~ 可愛い人 ~2






若島津が風呂から上がって部屋に戻ってきた時には、日向もまた自室へ戻ってきていた。
消灯までの時間はそれぞれに夏休みの宿題を消化する。それを終えたらすぐにベッドに入った。明日も朝から練習があるのだ。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

灯りを消して身を横たえて、若島津はしばらくベッドの中で寝返りも打たずにじっと待っていた。こうしていれば、すぐに日向の寝付く気配が感じられるだろう。日向の寝付きが異様にいいことも、一旦眠ってしまえばそう簡単には起きないことも、よく知られていることだ。だが用心を重ねるに越したことは無い。

やがて日向の呼吸音がゆったりとしたものに変わり、本格的に寝入ったことを若島津に知らせてくれる。それからようやく若島津は起き上がり、自分のベッドから抜け出た。
物音を立てないように気を付けて机の引き出しから目的の物を取り出すと、それを手に日向のベッドに近づいて仰向けになっている顔を覗きこむ。

(・・・よく寝てる)

常夜灯に淡く照らされた頬が、昼間見るよりも柔らかそうなラインを描いていた。こうして目を瞑っていると、まだ幼さの残る顔だった。つい触ってみたくなるが、それはさすがに自重する。
そっと日向の枕元に、プレゼントの小さな袋を置いた。

(目が覚めたら、気が付くだろうし。気が付いたなら、自分の誕生日だってさすがに思い出すだろうし)

こうした行為が自分の自己満足でしかなく、傲慢なものだとしても、それでも構わないという結論に若島津は達していた。

相手を大事に想っているということは、伝えようとしない限りは伝わらない。行動や態度や言葉に表さずに、他人に分かって貰えるだなんて虫のいいことは思わない。日向が喜ぶ喜ばないの以前に、若島津は自分にとって日向がどういう人間なのかを伝えたかった。

(もちろん、喜んでくれるならそれに越したことは無いけれど)

今日一日の日向の様子を思い出す限り、明日が自分の誕生日だなどということは、すっかり忘れているようだった。
それも無理はないかもしれない。なんといっても、これから夏の全中大会が始まるのだ。大会が近くなってきて、チーム全体がピリピリしてきているのを若島津は感じている。その筆頭が日向だ。

だが若島津に言わせれば、緊張感は大事だが、必要以上にギスギスした雰囲気になるのは好ましくない。チームとしてのパフォーマンスを最大限に引き出すには、気を引き締めつつも、顕在化した問題には柔軟に対応していかなければならないからだ。

このところの日向には、もう少しだけ肩の力を抜いて欲しいと思っていた。



「おやすみ。日向さん」

囁くような声に応える声はない。
それでも若島津は満足そうに笑って、自分も再びベッドに潜り込んだ。





***





かさり。


パチリと目を覚まして、ベッドに横たわったままで大きく伸びをする。その時に腕に何かが当たって、「?」と日向は首を傾げた。渇いた音をさせる何かを、ベッドに持ち込んだ覚えは無い。

(・・・・何だ?)

日向は幾度か瞬きをして、ゴロンと寝返りを打つ。肘をついて身を起こすと、すぐに違和感の正体が目に入った。
リボンのついたシールが貼られた、可愛らしい小さな袋。どうしてこんなものが、こんなところに      と思う間もなく、今日が8月17日だったことを思い出す。自分の誕生日だということを。

(・・・じゃあ、これって)

枕元にこんなものを置かれるだなんて、思いもしなかった。目を覚ましたらプレゼントがあるだなんて、クリスマスでもあるまいし       そんな風に思いながらも、唇が勝手に笑みを形作っていく。
いつぶりだろう。こんな、小さな子供相手みたいなことをされるのは。

起き上がってベッドの上に座り、袋を開けてみる。中に入っていたものは靴下だった。スポーツメーカーのロゴの入った、青い色の靴下。サッカー用のストッキングではなく、普段に履けるような短い丈のものだった。


「・・・ふ」

思わず小さな笑い声が漏れる。何を考えてこれを準備して、自分が寝ている間に置いていったのか      そんなことを考えるだけで笑えた。

日向が隣のベッドを振り返ると、案の定、若島津が目を覚まして日向の方を見ていた。心なしか、頬が赤い。どうしたのだろうか。

「・・・おはよ」
「おはよう。・・・なんだよ、これ」
「誕生日、おめでとう。大したものじゃないけど・・・まさか突っ返したりしないよね?」
「そんなことしねえよ。いくら俺だって」

