~ お前の天使じゃねえから。~4
「お前の天使なんかじゃあ、ねえけどな」
そっと、このままそっと追い出すのだ そう思っていたにも関わらず、若島津はつい若林と日向の会話に割り込んでしまった。あ、と思った時には遅かった。『俺の』呼ばわりにカチンと来たのも事実だった。
「何だ、若島津。横から割り込んでくるんじゃねえよ」
「それは悪かったな。お前があんまり気色の悪いことを言ってるから、つい」
それは本音だ。本当に思っているのだから、仕方がない。
若島津は半ば開き直った。
「大体、何だよ。天使って。同い年の男に使わねえだろ、天使って普通。アタマおかしいんじゃねーの」
「そんなこと、お前に言われる筋合いじゃないな」
「日向が迷惑してそうだから、代わりに言ってるだけ。そもそもこいつはお前のものなんかじゃないしな。それに俺との間で普段、お前のことが話題になったことすら無いし」
「日向にだって、お前に話さないことくらいあるだろうさ」
ハッ、と若島津は鼻で笑った。
「そう思うか?」
「・・・・・」
一瞬押し黙った若林を横目に、若島津は未だ捕まったままの日向の腕を引いた。「あ」と小さく声がして、日向が若林の腕から離れて若島津の元へ戻ってくる。途端に後ろで見守っていた明和FCのメンバーから、喝采が上がった。
「ひゅう・・」
「源三様。そろそろお時間です。戻りませんと、会食に間に合いません」
若林が口を開こうとしたその時、少年たちの喧噪の中を割って入る、重々しく落ち着いた響きの声があった。
「どうぞ、お車にお戻りくださいませ」
若林のお付きの運転手だった。彼の仕事は主を目的の場所に連れていくことと、その場所から時間どおりに連れて帰ることの両方だった。
「もうそんな時間か。・・・分かった」
若林は案外あっさりと首肯すると、日向と若島津に向き直る。
「まあ、今日のところはいいさ。お前みたいな余計なのがくっついているのも、それだけ日向が魅力的だってことだ。どのみち俺は春になったらドイツに渡って、暫くは戻ってこない。若島津、お前は日向に変な虫がつかないように見張ってろよ?・・・日向、お前は俺が傍に居ないからって、つまらない奴と付き合ったりするんじゃないぞ」
そのあまりに俺様で上から目線な物の言い方に、明和FCのメンバーが動揺してざわつく。それにも構わず、若林は運転手を従えてさっそうと引き上げて行った。
一旦帰ると決めたならパっと切り替えて潔く去っていく背中を、日向も若島津もげんなりとした表情で見送った。
「ほんと、たまには人の忠告も聞くべきだよな」
「分かったって。今回の件は俺が悪かったって」
「だからあの時、行くなって言ったのに」
「だから、分かったって言ってるだろ。もう過ぎたことなんだし、いいじゃねえか。お前も大概しつこいな」
「いや、でも若島津の言う通りですよ。ほんと、もう勘弁してくださいよ」
「でも、また来るんですよね、あいつ・・・。練習場所、変えますか?」
「もう俺、アイツに来て欲しくないんですけれど!」
メンバーたちがやいのやいのと騒ぐのを、日向は「うーん。でもアイツはたまにしか来ないし、どうせ居なくなるからなあ」とのんびり構えている。やって来たら来たで煩わしいが、やはり日向はそれほど若林のことを苦手としている訳ではないらしい。
(まあ尊大な態度はとっているにしても、ああいう裏表の無いような奴と日向は気が合うだろうな・・・)
返す返すも、なぜあの日に日向を南葛に、若林の元へと行かせてしまったのかと悔やまれる。
若島津はチームメイトに囲まれている日向へと視線を移した。
真っ黒に日焼けして手足に生傷の絶えないサッカー少年を『天使』と称するのは全く理解できないが、若林が日向に執着すること自体は分からないでもない。変な意味ではなく、日向は確かに魅力的だ。だからこそ若島津自身も彼を追って東邦学園に進学することを決めたのだから。
(それにしても、天使・・・ねえ。擦れてない、ってのはあるかもしれないけれど)
人としても男としても人を惹きつける魅力があり、元より『人たらし』だということは身をもって知っている。他者にも自分にも厳しくストイックだが度量があり、黙っていても周りがついてくるタイプだ。その一方で家族を大事にしていたり、動物や小さな子供には優しいなどギャップもある。そして意外なほどに純情で、晩生ときている。
日向のそんな面も知ったなら、大抵の人間はハマる。
(もしかして、若林がドイツに行ったからといって、それで面倒が終わる訳じゃないのかもしれないな・・・)
ふと、そんなことを思った。
「若島津さん」
日向を囲む輪からタケシが一人抜け出て、ひょこひょこと若島津の隣にやってきて並ぶ。若島津と若林がやり合っている間も近くに居たのだろうが、タケシはいつもと変わらないにこやかな笑顔を浮かべていた。
そういえばタケシからは、若林のことで否定的な言葉を聞いたことが無いな 若島津は気が付いた。
「タケシ」
「若林さんはすごいですね。僕、あんなにグイグイと押して来て、でも日向さんを怒らせない人って初めて見た気がします」
「そうか」
「東邦学園に行ったら、ああいうタイプの人がいっぱいいるんでしょうかね。お金持ちの人が多く通う学校だって聞きましたから」
「どうだろうな」
他の学校と比較したことが無いから分からないが、入学金も授業料も安くはない筈だ。それでも中には、ごく普通の一般家庭の子供だっているだろう。
「東邦は男子校ですけれど、若林さんからあんな風に好かれるっていうことは」
「・・・・」
「きっと東邦学園に入っても、日向さんはモテて大変なんでしょうね」
「・・・・あー・・マジか・・・」
その類の心配など、この明和にいる限りは一度だってしたことがなかった。日向も若島津も、まだまだ色恋沙汰とは無縁で、お互いに一緒にサッカーをやっていれば満足できていたのだから。
だが確かに・・・と、そう思わせる何かが日向にはあるのだ。あの気が強くて頑固で意地っ張りで、ぶっきらぼうで乱暴にも見える、だが心の優しい少年には。
「でも大丈夫です。2年後には僕が追いかけて、東邦に入りますからね。それまでは若島津さんもいますしね。だから、本当によろしくお願いしますね。日向さんのこと。頑張りましょう、若島津さん!」
「・・・マジか」
にっこりと微笑むタケシに対して、若島津は先ほどと同じ言葉を零して大きなため息をつく。
来たるべき中学校生活が途端に不穏なものに思え、一瞬『東邦行き、早まったか・・・?』と思っては、いやいやいや、と首を振る若島津だった。
END
2018.05.04
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