~ 香坂くんとタケシくん。 ~2









結局俺は、一日だけ部活をサボってその足で街に降りて、定期的に東邦の寮にも出張してくれる床屋さんに行って頭を丸めて貰った。店主の尾形さんはバリカン片手に「本当にいいんだな?」と確認してくれたけれど、俺は黙って頷いた。

頭を剃ったからといって、先輩にグダグダと愚痴を吐いて迷惑をかけたことがチャラになる訳じゃない。ましてやサッカーが突然に上手くなる訳でもない。
だけど不器用な俺には、反省と、やり直したい、生まれ変わりたい・・・という気持ちを表すのに、他にどうすればいいのか分からなかったんだ。




翌日の部活では、先輩も同級生たちも皆、俺の坊主頭を見て驚いていた。きれいサッパリと剃られた頭のことでは揶揄われたりもしたけれど、誰一人として俺が一日サボったことと、「辞める」と騒いだことについては触れてこなかった。戻ってきた俺を、ただ黙って受け入れてくれた。
監督はそんな騒ぎがあったことを多分知らなかったし、今でも知らないと思う。それが本当に有り難かった。


それからだ。すれ違う度、声を掛けられる度に、日向さんの手が俺の頭に伸びてくるようになったのは。
ただ廊下で行き交うだけでも、す・・・っと日向さんの指が触れていく。
日向さんがいることに気が付いている時はいい。だけど気が付いていない時に触れられると、本当にびっくりする。そんな時、バっと振り向く俺に日向さんはニっと笑いかけてそのまま去っていく。


またその時の笑った顔の、男前なことと言ったら・・・・!



そんな風に触れられては顔を赤くし、後で思い返しては頬が緩む毎日。


だから最近、俺は顔を引き締めるのが大変なのだ。










****



昼休みにサッカーの練習をしようと思って、部の備品をしまってある倉庫に向かった。誰かがいるかもしれないな、と思っていたら、沢田が倉庫の外、コンクリのブロックの上に腰を下ろしてボールのチェックをしていた。

「沢田?何してんの」
「あ、香坂さん。いえ、ちょっとメンテが必要なボールを放ってあったので、昼休みに片づけちゃおうかな、って思って」

沢田の足元には、空気の抜けかけたボールや汚れのひどいボールが幾つも転がっていた。

「俺も手伝うよ」
「わあ、いいんですか?ありがとうございます。助かります」

練習をしに来たつもりだったけれど、この状態の後輩を一人置いて行ってしまうのも大人げないだろう。
俺も沢田の隣に腰かけてボールをチェックし始める。沢田はニコニコ笑って、「じゃあ、こっちお願いします」と割り当て分を寄越した。こういう時にヘタな遠慮をしないところが、こいつのイイところだ。

そういえば沢田と二人きりだなんて、初めてのことかもしれない。いい機会とばかりに、俺は沢田に聞いてみたかったことを切り出してみた。

「・・沢田ってさあ。日向さんとはどうやって知り合った訳?やっぱ明和FCに入ってから?」
「日向さん、とですか?」

小学生時代の2つ違いは大きい。同じ小学校といっても、それこそクラブか何かで一緒でもなければ、そう親しくなることもないだろう。

「僕はですね、実は結構昔から知っていて・・・親同士が知り合いだったんです。その頃は近所に住んでいた訳じゃなかったんですけれど、何度か家族で遊びに来てくれたこともあって。それから日向さんのお父さんが亡くなって・・・明和に日向さんたちが引っ越してきたんですけど。だから明和FCに入るよりも先ですね。気が付いたら知っていた、って感じです」
「へえ・・・。そうなんだ」

そんなこと全く知らなかった。なら日向さんが沢田をあんなに可愛がっていても、不思議ではないか。

「明和FCには日向さんが先に入ってて。あそこ、入団するのに年齢制限あるんですよ。4年生からしか入れないって。でも僕の場合は日向さんが口を利いてくれて、特別に3年生から入りました。お蔭で1年、日向さんとサッカーできる時間が増えて、有難かったです。間近であの人を見ること以上に、ためになる練習は無かったと思いますし。今、こうして東邦にいられるのも日向さんのお蔭です」

感謝してます・・・と、嬉しそうに笑う沢田を見て、ああ、ここにも日向さんに心酔している人間がいるなあ、と俺はおかしくなった。

「あ、笑ってます?」
「だってさ。昔から知ってるっていうお前でも、あの人にはハマるんだなあ、って思って。まあ、うちの部は他所からも『 親衛隊 』って言われてるくらいだけど。ほんっと日向さんってすげえよな。なんであんなに完璧なのかな」

はあー、と空を見上げて呟くと、すぐ近くから訝し気な視線を感じた。横を向けば沢田が「??」と疑問符を顔に浮かべて俺を見ていた。

「カンペキ??ですか?日向さんが?」
「・・・じゃねえ?」
「日向さんが、完璧?・・・そう、見えるんですか?香坂さんには」
「お前には違うの?」

何気なく口にしただけだったのに、思いもしないような反応が返ってきたから、俺は逆に気を引かれた。

「いえ、日向さんはすごい人だし、大好きですけど。ただ完璧というのとは、ほど遠いというか・・・」
「じゃあ、お前にとって日向さんってどんな人?」

沢田は真剣な顔をして考え込んだ。

「うーん・・・。意外と自分勝手ですよね。周りが見えてないというか、見ないでもいいと思っているというか。潔いっちゃ潔いですけど。僕、日向さんに何度か怒ったこともありますよ」
「・・嘘!?」

マジか!!
あの日向さんに沢田が怒る!?

