~ 祈る人 ~ 3
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そう約束したあの日から5年。高校3年生になった今も、二人は同じ部屋にいる。
中学の時も、高等部に上がって寮を移った時も、二人は当然のように相部屋のパートナーにお互いを選んでいた。
そして季節が巡り、また日向が夜空を見上げるその日がやって来た。
これが東邦での寮生活で最後だな・・・、と思いながら、若島津は窓辺に立つ日向の横に寄り添うように、そっと並ぶ。
「今日は月が出ている。綺麗だね。きっと、お父さんからもあんたがよく見えるよ」
「・・・・お前って、結構恥ずかしいこと、真顔で言うよな」
子供の頃には大して差の無かった身長も、この5年間で若島津は大きく伸び、すっかり日向を頭半分以上も抜いてしまっていた。こうして横に立つと、尚更それを感じられるのが悔しいのか、単なる照れ隠しなのか、若島津の言葉に日向は憎まれ口を叩く。
「本当にそう思うから言ってるんだよ。・・・年に1度、夜空を挟んで向かい合うんだ、大事な人に。まるで七夕みたいだね」
「七夕?」
「でも、あんたが織姫っていうのも妙だな」
「当たり前だろ。・・・母ちゃんだって、絶対に父ちゃんを思い出してる。だから、母ちゃんが織姫だな」
日向はそう言って、「母ちゃんだけ年とっちゃうのって、どうなんだよなぁ・・・」と呟いた。その後は二人で月の光を浴びながら、黙って涼しい夜風に吹かれていた。
5年前に二人で交わした約束は、すぐに叶えることはできなかった。
あれから幾度となく、苦しみ、もがき、打ちのめされて、それでも立ち上がる日向を、若島津も反町も島野も、東邦サッカー部のメンバーは皆が傍で見つめてきた。
だが日向は苦しい日々を乗り越え、高等部に上がってからは東邦学園サッカー部を取り巻く状況も変わった。常勝チームとなった今では、全国大会で単に優勝することが目標なのではなく、東邦学園が絶対王者なのだと、自分たちに並ぶ者はいないのだと全国に知らしめるような勝利を要求されている。
それが日向小次郎を擁する東邦の使命なのだと、チームの誰もが理解している。
若島津は隣に立つ日向の顔をそっと盗み見た。
今では年相応に精悍になった、意志の強そうな顔がそこにある。もう、あの細くて頼りなげな子供ではない。泣きそうな顔をしていた、寂しい子供はいない。けれども 。
「日向さん。中1の時のこの日。あの時に約束したこと覚えてる?」
ふいに若島津に尋ねられ、振り返った日向は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに「覚えてるよ」と答えた。
「あの約束。2年間も反故にしちゃったよね」
「そうだな。2年か・・・長かったな。ペナルティもんだよな」
「十分、あの2年間はペナルティあったでしょ。どんだけ痛めつけられたいんだよ、日向さん」
『ほんと、ドMだなあ』 と笑う若島津に、日向も 『お前のドSよりマシだよ』 と笑って返す。
「ねえ日向さん。お父さんの写真、久しぶりに見せてよ」
日向は若島津に言われ、机の引き出しにしまってある父親の写真を持ってきた。もう儀式の時に手に持つことはしていなかった。東邦に持ってきた1枚きりの父親の写真は、見なくてもその仔細までをそらで思い出せるほど、心に刻み込んでいた。
若島津がこの写真を目にするのは、中1の時に初めて見せて貰って以来、今回が2度目だ。写真の中の日向の父親は、若島津の記憶のとおり優しい笑みを浮かべている。この人がいたから日向がこの世に誕生したのだと思うと、実際に日向の父親に会ったことがない若島津には、悼むというより、ただ感謝の気持ちが込み上げてくる。
「父ちゃんの写真が、どうかしたか?」
「ううん。・・・・俺たち、また少し追いついちゃっているんだな・・・と思って」
日向の父親の姿は、前回見た時には若島津にとっても 『自分の父親と同じくらい』の男性だった。だが今こうして見てみると、自分の父親に比べると随分と若いように思える。
勝にしろ、春に帰省した際に若島津も会ったが、すっかり腕白な小学生といった感じで、写真の赤ん坊のような幼さは既に無かった。その勝は今は明和FCに入って、フットボーラーとして兄の後を追い始めたらしい。
「随分と、経ったんだな・・・って思うよね」
「ここに来て、6年目だもんな。・・・お前も可愛かったのに、ほんとデカくなってよ」
「あんたは綺麗になったよ。いつ見ても傷だらけで真っ黒なガキだったのにね」
「お前なあ・・・」
消灯を過ぎているから声のボリュームは落としていたが、周りが静かなだけに他の部屋に聞こえないとも限らない。日向は窓をそっと閉めた。
日向は自分のベッドに入ろうとしたが、若島津がベッドに腰掛けたままで自分の方をじっと見つめているのに気がついて、「どうかしたのか?」と声をかける。
「ううん。何でもないよ」
「何でもなくはないだろ。いいから言えよ」
5年間の共同生活で、若島津が言いたいことがあるなら、言わせておいた方が後が楽・・ということくらいは日向にも分かるようになっている。
