を行っていません。U字形でマウント外周が開いているのです。つまり、「K-5」など「防塵・防滴」機種では、これら 「TAMRON」のOEM機種は使わない方が安全ということになりますぞ…

 PENTAXのOEM発注担当者は、このマウント金具ロックピン受け穴の形状の意味もしくは形状変更を行った経緯を知らなかったのかもしれません。 「TAMRON」の高倍率ズームの高性能に目を晦まされて、そこまでチェックしなかったということかもしれませんが、先人の工夫した「LX」の誇りが忘れ去られているという結果になっているのは厳然たる事実…

 当時のPENTAXの標準域交換レンズとしては、「smc PENTAX 1:1.2 50mm」、「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」、「smc PENTAX M 1:1.7 50mm」、「smc PENTAX M 1:2 50mm」、「smc PENTAX M 1:2.8 40mm」などがありますが、「楕円形」のロックピン受け穴になったもののレンズシリアル番号は、「smc PENTAX 1:1.2 50mm」と「smc PENTAX 1:2 50mm」以外の3種類は、それ以前のものとの連続を断って「6******」以降となっています。このことにより、マウント金具を見なくとも、それを判別することが可能です。

●旭光学は、レンズ名称表記方法を2回大変更している。

 交換レンズの飾銘板等に表記されているレンズ名称の表記方法ですが、旭光学は大きくは2回変更しています。最も初期の表記方法は、「Auto-Takumar 1:2 f=55mm」という表記法でしたが、これが「Auto-Takumar 1:2/50」という表記法に変わっていて、その時期は1960年ごろだと思われます。

 次に変わったのは1976年Mシリーズレンズが生まれたときです。「smc PENTAX M 1:2 50mm」という表記法になり、これは現在まで続いています。この変更の時には、併売を続けていたKシリーズレンズ群も皆行っています。それまでの「SMC PENTAX 1:1.2/50」が「smc PENTAX 1:1.2 50mm」になったというふうにです。したがって、「SMC PENTAX 1:1.4/50」などのように、Mシリーズに移行して併売は行わなかったKシリーズレンズには、「小文字smc」は存在しないのです。

 なお、小さな変更としては、1965年に、使用フォントの変更がありました。また、1971年に「Takumar」が「TAKUMAR」となるなど、大文字と小文字の変更もありました。商標法の関係で、新しい製品には 、一般的な状況を表示するものでもある「Super-Multi-Coated」を使えなくなって「SMC」としたということもあったようです。

●「Super-Takumar 1:1.8/55」は焦点距離55mmではなく、実は56.8mmなのである。

  交換レンズのレンズ名称に使われている焦点距離は、実は、実際の焦点距離を表示していることは稀で、その前後の値であることがほとんどです。このことは、ベローズ装置の説明書などに記載されている「接写表」の倍率とレンズ繰出し量の関係を見ると分かります。「倍率=繰出し量/焦点距離」という公式があり、これにあてはめれば 、その交換レンズの実焦点距離が出せるということになります。

 「Macro Takumar 1:4/50」を初代とする50mmマクロレンズは、等倍時の繰出し量が52mmですから、実焦点距離は52mmということになります。自動絞りとなった次世代の「Super Macro Takumar 1:4/50」以降は1/2倍までの鏡胴ですが、1/2倍時の繰出し量は26mmであることから、このテッサータイプのレンズ構成は、実焦点距離52mmだということは確実です。

 「Super-Takumar 1:4/300」は明るい超望遠レンズですが、これの実焦点距離は288mmですから、かなりサバを読んでいることになります。

 昔のレンズ説明書には、接写の倍率表が記載されているものが多かったのですが、最近のものには無いようです。

●インナー・フォーカスのレンズは、同じ焦点距離の全群繰出しフォーカスのレンズより、同一撮影距離での接写時に得られる像高が大幅に小さい。

 最近の交換レンズは、特にズームレンズは、フォーカスしても全長が変わらないインナー・フォーカスが主流になっていますが、同じ焦点距離のレンズなら、インナーフォーカスの方が 、接写時に得られる像高は大幅に小さくなります。

 全群繰出し式のフォーカスの場合、接写時には、レンズを繰出した状態でピントが合うため、実質的に焦点距離が長くなって画角が小さくなるのに対して、インナー ・フォーカスは、レンズ構成をレトロフォーカスにしてピントを合わせることから、実質的に焦点距離が短くなって画角が大きくなるのです。そのため、インナー ・フォーカスの方が、同じ撮影距離ならより広い範囲を写すことになり、画像上の像高は小さくなるのです。

 このことから言えるのは、同じ像倍率を得るためには、全群繰出し式のマクロレンズの方が対象物に近づかなくてもよいということになります。ワーク ・ディスタンスの関係や、照明の光の回り方の関係もありますから、その兼ね合いと合わせて考える必要がありそうです。

 む、むっ、この話に、無駄な要素はあまりないかな…

●PENTAXの「AUTO BELLOWS K」後期型から設けられたレンズ台座右脇のオプション台座は、最終型である「AUTO BELLOWS A」後期型に至るまで、これを使うオプション部品が世に出なかった無駄仕様である。

 亭主がPENTAXのAUTO BELLOWS一族の蒐集を始めて久しいのですが、常々気になっていて、ネット上にある英文の使用説明書を漁ったりしてその用途を調べていたのが、レンズ台座右横に設けてある3mm径頭のメッキビスと、その下の3mmめくらネジ穴です。これは「AUTO BELLOWS K」の後期型から設けられたもので、最終の「AUTO BELLOWS A」後期型にまでずっと設けてありました。

 どの使用説明書にも、この穴やビスのことは書かれていません。通常のAUTO BELLOWSの使用の中でこれを使いそうな状況が考え付かないので、気になって、本当に気になって仕方がなかったのでした。そのため 、夜も眠れない…嘘…

 このような些細なことを気にかけるのは、まったく無駄なことなのでしょうが、気になるものはしょうがありません。ついに意を決してPENTAXにお尋ねのメールを送ってしまいました。

 すぐに「古い機材であるためにお調べするのにお時間を頂戴したい」との回答があり、10日ほどして、「前板の右側面にあるネジと穴の用途ですが、オプションを取り付けるためのものでした。しかしながら 、予定していたオプションは販売を見送った経緯がありました。その為、結果的には用途のないものとなってしまったもの」との回答がありました。さらに 、その予定していたオプションの内容を尋ねたところ、「ビスやネジ穴に装着する企画のあったアクセサリーについて、その内容については公開をしておらず、ご案内出来かねる」との回答でした。これは至極もっともなことです。

 メーカーから世に出したオプションが無いということなら、これをどう使おうとユーザーの勝手ということになります。その企画されたオプションがどのようなものであったのかを忖度することも、ユーザーの愉しみ、苦しみの一つというものです。わずか3mmのネジ穴ですから、そんなに重いものは取り付けられないでしょう。そこでいろいろと考えた結果、当時バンドルを変更したと思われる新型ダブルレリーズの置き場所ではないか 、というアイデアです。旧型より大幅にハンドルが大きくなって、使わない時にぶら下げておくには少々みっともないこれをスマートに保持するための「レスト」を設けるというのが 、最もありそうなことに思えました。

 新型ダブルレリーズのハンドル下部にはかなり深い窪みがあります。ここを利用して「レスト」に差し込めば、ベローズ操作時の置き場所としては手頃です。第一 、ユーザーが素人仕事で製作するには手頃そのものです。このアイデアが気に入って、試作品を作ってしまいました。

 使い心地としては、まあ、無駄と言える範疇に入るかなという存在で、もしこれが幻のオプション企画だったとすると、その企画を没にした上層部の判断も謗るわけにはいかないかもしれません。

