~ 俺のわんこ ~ わんこ誕生日編
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目を覚ましたのは外が明るくなっていたからだ。部屋の中の空気は大分冷えていたけれど、ベッドの中は温かかった。
それは当然だ。俺は大きな男にすっぽりと抱きこまれているのだから。
ここは若島津のマンションで、こいつのベッドの上だ。
俺はイタリアから日本に戻ってきて、一旦家に顔を出してからここに来た。久しぶりに会う恋人は嬉しそうに俺を出迎えてくれた。
そこまでは良かった。
(そこまでは別に良いけどよ・・・・!)
正直、こうして横になっていても身体がだるい。腰が重い。昨夜 といっても、日付が変わってからではあったけれど、散々好きなようにされた。
(そりゃあ、確かに何をしてもいいぞ、って言ったのは俺だけど・・!)
だけど限度ってものがあるだろう、と思う。
今日は若島津の誕生日だ。12月29日。冬の空気の澄んだ朝に生まれてきたのだと、前に若島津のおばさんが言っていた。その時も「ああ、若島津らしいな」と思ったのだけど、それは今でも変わらない。
俺は間近にある若島津の顔を見上げた。こいつの場合は女性ファンの方が圧倒的に男よりも多いと耳にするけれど、それも納得できるほどに綺麗な面をした男だった。ガキの頃から傍にいる俺でさえも、普通に見惚れることがある。
俺は若島津の腕の中で体の位置を変えると、指先を伸ばして通った鼻筋にそっと触れた。
それから朱くて薄い唇にも、シャープな線を見せている頬にも。
長い睫毛は子供の頃と変わらない。閉じられたままの目蓋にも触れると、ピクリと震えた。この覆いの向こうに隠されている瞳が、どれだけ綺麗なのかを俺はよく知っている。ふいに見たくなって、無理に指先でこじ開けようとしたら「・・・ふ、ふふ」と小さな笑い声が聞えた。
「お前、さっきから起きてんだろ。狸寝入りしてんじゃねえよ」
「違うよ。日向さんがベタベタ俺に触ってくるから、目が覚めたんだよ。だってくすぐったいし、嬉しいじゃん?・・・おはよ、日向さん」
「・・・おはよう。誕生日おめでとう。若島津」
若島津は嬉しそうに笑って、俺の唇にキスをした。それから額にも頬にも髪にも、あいつから見えているあらゆる所に、ちゅ、ちゅ、と音をたててキスをしてくる。
「ありがと。日向さん。大好きだよ。・・・昨日と今日と、俺と一緒にいてくれてありがとう」
起き抜けのくせして、ものすごく綺麗な笑顔を見せてくるものだから、「ああ、やっぱりこいつのことが好きだなあ」なんて思ってしまった。機嫌よく俺の腰を抱き寄せる若島津の首に手を回し、深く唇を重ねた。
「今日、どっか買い物いくか?」
「買い物?何、日向さん、買いたいものあるの?」
だったら付き合うけれど、と若島津が洗面所から返事をする。俺は洗面所を覗きこんで、シェーバーを操る若島津を後ろから眺めた。
不思議なものだな、と思う。
初めて会った頃は、当然お互いに髭なんて生えても来ない子供だった。そして俺が恋心を抱いたのは、そんな可愛らしい頃のこいつだった筈だ。
それが成長するにつれて、筋肉をつけて、太くなって。身長もますます伸びて、アソコの毛も生えて髭も生えて。高校時代には、こいつは周りの奴らに比べても随分と大人の男に近い体つきになっていた。
それでも俺の恋愛の対象から、この男が外れることは無かった。普通に女性との付き合いに憧れることもあったから、俺は自分のことをゲイだとは思っていないけれど、それでも若島津だけは別だった。それが長いこと自分でも不思議だったけれど、結局はこれまでに付き合ったのは男も女も含めてこいつだけだ。
「お前の誕生日プレゼント、買いに行こうぜ」
「え?ほんと?俺にプレゼント、くれるの?」
鏡越しに目が合った。電動シェーバーの電源を一旦切ったあいつは、「嬉しい。ありがとうね。日向さん」と満面の笑みを浮かべる。それから振り返って、俺を抱きしめた。