「行きあたりばったりだし、後先考えないし、手が出るのも実は早いし。見た目が結構キツイ印象でしょう。昔は上級生から喧嘩を吹っ掛けられることも多かったんですけど、それを片っ端から買っていこうとするんですよ。強いのは強いんですけどね。でもキリがないし、怪我してもさせても困るから止めてください、って僕、何度もお願いしました。少しは愛想笑いとか、受け流すことも覚えてくださいって。それくらいできなきゃ大人になってから困りますよ、って」
「・・・・」
「でも、日向さんって素直なんですよね。普通、2年も年下の人間にそんなこと言われたら、キレたり怒ったりするじゃないですか。日向さんってそれが無いんです。自分が悪かったと思えば、素直に謝るんですよ。ちょっと無いですよね。」
「・・・へえ」
「僕は日向さんのそういうところが好きです。尊敬もしています」

最後に「尊敬しています」と結びはしたけれど、結構言いたい放題していたような気がするぞ。このクリクリっとした可愛らしい目をした童顔の後輩は。

「完璧ではないと思っているけれど、僕は日向さんが好きです」

沢田はもう一度「日向さんが好き」と繰り返した。その笑顔があまりにも朗らかで屈託がなくて、俺にも「ああ、コイツは本当に日向さんが好きなんだな」と分かった。

何となく気持ちがほっこりとして、俺と沢田は暫く黙ってボールのメンテを続けた。






「・・・香坂さん、その頭、似合ってますね。頭の形がいいんですね。日向さんもよく触っていくでしょう?」

暫くしてから手を休めると、沢田は俺に向かってそう言い、「僕の時もそうだったから、分かります」と続けた。

「ん。実はそうなんだ。あんなに日向さんが坊主頭を撫でるのが好きだなんて、思わなかったよ」
「ちょっと羨ましいです」
「じゃあ、お前も髪型戻せばいいじゃん。もともと坊主だったんだし」

東邦に入って髪を伸ばし始めるまでは、確かにこいつも坊主頭だった筈なのだ。今の俺への構いっぷりを見るにつけ、さぞ昔、埼玉にいた頃は沢田のことを構い倒していたんだろうと思えた。

「そうですねえ。確かに、そうしたら日向さんは前のように僕の頭をグリグリと撫でていくかもしれませんけれど」
「だろ?なら・・」
「でもそれじゃあ、いつまで経っても弟扱いじゃないですか。僕はそれじゃ嫌なんです。もう満足できないんです」

ん?
日向さんにとっては実際に弟みたいなもんだろうに、それの何が嫌だというんだろう。俺は首を傾げた。

「弟ポジなんか要らないんです。ちゃんと、一人の男として見て欲しいんです。じゃないと、日向さんのことを狙ったって、ただでさえあの人鈍感なんだから、一生気が付いて貰えない」
「・・・・」

なんか聞いちゃいけないことを耳にしたような気がする。
俺はその場に固まって、妙な汗をかき始めていた。

やばい。これはヤバイ。沢田が何を言っているのか、分かるべきなのか、分かっちゃいけないのか。そこからしてまず分からない。
日向さんには「沢田と二人で組ませて上手くいけば・・・」と言われたけれど、コンビを組むならそりゃあ相手のことを知った方がいいんだろうけれど、でも、コイツのことはあんまり理解しない方が平和なんじゃないかって気もする。
一体どうしたものだろう。

「あ、でもですね。髪の毛を伸ばし始めたはいいけれど、今の髪型が似合っているとは別に思っていないんですよ。どうせなら、もう少し変わった、オリジナリティのある髪型がいいかなあ~、なんて思ったりしてるんですけど」
「あ、そう・・・!そうだな!その方が、いいんじゃないかな・・・!?」
「今考えているのはですね。サッカーボール柄と、日向さんにちなんで虎の縞模様の髪型なんですけれど、どっちが似合うと思います?」
「・・・・・・」

虎縞って、それはいわゆる虎刈りのことなんじゃ・・・という突っ込みもできないほど、俺は引いていた。ドン引きだ。
不意に日向さんの言葉が思いだされる。「お前がストッパーになってくれたらいいと思ってた」とも、あの人は言っていた。確かに言っていた。

         日向さん・・・!これも俺が止めなくちゃいけないんでしょうか!?

俺が止めなければ、いずれサッカーボール柄の頭をした沢田が誕生するのだろうか。俺は急に寒気を感じて身震いした。

         日向さん!俺には荷が重すぎます!無理です!こいつのストッパーなんて、凡人の俺に務まる訳がありませんっっ!

俺の心の声など知る由もなく、沢田は無邪気に「ねえ、どっちがいいと思います?香坂さん」とにこやかに問いかけては、「やっぱりサッカーボールですかねえ。目立ちますかねえ。プレイで目立つのは当然ですけど、それ以外でも目を引くのは大事ですもんね」などと一人で納得している。あほか、お前は!




もしかしたら俺は、サッカー部のレギュラーになる以上に大変な使命を、あの人から       日向さんから、与えられたのではないだろうか。
脳裏に浮かぶのは、俺の頭に触れていくときに一瞬だけ見せる、男前だけど何かを企んでいそうな、いわゆる「悪い男」な感じの笑み。

備品倉庫の外で後輩と仲良く並んでブロックに腰かけて、少しだけ疑心暗鬼になった俺はそんなことを考えていた。










END

2015.10.26

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