 しかし、オプション企画を没にしたのに、それ用の台座を連綿と設け続けていたということが腑に落ちません。これを設けるためには工数や部品経費がかかります。使うあてもないものを付けるという、そんな無駄を続けていた理由が何であったのかを考えると 、夜も眠れない…また大嘘…

 AUTO BELLOWSシリーズを製造していたのは、PENTAX自社の工場ではないと思われます。亭主は 、OEM製造者がいたと考えています。このOEM製造者に対してオプション台座の設置中止を指示するのを忘れたのか、自社製造ではないのでコスト感覚が希薄だったのか、発注担当者にそのことに対する興味が無かったのか、上層部の目配りが欠落していたのか、その理由はいろいろと忖度出来ます。いずれにしても、色々な意味で無駄の象徴です。こうして無駄な思考や行動を惹起せしむるという、ああ無駄万々歳…

●シグマのKAFマウントは、タムロンと違ってKAマウント互換ではない。

 レンズメーカーの大手シグマは、カメラ各社の独自マウント規格の交換レンズを自社ブランドとして販売していますが、PENTAX用レンズも販売しています。現在は 、最新の規格であるKAFマウントの交換レンズを販売していますが、これのマウント仕様は、その前身規格であるKAマウント規格とは互換性を持たせていないので、KAマウントのカメラやリヤコンバーターに装着すると誤表示をし、露出の誤作動をしてしまいます。その点、PENTAXのAFズームレンズをOEM製造していたレンズメーカーTAMRONの自社ブランドKAFマウントレンズの場合、流石にKAマウント規格との互換性を持たせていますから、その違いを知っておくことは 、無駄ではないのではないかと思います。

 そもそもKAマウントは、プログラムAEを実現するために、カメラ本体と交換レンズを連絡する電気端子をマウント面に設けました。この電気端子は、単に信号回路を断接するだけのもので、レンズの開放F値と最小絞り値を伝達するだけの、言わば切り替えスイッチ的機能しか無かったのです。次の時代のKAFマウントのようにレンズ内に記憶素子を設けて、そこにレンズ情報をデジタル信号として格納するというような機構ではありません。従って、電気端子それぞれに割り当てられている機能は、KAFマウントのものとは一部異なっています。

 PENTAXは新規格のKAFマウントを制定する時に、KAマウントの電気端子の役割を互換するように、電子基板内にその変換機能を格納していますが、その規格特許を使用しないでKAFマウントを作っているシグマは、ほとんど使用されることが無いであろう互換機能の搭載を省略しているのです。これは合理的切り捨て思想に由来するものと考えられます。亭主 としては、無駄を大切にしないこの思想は大嫌いですが…

●K-7やK-5、K-3は、AUTO BELLOWSに縦位置で取り付けられない。

 デジタル1眼レフの初代「*istD」以来、残念なことに「AUTO BELLOWS」にそのままでは取り付けられないカメラがあるのですが、最新のハイエンドカメラである「K-3」にも 、そんな問題があります。横位置でこそ問題無く取り付けることが出来て、「AUTO BELLOWS」の全機能を使うことが可能なのですが、縦位置だと 、フォーカスモードスイッチがカメラ台座と「干渉」して取付が出来ないのです。

 しかし、縦位置取り付けに関しては、銀塩カメラ時代にも問題はありました。機体がレールと「干渉」するために、カメラ台座をレール最後部に固定するしかないのです。つまり、 操作性がより良好な、カメラ側を前後させてフォーカスするという機能が使えないのです。これは「AUTO BELLOWS」がコンパクトに作られているということから発生している問題で、「Minolta」など後発の角レール「AUTO BELLOWS」は、各台座を大型化することでこの問題を解決しています。しかし、レールとマウント中心が離れると台座ブレの発生が大きくなり、この新たな問題と折り合った使用が求められることになります。

 「K-3」はコンパクトな機体なので、カメラ台座との「干渉」を解決できれば、縦位置でもレールと「干渉」しません。その「干渉」は僅かなので、カメラ台座の「干渉」部分を切削することで解決できます。このことで、縦位置でも「AUTO BELLOWS」の全機能を享受することが可能となるのです。

 「干渉」の問題は、接写リングをカメラと「AUTO BELLOWS」との間に装着することでも回避可能ですが、その分光路が長くなり、「Bellows-Takumar 1:4/100」などでの無限遠が来ないということになります。

 AUTO BELLOWSに「干渉」部分の切削余地は十分あるので、「鑢」の出番ですぞ…

●PENTAXにおける「アトムレンズ」の終焉時期は1977年である。

 旭光学工業PENTAXにおいては 、1965年に採用が始った「酸化トリウム配合光学ガラス」ですが、これを使った交換レンズを「アトムレンズ」と俗称します。放射性同位元素である 「トリウム」が放射線を出すからです。それは交換レンズ後端でガイガーカウンターで計測すると「毎時10マイクロシーベルト」程度とのことですが、この酸化トリウムを配合した光学ガラスでレンズを作ると、高屈折 ・低分散なものが作れ、これは色収差の補正に大きな効果がありました。

 この光学ガラスを製造したのは光学ガラスメーカーの「オハラ」で、高性能なレンズを作れるこれを、当時のカメラ会社などレンズメーカーの多くが採用して、主として明るい交換レンズに使用しています。

 旭光学工業がこのトリウム入りガラスで作ったレンズを組み込んだ交換レンズは、35mmフィルムカメラ用としては「Super-Takumar 1:1.4/50」、「Super-Takumar 1:2/35」、そして「Super-Takumar 1:1.8/55」です。前の2機種はハイエンドの交換レンズですが、「Super-Takumar 1:1.8/55」は普及版のセットレンズです。これに高性能でも高価なトリウム入りガラスレンズを採用したのは、旭光学工業の心意気というか、企業姿勢を示すものだったのかもしれません。

 前の2機種は、トリウムレンズ採用時にレンズ構成も変えていますが、「Super-Takumar 1:1.8/55」は同一のレンズ構成のままです。レンズ曲率などを修正しているのかもしれませんが、比較する手段を持たない亭主には分別不能です。ただ、採用前の交換レンズと比較撮影すると、確かに無限遠撮影の遠景について、絞り開放時の色滲みは減少しており、解像感が増している感じがします。

 この高性能なトリウム入りガラスの問題点は、放射線を出すということの外に、径年により大幅に「黄変」するということがあります。この現象が出現したことによるものか、放射線の害が認識されたのかは定かではありませんが、旭光学 工業では1977年にその使用を止め、使用残の在庫トリウム入りガラスを自社工場敷地内の遮蔽施設の中に封じ込めています。この措置が当時の産経省などからの指導で行われたのかは不明ですが、ガラス製造者であるオハラや、コニカなど幾つかの関係メーカーもそのような保管方法を続けているようです。

 旭光学工業は、1977年にその使用を止めたと公告していますが、最後まで使用していたのがどの機種だったのかを推理すると、「SMC PENTAX 1:1.4/50」ではなかったのかと考えられます。この機種は、1975年に最初の世代のKマウントレンズとして販売が始ったものの、1977年早々に小型軽量な「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」に置き変わったために製造期間が短く、また、より上級機種として「SMC PENTAX 1:1.2/50」が上梓されていたために立ち位置が中途半端ということもあって、販売数は少なかったようです。事実、中古市場での出現数も非常に少なくなっています。そんな中で、レンズシリアル番号の途中に大きな飛びがあります。それは「10*****」の次が「15*****」というものですが、前者は明白に「黄変」しているものの、後者は「黄変」していません。このことから、この時期に設計変更を行ったということが推察できます。つまり、この時期が1977年ということなのでしょう。