(あ。・・・久々に見たな)
ぎゅうぎゅうと抱き締める腕に力をこめてくる若島津は、歓びを全身で表すわんこのようだ。俺は昔よくやったように、脳内でこの男を犬変換した。
耳をペタンと後ろに寝せて、ふっさふさの尻尾をちぎれんばかりに振っている。ハッハッと呼吸も荒くじゃれてくるのが可愛かった。
「お前、相変わらず可愛いなあ・・・」
長い髪をわしゃわしゃしながら感嘆したように呟けば、俺のわんこは「もっと褒めて、もっと撫でて」というように身体を擦り付けてきた。
「そんなんで良かったのかよ・・・」
「どうして?嬉しいよ。気にいるのが見つかって、良かった。ありがとうね」
二人で出かけたショッピングモールの中で、若島津が俺を連れていったのは目立たない場所にあるセレクトショップだった。店舗内はそれほど広くはないけれど、趣味のいい男物の服や小物が整然と陳列されていて、俺でも眺めていて楽しいと思えた。
「何でもいいぞ」と言っておいたにも関わらず、若島津が誕生日プレゼントに選んだのは一揃いの手袋だった。深いグリーンの発色が綺麗な一品で、上質な柔らかい皮で出来ている。店員によれば内側にカシミアが張られているから真冬でも十分に温かいとのことで、確かに若島津によく似合っていた。
「日向さんも、気に入ったのあったんじゃないの?黒の皮の、ブルーのラインが入ったのを見てたよね。買っていけばよかったのに」
「んー。・・・そうだな。また次に来た時あったら、買うかな」
「まあでも、これもイタリア製なんだものね。日向さんがあっちに戻ってから買えば、いいのが安く手に入るね」
若島津はショップの紙袋を片手に下げて、そう笑った。俺は曖昧な返事をした。
外出してきた一番の目的は果たしたので、これからどうするかということを若島津と話していると、遠慮がちではあるが「あの、日向選手ですよね・・?」と横から声を掛けられた。そちらに顔を向けてみれば、二十歳そこそこと思しき女の子二人組が胸の前で手を組んで立っていた。
「そう、ですけれど・・・」と答えると、きゃあ、と小さく悲鳴を上げる。思わず隣に立つ若島津を見上げれば、忌々しそうな顔をしていた。気が付けば周りにいる客たちも、遠巻きではあるけれども俺たちを囲むようにして立ち止まっている。
「・・・日向さん、帰ろう」
「でも、夕飯の材料とか」
「後で近くのスーパーに行けばいいよ。そっちの方が静かに買い物できそう」
「そうだな」
ファンなんです、握手してください、できれば写真を、という女の子たちには若島津が「今日は完全プライベートだから」と断りを入れた。俺はこういう時、少しくらいファンサービスをしてもいいかと思っているのだけれど、若島津は「こういうところで声を掛けてくるファンは、わざわざ試合や練習を見に足を運んでくれるファンとは違うでしょ」と言って割り切っている。
残念そうな顔をする彼女たちに、俺は「応援ありがとう。今日はごめんね?」と振り返って詫びたが、彼女たちが一段と高い嬌声を上げるのと同時に耳元で低い舌打ちが聞こえた。
俺は誰にも見えないように上手く上着で隠して、若島津の脇腹に一発肘を入れた。
「いつまで拗ねてんだよ」
「・・・拗ねてません」
「拗ねてんだろ」
「拗ねてませんってば」
なんだかガキの頃と変わらない遣り取りを繰り返してんな、と思うと自分でもおかしくなる。つい笑ってしまい、若島津にじとっと睨まれた。
「・・・あんたって人は、人の気も知らないで」
「言ってくれなきゃ、分かんねーもん。俺にお前の不機嫌の理由が分かれば、今日この日にわざわざ怒らせたりしねえよ」
とか言って。実際にはこいつがどうして拗ねているなんて、お見通しなんだけれど。
だけどさっきからへそを曲げているこいつが割と楽しいので、これはこれでいいかと俺は様子を見ることにした。
若島津は拗ねてはいるけれど、別に俺に対して腹を立てている訳じゃ無い。だから問いかければ答えてもくるし、正直、本当は俺に構って欲しくて甘えたくてうずうずしているのが丸わかりだ。俺のわんこは、本当に可愛い。頭をグリグリしたくなるほどだ。
