~ 『好きになった方が負け』とは言うけれど、それって本当? ~2






見つめているだけで、胸の鼓動が速くなる。
まるでピッチの中を縦横無尽に駆け抜けた時のように。

だけどその時のような高揚感は無い。あるのはこれまで知らなかった『触れたい』という欲求と、そのことによる後ろめたさだけ。


消灯を過ぎて、さざ波のようだった寮内の騒音が引き始める頃、若島津と日向も自分のベッドに入った。しばらくして同室者が寝入っただろうと思われる頃に、日向は一旦起きだす。このところは毎日の習慣だった。

自分のベッドを抜け出して隣のベッドに近づき、そこに眠る親友を見降ろす。寝ている姿勢すらどこか凛としたところのある男だと思う。普段から背筋が伸びて姿勢がいいのは、子供の頃から続けている空手のお蔭かもしれない。

(あの頃は・・・俺よりも細いくらいだったのにな)

日向と初めて会った頃、若島津健という子供は身長はあるものの、手も足も細くてGKとしては軽すぎた。身軽さが身上でもあったから小学生のうちは良かったのだが、学年が上になるにつれて、それでは重いボールに負けてしまう。正面でボールを受けたのにシュートの勢いに押し込まれてしまうのでは、GKとしての存在意義が無い。

そのことを中3で思い知った若島津は、意識して食事を多く摂るようになった。そのお蔭か、いつの間にかチームでも一番体格のいい選手に育っていた。
細かった手足は骨太になり筋肉をつけ、背幅や腰回り、肩幅も広くなった。そんな若島津を最初に『男』として意識し始めたのは、同じ東邦学園に通う女子生徒たちだ。中等部ではそれほど見向きもしなかったのに、高等部に上がってからは若島津の周りに多くの女子生徒が群がるようになった。

(だけど、あんなことは     

そんな状況になってからでも、若島津が特定の女子を相手にすることはこれまで無かった。だから日向は、昔と変わらず『若島津に一番近い席』を独り占めしてきたのだ。そして自分もその席を、他ならぬ若島津のために空けてきた。だが     

(だけど、これからはそうじゃなくなるのかもしれない     

胸がチクリと痛む。

どうしてだか分からない。若島津は親友だ。もし若島津に自分よりも仲のいい男友達が出来たというのなら、それは面白くないだろうと思う。
だが今回の場合、相手は女の子だ。恋愛と友情は違う。若島津が誰か一人を大事な女の子だと決めたとしても、その子と自分では全く立場が異なる。何があっても、自分は若島津にとって一番の親友で有り続けるだろう。初めて会った頃からそうであったように。

それが分かっているのに、どうしてもモヤモヤとしたものが晴れない。

「なんで、なのかな・・・」

日向は無意識に若島津の唇に手を伸ばした。夜目にも赤く浮かび上がる、形のいい唇。触れてみると指触りはさらりとしていて、柔らかかった。
これにあの子も触れたのだ      そう思うと、誰に対してなのかも分からないけれど日向は詰りたくなる。
どうしてあの子なのか。どうしてそんなに簡単に触らせるのか。お前の一番近くにいるのは俺じゃなかったか。どうして俺よりも近くに寄らせようとするのか。どうして、どうして     



「日向さん。さすがにくすぐったいよ」

声がすると同時に手首をガシっと掴まれて、思わず日向は小さな悲鳴を上げてしまう。咄嗟に振りほどこうとするが、若島津の大きな手からは逃れられない。
自分が目を覚まさせてしまったのだと知った。触る指に力が入っていたのだろうか。

「・・・・わかしまづ」
「早く寝ないと駄目だよ?明日に触るよ」
「あ、ああ。・・・ごめん。おやすみ」

だが自分のベッドに戻ろうとした日向の手を逆に引いたのは、若島津だった。

「なん、だよ・・!」
「ちょっと話そうよ。あんた、俺に何か言いたいことがあるんじゃない?」
「・・・そんなもの、別に・・っ」
「だって、最近俺のことを避けてるでしょ。そのくせずっと見てる」
「・・・・・」
「って、反町が言ってたけど」
「そんなこと、ない・・!」
「あるよ」

