~ 最上級乙女と高校球児 【出会い編】 ~2
夏休みが終わって、2学期が始まった。
休みの間、源三は新聞配達の少年を探して毎朝ランニングに出掛けたが、とうとう出会うことは叶わなかった。それを思うとため息が漏れる。
「はあ・・・・」
自分でもおかしいとは思うのだ。たった一度、それも道でぶつかってしまっただけの間柄だ。さらに言うなら、彼が罵倒し、自分は罵倒された関係だ。
それでも彼に対して腹が立つなんてこともなく、ただ会いたいと思う。忘れられなくて、こんな風に思い出してはため息をつくことも多い。
今でも鮮明にあの少年の顔を思い出せる。吸い込まれそうなほどに深い黒の、それでいて澄んだ瞳。キッときつく睨みあげてくる目が、ぶつかった時の痛みのためか少し潤んでいた。
(・・・大丈夫だったかな。あいつ)
学年一、いや、この千人以上も子供が集まる大きな小学校で一番大柄な自分と衝突したのだ。もしかしたら怪我でもさせたのかもしれなかった。その可能性に思い至り、「あ・・・っ」と源三は小さく声を上げた。
(もしかして、それで新聞配達が出来なくなったんじゃ !?)
どうして、その可能性を疑わなかったのか。自分でも信じられない。ただ会いたくてあの付近を自分がウロウロと走っていた頃、もしかしたら彼は怪我で自由に動けなかったのかもしれない。そう思うといても立ってもいられなくなる。
(もしそうだとするなら 。 会うことさえできれば、俺にできることなら何でもするのに)
子供が新聞配達をするくらいなのだから、おそらくは金銭的に余裕のある家の子ではないのだろう。尚更、探し出して何とかしてやりたいと思う。
「若林、どうした?」
難しい顔になって考え事をしている源三を、クラスメイトが呼びにきた。「次、体育だぞ。隣の教室で着替えないと。それに早く出ないと女子に追いだされるぞ」と言って。
「ああ、分かった」
促されて、源三は体操着を入れた袋を片手に教室を出る。体育の時間は隣のクラスと合同で、男子と女子の授業は別々に行われていた。着替えも教室を分けて、男女別だ。
源三が廊下へ出る時、隣のクラスの女子が入れ替わりで何人か入ってきた。おしゃべりをしている彼女たちと擦れ違いざま、源三は弾かれたように突然振り返り、そのうちの一人の女子生徒の腕を掴んだ。
「・・・・お、まえ・・!」
「・・・いてえ!何、すんだよッ!」
間違いない。黒曜石の瞳の少年だった。掴んだ腕の細さも、あの日と同じだった。
だが、すらりとした真っ直ぐな脚を覆うのは細身のパンツなどではなく、ひらりと翻るスカートで 。
「・・・え? お前って、まさか、・・・女・・?」
思わず呟いていた。意識もせずに。
バッチーン!という快音が聞えると同時に頬に鋭い痛みを感じたのは、全て自分が悪かったのだと、自分のデリカシーが無さ過ぎたのだと、源三は後で大いに反省した。
「若林って、日向さんと知り合いだったんだ?」
「・・・いや、知らなかった。まさか同じ学校にいるなんて思わなかった」
その日の授業を終えて放課後、家路を幾人かの友人と共に辿っていた源三は、そのうちの一人に問われて答えた。
すっかり男子だと思っていたのに。男だと思いこんで探し回っていたのに、まさか女子だったとは 自分でも、何がどうしてそう思い込んでしまったのか、訳が分からない。
(だけど・・・ミニスカートがよく似合っていたな)
もともと女子の顔なんて、同じクラスにでもならなければ覚えることもなかったし、そもそも女の子といったものにそれほど興味もなかった。学校から帰れば野球をしてばかりで同級生と遊びに行くこともなかったのだから、自分が彼 もとい彼女の存在を知らなかったのも別に不思議ではないのだけれど。
「日向さんって去年、5年の時に転校してきたんだよ。その時から、すげえ可愛い子が来たって噂になってたんだけどな。若林、知らなかった?意外にお前って、そういうの興味示さないもんな」
「今日から最大限の関心があるってことにしておいてくれ。あいつ限定で」
揶揄うように覗きこんでくる友達にも取り繕うつもりはない。探し求めていた子が女子だと分かったのなら、誰に遠慮することも無かった。性別が違っていたことには確かに驚いたが、むしろ源三は、これで自分が抱えていた気持ちを誤魔化す必要が無くなったことを知り、清々した。まだ赤い頬をさすって、ニっと笑う。