結局あれからすぐに家に帰ってきて、一休みしてから近くのスーパーに歩いていった。若島津の言う通り、チラチラと見られることはあったけれど、人に囲まれることもなく落ち着いて食材選びが出来た。
そして今はそのスーパーからの帰り道だ。一応は勝手に拗ねていることのお仕置きをしなくちゃいけないよな、とわざと重いものばかりを詰めた袋を若島津に持たせているのだが、さすが現役空手家でサッカー選手だ。全く苦にならないらしい。軽いトレーニングと変わらないんじゃ、仕置きにならねえじゃねえかよ。
「・・・昔のあんただったら、あんな風に愛想を振りまいたりしなかった」
「それがムカついてんの?馬鹿だな、今はアマチュアじゃないだろ?俺たち、客あってのプロだろ?」
「あの子たちの歓声、聞いたでしょ?日向さんだって彼女たちから自分がどう見えるのか、分かっててやってるくせに」
「あんな適当な愛想笑いでよけりゃ、お前にだっていくらでも見せてやるけど」
2~3歩後ろを歩いてくる若島津を振り返り、俺はニっと笑いかける。さっきの女の子たち相手とは違う、自分でも自覚あるくらいに悪い笑み。
若島津が嫌そうな顔をして俺を眺めるから、おかしくなった俺は本当に笑った。
「・・・日向さん、イタリアに行ってから変わったよね」
「そうかな。俺はこっちに居た時からこんなだったと思うけどな」
「昔の日向さんは、あんまり他人を寄せ付けなかったよ。・・・だから俺があんなに独り占めできたのかな。でも今は、なんだか色んな人とあんたを分けなきゃいけないような気がする」
俺は立ち止まった。
「・・・ごめんね。くだらない焼きもちだよ。遠距離って、こんな風に余裕なくなっちゃうものなんだね」
若島津も同じように立ち止まって、ポツリと呟く。肩を落として悄然としている様子が、あの小学生だった冬の日の、俺が困らせた小さな若島津の姿と重なった。
俺は今のでかい図体をした可愛らしい男のところまで戻り、その鼻を軽くつまんでやった。
「・・・お前はほんと、手がかかるっつーか。・・・馬鹿だよなあ。俺があの子たちやファンにどんな顔を見せたってよ。お前に見せるものとは全く違うだろ?」
「・・・うん」
「それこそお前にしか見せない顔の方が多い訳だし。・・・お前、昨日だって俺のこと、散々好き放題したじゃねえかよ。あんな俺、お前にしか見せたことねえよ」
「それは、そうじゃなきゃ困るよ・・・」
俺のわんこはクウーン、と小さく鳴いた。
昨日 というより、正しくは日付が変わって今日になった途端に、この男は俺に襲いかかった。確かに「お前の誕生日は、一日お前の好きにしたらいい」と言ったのは俺だったけれど、まさか日を跨いだその瞬間から始まるとは思わなかった。
久々に会えたからというのもあるだろうけれど、俺の上で張り切って腰を振るコイツは、俺が何度「もう無理」「これ以上はイヤだ」と言っても、放してはくれなかった。おかげでいつ終わったのかも、いつ身体を綺麗にされたのかも俺は知らない。
(この俺がそこまで許しているのはお前だけだっていうのに、何の不安があるんだよ、このバカわんこ)
そう思っていても、思っているだけでは伝わらないことだって、既に大人になった俺には分かっているから 俺は首を伸ばして、わんこの頬にキスをした。
「・・・日向さん・・!ここ、外・・!」
「なあ。お前、俺のこと、もう全部知ってんの?・・・お前が知らない俺の顔が、まだあるかもよ?こんなところで拗ねてないで、早く帰って確かめてみたいと思わねえ?」
黒目勝ちの瞳を覗き込んで誘ってみれば、俺のわんこは頬を僅かに紅潮させて、目をキラキラと輝かせた。「わふ!」というように大きく頷いて、見えないしっぽを大きく振る。ほんと、現金な奴だ。
俺は荷物の一つをわんこから奪い取り、先にマンションに向かって歩き出した。
「・・う、ん・・っ・・あっ、うあっ」
