項 目 |
説 明 |
歳勝土遺跡 |
弥生時代復元方形周溝墓、墓道 |
所在地 |
横浜市都筑区大棚西1番(大塚遺跡から南東側へ80mほど離れた同じ台地の上にあります) |
開園年月日 |
1996年(平成8年)3月23日(大塚・歳勝土遺跡範囲) |
遺跡公園全体 |
1997年(平成9年)3月29日(遺跡公園全体) |
概要 |
縄文時代中期の集落、弥生時代後期の集落と墓地、中世の火葬墓などが発見 |
「歳勝土遺跡」の由来 |
土地の字名にちなんでいます。『中川の地名』では「カブトムシやクワガタムシをさいかち虫と呼び、それらの虫が発生する場所につけられた地名」と記載されています。『中川の地名』(神奈川県都筑郡中川村)吉野孝三郎 1983年 |
遺跡の主体 |
弥生時代中期の方形周溝墓とよばれる墓。25基が整然と並んで発見されました。周辺の未調査部分を含めると総数は30基余りになると考えられます。
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墓の人々 |
大塚遺跡の人々の墓地であったと推定されます。周りを囲む溝から出土した土器が、大塚遺跡と同時期のものであることからこのように思われます。 |
大きさ |
一辺9.9m×6.2mの小型のもの。一辺が14.5m×14.9mの大型のもの |
形 |
平坦部に作られているものは、、四隅が切れた方形に4本の溝で区画されています。、台地縁辺の斜面地のものは「コ」の字形の溝を巡らしています。形状も違っています。作られた当時の姿は、溝を掘り上げた土を内側に低く塚状に盛り上げていたようです。
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方形周溝墓 |
中央に掘られた「主体部」と呼ばれる墓壙に木棺に納めた遺骸を埋葬したと考えられています。25基の周溝墓の中で主体部が確認されたのは14期のみです。本来は全てに主体部があったものと推定されます。周溝墓の中に、小児を葬った壺棺が埋設されていました。主体部の埋葬施設とは別に、溝内にも埋葬が見られます。方形周溝墓は血縁関係を有する複数の人々、例えば家長のような人を主体部に横溝にはその近親者などを葬った家族墓的な性格の強い墓と想定されます。
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