~ お前の天使じゃねえから。~



若島津健には、一つ後悔していることがある。

それは昨年小学5年生の時に無茶をして、3つ年上の中学生と組手をして鎖骨にヒビを入れたことでも無く、今年の春にやはり無茶をして、車に轢かれて大怪我を負ったことでも無かった。

(いや、でも車に轢かれたのは、関係あるっちゃあるよな・・・)

「なあ、日向。俺がドイツに行く前に一度でいいから、遊びに行こうぜ」

本来ならここにいる筈のない人間が発した声だった。そしてこの人物がここに居るということが、元を辿っていけば若島津の交通事故と関わりがあると言える。

「何言ってんだよ。俺には遊ぶ金も無えし、そんな暇も無えよ。大体、何でお前がこんな所にいるんだよ。お前だって忙しいんじゃないのか。それこそドイツに行く準備があるんだろ?」
「準備なんか終わってるさ。どのみち書類関係は任せるしかないしな。・・・なあ。ほんと付き合ってくれよ。金なんていいからさ。お前は俺と一緒に居てくれるだけでいいんだよ。日本にいる間に友人と思い出作りをしたいという、俺のささやかな望みを叶えてくれよ」
「誰と誰が友達なんだよ・・・。っつーか、お前、友達らしい友達がどうせいないんだろ。えらそーにしてばっかいるからな」
「ははっ。何だよお前、可愛いな!いや、違うな。そういう可愛くないことを言うところが最高なんだよな、日向は!」

(ははっ、とか爽やかに笑ってんじゃねーよっ。お前の言ってることは、単なる援交だからな・・・!)

ここは明和FCが練習の拠点としているグラウンドで、明和FCのメンバーが敬愛してやまないキャプテン、日向小次郎の肩を馴れ馴れしく抱いて高笑いしているのは、はるばる南葛市からやってきた若林源三だった。

若林はこのところ、足繁く日向の元に通ってくる。最初に訪ねてきたのは秋口に入った頃で、『小学校を卒業したら、ドイツに渡ることになった。向こうでプロになる』と日向に告げるためにやって来た。
それ自体は別に、若島津や明和FCのメンバーにとっても、どうこう言う話ではない。日向と若林は全国大会で優勝を競ったライバル同士なのだし、お互いに実力を認め合ってもいる。だから若林が直接別れを告げにきたとしても、特に不自然とは思わなかった。

だが、ことはそれでは終わらなかった。

以降も若林はなんだかんだと理由をつけては、日向に会いにやってきた。今もそうだ。
しかもその回数は小学校の卒業式が近づくにつれて頻度を増し、そのうえ最近では日向に対する物理的な距離が近く、何かにつけて触れようとする。目に余るほどだ。

今も若島津たちが傍にいるというのに、若林は日向の頭を逞しい腕でホールドし、見た目より柔らかい髪をクシャクシャと掻き混ぜている。それだけでは飽きたらず、周りの冷たい視線を物ともせずに『日向、なあ、どっか遊びに行こうって。うちの別荘に泊まりでもいいし、何だったらTDLとかでもいいぞ。ホテルも俺の方で予約するからさ』などと誘いをかけている。若島津もその他のメンバーも、正直、腹立たしいことこの上なかった。

(金に物言わせて、日向さんの興味を引こうとしやがって      、汚えぞ!)
(俺たちのアイド・・・キャプテンだぞ・・・!そんな軽々しく話しかけるな      !)
(ああ、あんなにベタベタ触りやがって・・・!大体、日向さんも無防備過ぎるんですよ・・・!)

普段から敬称をつけて呼ぶほどに日向のことを慕っている彼らだ。
だが彼らのほとんどが小学校を卒業した後は地元の明和東中学校に進む。そして日向は東邦学園に進学することが決まっている。一緒に東邦へ行く予定の若島津はともかく、他のメンバーにとっては日向と共に過ごす時間は残りが限られていた。
なのに身内でもない若林がしゃしゃり出てきて、馴れ馴れしくちょっかいを出してはその貴重な時間を奪っていくのだから、それは許しがたいし忌々しい。

「あのボンボンめ・・・!ほんとムカつく。日向さんも日向さんだよ。あんな奴、さっさと追い返せばいいじゃないか」
「あーっ!近いっ近いっ!ちょっとアイツ、ほんと日向さんと距離が近過ぎるんだけど!誰か何とかしろよ!」
「大体、アイツと日向さんは、一体どこでこんなに仲良くなったんだ?いや、確かに日向さんは目を引くし、カッコイイし、親しくなりたいだろうけどさ」
「でも全国大会では、そんな話す時間なんか無かったよな。俺、ずっと日向さんの傍にいたけど」
「若島津。お前、日向さんからアイツのこと、何か聞いているか?」

一人が若島津に話を振ると、メンバー全員が一斉に若島津を振り向く。

彼らにも分かっているのだ。静岡からやってきた富豪の天才キーパーに対抗できるとすれば、このクラブにはそんな人間は若島津くらいしか居ない。地元の名士の息子で、若堂流本家の期待を一身に背負う空手家で、そのうえ容姿端麗で頭脳も言うことなしという、若島津健くらいしか居ないのだと。

「何かって・・・まあ、な」

話を振られた若島津は言葉を濁すが、実のところ関わりが有るといえば有り、そして自身も苦々しく思っているのだ。
自分があの時、もう少し強く出ていたなら、我を通していたなら、きっと今頃こんなことにはなっていない。あんな下心丸見えの奴を、世慣れているようで実は純粋でまっさらな日向に近づけさせたりしなかったのに・・・と。

(あの時、もう少し反対すれば・・・というより、何が何でも日向を静岡なんかに行かせなければ・・・!)

若島津が『ただ一つ後悔している』というのはまさにこの事であり、『あの時』というのは全国大会前、日向が若島津に『ちょっと静岡に行ってくる』と打ち明けた日のことだ。



それは日ごとに暑さが増していった初夏の候。
樹々の葉を透けて落ちる光すら眩しく映るようになった、美しい季節のある日のことだった。








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