結局、こうなるのかよ・・・という気もしない訳じゃ無いけれど。
だけど、恋人と離れて遠くにいることの辛さ、会えないもどかしさは、俺だってこいつと同じくらいに身に染みて感じている。
離れていれば会いたくなる。会ってしまえば離れたくなくなる。この何年かはその繰り返しだった。
だから、これでいいんだと思った。どこに行って何をする訳じゃ無くても、何を見る訳じゃ無くても、こうして抱き合えるのが一番いい。
後ろから俺を揺さぶる男は、何度も何度も「好き。日向さん、好き」と言ってくる。
馬鹿だな、そんなの分かってるよ。俺だってお前のこと、好きだよ そう言ってやると、大きな手で腰をわしづかみにされて、更に深く激しく突き上げられた。
「アアアッ・・・!・・・ふ、あぁっ・・・んんッ」
「日向さん・・・ね、イイ?ここ・・好きだよね・・?」
俺は上半身を保っていられなくてシーツに突っ伏した。突かれる度にくぐもった声が漏れる。奥まで届いているコイツが、徐々に俺の頭と身体を溶かして、グズグズにしてしまう。
だけど、その前に俺には伝えなくちゃいけないことがあった。
「・・・だけ・・っ」
「・・え?何?日向さん、何?」
俺の言葉が聞こえなかったからといって律動を止める若島津を、俺は「馬鹿、止まんなあ・・っ」と詰った。少しだけ涙混じりだったかもしれない。
俺をひっくり返した若島津は、嬉しそうな顔をして俺の目元を舐めた。その表情と低く笑う声がすごくやらしくて、俺はそれだけでも感じた。
「・・あっ、あっ、も・・や・・、そこ、やぁ・・!」
「うん。こっちもイイんだよね。・・俺だけが知ってるんだものね?日向さんの感じる所・・・」
「あ、んんっ、お前だけ、お前だけだから・・・っ!」
他の誰にだって、こんな風に触れることも触れさせることも無い。この先のことは分からないけれど、このままコイツしか知らなければどれだけ幸せだろうと思う。
だって、お前は俺が初めて好きになった奴なんだから。
一人でいいんだ。お前だけでいい。俺の時間を、俺の人生を誰にこれから分け与えるとしても、こういう意味で触れるのはお前だけでいい。お前だけがいい。
あれ?俺、今、思っていることが駄々漏れてんのかな。若島津がにっこにこ笑ってる・・・。
「うん。さっきから色々と駄々漏れてるよね。可愛い・・・。俺も、日向さんだけがいいよ。あんたに会えて、幸せだよ。」
そうか。漏れてんのか。まあいいか。お前、今幸せなのか。良かったな、わんこ。
「・・・わんこ?」
そこから先、俺の記憶は途絶えた。
腹がすいて目が覚めて、それから急いで俺は夕飯の支度をしている。
肉の上にかけるソースを作っている俺の後ろで、若島津が所在なさげにテーブルに頬杖をついて座っている。台所でのこいつはどうせ役立たずなんだから、ソファに座ってのんびりテレビでも見ていりゃいいのに。
だけどさっきから観察していると、目が合う訳じゃ無いのにチラチラとこっちを伺ってくるし、何か俺に言いたいことがあるらしい。
今度は何なんだよ、一体・・・と思いつつ、俺はさっき何かを口走っただろうかと考える。
こいつがこういうジトーっとした目をする時は、俺の失言が原因である場合が多いからだ。
「・・・あのさ。・・・日向さんさ・・」
きたきた。
俺はバルサミコ酢で作ったソースを味見しながら、背後のわんこを振り返る。
珍しく俺の可愛いわんこの目が据わっているような気がするんだけど、気のせいだろうか。
まあ、何を聞かれたとしても別にいいだろう。大概のことなら言いくるめられる自信はある。それくらいに長い付き合いだからな。
身体ごと振り向いて聞く体勢になった俺に向かって、若島津はゆっくりと唇を開いた。
「さっきあんたが言ってた、わんこ、って・・・何?」
若島津は、俺にしか見えないしっぽをゆるやかに振って、そう問うた。
END
2016.12.29
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