 なお、「10*****」であっても、その晩期においてはトリウムレンズを使用していないものがあることが判明しました。亭主が入手した「1097331」がそれです。つまり、単純にレンズシリアル番号帯だけで判別することができないことになります。

 しかし、このことにより、「15*****」であれば、確実にトリウムレンズを使用していないことが確定できました。

 ところで、欠けているレンズシリアル番号「11*****」から「13*****」は「SMC PENTAX 1:1.8/55」に割り振られ、「14*****」は「SMC PENTAX 1:1.2/50」に割り振られていました。 この時期の標準レンズへの付番方法の一端が分かったということです。

 「Super-Takumar 1:1.8/55」は、SMC化されてM42マウント最終形「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」になりましたが、この晩期においては「黄変」のまったく無いものが確認されています。それがどのレンズシリアル番号以降のものかは確認できていないのですが、亭主が入手したものの中にもありました。このことから、トリウムガラスの使用中止を決めた時期は 、Kマウント化のあった1975年より何年か前で、販売数の多い普及型交換レンズから順次設計変更に着手したということが明白です。

 トリウムレンズの「黄変」は、現在ではほとんどのものが著しいレベルです。撮影画像の色温度を狂わせるほどのもので、フィルムカメラの時代には弱めの色温度変換フィルターを使用する必要があったほどです。現在のデジタル一眼レフなどでは 、AWB機能があるために実質的には問題とはならないのですが、ファインダーの視野が黄色っぽく見えるのはうっとおしいかぎりですので、これが緩和されるのは望ましいことです。

 その緩和方法がとても不思議な方法なのです。紫外線で照射するだけというのですから、俄かには信じられないことです。亭主も自ら行った実験で確認するまでは眉唾ものとしていました。しかし、同じように黄変している2枚のトリウムレンズを用意し、その片方だけを紫外線の強い初夏の屋外の日なたに何日か放置してからの両者の比較で黄変が著しく緩和されているのを見ては、全面的に納得してしまいました。

 しかし、トリウム入りとそうでないものの見分けは、レンズの小端を見れば一目瞭然です。入っていないものは全く白いのですが、トリウム入りは、紫外線で美白したとしても黄色味が残ります。また、これ によって放射線が出なくなる訳ではありませんから、無駄な努力だと鼻で笑うのも、それも一興…

 ところで、「SMC PENTAX 1:1.4/50」の非トリウム化が「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」より大幅に遅れたのは、その成り立ちが大きいのではないかとも考えられます。トリウムレンズを採用することにより、それまでの3枚貼り合せ玉を2枚貼り合せ玉に合理化出来たという歴史があり、これを廃しても性能の低下をきたさない設計とすることに時間がかかったのだと見ることもできます。亭主はトリウムレンズだった「SMC TAKUMAR 1:1.4/55」のレンズ玉を、貼り合せレンズがバルサム切れした「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」の鏡胴に組み込んだことがありますが、これは全く問題無く行えました。鏡胴構造を変えることなく非トリウムレンズ化を行うに当たって、当該レンズ玉だけの変更なのか、他のレンズ玉の成分や曲率までも変更しているのか、この比較は素人の手には余るものです。

●バルサム切れが頻発するのはKレンズ以降である。

 バルサム切れというのは、接着剤で貼り合せたレンズの貼り合せ面が変質または剥離する現象を指す俗称で、昔、接着剤に天然樹脂であるバルサムを使用していて、これが径年劣化で剥離することが語源とのことです。

 ところが、PENTAXの場合、昔の天然樹脂を使っていたと思われる時代のものにはバルサム切れが少なく、Kマウント化されてからのものに頻発しているという現象が知られています。一例を挙げれば、「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」には稀なのに、Kマウント化後の「SMC PENTAX 1:1.4/50」やその後継の「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」の場合は、ほとんどのものに程度の差こそあれバルサム切れの兆候が現れているのです。

 Kマウント化がされたのは1975年です。このころはレンズの接着に紫外線や熱で硬化する化学接着剤の使用が一般化した時期です。PENTAXの場合も、他の多くのレンズメーカー同様それを採用したことが疑われます。

 ちなみに、当時からこのガラス接着用化学接着剤を製造販売した会社の一つはCanonの子会社です。Canonの旧レンズにもバルサム切れが多いとの噂を耳にしますから、もしかすると犯人はこいつか…

 天然樹脂より化学接着剤の方にバルサム切れが多発するのだと仮定すると、その原因は何であるのかということが疑問として浮かびます。亭主は、硬化した化学接着剤そのものの伸縮性がレンズの素材であるガラスとは異なっていて、しかも非常に丈夫であることによるのではないかとの仮説を立てました。天然樹脂のバルサムの場合は 、ガラスより柔軟性が高いためにガラスの膨張に追随することからバルサム切れし難くいのに対して、伸縮性の少ない化学接着剤が、2枚の異なる成分のガラスの間で、つまり左右の異なる膨張率によるズレを受け続けるため、接着面に不断にストレスが懸って 、ついには変質や剥離を生じるのではないか、との仮説を得ました。そのため、バルサム切れしたレンズを剥離するためには、接着面のストレスを増長させればよいのではないか 、との啓示を得たのです。

 気温変動による膨張と収縮がストレスの原因だとするなら、これを故意に拡大してやればよいことになります。ガラスは急冷によって破壊され易いという性質があることを知っていましたから、温度差を与えるなら 、急熱によってストレスを与える方が安全であろうと判断しました。そのため、あらかじめ冷凍庫で冷やしておき、これを沸騰水中に入れる方法を試すことにして、これにより 、見事成功を収めることが出来たのです。

 物事を進めるには、観察とそれに基づく推理が重要です。無駄になる行為を積み重ねることで得られる成果もあります。無理やり無駄に結び付けてどうする…

●TakumarなどM42マウントレンズの自動絞りは絞り全開が初期値だが、Kマウントレンズは絞り閉(絞り環指示位置)が初期値となった。

 Kマウントになって、絞り環の指定している位置に絞りが閉じているのが初期値であるレンズをカメラに取り付けると、その時点で絞り込みレバーがカメラに押されて絞りが全開になる仕組みを採用しています。このことから、シャッターを切るとレンズの絞り込みレバーが開放されてバネの力で急激に戻り、そのことで絞りを動かすことになります。このときに標準レンズのように絞り装置が大型だと、慣性の影響で絞りリンク内でリバウンドが発生してしまいます。そこで、これによる絞り値の狂いを緩和するためにスタビライザーを設けています。

 Kレンズの時代には、絞り込みレバー基部にヒンジを設けて、これをバネで懸架緩衝するかなり複雑な仕組みになっていましたが、鏡胴を小型化したMレンズになると、この役目を1枚の鉄輪に受け持たせています。これは鏡胴を振るとカチャカチャと音のする元凶で、その重量と鏡胴との摩擦抵抗によって絞りリンクの慣性暴れを緩和しているのです。この鉄輪は取り去っても絞りが作動しないというものではないのですが、小絞り時には影響があるかもしれません。

 Takumarの時代は絞り開放が初期値ですから、シャッターを切ると絞り環指示位置までカメラが絞りリンクを押し込みます。そのため、このような問題が発生しなかったものと思われます。絞りリンク自体も小型軽量で、それを懸架しているバネも弱いものでしたから、慣性の影響が少なかったとも考えられます。