いつもの揶揄うような感じではなく、真剣な声音だったから、日向は自分が若島津を怒らせてしまったのだと思った。こんな夜中に起こしてしまったのでは、不機嫌にもなるだろうと。それならば、非は全面的に自分にある。
だが若島津が次に口にした言葉は、日向の予想もしないことで     

「あんたも、俺とキスしたいの?興味があるの?」
「え・・・・」
「だって、あの日からでしょう。日向さんの態度がおかしくなったのは。あんたが学校で、俺と吉川とを見かけた日からだ」

あの女子の名前は吉川というのか      日向の意識にそんなことが浮かぶ。顔は知っていたけれど、名前までは知らなかった。
ああでも      日向はゆるく首を振る。そんなことはどうでもいい。若島津はもっと大事なことを告げた筈だ。
日向に、『自分とキスをしたいのか』と聞いたのだ。

(どうして      ?どうして、そんなことを聞く?)

したい、と答えたらならどうなるのか。
若島津とどうこうなりたいと考えている訳じゃない。ただ指先だけでもいいから、唇に触れてみたくなっただけだ。ただそれだけだ。
だけど、そんな風に聞かれたなら     

「もし・・・もし、したいって答えたら・・・どうするんだよ?」

速まる胸の鼓動に声を掠らせて、日向は問うた。ここ最近で、これほどに勇気を振り絞ったことはないような気がする。こんなことは初めてだ。誰に何を尋ねるにも、遠慮なんかすることなかったし、緊張したりすることも無かったのに。

「いいよ。しようよ」

なのに、若島津の答えはあっさりとしたものだった。思わず気が抜けてしまうくらいに。

「ばか・・っ!何を言ってんだよ!俺たち、男同士だぞ・・!」
「それでも、してみたいと思ったんでしょ?だから、いいよって」
「俺とお前、友達だろう・・・っ」
「キスしたら、友達じゃなくなる?そういうもの?      じゃあ、友達じゃなくて別の関係になる?俺はそれでもいいよ」

別のものになりたいのか      そう訊かれて、日向は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。

     そんなことが有り得るのか。別の存在になる。友達じゃなくて、もっと特別な別のものに。そんなことが許されるのか。

だってそれは、いつか      いずれ現れるだろう、どこかにいる女の子のための席だ。おそらくは友人席よりも、若島津の中で上の位置に置かれるだろう席。そのたった一つの椅子に、若島津は『収まっていい』と言っているのだろうか。
よく意味が分からない。

     俺は、女じゃ、ねえ」
「女だなんて思ってる訳ないよ。・・・俺、おかしいのかな。こういうのに、あまり男も女もない気がしてる。好きになったら、関係ないって」
「・・・お前、俺のことを好きなのか?」
「あんたが俺のことを好きなんでしょ」
「・・・・」

どうしようと思う間もなく、日向の顔が熱を持って赤くなる。まともに若島津の顔を見られなかった。この反応が既に図星を指されたのだと証明しているようなものだ。そのことも理解できているのに、もうどうしようもない。

クスリと笑う気配がした。

「・・・灯りが暗いのが残念だな。あんたの顔がよく見えない」
「・・・馬鹿じゃねえの・・っ」

若島津に掴まれた腕を、柔らかく引かれる。ベッドの上に乗り上げて、気が付いたら端正な顔が目の前にあった。常夜灯の淡い光に浮かび上がる白皙は、日向がこれまでに知ったどの人間のものよりも美しい造作をしている。

「・・ンっ」

ぼうっと見惚れているうちに、柔らかいものが日向の唇に触れた。そっと重なって、だがすぐに離れていく。若島津の唇だと気が付いたのは離れた後だった。

「あ・・!」
「どう?」
「わ、わかんねえよ・・っ」
「だよねえ。・・・力を抜いて、楽にして」

頬を両手で包まれて、軽く上を向かされる。若島津の無骨な指が、日向の唇をやさしく撫でて、時に弾力を確かめるように押した。
親指を咥内に含まされ中を探られた時には、日向の身体が跳ねた。

