~ 春来たりなば、君笑ふ ~






セリエAのリーグ戦前半を終え、日向さんが帰国した。
そのタイミングで東邦学園サッカー部のOBたちが集まるのも毎年の恒例になっている。それが俺の拠点としている名古屋で行われるのも。

「日向さん。こっちにいる間は、少しはのんびりできるんですか?」

島野が日向さんに聞いた。こいつは東邦大を卒業した後、地歴科の教師として高校で教鞭を執っている。その学校でサッカー部の顧問もしているというから、プロにならなかったとはいえ、サッカーから離れるつもりもなかったのだろう。島野以外も似たようなものだった。今日集まったメンバーの中には、何らかの形でサッカーに関わっている奴が多かった。

「そうだな。幾つかCM撮りと雑誌の取材は入っているな。あとは香さんが何か入れてくるかもしれねえけど」
「相変わらず、こき使いますね。あの人」
「全くだよな」

日向さんは終始機嫌がいいようだった。
ここは小さくて静かなバーで、俺や、俺のチームメイトの幾人が馴染みにしている。日向さんが来るときには貸し切りにして貰っているので、今夜も知った顔しかいない。そのことが日向さんをリラックスさせているのだろう。

「シーズンオフに帰ってきた時には、また子供相手のサッカー教室とかやるんですよね。今の子はいいですよねえ。俺も子供時代に日向さんに教えて貰ってたら、人生違っていたかもなあ」
「お前、高校の時は日向さんのシゴキから必死で逃げていたくせに?」
「今、それを言うなー!」

松木と小池の軽妙なやりとりにドっと笑いが起きる。日向さんも笑っていた。

「でも日向さんって、子供の扱いがホント上手いですよね。好きなんですよね、そもそも子供が」
「そうそう。やっぱり弟さんと妹さんがいたから、小さな子に慣れてるんでしょうね。俺なんて、子供を相手にしたら何を話題にしていいか分かんなくて」
「日向さんは結婚したら、4人も5人も子供作りそうなイメージありますよ」
「子沢山なパパ、ってね。実際、それくらいいても十分に養えますもんね~」

日向さんは応えなかった。曖昧に笑って、酒を飲んだだけだった。
俺もその隣で黙って酒を呑んでいた。相槌くらい打つべきだったのかもしれないが、そんな簡単なことすら、やる気にならなかった。

何故なら、たぶん俺はこの先、この人に子供を作らせてあげるだなんてことは出来ないだろうから。
この人が俺じゃない誰かと家庭を作るなんてこと、許してあげられないだろうから。







****




「日向さん、大丈夫?水、飲もうか」

マンションまでタクシーで帰ってきた後、ふらついて真っ直ぐに歩けない日向さんを支えて俺は部屋に入った。
グランパスに入団した当初から借りている部屋は、オーナーが3LDKを2LDKにリフォームしたもので、リビングが広くて気にいっている。俺は抱えてきた日向さんを、そのリビングの中央に置いたソファに横たえた。

「ほら、日向さん。飲んで。水だよ」
「・・・ん。さんきゅ」

日向さんは上半身を起こして、大人しく俺からグラスを受け取って水を飲んだ。半分ほどを残して俺にグラスを返すと、またソファに寝ころんで撃沈する。

「珍しいね。日向さんがそんなに酔うなんて。シャワー浴びる?すっきりするよ?」
「・・・出る前に浴びたから、いい」
「そう?・・・もしかして、そのせいで疲れちゃってたのかな」
「そんなに弱っちい訳あるか」

久しぶりに会えたこの人とは、一秒だって無駄にしたくない。俺は飲み会に出掛ける前に、限られた短い時間の中でこの人を抱いていた。
何分まで、と決めてやるセックスは、ある意味トレーニングじみていて楽しかった。事後も余韻に浸る余裕などなく、二人一緒に急いでシャワーを浴びた。『幾つになってもガキみたいに盛ってるね』と一応は反省めいたことを口にして、笑い合った。
楽しかったことは楽しかったが、ただでさえ時差ボケと長旅の疲れが抜け切らないこの人を、更に疲弊させてしまったのは確かだろう。

「とりあえず歯を磨いて寝ようか?ベッドまで運んであげる」
「・・・ん」

日向さんの上にかがみこんで耳元で囁けば、甘えるように首に手が回る。酔っぱらっているからか、日向さんは普段よりも素直で可愛らしかった。








「・・・なあ。絶対に落とすなよ」
「落とさないよー。俺を誰だと・・・おっと!」
「あっ!ちょ、馬鹿っ」
「ははっ、ウソウソ。大丈夫。軽くはないけど、落とすほどじゃないよ」

姫抱きをして、日向さんを寝室まで運ぶ。
問題は重さよりも狭さだった。やはり大人の男を抱いて運ぶには、マンションの廊下やドアは狭すぎる。
俺は日向さんを壁にぶつけないようにと注意深く進んだ。

(それにしても・・・大人しく運ばれてくれるなんて珍しい。そんなに酔ったのかな)

日向さんを好きになったことを自覚した頃に気が付いたのだが、俺は存外に恋人を溺愛したいタイプらしい。
何でもやってあげたいし、構いたいし、いつでも触れていたい。猫可愛がりして、でろっでろに甘やかしたい。傍にいて支えて、幸せにしてあげたい。

だが肝心のこの恋人は、精神的に俺よりも大人でしっかりしていて、しかも極端に恥ずかしがり屋で甘えベタだ。当然、俺に甘えてくれるなんて機会はそうそう無い。
それは現在、俺たちが遠距離恋愛中だということも要因の一つかもしれないけれど。

とにかくそんな日向さんだから、たとえ酒に酔ったのが理由だとしても、こんな風に甘えてくれるのは嬉しかった。







「はい、着きましたよ」
「・・・・」

ぽすん、と優しく柔らかく、ベッドの上に俺は最愛の人を下した。

最愛の人      まさにその通りだ。俺のこれまでの人生において、この人以上に大切に思った人はいないし、これからもきっと現れないだろう。俺にとっては至上の人だ。

かつては俺がそんなことを言うと、日向さんは「何で言い切れるんだよ。そんなの、その時になってみないと分からないだろう」とよく言ったものだった。今になって思い返してみても、俺の執着の強さや重さを承知していなかったとしか言いようがない。
だが最近はようやく日向さんも俺の粘着質な性格を覚ったのか、それとも年月を重ねて覚悟が出来てきたのか、そんな言葉を口にすることは無くなった。

「・・・日向さん?手、離してくれないと」
「・・・・」

ベッドに下しても、日向さんは俺の首にしがみついたままで手を離そうとしなかった。それどころか、俺が『離して』と言うと、もっと力を込めてギュっと抱きついてくる。

     ほんっと、可愛い過ぎるんだよなあ・・・)

俺は頬が緩むのを抑えることができなかった。だってあまりにも可愛らしい。こんなところも、日向さんが昔と変わってきたところだ。
恥かしいなりに、最近の日向さんは俺にどうして欲しいか、自分がどうしたいのかを伝えてきてくれる。いかにも日向さんらしく、拙くて分かりにくい、だがとてつもなく可愛らしいやり方で。

「どうしたの、日向さん。まだ俺と、一緒にいたいの?」

日向さんはうんとすんとも言わない。頷きもしてくれない。

「俺も一緒に寝ようか?」

俺はまだ眠くはないのだけど・・・日向さんがそうしたいというなら、いい。
だが日向さんはやはり答えない。

「それとも、      する?えっち、したい?」

日向さんはもう一度強く俺に抱きついた。


それから暫く間をおいてから、コクリと小さく頷いた。








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