●PENTAXのSマウントと一般的なプラクチカマウントとは同じではない。

 PENTAXのSマウントはM42・P=1のネジマウントです。一般的なプラクチカマウントも同じくM42・P=1のネジマウントです。何が違うのだと言えば、カメラ側マウントがそれになります。PENTAXのSマウントは、マウント面内径部のネジ部分の手前に少し削った部分(深さ0.5mm幅1mm外径44mm)があります。これに対して 、一般的なプラクチカマウントにはありません。この少し削った部分には旭光学工業が与えた「役割」があるのですが、一般的なプラクチカマウントには、そんな配慮は埒外のことです。

 その「役割」は何かと言うと、PENTAXが誕生する以前に旭光学工業が作っていた「ASAHIFLEX」というカメラのM37ネジマウント交換レンズを 、M42ネジマウントの「ASAHI PENTAX」でも使えるようにするためにマウントアダプターを用意し、それを落とし込むためのスペースなのです。両方のマウントともフランジパックが同一なため、マウントアダプターをネジ部分だけにするとマウント内に入り込んでしまうため、これを止めるためのフランジを設けたのです。

 つまり、マウントアダプターを使わない新規ユーザーにとっては、これはまったく無駄な仕様というわけです。 しかし、害になるというものではありません。

 思うに、旭光学工業が既存ユーザーを大事にする、その手元にある大切な資産を尊重するという麗しい企業姿勢は、このときからしっかりと確立していたということが分かる輝かしい事例です。これは金鵄勲章ものぞ…

 なお、このマウント仕様は、フジカや、国産最後のM42マウントカメラであるコシナの「BESSAFLEX」にも用いられています。 意味が分かってそうしているのかは分かりませんが…

 旭光学が販売したアダプター類の中にも、この溝が刻んであるものと無いものとがあります。オート接写リングには刻まれていますが、もっと古い時代からあるオートではない接写リングには刻んでありません。また、ヘリコイド接写リングにも刻まれていませんし、マウントアダプターKにもありません。このため、純正マウントアダプターの2枚使用では、「ASAHIFLEX」用交換レンズ群は無限遠が出せないということになります。

 ベローズ装置にも、当初は、この溝が刻んでありませんでした。小林精機製作所がOEM製造していたものは、最終形となった1本レールが折れない黒地ラベルの「BELLOWS UNIT」だけには刻んであります。これが誕生したのは「SV」の終り頃の時代ですから、そのころに厳密な「Sマウント」規格というものを、カメラ以外にも敷衍する思想が確立したのだと思われます。同時代誕生の「BELLOWS U」にも溝は刻まれています。

 ところで、「ASAHIFLEX」用M37マウントレンズをSマウントに取り付けるための「マウントアダプター」ですが、一説では「ASAHI PENTAX」に同梱されていたとのことです。現在では目にすることも極めて希な存在ですが、その構造は、1か所を切り離されたリングとのことです。このため、Sマウントから外す時には、その切り離された部分のスリットに指をかけて回すのですが、切り離されていることで外径ネジ部を小さく出来るので楽に回せるのだそうです。レンズを捻じ込むと押されてスリットが少し開いて、しっかりと固定する仕組みのようです。0.5mm厚という薄いフランジが付いていて、その外径は44mmです。これは何とか手に入れたいと思う一品です。

●マウント面に取付ビスのあるカメラやベローズ装置には、開放測光マウントの「TAKUMAR」を取り付けてはいけない。

 開放測光レンズマウントには、「馬鹿者対策」のための仕掛けが付いています。マウント面にある小ピンがそれですが、これが押されていないときには「A-M切替レバー」がマニュアル側に動かないようにしています。オートAE機能のESシリーズカメラに取り付けるとこれが押されていない状態になり、「馬鹿者」が切替レバーをマニュアルにして露出を台無しにするのを防いでいます。 この機能のために、「ES」シリーズのマウント面には内側に深さ0.5mm幅1.5mmの削った部分を設けています。

 このマウント面の小ピンがマウント面にある4個のビス穴に入り込んで、進退極まるロック状態になることがあるのです。 旭光学が販売した「BELLOWS UNIT」などにもマウント面に取付ビスがあるものがありますが、さすがにこれらはロック状態になることは無いようです。でも、これらをOEM製造した小林精機製作所の自社ブランド「KOPIL」のプラクチカマウントのものは、しっかりとロック状態になります。取付ネジの位置がPENTAX用と異なっているためにこれが発生するようで、PENTAX用は小ピンがビスの端を通るために乗り越えられるのです。これまで考えて小ピンの位置を決めたのだとしたら、その設計者に脱帽敬礼90度…

 なお、交換レンズを装着していない時にはこの小ピンが押されていない状態ですから、「A-M切替レバー」をオート側にすると、そのままではマニュアル側に戻らなくなります。これを故障と早合点して、無理やり動かそうとして破壊したりする悲劇があるやに聞いています。むべなるかな…

●「Super-Takumar 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」は、レンズ構成は同じでも、レンズ玉の形状寸法は異なっている。

 Takumar一族のほとんどは、1971年に開放測光対応マウント へと一斉に変更していますが、この時には、レンズコーティングを単層のものから7層のマルチコーティングに変更しています。レンズ外形や鏡胴内部構造は変えず、単にマウント部分のみを変更したものがほとんどだったのですが、「Super-Takumar 1:1.4/50」は、「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」および「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」にしたときに、マウント部の変更だけでなく、絞り羽根を6枚から8枚にしてユニット化するなど、鏡胴内部の大幅な設計変更と、それに伴うレンズ形状の設計変更を行っています。このため、両者間のレンズ玉の互換性が失われています。

 なお、最近判明したことですが、「Super-Takumar 1:1.4/50」という飾銘板のものでも、「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」とまったく同じ開放測光鏡胴を用いているものがありました。名称変更前の製品ということでしょうか…

●「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」は、前期型・後期型の関係ではない。

 旭光学が開放測光マウントを始めたのは1971年「ES」からです。このカメラは電子制御自動露出の魁となったもので、電磁制御のシャッターを搭載していました。このカメラにセットレンズとされたのが「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」です。この2機種は従前のTakumar一族共通意匠を変更して、ゴム巻きのピント環と新意匠の絞り環で装っていました。

 交換レンズ群を開放測光マウントに換装したのはこの時期よりも少し前だったようで、当時の主力「SP」などにセットレンズとされたのが「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」と「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」であったようです。これらは、開放測光マウントとする他にも、レンズ名称にある7層マルチコーティングを採用していました。まだ開放測光のカメラが存在しない時期から準備のための先行投資を行ったということでしょう。

 この「Super-Multi-Coated TAKUMAR」というレンズ名称は、開放測光マウントに換装し、7層マルチコーティングを施した他の交換レンズにも用いられました。その時期が一斉であったのかは 不解明ですが…

 開放測光マウントと従前のマウントとは、鏡胴に組み付けるに関して互換性があります。ほとんどの機種は鏡胴やレンズ構成を従前のままにして、レンズに7層マルチコーティングを施し、開放測光マウントを組み付けて、飾銘板を新しいものに換えただけでした。ところが、「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」は鏡胴構造を大変更し、それに伴って、レンズ玉にも設計変更を加えているのです。フラグシップ標準レンズは花形の存在ですから、それを、この大変革の先頭に立たせたということでしょう。このことから、「Super-Takumar 1:1.4/50」と「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」は、ほとんどの部品で互換性がありません。

 世の中では、「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」が、「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」と「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」の後期型であるとの説明がなされることがありますが、これらは、上記のように別のカメラのセットレンズとして平行して存在していたのであり、絞込測光「SP」が開放測光の「SPF」に道を譲った時点で「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」が残ったのであって、両者は別の系統であるとしたほうが妥当でしょう。後期型というより残留型…

