~ 溶けて消えてる場合じゃない! ~








「あの人も人間だったんだなあ~」
「なあ。こんな季節外れのインフルエンザにかかるなんてな」
「でもそろそろ1週間近く経つだろ。日向さんが休むようになって」
「もう戻ってきてもいいんじゃね?」
「なんか聞いてねえのー?一樹」

夕食後、談話室でダラダラと過ごすのはここ1週間くらいですっかり身についてしまった悪癖だ。それまでの俺たちだったらもっとキビキビと動いていた筈なのに、どうしてもだらけてしまう。
理由は簡単。今現在、この寮に日向さんがいないからだ。

「俺に聞いても知らねえもん。日向さんからも、何の連絡もないし」

全く薄情だよなあ・・・、と独りごちる。

日向さんが突然の親戚の不幸とやらで学校を休んで寮を出たのは先週のこと。それから一週間が経つが、そのままインフルエンザに罹患してしまったらしく、未だに実家から戻ってこない。いや、それどころか一切の連絡が取れなくなっている。一日に何回LINEしたって返事が無い。ただ既読にはなっているから、かろうじて生きているらしいことは分かるけど。
まあ俺が余計な心配なんかしなくたって、あの人がインフルくらいでそう簡単にくたばることもないだろうけどな。なんといっても、東邦学園始まって以来の最強俺様αなんだから。


αとβとΩ。

俺たち人間には、男女の性別の他に、α、β、Ωという3つの種別がある。
ものすごく簡単に説明してしまえば、頭の出来が良くてフィジカルが強くてメンタルも最強で、人を支配する側に回るのがα。
αの子供を産むために存在するのがΩ。3か月に一度、発情期を迎えてαを誘う。Ωが身籠るのはαの子だけで、βの子を産むことは無い。
βは総じてαほどに優秀じゃないけれど、人口も一番多い種だから、中には優れた人もいる。そういう人はβであっても敬意を払われるし、Ωのフェロモンの影響を受けることもないから、ある意味一番自由な人種かもしれない。


俺の入っているこの学校、東邦学園ではαとβの男しか入学が許されていない。俺が言うのも何だけど、この学校のレベルはそこそこ高いので、βでも出来のイイ奴らが揃っている。だけどそんなαや能力のあるβが集まる中でも、特別な存在として一目置かれているのが日向さんだ。

もともと小学生時代からサッカーの天才少年ともてはやされて有名な人だった。海外のクラブからも誘われていたって噂だし、Jの下部組織からだって誘いが引きも切らなかった筈だ。
それを東邦のスカウトが何度も何度も日向家を訪れて、粘り強い説得と交渉の末に中等部から編入して貰ったのだと聞いている。

俺だってガキの頃からサッカーをやっていたから、当然日向さんのことは知っていた。対戦したことも一度だけある。日向さんは覚えていなかったけれど。

その頃に初めて見た日向さんはまだ小学生だった訳だけれど、とにかく何と言うか、もうオーラが違った。他の奴らとは全然違った。
黙ってピッチに立つだけでも威圧感があったし、風貌や体格も既に子供のものじゃなかった。鋭い眼光は相手チームをびびらせるには十分だったし、俺らより頭一つ飛び出た身長も、しっかりと筋肉のついた長い手足も、とても同い年とは思えなかった。
そして何よりも、態度がデカかった。
この学校にあの人が編入してきて一緒にサッカーをするようになって、初めて俺は「この俺様が」と実際に口にする人間を目の当たりにしたんだ。
びっくりして目を丸くし、それから可笑しくなってつい笑ってしまって、日向さんには睨まれもしたんだけど。

だけど、その顔がちょっと「しまった」的な感じで赤くなっていたのが、俺的には結構なツボだったんだよな・・・ということは、勿論本人には内緒だ。俺様αに逆らってもイイことないしね。


「あー、早く帰ってこないかなあ~」
「同感」
「日向さんがいるだけで、こう、ピリっと引き締まるもんがあるよな」

俺のぼやきに他のやつらも同調する。
我ながら妙なものだと思う。普段あれだけあの人に罵倒されて扱かれて、今ようやくひと時の休息を与えられているというのに、もう俺らは平和な毎日に飽きてしまった。
横暴で自分勝手で自己チューな日向さんの巻き起こす嵐が懐かしい。「てめえら、俺がいなきゃ何にもできねえのか!」ってあの鬼のような形相で叱られたい。『役立たず』とか『木偶の棒』とか、罵詈雑言のオンパレードでムカつくことはムカつくんだけど、でも炎がバッと一気に燃え上がるような凄まじい怒りを見せる日向さんは、実は目を離せないほどに魅力的でもある。
・・・こんなこと言ってるから、サッカー部は日向さん以外はまとめてドMだ、なんて他の部の奴らに言われるんだよな。それは否定しないけどさ。早く日向さんに喝を入れて欲しいよ。


「もしかしたらさあ・・・」

仁王立ちして怒りを爆発させる日向さんを想像してほっこりしていると、同じサッカー部の小池がひそひそ声で切り出した。

「日向さんって、どこかでΩを囲ってるなんてことないの?」
「・・・はあー!?」

素っ頓狂な声をあげたのは松木だ。小池はαで松木はβだ。「Ωを囲う」と言っても、松木には縁のないことだろう。Ωはαのためだけに存在する。だからΩを囲うのはαしか有り得ない。

