~ 溶けて消えて、このカラダごと。 ~









この世界には3種類の人間が存在している。
いや、正確には6種類か。



この世に存在する人間は、古から、それこそ神話の時代から厳然として存在する性差でまずは分けることができる。
男と女という2種類の人間に、だ。

男女の定義については様々な意見があるだろうが、一般的には子を産む器官を持つ方が女で、女に対して子を孕ませることのできる器官をもつ方が男と言えるだろう。
ものすごく大雑把かもしれないが、そう外れてはいないと思う。
勿論、後天的に性別を変更するとか、その器官の機能が、もしくは器官そのものが失われる場合はあるだろうが。


それとは別に、もう一つの人種の区分がある。

それが、α、β、Ω だ。











αはこの世界のリーダーだ。

α、β、Ωの3つに区分される人種の中で、どの能力においても最も秀でているのがαだ。
身体的能力、頭脳、精神力など全ての面において、強靭さを誇り、優れた力を発揮する。βやΩがどれだけ努力したとしても、αには到底及ばない。比ぶべくもない。
それらはαだけに与えられた、天からの贈り物だ。生まれながらに持つ才能であり、努力して手に入れるようなものではない。どれほどに渇望しても、βとΩには手が届かない。指先すら引っかからない。
αは他の種とは、まさに「人種が違う」のだ。αがαである所以だ。

αはどの業界、どの社会においても、富裕層であり、支配者であり、重鎮であり、警護するべき重要人物だ。実社会というヒエラルキーの頂点に君臨し、その下層で蠢くβとΩを導く。より良く、より正しくあるようにと。
それが政界であっても、経済界であっても同じことだ。文学や芸能、スポーツといったジャンルであっても、変わらない。権力、金、影響力を独占するのは、どの社会にあっても基本的にはやはりαだ。


それが当然だ。誰もが知っている。幼い子供ですら認識しているだろう。
αは神に愛された、この世の王なのだから、と。



支配する側のαと、支配される側のβとΩ。
そういった構図が出来上がっているにも関わらず、いやだからこそか、βとΩはαを敬愛して止まない。









βは能力的にも、社会的地位においても、αとΩの中間にある。いわゆる一般的な層、人種がβだ。
数は3種類の人種の中で最も多い。この世に存在する人間の大半はβといっていいだろう。

αより劣るとはいえ、数が多い分、βの中からもたまに優れた才能を持つものが現れる。そういった人間はαほどではないにせよ、社会的に成功し、富と名声を得ることができる。

だからβの家庭では、親は子供に少しでもいい教育を受けさせようとするし、子供自身もそれを理解しているから努力する。

自分の未来は自分次第で変えられる。
βはその点では自由だ。








Ωは違う。Ωには自由なんて無い。そんなものは、Ωには存在しない。

Ωは最下層の人種だ。Ωがまだ子供で、親に守られている間はいい。だが成人して家を出てしまえば、基本的に独り身のΩ自身には社会的地位も無い。
早く結婚して後ろ盾を得るというのが、Ωに許された唯一の生き残る道だ。



なぜΩに社会的地位が無いか。

能力的に最も劣るということもある。
概してΩは体も小さく、細く、弱い。体力が無いので力仕事は向かない。走る、跳ぶ、といった基本的な身体能力も低いので、スポーツも向かない。筋力もつかない。どれだけ本人がトレーニングをしてもだ。男でさえそうなのだから、Ωの女は推して知るべしだ。


知的能力はβに比べて特段に低い訳ではない。だがそれでも、βにできる仕事がΩには出来ない理由がある。


Ωには3か月に一度、『ヒート』がやってくるからだ。


『ヒート』とは、要は発情期だ。

Ωは男でも妊娠をする。
第二次性徴期になると、直腸の奥に子供を宿すことのできる器官が形成されるのだ。

それと同時に、ヒートがやってくるようになる。とはいえ、初めてヒートに入る頃はまだ器官もできたばかりで未熟だから、それほど強い欲求は起こらない。
大抵のΩがそれで一旦安心するそうだ。「この程度なら、やり過ごすこともできそうだ」と。