 なお、「SMC TAKUMAR 1:1.4/50」と「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」が、「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.4/50」と「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」と違うところは、飾銘板およびピント環と絞り環の意匠だけであり、それらの取り付けに関しては、機械的には完全な互換性があります。A-M切替レバー裏に打刻されている製品番号の違いはありますが…

●Aレンズに至る旭光学工業MF標準レンズ構造の始祖は「Super-Takumar 1:1.4/50」8枚玉である。

 PENTAXのMF標準レンズは21世紀になっても販売が続いた「smc PENTAX A 1:1.2 50mm」が最終機種となりましたが、ここに至る歴代MF標準レンズ鏡胴構造の始祖となったのが、1964年誕生の「Super-Takumar 1:1.4/50」8枚玉です。それまで非常に面倒だった無限遠と最小絞り開度の調整を、それぞれ小ビス3本を緩めるだけで行えるようにしたのです。この新方式は、翌1965年に普及版標準レンズ「Super-Takumar 1:1.8/55」にも採用されて、その生産性、整備性を飛躍的に向上させています。

 「Super-Takumar 1:1.4/50」で採用された鏡胴構造は、ヘリコイド装置、絞りリンクを内蔵したマウント台座、絞り環、被写界深度指標リング、ピント環で構成される「外部鏡胴」と、絞り装置、前後レンズホルダーで構成される「内部鏡胴」とに分かれていました。「内部鏡胴」はヘリコイド装置内筒に3本の小ビスの頭で押さえ付けている構造なので、その押さえ付け位置を動かすことで最小絞り開度を調整することができるのです。これは とても巧妙な仕組みです。

 また、「外部鏡胴」を構成するピント環は、ヘリコイド装置中筒に、これも3本の小ビス頭で押さえ付けている構造なので、その押さえ付け位置を動かすことでヘリコイド内筒の繰出し位置を調整して、このことで無限遠を調整することが出来るのです。これまた 、巧妙な仕組みです。

 このように、各所の固定を小ビスの頭で押さえ付けることで行っているため、径年使用により、この小ビスが緩むことがあり、無限遠が狂ったり、絞り精度が狂うことがあります。しかし、飾銘板を外してフィルター取付枠を外すことで 、これらの調整は可能になりますから、プロの整備に委ねなくとも手軽に行える調整なのです。古いMFレンズを使おうという人は、これくらいの調整能力を持つのは当然の資格要件でしょう。

 なお、始祖となった「Super-takumar 1:1.4/50」鏡胴ですが、次世代の開放測光マウント鏡胴になったときに、この優れた基本構造から少し外れています。ユニット化された8枚羽根絞りを採用したことにより、それまで内部鏡胴として分かれていたものを、外部鏡胴であるヘリコイド装置内筒にすべて取り付ける構造としているのです。

 このことにより、最小絞り開度の調整が少し厄介になりました。ヘリコイド内筒先端外周部にある3本の芋ビスを緩めることで絞りユニットの位置を動かし、そのことで最小絞り開度を調整する仕組みになりました。この芋ビスにアクセスするためには、ピント環を外さなければなりません。その分 、整備性が落ちることになりました。

 また、レンズ玉を取り出すためには、絞りユニットを外さなければ、その奥の後群貼り合せ玉を抜き取れません。内部鏡胴から前後のレンズホルダーを抜き出してそれを行える先代の方が 、整備性が勝っていたということです。絞り装置をユニット化するメリットと引き換えにした改悪なのですが、単に製造時の組立能率という点では、改良となっていたのかもしれません。

●「Super-Takumar 1:3.5/28」の飾銘板は、フツーのゴム道具では回せない。

 飾銘板が細くて、その内側にレンズ押さえリングが飾銘板より前に出ている「Super-Takumar 1:3.5/28」などのようなタイプの交換レンズは、椅子の脚ゴムなどで自作したものや市販のゴム道具では飾銘板に直接届かず、レンズホルダーごと共回しになってしまいます。これでうまく行けば良いのですが、時として飾銘板がロックナット状態になって、ゴムの摩擦力では進退極まることがあります。これを避けるためには、飾銘板にだけ摩擦力を伝えられる形状のゴム道具が必要になります。

 この必要な形状をゴムの切削出行うのはなかなか困難です。そこで簡便な方法を思い付きましたので紹介します。

 直径4mm内径2mmのゴムまたはシリコーンチューブを入手し、これを輪がねて飾銘板と同径にします。チューブの両端は中に綿棒の軸を2cm程度に切ったものを挿入して繋ぎます。接合には弾性接着剤を使います。これで完成です。

 この輪を既存のゴム道具で押さえ付けて回せば、細い飾銘板だけが回せますから、レンズホルダー共回りによる弊害を避けることができます。ゴムチューブは東急ハンズとかホームセンターなどで入手容易です。

●「Super-Multi-Coated TAKUMAR」と「SMC TAKUMAR」は、同じ一連のレンズシリアル番号を付番しているらしい。

 この時期の旭光学のレンズシリアル番号の付番の仕方としては、同じレンズ構成のものは一連のシリアル番号を付番していた形跡があります。例えば「1:1.8/55」は、プリセットの「Takumar」から始って半自動絞りの「Auto-Takumar」、全自動絞りの「Auto-Takumar」、「Super-Takumar」と言う具合に、連綿と一連のシリアル番号を付番していたようです。そのため、開始時期は前後するものの、同時並行して製造された「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」と「SMC TAKUMAR 1:1.8/55」とは、混在したシリアル番号帯のものがあります。

 また、この混在は「Super-Takumar 1:1.8/55」にも見られます。「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」に付番されていた番号帯のものが付番されている「Super-Takumar 1:1.8/55」があり、そしてこれは開放測光鏡胴なのです。

 つまり、「Super-Takumar 1:1.8/55」と「Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:1.8/55」も同時期に製造されていて、前者は単コートレンズ、後者は7層マルチコートレンズが組み込まれていたということでしょう。いずれも「SP」のセットレンズとして販売され、その時点ではその開放測光機能が使われてはいなかったということでしょう。開放測光鏡胴への変更は、来るべき「ES」のために事前に行われたということになります。そのときにレンズ名称にそのことを反映させなかったのは、それまでの改変時と同じ考え方の延長だった可能性があります。

 

●「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」と「smc PENTAX M 1:1.7 50mm」は、外見上の小変更を3回行っている。

 Mレンズシリーズの中の「smc PENTAX M 1:1.4 50mm」と「smc PENTAX M 1:1.7 50mm」は、ベストセラーとなったMEシリーズカメラのセットレンズとして数多く製造されましたが、その全製造期間を通じて4種類の鏡胴が存在します。つまり3回変更を行っているということです。

 最初の変更は、被写界深度指標リングに左右2ヵ所付いていたローレットを廃止したことです。このローレットは先代Kレンズ以来の意匠でしたが、おそらくコストダウンのために廃止されたのでしょう。これが有った方がレンズ脱着時に手がかりとなって良いのですが、無くてもさほど困らないので省略とされたのでしょう。

 次の変更は、被写界深度指標リング背面にあった「LENS MADE IN JAPAN」刻印の廃止です。これはコストダウンのほかに、外国での製造が始ったためなのかもしれません。

 最後の変更は、上記しているマウント金具面のロックピン受け穴形状の変更です。従前の「U字形」から「楕円形」への変更ということです。

 この外にも変更を行っている可能性はあるのですが、それを見つけるのも愉しみのひとつ…

 この鏡胴の小変更は他の種類の交換レンズでも行われていますが、広角系は標準系と同様なものの、鏡胴の長い望遠系はローレットの省略は行われていません。脱着時の持ち易さを優先したと考えられます。刻印の廃止はすべて同時期に行われたものと思われます。

