~ Vanilla function その後 ~2








「へえ~。松山の彼女って、巨乳なんだ?」
「・・・ングッ!」

宿泊棟の一角だった。
自分の部屋     日向と俺が使っている部屋へ向かう途中で、後ろからふいに首に腕を回されて絞められる。力づくで外させて振り向けば、そこにいたのは何やら含み笑いをした石崎だった。

「松山。自慢は別にいいけど、独りごとにしちゃ声がデカかったぜ」
「へ?」

間抜けなことに俺はその時になって初めて、自分の考えていたことが音になって伝わっていたことを知った。

「・・・どこから聞いてた?」
「ペッタンコと巨乳なんて、比べるまでも無いから!・・・ってとこ」
「うわあ・・・」

マジか。
思わずその場にへたりこむ。

よくよく見れば、石崎の他にも滝と来生と井沢までいた。俺が『やっちまった』って顔をしているのが面白いのか、どいつもこいつもニヤニヤ笑っている。ムカつくな、畜生!

「で、ペッタンコの胸ってのは誰のことだよ?」
「・・・別に、特定の誰かのことじゃねえし」
「でも巨乳の彼女と比べるくらいなんだろ?その貧乳の娘。浮気かよ~、松山」
「違う。いいから忘れろ」

勘弁してくれ。

大きく息を吐いて、立ち上がる。
ふいに視線を感じて石崎たちと反対側      俺たちの部屋がある方向の通路に目をやれば、そこに日向がいた。珍しく一人だった。

「・・・・・っ」

さいあく。
これ以上ないくらいに、最悪のタイミングだった。

日向はといえば、いかにも不愉快だと言わんばかりに眉を顰めて、口元を歪めている。きっと石崎たちと同じように、俺がさっき声に出した独り言を聞いてしまったのだろう。
視線が合ったけれど、日向の厳しい目つきは和らぐことは無かった。

「松山の趣味はよく知らねえけど、俺ならやっぱり貧乳の娘より、胸のある娘の方がいいなー」
「巨乳が嫌いな男なんていないだろ」
「うそ!俺は胸よりお尻派なんだけど」
「お前の性癖なんか、誰も聞いてねえよ!」

背後で南葛組が好き勝手に下世話な話で盛り上がっているが、俺には顧みる余裕が無い。気になるのは日向の反応だけだった。

    軽蔑、してるんだよな。この目つきって・・・)

日向はジャージのポケットに両手を突っ込み、心持ち顎を上げ、眇めた目で俺を見降ろしている。普通にしてれば美形なのに、今はかなり人相が悪い。凶悪ささえ感じさせた。

もしかして今の俺って、こいつの中では『巨乳の彼女を裏切って、貧乳の女の子と浮気した最低男』になっているんだろうか・・・      そう思うと何だかやるせなくて、脱力してしまう。

くだらないことを暢気に笑い合っては一層面白おかしく騒ぎ立てる石崎たちと、絶対零度のオーラを纏った日向と、この状況をどう収拾つければいいのか分からずに困り果てる俺と。

手のひらや背中に嫌な汗をかきながら、俺はこの苦行のような時間にひたすら耐えていた。








「ふああ・・・・・。疲れた・・・」

夕飯を食って風呂も終わった俺は、部屋に戻ってきてベッドに大の字になって寝転んだ。日向はまだ戻ってきていない。

結局あの後、通りかかった三杉に『親交を深めるのは結構だけれど、各々節度と品性を保つように。こんな場所で騒ぐだなんて、非常識だよ』と説教をされて、それであの場は収まった。

石崎達の興味本位の追求から逃れた俺は、そのあとは日向とすれ違うように行動してきたから、あれから姿を見ていない。もう少し経ったらこの部屋に戻ってくるのだろうけれど、その時にどんな顔をすればいいのかと思うと憂鬱だった。

「・・・別に、いいんだけどさ」

何だよ、俺。
日向からどう思われたって関係ないし、あいつの俺に対する態度なんか元々酷いもんじゃないか。大体、初対面の人間をいきなり殴りつけるような奴だぞ。そんな奴に蔑まれようが馬鹿にされようが、別に構わないじゃないか      

そんな風に考えようとしても、上手く切り替えができない。
日向に軽蔑されたかと思うと、胸の奥がチクリと痛む。そして俺は、本当はその痛みの意味するところも分かっている。単に認められないだけで。

「ああああぁ~~~~」

俺はベッドの上をゴロゴロと転がった。

部屋替えを拒んだのは俺だ。だけど例え部屋を替えていたって練習では一緒なのだし、どのみち合宿中に日向と顔を合わせないで過ごすだなんて不可能だ。
だから、こんなところでウダウダと悩んでいたって仕方が無いんだけど。

(もう、成るように成れだよな・・・)

