~ sacrifice ~






古い洋館の2階の奥に、その部屋はあった。三杉家の代々当主が使用してきた書斎部屋。当代の主である父親の許可がなければ、息子である淳ですらも足を踏み入れることの許されない場所。

廊下の離れた場所から、閉ざされた部屋の重厚な扉を三杉淳は見つめていた。その扉の向こうで今何が行われているのか、何が繰り広げられているのか。
それを想像することは、今となっては難くなかった。

(・・・日向。君は一体、なぜ    

『日向』と名前を呟けば、昔からの馴染んだ名のようでもあり、得体のしれない何かのような気もした。確かに今この時は、日向小次郎は三杉にとって理解しがたい存在だった。長いことライバルとして闘ってきた、常勝東邦学園サッカー部の特待生。常にその年代の日本代表であり、エースストライカー。      そんな大層な肩書きも、薄く感じられる。

(どうして君は、僕の父と・・・     ?)

書斎には続き部屋があり、仮眠を取ることができるように寝台が置いてある。きっと今この瞬間にも、その上で日向と自分の父親が抱き合っている。二人がそういう関係にあることを、三杉は知っている。

だが、それでも。

(僕は、       認めない)

絶対に認めない。
妻子ある身で息子と同じ年の少年とそんな関係になる男のことも、平気な顔をして人の父親を寝取っていく友人のことも。
それが一時の遊びなのだとしても、本気なのだとしても、どちらにしても許容できない。

嫌悪の表情も露わに、三杉は踵を返すと自室へと引き上げた。






自分の部屋に入ると、三杉は苛立ちもそのままに乱暴にベッドに身を投げ出した。目を閉じると、想像したくもない図ばかりを思い浮かべてしまう。大きく息を吐いた。

(日向)

育ってきた環境が全く異なるにも関わらず、三杉と日向は不思議と気が合った。知り合った時にはまだ小学生だったが、その頃からライバルとしてお互いを認め、高め合ってきた。友人としてもいい関係を築いてきたと思う。三杉が誘えば、日向が一人で家に遊びに来ることさえあった。それくらいには、親しく付き合ってきたのだ。

(君も僕もそれなりに忙しくて、たまにしか会えなかったけれど    

確かにしょっちゅうとはいかなかったが、それでも日向は、この家に来ることを楽しみにしてくれていた。それは自分の思い過ごしでも勘違いでもないと、三杉は確信している。実際のところ、日向はこの家の中ではいつも機嫌よく、楽しそうに過ごしていたのだから。

(なのに、何故     

いざ昔を顧みれば、快活に笑う日向の顔ばかりが思い出される。ピッチの上でこそ厳しい表情を崩さない日向だったが、一旦サッカーを離れてしまえば、年相応のあどけない素顔を見せることも多かった。特にこの部屋に二人でいる時には、本当に寛いでいるようだったのに。


その状況に徐々に変化が現れ始めたのが、三杉と日向が揃って高等部に進んだ辺りのことだ。
三杉が家に誘っても、日向の方から『都合が悪い』と断ることが多くなった。高校に上がって更に忙しくなったのだろうと一人納得していると、気が付いた時には日向の訪問はすっかり途絶え、随分長いこと会わない状態になっていた。
一体日向はどうしているのだろうかと気にかけ始めた頃になって、三杉はバッタリと邸の中で日向に出くわしたのだ。
自分の客ではなく、父の客として三杉邸にやってきた日向に。

「・・・・・」

それより先の回想を拒み、強く目を瞑って寝返りをうつ。

あの時は『どうして日向と父が・・・?』と疑問に思ったものの、自分の父親と友人がどういう関係であるのかを察知するのに、さほど時間はかからなかった。そもそも日向自身には、隠そうという意思が無かったんじゃないかと三杉は踏んでいる。何故なら父親の書斎から出てくる日向は、いつも髪を乱して気だるげな風情のまま、不義の痕跡を取り繕うともしていなかったからだ。

その関係は今でも続いている。日向は三杉に断りを入れるでもなく、この邸へとやってくる。三杉の父親に会うために     
そして邸内に友人の姿を認めたとしても、そのまま黙って父親と共に書斎の奥へと消えていくのだ。誰にも邪魔されず、三杉の父とふたりきりになれる場所へと。


