~ 俺が敬語を使う理由 ~




桜の花が満開を迎える頃、東邦学園中等部に入学予定の若島津健はまさにその学校の敷地の一角に立っていた。

彼がいるのは、広い面積を有する学園の中でも教師にも生徒にも忘れ去られたかのような、滅多に人の立ち入らない場所であった。中等部と高等部の境にある小さな庭で、芝生が敷かれていて、その上に何のためにあるのかやはり誰も知らないような石碑がポツンと置かれている。他にあるのは敷地の境界線となるフェンスと、それに沿って植えられている沈丁花の生垣。それと、それほど大きくもない桜の木が石碑の傍に1本植わっているだけだった。
学園のメインとなる建物からは離れており、教職員が使う駐車場の更に奥にあるというその場所は、たまに誰かやってくるとすれば造園業者が手入れに回ってくるくらいだ。


だが若島津は勿論、用も無くてそこに立っているのではなかった。彼はここに人を探しに来たのだ。
探し人はどちらかと言えば寂しがり屋で、人恋しい性格をしていた。そのくせ猫のように気まぐれにふらりとどこかに行って、一人になれる場所を見つけてくる。そして独りでいることに満足すると帰ってくる。

若島津は探し人のそんな気質を知っていたから、昼に明和を出て東邦学園に着いてから、彼        日向小次郎が寮のどこにも見当たらない、と分かっても驚きはしなかった。
元より今日こちらに着くとは別に告げていなかったのだ。驚かせたいというのもあったし、わざわざ宣言してから来るのも気恥ずかしいものがあった。

いないのであれば探すだけだ。すぐに学園内の散策も兼ねた人探しが始まった。放っておいても夕食の時間になればきっと帰ってくるのだろうとは思ったが、どうせ入学する学校なのだし、あちこち見ながら彼の猫を探し歩くのも悪くはない        そう考えた。



まず寮の敷地内を探してみたが、迷い猫を見つけることはできなかった。続いて寮に隣接する学園の中を捜索した。学園は春季休校中で校舎内は閑散としていたが、体育館や武道場には人のいる気配があり、寮から直接学園に通じる門も開いていた。

彼が好みそうな場所を探して回り、結局30分ほどもかかったか。果たして今、若島津の目の前に日向は佇んでいた。石碑に腰かけて、ぼんやりと桜の木を見上げている。丁度若島津には背中を向けていて、顔が見えない恰好だった。
白いパーカーにジーンズといった普段着で何のために日向がここに来たのか、何をしているのか、多分他人であれば誰にも分からないだろう。だが若島津に察しがつく。日向との付き合いは時間にすれば2年ほどしかないが、その間は家族にも負けないくらい身近で彼を見てきたつもりだ。

大して立派でもない桜の木。だけど、小さな花弁を枝いっぱいにつけて、風が吹く度にピンク色の花びらを散らしている。ひらひらとゆっくり舞い落ちる花びらは、風向きによっては日向の上にも降り注ぐ。それを日向は身動ぎもしないで受け止める。
表情は見えないけれど、日向が桜の木に癒されているだろうことは想像に難くなかった。



若島津にしては珍しく、声をかけるか否か迷った。
日向がこうしてリラックスしている今、なるべくなら邪魔はしたくない。だけど自分がいることにも気付かせたい。
振り返って自分を認めたなら、彼はどんな顔をするだろう。


つい先日離れたばかりだというのに、そんなことを考えてしまう自分を若島津は笑った。



「日向」

そっと呼びかけてみると、白いパーカーを羽織った背中がビクリと震えた。

ゆっくりと日向が振り向く。自分の名前を呼ばれたことに確信が持てないとでもいうように、静かに、ゆっくりと。

やがて自分を振り返った日向と視線が合い、彼のアーモンド型の瞳が驚いたようにめいっぱい見開かれるのを、若島津は見た。切れ長の目なのに不思議と大きな、綺麗な澄んだ瞳。

その目がすっと細められたかと思うと、無言のまま日向が駆けてくる。それが『 タタタと駆け寄ってくる 』などという可愛らしい感じではなく、全力ダッシュだったので、若島津は苦笑いしながら日向を全力で受け止めるべく身構えた。

すぐに彼      日向小次郎は若島津の腕の中に飛び込んできた。若島津の方が少し上背があるとはいえ、それほどには体格の違わない二人である。さすがにぶつかってきた体を受け止めきれず、若島津は日向を抱えたまま後ろに倒れこんだ。
勢いは削ぐことが出来たので怪我はしないが、結構な衝撃はある。それでも日向は若島津から離れようとはせず、二人は服が汚れるのも構わずにゴロゴロと芝生の上を転がった。


「・・・いってぇ~・・・。随分と熱烈な歓迎だなあ」

ようやく落ち着いたところで、はふ、と息を吐いた若島津が声をかけると、日向が若島津の胸に埋めていた顔をガバリと上げた。

「・・・来るなら来るって、言えよッ!ビックリしただろ!」
「心配だった?」
「心配なんかするか、ばーか!・・・受かったからには絶対説得してここに入るって言ったのは、お前じゃねえか!」

だから、ちゃんと待ってただろ・・・
そう小さく呟いて再度己の胸に頭をグリグリと擦り付けてくる日向を、若島津は自分の上に乗せたまま、揺すり上げるようにして抱きしめ直した。

「ちょっと時間がかかったんだ。頑固な親父を説得するのにさ。・・・でも大丈夫だから。俺の方が何倍も強情だってこと、ようやく納得したみたいだし」
「・・・うん。」
「俺、ずっとお前とサッカーするって言ってきたじゃん。ちゃんと信じてたのかよ」
「・・・うん」
「その”間”は何だよ?」
「信じてたけど・・・。心配、してた、のかな。やっぱり俺。・・・あのな、俺、今すっげぇ嬉しいの。」
「・・・あー。日向、お前も変わんないね」


何が?と見上げる日向に、何でもない、と若島津は笑う。



久しぶりに      短い期間でも、彼らにとっては、久しぶりの再会だった。それまでは三日にあげず顔を合わせていたのだから      会えた友人は何も変わっていない。

お互いにそのことが嬉しくて、抱きしめ合う腕に力がこもった。







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