「いや、さ。来年は、こうしていられないんだろうなぁ・・・ってね。ちょっと思っちゃってさ」
「来年?」
「・・・ここを卒業したらどうなるかは分からないけれど、きっと俺たちはどこかのプロチームに入るだろ。どこに行くにせよ、一緒のチームに入れるとは思えないから、こうしてあんたのお父さんの命日に祈るのも、しばらく無いのかな・・って思って」
「・・・・」
「これから先、この日が来たらさ。俺、あんたのお父さんのことじゃなくて、こうしてあんたと毎年、二人で並んで夜空を見上げたことを懐かしく思い出しそうだな。・・・・不謹慎だけど。ごめん」
まずは夏のインターハイ、それからその後にやってくる冬の選手権に優勝し、高校三年間を完全制覇で締めくくるという、大きな目標が日向を中心とした三年生にはある。奇跡のようなその偉業が、奇跡ではなく手に届くかもしれない。今の東邦ならば不可能ではないとメンバーの誰しもが思っている。最大のライバルである南葛が不振にあえいでいるのも、理由の一つではある。
だが、それから先のことは誰にも分からない。プロの道に行くか、大学に進学してサッカーを続けるか、それとも卒業したらサッカーは趣味と割り切るか・・・。東邦サッカー部といえども、大所帯であれば、自身の実力を顧みると「夢はサッカー選手」と簡単には言えない者が大半だった。
そして彼らが絶対の信頼を寄せるエースである日向ですら、卒業して希望通りに海外のチームに行けたとしても、それが1部リーグのチームであるという保証はどこにも無い。
「・・・・・」
「俺、どこにいてもこの日だけは忘れないし、あんたと離れてても、夜には手を合わせて祈るけどね」
ベッドに腰掛けた自分の前に月光を遮るようにして立つ日向の両の手を取り、若島津はそれをそっと自分の額に押し当てた。
日向は黙ったまま、若島津の好きにさせている。若島津の言ったことを自分の中で反芻しているのか、眦の上がった大きな瞳をパチパチと瞬きさせる。
沈黙が続く中、お互いの微かな息遣いだけが聞こえていた。
「・・・もう寝ようか」
日向の手を離して顔を上げた若島津は、さっきまでの神妙な顔とは違って、どこかさっぱりとしたような顔つきをしている。そのことに日向は俄かに苛立ちを覚えた。抑えが効かず、感情が波立つままにぶっきらぼうに若島津に言葉を投げつける。
「お前、バカなんじゃねぇの? すげぇバカ。バカバカバカ」
「・・・ちょっと日向さん。バカを連呼って。小学生みたいに」
苦笑する若島津にも日向は怒りの表情を変えない。
「一緒にいればいいじゃんかよ。違うのかよ」
「・・・・・・」
「そりゃ、違うチームに行くことも、違う国に行くこともあるだろうけどさ。・・・でもヨーロッパじゃ6月はオフだろ。代表があるなら尚更一緒だろうし。この日に一緒にいるの、やろうと思えば出来るんじゃねえのかよ」
「・・・・えっと」
どうやら日向は、若島津もヨーロッパに渡るものと考えているらしい・・・ということは若島津にも分かった。
「俺は、さっきだって、父ちゃんに約束したばっかりなんだからな。・・・来年も、その次も、こうしてお前と二人で祈るから、って」
「・・日向さん」
「お前もそのつもりだって思ってた。・・・違うなんて、思わなかった」
くしゃりと、日向の顔が歪んだかと思うと、傷ついた子供のような目をしてみせる。
ああ、ほら・・・と若島津は思う。
やっぱり、あの日に見た寂しがり屋で痛々しい子供は、この綺麗で強い人の中にちゃんといる 。
「お前は違うのかよ。・・・俺がいなくても、平気なのか」
「平気じゃないよ。俺にはあんたが必要なんだ。・・・・いつだってそうだった。だからこんなところまで来たんだ」
若島津は日向の腕を引き寄せて、自分の膝のうえに座らせる。日向は若島津の腿をまたぐ形で、大人しくその上に座った。
「ごめん。ちゃんと、会いに行くよ。どのチームにいても、どの国にいても、この日は日向さんといるよ」
「・・・約束だからな」
「うん」
若島津は日向の見た目より柔らかい前髪をかきあげ、眦にそっとキスをする。
「もう俺、父ちゃんとの約束を破りたくねえんだ・・・」
「うん。・・・分かってる」
そのまま唇をずらして頬に、鼻の頭に、唇に軽くキス。
最後に日向の下唇を噛むようにしてから唇を離すと、若島津は日向の目を覗き込むようにして尋ねた。
「このまま先に進んでもいい・・?」
「いい訳ねえだろ。カバ」
「ほんと、小学生みたい・・・。そんなシチュエーションも、ちょっといいかな」
「ド変態・・・」
呆れたように呟く日向の唇を再度塞ぎ、若島津は想いの丈を込めて深く口付けた。
日向の右手には父親の写真。
確か去年の今頃、勝の写真を見せられてキスどまりで終わった夜があったようなことを若島津は思い出す。
若島津は日向の手から写真を取り上げると、抗議の声を上げる日向を宥めつつ、ゆっくりと、だけど確実に体重をかけながら、月明かりに照らされて金色に輝くベッドの上に日向を横たえていった 。
END
2013.06.16
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