●レンズシリアル番号の付番方法には謎が一杯。

 亭主は「Super-Takumar 1:1.4/50」の系譜について探求しているのですが、その中で気付いたこととして、レンズシリアル番号の付番方法があります。現在発見されているその始りは「765***」で、その構造形式からして、どうも、これが最も初期のものらしいと思っています。

 次に現れる構造形式のものは「97****」と「99****」ですが、その間の「98****」は未発見なので、これは存在しなかった可能性があります。

 6桁のレンズシリアル番号としては、外に「766***」があるのですが、亭主が所持しているものは「97****」より後の時期の新しい構造形式なのです。

 次に現れるのは7桁となった「103****」ですが、これは「97****」と同じ構造形式のようです。しかし、中には赤外指標にRを省略したものがあったりと、疑問の残るものです。

 「106****」がその次に現れる番号帯で、その前の「104****」と「105****」は未発見です。これは「766***」と同じ構造形式となり、これが1964年7月に一般市販されたものと考えられます。それ以前のものより絞り環の幅が1mm増やされて、操作性が向上しています。

 それでは、それ以前のレンズシリアル番号帯のものは何かということが疑問として浮かび上がります。亭主は、試作品あるいは試供品なのではないかと思っています。プロの写真家や主要な写真スタジオなどで「β版」として評価してもらったり、広告用画像撮影のために宣伝担当などに配置する用途として作られたものが「765***」で、それを小修正して、全国の販売網に試供品として配布したのが「97****」、「99****」そして「103****」なのであろうと考えています。この試供の中で、絞り環の幅が狭いという意見が出て、改良した「766***」を再「β版」として配布し、その後、実際に販売に至ったのが「106****」からなのだろうと推定しています。

 ちなみに、「766135」という個体が、アサヒカメラ1964年10月号の中の「SP」の広告写真に写っています。 この個体は「765***」と同様な最も初期の構造形式を備えています。その号の「ニューフェイス診断室」で使われたのが「1063809」です。

 2013年7月発見の「766156」は「765***」ではなく、実売型と思われる「106****」以降の構造形式を備えています。前の所有者の証言では九州熊本のカメラ店の廃業時に入手したとのことですから、6桁のものが販売網に配られた可能性を示唆するものです。

 以上は断片的な資料に基づいた亭主の憶測でしかありませんが、今のところ、かなり正鵠を射ている気がしています。

 また、販売開始後のレンズシリアル番号についても疑問の点があります。8枚玉から7枚玉に変わる少し前、「14*****」という番号帯の内、かなりの幅で中抜け的に未発見なのです。「141****」は8枚玉なのに「142****」は7枚玉、「143****」から「146****」は未発見で、「147****」からは8枚玉という具合です。その8枚玉の終わりは「158****」のようですから、このことから見えてくるのは、「142****」は7枚玉の「β版」ということでしょうか。

 さらに、7枚玉になってからの「16*****」も、中抜けが顕著のような気がします。7枚玉は「164****」からの販売なのではないかという疑いが濃厚となっています。構造形式の切替にあたっては、レンズシリアル番号の混在や空白があるようです。どうも一連の番号としてしっかりと計画管理されていなかったのではないかというのが亭主の結論…

 「Super-Takumar 1:1.4/50」と同時期に開発が進められていた旭光学工業初のマクロレンズ「Macro-Takumar 1:4/50」にも6桁レンズシリアル番号「78****」と「79****」が存在し、これらは7桁レンズシリアル番号の市販判とは外観が一部異なっていたことから、この「7」で始まる6桁レンズシリアル番号は、当時の試作品(β版)に与えられていたことが強く推定できます。 

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●PENTAXの角レール簡易型ベローズ装置「BELLOWS UNIT」には、派生型が5種類ある。

 角レールになった最初の簡易型ベローズ装置は「BELLWOS UNIT U」で、これは「Sマウント」ですが、「Kマウント」化後には「BELLOWS UNIT K」が登場しています。これは、前後のマウントを「Sマウント」から「Kマウント」に換装した以外に、カメラ台座のマウント金具止めつまみネジの位置を上部から右横部に移しています。

 この変更は、「K2」などペンタ部の前部出っ張りとの干渉を避けるために行ったものと思われます。取扱説明書に使われている画像では、まだ上部のままです。ごく初期に販売されたものには、上部にあるものがあるのかもしれません。

 なお、カメラ台座のマウント金具取付穴径はそれまでの40mmではなく、同時に開発された「AUTO BELLOWS K」と同じ48mmになっています。

 「Mシリーズ」カメラが誕生すると「BELLOWS UNIT V」が登場しますが、これは、レンズ台座のマウント部を「BELLOWS UNIT K」より簡易なユニット式のものに変更したものです。この変更は、マウント金具を他の装置と共用するためのものかもしれません。これにより、最短光路は少し長くなりました。カメラ台座のマウント金具止めつまみネジは上部です。

 また、カメラ台座のマウント金具取付穴径を「BELLOWS UNIT U」と同じ40mmに戻していて、「Sマウント」を別売しています。

 この「BELLOWS UNIT V」は、すぐにカメラ台座の角レールへの固定方法を変更しています。それまでのレバーによる「締付法」をダイヤルによる「押付法」に変えているのです。これはコストダウンのためと思われます。この変更時期が、マウント金具のロックピン受け穴の形状変更の時期と同一だったのかどうかは不明です。

 その他にも、マウント金具の厚さやレンズ台座、カメラ台座の厚さを少なくし、合計で4mm最短光路を短くしています。

 結局、角レールになってからの「BELLOWS UNIT」としては、現在判明している限りでは、5種類ということになります。 実際に市販されたのは4種類かもしれません。

●飾銘板の文字列の位置について

 交換レンズをカメラに取り付けた時に、飾銘板の文字の位置に拘るという無駄があります。その位置がどうであろうと、レンズの性能とはまったく無関係なのですが、その見た目としては、大いに気になることです。

 特に、交換レンズを物撮りしたときに、レンズ側面の距離指標などの位置と、飾銘板の表記の位置とが、画面に収まることが重要なことなのです。レンズの固有情報として、焦点距離と開放F値は必要なものです。これと距離指標や絞り環の絞り値とが、すべて鮮明に見える位置になることが、その交換レンズの素性を表す重要な要素なのです。

 この為には、飾銘板を捻じ込んであるフィルター取付枠の取付位置を整える必要があります。PENTAXの交換レンズの場合、このフィルター取付枠は、120度の間隔で3本の小ビスによってヘリコイド内筒に取り付けています。このため、フィルター取付枠を120度ずつ回して取付位置を変えることで、飾銘板の表記の位置を変更することが出来るのです。

 飾銘板のネジ溝切り始め位置がどれも同じであるならば、また、フィルター取付枠のネジ溝切り始め位置が同じであるのならば、どれもほとんど同じ位置に出来るはずなのですが、その無駄な検証をして見ようと志向する無駄こそ愛し…

 亭主が所蔵する複数の「8枚玉タクマー」については、そのすべてを一定の位置へと整えましたが、そのレンズシリアル番号帯ごとに、ネジ溝の切り始め位置が微妙に異なっているという事実を発見してしまいました。

 しかし、おおむね必要な位置へと表記を整えられたので、気分は壮快…

 なお、レンズシリアル番号帯ごとに飾銘板表記位置に違いがあることで、これが異なる位置になる個体があったとすると、それは二個一改造を受けている可能性を示唆します。それくらい特有な傾向がありますので、その全容を明示するという壮大な無駄計画は、文化活動そのものか…