「まあ、その可能性もない訳じゃ無いよな・・・。日向さんにはまだ番がいた様子は無かったけれど、家が決めた相手がいるかもしれないしな。もしそのΩが発情期に入ったのなら・・・・帰ってこない理由も説明がつく」
「うわ。マジか」

・・・随分冷静にヤなこと言うね、島野。

そうなんだよ。それは俺も思っていた。その可能性が無い訳じゃないって。
だってインフルエンザなんてまだ流行ってもいないのに、人一倍丈夫で健康なあの人がそんなものに罹るだなんて信じられない。たまに熱を出してバタン、と倒れることはあっても、それすらも一日寝れば元通りになるような人だ。

じゃあもし、インフルに罹患した・・・というのが嘘だとしたら?
突然に1週間も休んでいる理由が、他にあるとすれば?
それは一体なに?

唐突に1週間ほど姿を消す。その理由として最初に思いつくのは、Ωの発情期だ。
Ωは一旦ヒートになると、1週間近くを家に籠って過ごすようになる。その時期のΩは、番のαと性交する以外に何もできなくなるからだ。学校にも行けず家事もできず、ましてや外で働くなんて絶対無理で、ただひたすらにαを受け入れるだけ。それしか出来ない。薬で発情そのものを抑制しない限りは。

そんなだから、番をもつαも三か月に一度はΩに付き合って籠るようになり、世間とは隔離された状態で朝も夕もなくΩを抱いて過ごす。

俺らはまだ学生だから、Ωの発情期を理由にして学校を休む奴なんかいない。だけど高校を卒業して大学に上がれば、割とある話だ。
そう考えれば日向さんの今回の不在がどこかのΩによるものであっても、別におかしくはない。俺たちだってあと半年もすれば、高校生ではなくなるのだから。

そもそもΩの方からすれば、日向さんはとびきりの優良物件だ。このまま順調に行けばサッカーで何十億と稼げる可能性が高いのだから、Ωの子供をかかえた家ならどんな条件を飲んだって番にさせたいだろう。
日向さん本人からは聞いたことが無いけれど、既に家が決めた番がいたって不思議じゃない。

(・・・もしかして、日向さん。今頃は発情期のΩをどっかで抱いてんのかな・・・)

俺たちの見たこともない、顔も知らないΩの子。か弱くて細くて、きっと日向さんに愛されるに相応しい美しいΩ。
そんな子を腕に抱く日向さんの姿を思い浮かべてみる。そして容易に想像できたその画に、俺は何とも言えない不快感を覚えた。


う、ん?
不快感?

いや、別に不快に思う必要なんか無いだろう。
日向さんはαだ。サッカー界にとっては宝といっていいほどの存在で、突出した才能をもつ、将来を約束されたα。
そして俺も同じαだ。
あの人が上等なΩを相手にしたからって、嫉妬こそすれ、不快に感じることなんて         ああ、そうか。嫉妬してるから不快に思うのか。羨ましいと思っているのか、俺は。何でも持っているのに、そのうえ誰もが望めないほどの完璧なΩを手にするだろうあの人を、妬んでいるのか。

自分が自分で思っていた以上に小さい人間であったことに、嫌気が指す。同じαではあっても、あの人は別格なんだってとっくの昔に納得した筈なのに。
あの人は特別なんだ、って。

(・・・ほんと、俺ってちっちぇーの)

あの人になりたい、あの人みたいになりたい。そう思って駆け抜けてきた数年間だった。でも結局はあの人に追い付けずに自分との差を思い知らされるばかりで、悔しい思いも沢山した。
共通の目標をもつことでそんな気持ちもいつしか忘れるようになったけれど、それでもふとした拍子にこんな風に表に出てくる。

一体いつになったら、俺はあの人から自由になれるんだろう。・・・自由になってしまうんだろう。
高校を卒業したらか。
だけど、         それはそれで、つらいんだろうな。



ぼんやりとそんなことを考えながら真っ暗な窓の外に視線を向けていたら、突然にガラっと大きな音を立てて談話室のドアが開いた。きっと何も考えずに乱暴に開け放ったのだろう。誰だよ、傍迷惑な         と振り返れば、何とそこに日向さんがいた。

「日向さん!」
「すごい久しぶり!大丈夫なんですか!?」
「心配したんですよ!」

サッカー部の面子だけでなく、他の部の奴らまで日向さんに群がる。自分に厳しく他人にも厳しい人だけど、やっぱり慕われているんだよな。俺様だけど、それは実力があってのものだし、言うだけじゃ無くて結構面倒見が良かったりもするし。

ああ、でも本当に久しぶりの日向さんだ。何にも変わってない・・ってか、1週間程度じゃ変わらないか。
でも少しやつれたかな。本当にインフルだったのか。信じなくて悪かったかなー・・・なんて、俺はぽーっと日向さんに見惚れていた。

「反町」

日向さんは色んな奴らに声を掛けられるけれど、それらを一切無視して俺の方に真っ直ぐに進んでくる。しかもその顔は目尻がつり上がって怒っているようで       アレ?俺、何かしたっけ!?

「おかえりぃー。日向さん」

ソファに座ったままで、へら、と笑った俺を日向さんは真顔で見降ろした。そして「お前、ちょっと俺の部屋に来い」と言って踵を返し、そのまま自然に割れていく人波の間を抜けていく。

俺は首を傾げて後を追った。













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