「・・ンンッ!」
「大丈夫。そのまま・・口を開けてて」
     ン、・・ふ、・あ」

若島津に優しく口づけられて、唇を食まれる。それだけでも日向にとっては頭がクラクラするような刺激的なことなのに、「舌を出して」と要求されて戸惑った。
それでも言われたとおりにする。この先に何があるのか知りたかった。

「・・そう。えらいね」

笑みを含んだ甘い声音に、目眩を感じた。

(なんか・・・何だか、若島津が慣れてるし・・・エロい)

日向はついていくのが精一杯なのに、随分と余裕がありそうだ。もしかしたら、この間見た女子とのキスが初めてではなかったのだろうか。
     そんなことを考えると、また胸の奥が締め付けられる。

日向は自分から若島津に唇と身体を押しつけた。若島津の肌は日向のそれよりもひんやりとしているのに、口の中は同じように熱かった。身を寄せて密着させると、少しだけ焦燥感が薄らぐような気がした。

若島津の方は日向の不安を知ってか知らずか、好きなようにさせていた。舌と舌を絡めて、水音をさせて、日向が欲しがるだけ与えた後でようやく唇を離す。日向の口の端から零れる唾液を指で拭きとってやり、それを舐めた。

「今度はどう?」
「・・・なんか、すげえ」
「生理的にイヤとか、気持ち悪いとかは無い?」
「むしろ気持ちいい」

素直な日向の返答に若島津は微笑んだ。それならば問題は無いだろう。
正直、日向のことを恋愛の対象として見たことはないけれど      それでもクラスメイトの女子とするよりも、若島津だってよほど日向との方が気持ちよかったし、興奮した。ならば『これもアリだな』と思う。

それに恋愛か友情かの垣根が自分にとってさほど高いものでないとするなら、こうなるのが自然だとも思える。
元々、若島津にとっての一番大事な人間は、男女を問わず日向でしかなかった。少なくともこれまではそうだった。
これからどうなるかは分からない。そう言ってしまえばその通りだが、性愛の対象としても日向を見られるというのなら      今後においても言わずもがなだろう。

「俺と付き合う?日向さん」

日向は少し逡巡して、「・・・だけど、俺たちは男同士だし・・」と小さな声で言いかけた。
若島津が日向の唇に指を当て、それ以上の言葉を押しとどめる。

「俺が好きなら、そこは『うん』って言ってくれないと。・・・俺と付き合う?日向さん」
「・・・・ん」

今度こそ日向は、小さくコクリと頷いた。
赤い頬をして恥ずかしそうにしながらも、どこかホっとしたような表情だった。







****



 

「ねえ、健ちゃん。      日向さんと何があったのさ」

紙パックのレモンティーをストローでちゅうちゅう吸いながら、反町は教室の一角で若島津を問い質していた。

「別に何も」
「嘘つけ!まーた日向さんの態度がおかしくなってんだろ!」
「何か心配な事でも?」
「・・・いや。それは無いかな」

反町は思案顔になって考えたのち、きっぱりと否定した。日向の様子がおかしいとは言いつつも、どうも悪い方向にではなく、いい感じなのだ。調子も上向いているし、それに何につけても本人が楽しそうにしている。

「ああ、複雑・・・。若島津、日向さんのこと泣かしたらコロスからな」
「どーぞ。・・・まあ、そんなことにはならないんじゃないか」
「んん?それって・・・」

反町が訊き返した時には、若島津は既に席を立っていた。廊下を通りかかった日向を目敏く見つけて、近寄っていくためだ。教室を出たところで、すぐに日向を捕まえた。

その時の日向のパっと華やいだような笑顔と、らしくもなく甘い雰囲気を醸し出している若島津を見て、反町は頬杖をついて苦い笑いを零した。






END

2018.08.28

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