 

●折り畳めない1本丸レール白ステッカーの謎

 旭光学工業は「PENTAX S3」の時代に、1本丸レールを折り畳めないものに仕様変更しました。「PENTAX S2」前期型の時代までは「BELLOWS UNITS」という名称で折り畳める1本丸レールだったのです。この理由はコスト削減のためもあったのでしょうが、ユーザーの質の変化に応じたものだったのかもしれません。折り畳み機構が脆弱で、ユーザー層の拡大と共に機器の取り扱いに無頓着な層が増えて、その連中からの破損し易いという苦情が増えたのだと思います。

 折り畳めない1本丸レールとなった製品には従前の「黒地ビス止め式」ネームプレートをあらためて「白地ステッカー式」ネームプレートを採用しています。これは小林精機製作所がOEM製造した同時代の各社向け製品に共通の仕様変更です。

 この「白地ステッカー式」ネームプレートのものに「BELLOWSCOPE」と表記されたものと、「BELLOWS UNIT」と表記されたものとが存在するのです。表記以外に違いは全く無いのですが、この2種類が存在することが謎なのです。

 そして、「BELLOWSCOP」と表記された品は「BELLOWS UNIT」と表記された外箱に入っていました。このことが謎を解くカギの一つと考えます。

 一方、折り畳める1本丸レールの特徴の一部を備えた折り畳めない1本丸レール「黒地ビス止め式」ステッカーの品が存在していて、その表記は「BELLOWS UNIT」なのです。これも謎解きのカギの一つでしょう。

 それではこの二つのカギを使って謎解きを試みることにします。「BELLOWSCOP」というのはOEM製造者の小林精機製作所が使っていた機器名称です。この名称で自社ブランド以外にも各社向けOEM製品を作っていました。旭光学工業も初期にはそれを用いています。これが変えられたのは前記したように、「PENTAX S2」前期型の時代に「BELLOWS UNITS」と命名したのが始めです。この時期、独自製品という風潮が高まったのかもしれません。

 旭光学工業は折り畳めない1本丸レールを新発売する際に、事前に「黒地ビス止め式」のものを試作させました。それを製品化することにして、「BELLOWS UNIT」と表記した外箱を箱屋に発注しました。小林精機製作所には折り畳めない1本丸レールの新製品を発注しました。しかし、このときにその製品名称を「BELLOWS UNIT」とすることを伝え忘れたのです。

 新製品を受注した小林精機製作所は、他社のためのOEM製造品と同じく「BELLOWSCOPE」という製品名称でOEM製造を行い、それを旭光学工業に納品しました。外箱に中身を組み込んだのがどちらなのかは分かりませんが、外箱は「BELLOWS UNIT」なのに、中身は「BELLOWSCOP」という製品が誕生してしまったということです。

 小林精機製作所が受注ミスしたのなら作り直すのが当然なのでしょうが、旭光学工業の発注ミスでは受け入れざるをえなかったのでしょう。そのまま販売されることになりました。あるいは販売開始時には旭光学工業側はこのミスマッチに気付いていなかった可能性もあります。

 次の発注ロットからは「BELLOWS UNIT」になったのは当然のことでしょう。そもそも「黒地ビス止め式」の試作品に「BELLOWS UNIT」という製品名称を与えていたのですから…

 この謎解きが正鵠を射ているのかは霧の中なのですが、亭主の想像の中ではかなり鮮明な図式です。当時、小林精機製作所はかなり杜撰な仕事をしていた証拠を亭主は掴んでいます。また、その製品を受け入れしていたカメラ会社側も検品が杜撰だった例を手中にしています。それが当時の商慣習だったのかなどと想像をたくましくするなり…

 

●ダブルレリーズが「前期型」から「後期型」へと替わった時期の考察

 歴代のPENTAX AUTO BELLOWSにはダブルレリーズがセットとしてバンドルされていますが、それには「前期型」と「後期型」があり、その入れ替わりの時期は3代目である「AUTO BELLOWS M」のうち、前期型の途中です。Mシリーズのカメラは1976年に発売されていて、それが後期型に変わったのは1980年ですから、その間のどこかで入れ替わりが行われたことになります。

 亭主が2014年9月に元箱入りの「AUTO BELLOWS M」セットを入手したのですが、それはカメラ側マウント金具が前期型のものでした。バンドルされていたのは後期型のダブルレリーズです。そして、入っていた使用説明書の印刷は1978年7月であり、その表紙の画像には前期型のダブルレリーズが写っていますし、説明文の内容も前期型についてです。

 また、その使用説明書にはダブルレリーズ後期型の使用方法を記したページが挟み込まれていました。

 これらのことから推測できるのは、「AUTO BELLOWS M」が誕生したのは1978年7月なのかもしれないということです。Mシリーズカメラの誕生は1976年のことですが、ほとんどのMシリーズレンズの誕生は翌年の1977年のことです。「AUTO BELLOWS M」もまた、どんなに早くとも1977年以降の誕生ということだと考えられます。そうであれば、使用説明書の印刷時期に誕生したと考えるのが妥当だと思います。しかし、これは1977年印刷の使用説明書が発掘されれば覆ることですが…

 それでは「ダブルレリーズ後期型」への変更時期は何時なのかという問題が生じます。「AUTO BELLOWS M」誕生時に前期型がバンドルされていたのは、亭主が実物セットを入手していることから確かなことです。そうすると、変更時期は1978年から1980年の間であるということになります。

●「AUTO BELLOWS」初代は、世に出てからの変更がハンパ無い

 「AUTO BELLOWS」初代は「ASAHI PENTAX SP」の時代になってから世に出たものと思われますが、亭主が行った発掘により、その初期において改変を繰り返していたことが分かりました。2014年に「前期型」と「 中期型A」を相次いで発掘し、それまでに発掘済みの「中期型C」と「後期型」を合わせて、4つもの型があることが判明しています。そのうちほとんどの期間は「後期型」が占めていると思われますので、他の型が中古市場に出現することは稀のようです。

 それぞれの型がどれくらい製造されて、今どれくらい残存しているのかまったく不明ですが、半世紀近くを経た機械遺産とでも言うべき存在ですから、これからも大事にせねば…

 なお、2015年2月に新型を発掘し、これを「中期型B」と分類しました。その際に分かったことを反映して、既存の全体の分類を修正しました。その結果、5つの型の存在を現物確認したことになります。

●引き伸ばしレンズの中には、マウントに下駄を履いているものがある

 引き伸ばしレンズのマウントは、ライカL(M39 P=1/26inch)が殆んどです。特に、焦点距離105mm以下のものはすべてだと言っても過言ではありません。そんな中で、本来のマウントの上に下駄リングを重ねているものがあるのです。下駄リングの雄マウントはライカL(M39 P=1/26inch)なので、他の引き伸ばしレンズと同じように使え、特に下駄履きであることを意識しないで使うことが出来ます。出荷時には下駄履き状態なので、それがそうなっていることを知らずに使っている人が多いのではないかと思われます。

 そんな下駄履き引き伸ばしレンズはどれなのかと言うと、日本光学と富士写真光機の製品にあります。日本光学は「EL-NIKKOR」シリーズの旧タイプのうち、オルソメター型のレンズ構成の機種にそれが用いられています。具体的には焦点距離80mm以上の機種です。

 これらは、本来のマウントは「M32.5・P=0.5」です。その上に雄マウントがライカL(M39 P=1/26inch)の下駄リングを履かせています。

 それでは「M32.5・P=0.5」というマウントはどのような用途なのだという疑問が湧きます。亭主は日本光学が意図したその用途を見つけられずにいるのですが、ネジ規格から判断できることは、コパルなどの0番レンズシャッターのフランジ部の規格がそれなのです。つまり中判カメラに取り付けることが出来るということです。

