~ 香坂くんとタケシくん。 ~






まったく知らなかった。嬉しい誤算といってもいいだろう。最近の俺は、しょっちゅう緩む頬を引き締めるのに必死だ。

だって。
だって日向さんが、こんなに坊主頭を気に入るだなんて        !





そのことに気が付くのに時間はかからなかった。俺が頭を丸めて以降、部活のときでも、学園内でも、寮にいるときでも、日向さんは俺を見掛けては近寄って来て、俺の頭を撫でていく。

昨日だって部の練習で、俺と沢田の二人でレギュラーのDF陣を抜いた時には、日向さんは褒めてくれた。「香坂、タケシ。今のは良かったな」なんて言ってくれて、沢田には肩をポン、と叩いただけだったのに、俺の方は頭をグリグリと強めに撫でていく。

褒められたこともそうだけど、そんな風に日向さんが構ってくれるのが嬉しい。普段は物事をあまり良い方に捉えられない俺だけど、日向さんが「よくやったな」なんて声を掛けてくれれば、そりゃあ素直に嬉しいし、舞い上がってしまう。

だって、憧れの人なんだ。一つしか歳は違わないけれど、小学5年生の時に全国大会で初めて日向さんを見て以来、ずっと憧れている。全然関係ないチームだったのに、明和と南葛の決勝戦で「明和ガンバレー!」って大声で応援するくらいには、短い大会の間にすっかり日向さんに魅了されてしまった。
日向さんの激しい気性を表したような荒削りで直線的なプレイは、大会に出ていた他のどの選手よりも熱くて迫力があって、小学生だった俺の心を強く揺さぶった。決して洗練されている訳じゃないけれど、それが却って生々しくて臨場感があって、一瞬だって見逃しちゃいけない、見逃したくない、って思わせられた。
それとあの人独特の、人を惹きつけるカリスマめいたオーラ。今だってすごいけれど、あの当時から本当にハンパなかった。


日向さんが東邦学園に進学すると知って、俺も東邦に入ると決めた。元々どこか私立の中学を受験するつもりで塾にも通っていたから、親は反対しなかった。自宅から通えるところで・・・と考えていたみたいで寮に入るのは心配されたけれど、親は親で東邦の評判を色々と調べてくれて、この学校なら、と許してくれた。

志望校を東邦に絞ってからはそれまで以上に勉強して、並行してサッカーも続けた。そして無事に合格して入学できた俺は、すぐにサッカー部の部室に赴いて入部届を出したんだ。
ちなみにサッカーでは小学生時代に県の選抜に入るくらいだったから、それなりには自信があった。


そんな風に日向さんを追いかけて、ここまでやってきたのに。
あの人と一緒に走りたい、あの人の見ている景色を自分も見てみたい        。そう願って入ったサッカー部だったのに、嫉妬やくだらないプライドでゴリゴリに凝り固まっていた俺は、危うく自ら捨ててしまうところだった。大事な大事な、他の誰のものでもない筈の、自分の夢を。


1年の冬あたりから突然に壁にぶち当たった。フィールドの中で自分がどう動けばいいのか分からなくなって、ずっと悩んでいた。そのまま何となく浮上できなくて低空飛行を続けていた中、春になって天才肌の後輩が入ってきた。それが沢田だ。

自信を失いかけていた俺は、沢田の存在に更に打ちのめされることになる。

分かっていたことだった。俺には特別な才能がある訳じゃないし、派手なプレイができる訳じゃない。恵まれた体格も無い。
ただそれでも、父親が学生時代にサッカーをしていたこともあって、よちよち歩きの頃からボールに触れていたし、小学生時代のクラブでは誰よりも多く練習していたつもりだ。スランプとはいっても、1、2年生の中ではまだ頭半分くらいは抜けているんじゃないかと思っていた。

だけど違った。沢田が入部してきて、そのプレイを見たとき、俺には分かったんだ。入ってきたばかりの1年生に、ついこの間まで小学生だったこの小柄な後輩に、今の俺じゃ絶対に敵わないって。

すごくショックだった。
小学生の時だって沢田のプレイは見たことがあった。日向さんや若島津さんが抜けた後の明和FCとなら対戦したこともある。確かにその頃だって小学生にしては並外れて上手かったし、どんな場面でも器用に動いていたけれど。
だけど東邦に入学してきた沢田は、その頃なんか比べ物にならないくらいにずっと強くなっていて、そしてのびのびとサッカーをしていた。


どれだけ努力をしてきたんだろう。こいつは            。そう思った。
日向さんたちがいなくなった後の明和FCで、どれだけ練習を重ね、努力をしてきたんだろう・・・って。

才能のある人間が、こんなに努力をして、着実に力をつけてきている。じゃあ凡人の俺なんか、歯が立つわけないじゃないか。自分がここにいたって、意味がないんじゃないか。何の役に立つっていうんだ          。
やがて、そんなふうに考えるようになった。


何で神様は俺にサッカーの才能を与えてくれなかったんだろう。どうしてあいつじゃなきゃいけないんだろう。どうして、どうして。
そんなことばかり、ぐるぐるぐるぐると考えた。欝々として、苛々することも多くて、サッカーにも勉強にも集中できなくなった。何もかもが上手くいかなくなって、人知れず何度も泣いた。
そしてとうとう「サッカー部を辞める」と騒いだのは、ついこの間のこと。


同級生には「考え直せ」と止められたけれど、あの時点では俺の気持ちは決まっていた。もうサッカーは辞めるって。

だけど運よく(?)前野たちに囲まれている時に日向さんたちが通りかかって、俺の予定はあっけなく変更となった。
別に日向さんも若島津さんも反町さんも、俺のことを止めてくれた訳じゃない。寧ろ「辞めたければ辞めろ」と言われた。

だけど日向さんは、こうも言ってくれた。「見捨ててはいない」って。

自分でも自分のことを諦めていたくらいだから、見捨てられたって文句は言えなかった。なのに日向さんは「見捨ててるつもりは無い」って、厳しい口調だったし、ぶっきらぼうだったけれど、そう俺に告げてくれた。
日向さんは思ってもいないことを口にしたり、他人をおだてたりする人じゃない。
だから俺は驚いて顔を上げた。その言葉をかけてくれるまで怖くてまともに日向さんの顔を見れなかったけれど、ようやく視線を上げて真正面から向かい合うことができた。

その時の日向さんの顔は、怒っているようでもあったし、どこか痛いのを我慢しているような感じでもあった。どちらともとれるような、そんな表情をしていた。



日向さんが何を考えていたのかは、本当のところは分からない。

グズグズと泣きごとを繰り返す後輩に腹を立てていたのかもしれないし、呆れていたのかもしれない。全然別のことを考えていたのかもしれない。
でもそんなことはどうでも良かった。大事なのは、日向さんの一言で俺が救われた、ということだ。



自分自身を信じられないのなら、日向さんを信じればいい。そう思った。
あの人にとっては迷惑な話かもしれないけれど、俺にくれた「見捨てていない」「期待している」という言葉に、今だけでも縋ってみようと思った。

だって俺の敬愛する先輩は、信頼するに足る人なんだから。誇り高くて、正直で真っ直ぐで強くて、本当の意味で優しい人だから。


そんな人がくれた言葉は、俺にとっては翻意するのに十分な理由になったし、これからもサッカーを続ける動機づけになったんだ。















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