そう。もう成るように成れ、だ。

俺が覚悟を決めたのをまるで見計らったように、部屋のドアが軽くノックされた。俺は身体を起こして、おう、と答えた。
ドアを開けて入ってきた日向は風呂の後に乾かしてこなかったらしく、髪が濡れている。

「おかえり」
「・・・ただいま」

先刻から続く動揺など気取られぬように、出来るだけ平静を装って俺は『おかえり』と声をかけた。日向もボソっとだが返事をしてくれた。
表情は相変わらず不機嫌そうに見えるが、とりあえずは挨拶だけでも言葉を交わせて良かった。

「あのさ、日向・・・。さっきのこと」

俺は日向にそっと話し掛けた。

「ごめん。不快にさせたんだよな」

ガシガシとタオルで髪の水気を拭きとっている日向に、廊下での件を謝罪する。
俺の方にそんなつもりは無かったとはいえ、俺の発したことが原因で石崎らが悪ノリして騒いでしまったのは確かだ。日向がそれを不愉快に感じたというなら、それは俺のせいだ。

日向とは小学生からの付き合いだけれど、こいつが下ネタを話題にしているのなんか見たこともない。おそらく、そういった面ではどちらかと言えば潔癖なのだと思えた。

「・・・お前さ。止めろよな。人がいる所で、あんなこと言うの」

濡れた頭にタオルを被った日向は、低い声音で俺を諫めた。

「うん・・・。ごめん、ほんと考えなしで。ああいう話、苦手な奴は苦手だもんな」

あいつらはともかく、お前に聞かせることじゃなかったと、そう謝ったら「違う。そうじゃねえ」と日向に否定された。
俺は日向の顔を見上げた。

「あんなことを人前で言われたら、お前の彼女が可哀想だろ。・・・単に可愛いとか、そんなのはいいだろうけどよ。身体つきのこととか・・・・きょ、巨乳とか、っていうのはよ」
「・・・日向」
「一瞬でも俺らなんかにそんなのを想像されたら、可哀想じゃねえか。女の子なのによ」
「え。・・・お前も、もしかして想像した・・・のか?」

こいつだって男なんだし驚くようなことじゃないのかもしれないけれど、意外な気がしてつい聞いてしまった。

「・・・馬鹿っ、誰がしたくてするかよッ!・・・じゃなくて!・・・・俺にも、妹がいるからよ。そういうのは、ヤなんだよ。妹に置き換えて見ちまうと、腹が立つ」

俺は思い出した。こいつの家には弟と妹が3人もいて、一番上の弟ですら結構年が離れていた筈だ。
日向家では父親が早くに亡くなっているから、こいつは弟妹たちにとっては父親代わりみたいなものなんだろう。その中でもただ一人の女の子である妹を、きっとこいつは誰よりも可愛がっているのに違いない。

「もしあんなことを言われてるのが直子・・・ウチの妹だとしたら、俺ならその場でその男どもをぶちのめすだろうからな」
「・・・こえーよ、お前」

日向は至極真面目な顔なのだが、それもまた俺には微笑ましく映った。俺は一人っ子だから、こんな兄貴をもった日向の弟妹たちが羨ましいとも思う。

「分かった。ほんとに悪かったよ。以後、気をつける」
「俺には別に謝る必要はねえけどよ。大事にしてやれよ、彼女のことは」
「ああ」

俺はもう一度日向に謝罪した。それから心の中で、藤沢にも。

そして同時に納得もしていた。なるほど、と思った。
東邦の奴らがこいつを盲目的に慕って、従う理由。それって多分、こういうことなんだ。
日向の表には見えにくいけれど愛情深いところを、あいつらは知っているんだ。態度は乱暴だし、目的のためには手段を選ばないようなところもあるけれど、実はこんなにも細やかで柔らかい心を持っている。
このことを知ったなら、おそらく誰でもこの男の虜になってしまうんじゃないだろうか。


それは俺も。
俺だって、決して例外ではない。

「お。そろそろミーティングの時間だな。行こうぜ、松山。遅刻したらシャレにならねえ」
「ああ。そうだな」

合宿中は団体行動なのであって、時間を守れない人間はメンバーから外すことも有り得ると、俺たちは最初の日に監督から脅されている。

早く行こうぜ、と部屋を出ようとする日向の手を掴んで、俺はその歩みを止めさせた。


どうするべきか。
どうあるべきか。


俺は男で、日向も男で、俺には大切な女の子がいて。
どうするかなんて、考えるまでも無いのに。


だけど頭を空っぽにして、自分の気持ちだけを正直に追ってしまえば      
俺は腕を引いて、日向のガッチリとした身体を引き寄せた。



驚いたように見開かれた、意外なほどに大きな瞳。
そこに映る自分の姿が段々と大きくなるのを見つめながら、俺はただ『成るように成れ』と、その言葉だけを呪文のように唱えていた。








END

2017.11.26

       back              top