 しかし、下駄リングを外した状態だとマウントのフランジ面からレンズ群が大きく出ていることから、0番レンズシャッターに取り付けたとしても、肝心のシャッター機能を利用出来ません。これでは取り付けられるというだけになってしまいそうです。まだ謎の解決にはなっていないようです。

 もう一つの機種として、富士写真光機の「FUJINON-E」及びその後継「FUJININ-EP」シリーズがあります。これらは、それまでのテッサー型レンズ構成からオルソメター型レンズ構成へと変更した機種です。そのためレンズ群の全長が長く、これを鏡胴内に収めるための工夫として、接写リング形式の下駄を履かせたようです。

 この下駄を履いた状態だとレンズ群全体が鏡胴内に収まるのですが、下駄を脱がせると後群が大きく飛び出します。この辺の鏡胴処理の意図がどのようなものだったのかは各自忖度する楽しみとして、この下駄履き構造であることを販売時に公表していたのかどうかということに関しては情報を得られていません。

 下駄リングは非常に強固に捻じ込まれていますから、通常は素手で回せません。接合面も目立たない造りになっています。亭主もそれに気付いたのは入手後随分経ってからの事です。

 引き伸ばしレンズとして本来用途で使う分には下駄を脱がすことなど考える必要が無さそうです。しかし、一般撮影用に使う場合、その分フランジフォーカスが短くなっているので、ヘリコイド装置等を置くスペースが不足する場合があります。特に焦点距離50mmでは 、ミラーレス一眼でも非常に難しくなります。

 これの場合、フランジフォーカスは37mmです。下駄リングの光軸は7mmなので、これを脱がせばフランジフォーカス44mmとなりますから、 ミラーレス一眼なら無限遠撮影から近接撮影までが楽々成立することになります。

 他の焦点距離のものについても、フランジフォーカスは長めの方が操作性は向上しますから、一般撮影用に使うためには下駄を脱がすことが重要です。

 ただし、焦点距離135mmのものには下駄を履かせていません。レンズ口径が大きくなるため、その設置余地が無かったせいでしょう。

 なお、これらと良く似た鏡胴意匠のものとして「FUJINON-ES」シリーズがありますが、これらは従前のレンズ構成であるテッサー型ですから下駄を履かせていません。ゆめゆめ脱がそうなどとは思わぬように…

●今売られている裏糊付きモルトプレーンは、貼り替えても10年後にはベタベタになるから、やるだけ無駄

 亭主は10年以上前に「ME」の分解整備に熱中していたことがあるのですが、そのころ裏蓋の光止めやミラーダンパーなどに使った「裏糊付きモルト」は、今ではベタベタになっています。ウレタンの加水分解というやつで、どうにもなりません。これを使っての修理は止めておきましょう。書道下敷きに使う黒のフエルトとか、毛糸とかを用いるのが「正解」です。レンズ接着剤のバルサム切れを始めとして、化学製品はどうも信用ならん…

●ケーブルスイッチFにも前期型と後期型が存在する

 AUTO BELLOWSをAUTOで使うために必要不可欠なダブルレリーズを現役デジタル一眼レフで使えるようにするために必要な「レリーズアダプター」への改造素材として亭主が推奨している「ケーブルスイッチF」ですが、これにも前期型と後期型が存在することが判明しました。ちなみに、これまで亭主が改造に使用していたのは前期型だけです。

 後期型は、内部のマイクロスイッチが変更になっています。前期型の半押しと全押しの二段構造となっていたものを、全押しだけをマイクロスイッチとし、半押しは単なるスライド接点になった、リターンバネを内蔵したユニットを使用しています。このことにより内部の空間が少し狭くなったので、ケーブルレリーズを取り付ける部分を設け難くなりました。改造に使用するなら、前期型を選んだ方がいいでしょう。

 ところで、この変更は2001年に行われた可能性があります。後期型使用説明書の印刷年月がそうなっているからです。

 外見からの見分け方は、組立に使用している3本のビスの表面仕上げだけです。クロームメッキのものが前期型で、黒色仕上げのものは後期型です。この変更の目的は、部品の簡素化、ユニット化によるコストダウンだと思います。

●同じ「KA」マウント金具でも前期型と後期型が存在する

 

 「KAマウント」というのはマウント面に6個の電気的接点を設けて、それにより交換レンズの情報をカメラ側に伝達する仕組みを持たせています。その6個の電気的接点というのは、交換レンズ側では単なる導通か絶縁かの機能しか持ちません。「ROM」などの電子的部品は一切搭載していないのです。

 交換レンズ側の6個の電気的接点に「導通」か「絶縁」かの機能を与える方法として、「導通」ならマウント面に何の加工を施さなくても事足ります。「絶縁」の場合は当該部分に穴を開け、そこに絶縁材を充填しています。ところが、「導通」の場合にわざわざ穴を開けて、そこに金属を充填している例が数多くの機種で存在しているのです。

 そもそも上から見て「3番接点」というのは絞り環が「A位置」にしてあることを伝達するのが役割です。カメラ側の「3番接点」はマウント面より引っ込んでいますから、KAマウントより前の交換レンズの場合、「絶縁」となります。KAマウントの場合、絞り環を「A位置」にすると「3番接点」がマウント面より飛び出し、他の位置にするとマウント面より飛び出さなくなる構造の機種が大多数です。つまり、「3番接点」そのものがスイッチとして作られているのです。なお、機種によってはこの「3番接点」が常にマウント面より飛び出しているものもあります。それについては鏡胴内に別にスイッチが設けてあり、それと「3番接点」が電線等で結ばれているのです。

 3番以外の接点は可動式ではありません。単にカメラ側の可動式接点と接触して「導通」か「絶縁」かによりレンズ情報を伝達するのです。その不動の接点の内、「絶縁」についてはマウント面に穴を開けて絶縁材を充填しなければならないのは当然のことと理解できるのですが、「導通」場所に穴を開けて金属を充填する理由が分かりませんでした。

 当初、「1番接点」にはすべて穴が開けられていました。これはそこを「絶縁」とすべき機種が多かったために、製造工程上、全部に穴を開けた方がやり易かったのかもしれません。そこに「導通」が必要な少数派の機種については金属を充填したのだと思います。

 「4番」と「5番」については機種ごとの必要性が多様だったために後から穴明け加工を行ったのだと思いますが、その時でも他の接点の組み合わせが同一なものは「絶縁」の必要性を優先して穴明けを行い、その必要のない機種のためにはそこに金属を充填したのだと思われます。この金属充填の接点を持つマウント金具が使われているのが前期型ということになります。

 後期型ではこの金属充填が行われなくなり、「絶縁」用の穴だけが開けられるようになります。工作機械の機能が上がって、多様な変更が容易に出来るようになったのではないかと考えています。

 

 なお、最後まで金属充填のあるマウント金具を使用している機種も存在しています。それは最後までカタログに乗っていたAレンズ「smc PENTAX-A 1:1.2 50mm」です。これのマウント金具は「smc PENTAX-A 1:1.7 50mm」前期型のマウント金具の「5番」絶縁用穴に金属を充填しています。ロットとしてある程度の数を製造したものの、それを使い切るほどには「smc PENTAX-A 1:1.2 50mm」が売れなかったのではないかと推察しています。高価でしたからね…

 ちなみに、「smc PENTAX-A 1:1.2 50mm」用のマウント金具に必要な穴は「3番接点」用だけです。あとはすべて「導通」で良かったのですから、在庫部品が掃けなかったとしか考えられない…