「・・・くそッ」

育ちに似合わない罵りの言葉を吐いて、腕で顔を覆う。


一度だけ、その時の     情事の時の日向の声を耳にしたことがある。自室へ引き上げるために二階へと移動した際に、廊下の奥にある書斎の扉がほんの少しだけ開いていることに気が付いた。その細い隙間から目を逸らして自室へと戻るべきだったのに、三杉の足は本人の意思とは裏腹に書斎へと向かっていた。
扉の前まで近づくと、中の音が微かに聞き取れた。それは如何にも情交の最中といったもので、父親に抱かれる日向の漏らす声だった。必死に押し殺したような、苦し気な声。それでいて甘く艶のある声。

(だけど、あれは    

確信がある。あれは過失や偶然などではない。おそらく仕組まれたのだ。わざと扉を半開きにして、三杉が通りかかったなら聞こえるようにと仕組まれていた。

(わざと、僕に聞かせた。      だが、一体何のために?)

どちらの意図だったのかは分からない。だがいつもなら確実に、書斎の扉は閉ざされていた。完全に。少なくともその日まではそうだった。

『・・・ふ、・・んっ、・・んぅ』

短いリズムで繰り返される吐息と、ひっきりなしに零れ落ちる掠れた声。それらが日向によるものだとは、三杉には俄には信じがたかった。
だがそれは確かに、日向のものだった。女性のものとは全く違う、硬質で低い声。それでいて聞く者の劣情を刺激する、甘やかな毒。

聞きたくないと思っているのに、どうしても耳を塞ぐことは出来なかった。

『ん・・・や、あ・・・。・・・ふ、ぅん、ぁん・・、た、たか、ひさ・・・さん』

握った拳に思わず力が入る。そんな風に      父親の名をそんな風に呼ぶなと、そう叫びたかった。

そんな声で呼んで欲しくなかった。聞きたくなかった。すぐにその場から立ち去ってしまいたかった。
なのにやはり、三杉の足は動かない。見えない蔓に絡めとられたかのように、そこから離れることが叶わない。だからといって、そこから先に踏み込むことも出来はしない。

『んんッ、あ・・んっ、や・・や、だ・・。貴久、さん・・もう、や・・』

日向の声が段々と切羽詰ったものになり、涙混じりになっていくのを、三杉は信じられない思いで聞いていた。

『あ、や、やあ・・っ!も、それ、や・・っ、・・もう、やめ・・・ンン、あ、ああ、・・・く、んっ』

泣きながら許しを乞う日向の、呼吸音が荒く速いものになっていく。限界が近いのだと知らせていた。

『は・・、あっ、ああっ、や・・イ、く・・イくっ、もう、・・・た、たか・・・ああッ・・ああああ・・ッ!』

一際高い声が辺りに響いて、それからドサリと何かが落ちる音がした。速い呼吸音がしばらく続く。

やがて部屋の中から漏れ聞こえてくるのが囁き声だけになっても、三杉は暫くそこから動けなかった。
あまりのことに、何をどう考えればいいのか分からなかった。思考が混乱して、整理がつかない。扉の向こう側、更にその奥で何が行われているのか、頭では分かっているつもりだった。だがこうしてその場に居合わせてしまうのは、想像するのとはまるで違う。入ってくる情報は音だけだというのに、圧倒的に生々しく、エロティックだった。

そしてそれは、自分の父親と友人との濡れ場なのだ。これが現実なのだと理解していても、心が受けつけない。本能が拒絶する。

だが何よりも理解し難いのは、自身の身体の反応だった。
誤魔化しようもなく、三杉の下半身は固くなっていた。友人のあられもない声に欲情したのだと、顕著に示していた。

三杉自身がどれだけ否定しようとも、嫌悪しようとも、身体の方は欲望に忠実だった       










「・・・父と君の関係を汚らわしいと糾弾しておきながら    

ベッドに仰向けに寝たままで、三杉は小さく呟いた。

(二人の関係を認めない、許せないと言いながらも・・・僕は、本当は父と同じことを・・・)

自分だって日向のことを、父がするように扱いたがっているのではないか     あの日以降、そんな疑念に苦しめられてきた。こうしている今も、だ。

今日、何度目かのため息を零す。

(・・・違う。僕は違う。日向、君とは    

三杉にとって、日向はあくまでも友人だった筈だ。小学生時代からの知り合いで、好敵手。それ以外の存在では、有り得なかったのに。

だが、今は        


「くそ・・・」

自身を罵る言葉を再び口にして、三杉は顔を歪めて寝返りを打った。








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