「えー、マジで?若林が?俺も日向さん、好きなんだけどな~」
「俺も。っつーか、あの人を狙ってる奴、すげえ多いけど」
「でもなあ・・・。確かに日向さんなら、若林くらいじゃないと無理だろ」
源三が一目ぼれした子は、学校のアイドルだった。知らないのは自分ばかりだったかと思うと我ながら呆れるが、だが友人たちが闘う前から白旗を上げているのを見ると、そう簡単には靡きそうにもない女の子であるらしい。そのことには安心した。
何しろ大人になるまでにはまだまだ時間はあるものの、まずは『プロ野球選手になる』という夢を自分は叶えないといけない。それまでは女の子と悠長に遊んでいる訳にもいかなかった。
(これはもう、最速最短でプロになるしかないよな・・・)
源三はついさっき、体育の後の昼休みに彼女 日向小次郎に呼び出された時のことを思い出した。
***
「お前・・・俺のこと、誰にも言ってないだろうな」
昼休み、違うクラスの源三を小次郎が呼び出した。クラスメイトたちの好奇心丸出しの視線に送られて源三がついて行けば、廊下の一番端で、そんなことを聞かれた。
「何を?」
「・・・新聞配達のことだよっ!」
「ああ、そうだ。お前、大丈夫だったか?俺とぶつかって怪我でもしたんじゃないかと思って」
源三が心配そうに尋ねると、小次郎は一瞬言葉に詰まって、ぷいと横を向く。その横顔の完璧なラインに源三が見惚れていることなど、当然気が付くこともなく。
「・・・なあ、お前・・・日向。聞いてもいいか?」
「・・ンだよ」
「どうして、新聞配達を?アルバイトか?」
「・・・バイトに決まってんだろ。俺んち、貧乏なんだよ。俺が働けば、少しは家計の足しになるからな」
「そうか」
小次郎は、おや、と思った。
普通は小次郎がこんなことを明かせば、同情や憐れみの視線を向けられるか、または好奇の目で見られるものだ。まだ小さいのに、大変じゃないの? だなんて、当たり前のことを聞かれたりする。
だが源三は、ただ「そうか」と言っただけだった。そのたった一言。
それが小次郎にとっては、自分の小さな自尊心を守ろうとしてくれているようにも思えた。
「あの辺の配達は、他の人に変わったのか?あの後、何度かあそこを走ったけど、お前には会わなかった」
「・・・担当を変えて貰ったんだ。同じ学校の奴に見つかったって言ったら、おっちゃんが変えてくれた」
「新しい担当のところは、危険な場所じゃないか?つまり、人気が無いとか」
「前に担当した地域より、人通りがあるよ」
「そうか。良かった。・・・え?」
源三はあることに気が付いた。小次郎はたった今、『同じ学校の奴に』と言ったのだ。ということは、源三は小次郎を知らなかったのに、小次郎の方は源三を認識していたことになる。
「え?どうして?何で、俺のことを知ってた?」
「・・・お前みたいにデカい奴、どうしたって目に入るし、目立つに決まってんだろ」
失言に気が付いたのか、仄かに頬を朱く染めて小次郎が再びそっぽを向く。それを見た源三は、らしくもなく自分が動揺していることを知る。自覚してしまえば、同じように頬に熱が上っていくのを防ぐ手立ては無かった 。
***
夏休みの間じゅう探し回っていた少年は、実はこの上もなく美しい少女だった。多少言葉遣いは乱暴で、男の子みたいな口の利き方をするれども。
源三は、小次郎が新聞配達を継続していることを知って、自分もランニングのルートを変えることにした。担当地域を尋ねたところで素直に教えてくれるかどうかは分からないが、教えてくれないのであれば口八丁手八丁で聞きだすしか無いだろう。
だが源三がそう決めた、すぐ後のことだった。小次郎が芸能事務所と契約して、ティーンズのファッション誌の専属モデルとなったのは。そしてすぐにドラマの端役も決まり、順調に仕事を増やしていき、新聞配達のアルバイトをしないで済むようになったのは。
それから小学校を卒業して中学校に上がっても、源三と小次郎は三年間、同じクラスになることはなかった。
二人が親しく話すようになったのは、私立修哲学園高等部に入学して以降のことである 。
END
2017.12.07
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