だがそれはあくまでも、身体の準備が出来上がっていなかった・・・というだけの話だ。
成長するにつれて、徐々にヒートによる欲求は強くなり、抗い難いものとなる。適齢期になれば、抑えようがなく、身体が震えるほどの強い衝動となり、嵐となってそれはΩを襲ってくる。

ヒートに入った適齢期のΩがどんな風になるかというと、発情した犬猫を思い出せばそれに近い。頭の中にあるのは、交尾のことだけ。男であれ女であれ、自分の発情に応えてくれるαが現れて、身体の中を思うさまに掻き混ぜて、種付けしてくれるのを待つだけの身になる。

ヒートは一旦始まると、延々と1週間も続く。
その期間にΩができることは、食べて寝るということ。あとはαとの性交のみだ。

そんな状態が1週間続けば、ヒートの時期を脱しても、通常の生活に戻るのに2~3日かかる。結局は10日ほどはまともな状態ではいられない。
それが3か月に一度の頻度でやってくるのだ。


だからΩは、普通に働くことが難しい。雇う側だって、何も好き好んで戦力にならないΩを使おうとは思わない。






Ωが発情期に誘うのは、基本的にはαだ。
ヒートに入ったΩは、αを誘うためのフェロモンを発する。それはΩの意思に関係の無い部分で、本能的になされるものだ。
Ωのフェロモンに反応したαの中から、そのΩの相手をしてもいいと思う者が現れた場合にだけ、性交につながる。そうなれば1週間、Ωはαをその身に受け入れ続けて、頭も身体もグチャグチャになるほどセックスに没頭する。胎の奥が疼いてどうしようもなく、αが欲しくて欲しくて、その熱を与えて貰っても貰わなくてもおかしくなるんじゃないかと思うような、狂ったような1週間が過ぎる頃、ようやくΩの発情は終わる。

終わってしまえば、基本的にはそのαとはさよならだ。
番にでもならない限りは、1週間限りの関係で終わる。



稀にΩのフェロモンにβが反応する場合もある。
αに選ばれなかったΩの場合は、たとえβでもいいから、発情した身体を鎮めてもらうしかない。そのために不本意でも、ヒートの状態にあるΩはβ相手でもセックスをする。
だがβはβの中から伴侶を見つけるのが一般的だ。βはβとしか子を成せないからだ。
だから、Ωに手を出してくるβは遊び目的と考えていいだろう。Ωが産むことができるのは、αの子だけなのだ。

βからすれば妊娠する危険性もなく、好きなように扱えるΩはいい遊び相手だ。一度限りのヒートでΩを弄んで捨てたとしても、αと同じく、誰に非難されることもない。

どんな結果になったとしても、悪いのはαでもβでもなく、誘って惑わせたΩの方         という社会通念が既にまかり通っているからだ。


誘うのは常にΩ。
それは正しくもあり、誤りでもある。



Ωはフェロモンを出して相手を誘うけれど、別に望んで出している訳じゃない。好きで年に4回もの発情期を迎えている訳じゃない。
そして決定権は常にα、またはβの側にある。最終的にヒートにあるΩのうちから相手を選んでベッドに誘うのは、α、βの方だ。Ωがベッドまで手を引いていく訳じゃない。

結局のところは 『Ωが誘う』 というのはきっかけに過ぎず、αとβは、Ω自身でもどうにもならない体質をいいように利用しているだけだ。


少なくとも、俺はそう思う。









αだった頃には分からなかった、気づかなかったことが色々と見えてくる。


世界がどれだけ不公平で、残酷なものであるかということ。


Ωがどれだけ弱い存在であり、αの庇護をどんなにか必要としている、ということ。
αとβはΩを守っているようで、その実、Ωの自由を取り上げて檻の中に閉じ込め、虐げているのだということ。






俺はかつて、αだった。

周りにいたどのαの子供よりも身体も大きくて強くて、大抵のことを上手にこなしたから、誰もが俺に期待をした。特に両親は、俺の将来に対して「小次郎なら、何にでもなれる。選択肢はいくらでもある。好きな道を選べばいい」と言ってくれていた。


だが、今の俺はΩだ。単なるオスのΩ。

一旦ヒートに入れば、動物とさほど変わりはしない、一匹のΩだ                   







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