若島津の言い方がおかしくて、日向はクスクスと笑った。若島津の目が僅かに見開かれる。

「若島津?」
「・・・いや、何でもない。      っていうか、色んな反応を予想してはいたんだけれど・・・でもさっきのも、あんな風に笑うだなんて思ってなかったから・・、ちょっと待って」
「あ?」
「いやホント・・あんたがそんな笑い方すると、破壊力がすごいんだよ・・・」
「ああ!?」

訳の分からないことを言い出した若島津に、思わず日向の語尾が上がる。だが若島津はそれ以上は言葉にせず、朱くなった頬を誤魔化すように急いで起き上がり、着替え始めた。「準備しないと遅刻するよ」と言えば、本気で怒っている訳でもない日向も慌てて立ち上がる。




(・・・びっくりした)

着替えの手を速めながらも、若島津はとりあえず一旦落ち着こうと静かに息を吐いた。

喜んでくれるかもしれないとは思っていた。贈った自分の気持ちを考えれば、嫌がらずに受け取ってくれるんじゃないかとは。
だが     

     あんな顔をするだなんて、思わなかった)

目を覚まして、まだ幾分か眠そうにしながらも枕元の包みを見つけてくれた。その途端に見せた彼の表情といったら      

柔らかく、綺麗な笑みだった。細まった目は穏やかで優しく、普段の彼の険しい目つきとは全く違った。『猛虎』と称される少年とはまるでかけ離れていて、驚くと同時に目が離せなくなった。
形のいい唇がゆっくりとほころんで笑みに変わっていく様は、ふんわりと花が開くようでもあって     

『綺麗だ』       そんな風に日向を思ったのは初めてだった。頬が勝手に熱くなっていくのも自分で分かったが、止められなかった。小学生の頃から知っている友人、それも男の友人を相手にどういうことだと思うけれども、こんな風に自制が効かなくなるのは初めてて、一瞬混乱した。

「・・・何なんだよ、俺」


(『可愛い』とは思ってたよ、『可愛い』とは!猫みたいで可愛いって!)
(でも『綺麗』って何だよ。綺麗って・・・。日向さんだよ!?この日向小次郎が、だよ!?)


内心で盛大に自問しているとその様子を不審に感じたようで、日向が「何?どうした?」と聞いてくる。「何でもない」と答えて、若島津は何事もないように振る舞った。

だが。

(・・・・でも日向さんって、実際、顔立ちは整っているし、鼻筋も通っているし、意外に睫毛長いし・・・)
(切れ長の目だってキツく見えるけれど、その分印象的で、見てるとこう、吸い込まれそうな感じになる時があるよな・・・・)

『綺麗』を否定するどころか、次から次へと日向の容姿に関しての美点ばかりが思い浮かぶ。

     俺、大丈夫かな・・・?この人のことは尊敬しているし好きだけれど、まさかこの人相手にそっちの方向に進んだりなんて・・・・まさかな)

まさかまさかと呟いて、ハハっと薄く笑う。すぐ傍で日向が気味わるげに見ているのも気が付かずに。





そんなこんなで部屋を出るまでに時間が掛かりすぎてしまい、日向と若島津は慌てて食堂へと向かうはめになった。
廊下を足早に進みながら、日向が「あのさ、さっきのさ・・・」と若島津に話しかけた。若島津は首だけを彼の方に向けて先を促す。身長差が少しだけあるので、こうして近くで並ぶと、自然と日向の方が見上げてくる格好になった。

「ありがとうな、プレゼント。・・・ちょっと恥ずかしいような気もするけれどさ。・・・俺、嬉しかった」
「・・・・・・・!」

上目づかいの、はにかむような笑顔。至近距離で見るそれは、先ほどの笑顔に比べても更に破壊力を増していて      若島津は目眩がする思いだった。

気のせいなんかじゃない。日向は『可愛い』。とっても『可愛い』。そのうえ『綺麗』だ。すごく、すごく綺麗な人だ       そう分かってしまった。

「・・・喜んでもらえて、俺も嬉しいです」

動揺していることを日向に覚らせずに済んだのは、偏に長年の空手の修行によるものかもしれない。若島津は幼い頃から慣れ親しんできた家業と、その鍛錬の賜物に感謝した。



若島津健、13歳の夏。
一番大切な親友が14歳になった丁度その日、若島津自身もこの先の長い長い人生を左右しかねない、大きな転換の日を迎えたのだった。






END

2019.08.17

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