~ 可愛い人 ~






かさり。

若島津の手の中で、小さな袋が音を立てた。

「んー・・・。どうすっかなあ・・」

簡素なラッピングが施された袋をしばらく手で弄び、口元に寄せる。無言で考え込んだ。



夏真っ盛りの蒸し暑い夜だった。だがそれは戸外の話で、東邦学園中等部の寮の中は空調が効いて涼しい。
若島津は日向と二人で使っている部屋の中で、ベッドに腰かけて悩んでいた。同室者の日向小次郎は風呂に行っていて、不在だ。普段なら若島津も同じタイミングで風呂に入るのだが、今日は先に済ませて貰うことにしていた。

若島津が先ほどから眺めているのは、今夜     正確には明日の日向のために若島津が用意したものだ。日向の誕生日のための贈り物。とはいっても、大したものではない。日向が気がねなく受け取ってくれる範囲内でと考えて、靴下を一揃え。ただそれだけだ。

(別に、物で喜ばせたい訳じゃないしな・・・)

日向に物をあげたところで、下手をすると嫌がられるか、怒られる。日向との付き合いも長く、その性格をよく知っているからこその、『どうすっかなあ・・・』なのだ。よく知りもしなければ、寧ろこんな言葉は出てこない。

「こんなものでも、受け取らないと一旦言いだしたら、絶対に受け取ろうとしないもんな・・・」

小学生の頃から、自分で働いて対価を受け取っていた日向だ。たとえ誕生日といえども、他人から一方的に物を与えられることは良しとしないだろう。

(あんな子供の時分から、人一倍しっかりしていたんだよな)


物で喜ばせたい訳じゃない     それは若島津の本心だ。
別に贈るものは何だって良かった。ただ日向の誕生日を祝いたい。日向がこの世に生まれてきたことも、日向に会えたことも、必然ではなく偶然の重なりであることを若島津は理解している。だからこそ、ありがたいと思う。彼に出会わなかったら、全く違う人生になっていたのは間違いない。

若島津にとって、『日向小次郎』という人間は特別だ。他の人間と同列に考えたりは出来ない。

そう思っているからこそ彼の誕生日に、わざわざプレゼントなどを柄にもなく用意してみたのだけれど     『受け取って貰えないんじゃ意味が無いよなあ』と、さっきからどうするべきか考えているのだった。



8月17日。自身がこの世に誕生するより4ヶ月も早く、若島津健の敬愛する日向小次郎は生まれてきた。
真夏の暑いさなかに。太陽が眩しく照りつける、力強くも容赦のない、美しい季節に。

その日向の誕生日が明日に迫っていた。二度とはやってこない、一度きりの14歳の誕生日。その日がもうじきやってくる。

(プレゼントの渡し方だけは、気を付けなくちゃいけないな     

若島津は改めて思った。




***


「若島津、お前、風呂行かねえの?」

首にタオルをかけた日向が部屋に戻ってきた。風呂で汗を流してさっぱりして、リセットできたのだろう。部活で声を荒げていた彼とは違って、若島津に話しかける声は柔らかい。
自分と二人きりでこの部屋にいる時には、外では見せないような表情をすることも多い。若島津はそのことに随分前から気がついていた。

(・・・可愛いな)

時折り、日向を人慣れない猫のように思うことがある。気位が高く、人に擦り寄ることの無い猫。そんな猫が自分だけに懐いたとしたなら、そりゃあ可愛いに決まっている。若島津が日向を『可愛い』と思う感覚は、それに近い。

(『可愛い』だなんて、絶対に言えないけれど)

そんなことを言ったなら、日向のことだ。絶対に怒り出すに決まっている。怒ったところですぐに宥められる自信はあるけれど、密かに『可愛い可愛い』と思っている方がきっと楽しい。
そう考えて、若島津はクスリと笑った。

「? 何だよ」
「何でもないよ。今、行くから」
「早く行っとけよ。・・・あ、そうだ。俺これからちょっと、反町んとこに行ってくるから」
「分かりました」

日向への誕生日プレゼントは、彼が部屋の扉を開けて入ってくるのと同時に、机の引き出しに仕舞いこんでいた。だから見つかってはいない筈だ。もし見咎めたというのなら、日向はその場で聞いてくるだろう。

「じゃあ、俺も行ってくるよ。・・・そうだ、反町にこれ渡しておいて」
「ああ」

貸して欲しいと頼まれていた小説本を日向に手渡すと、若島津は着替えを抱えて、部屋を出た。階下の風呂場へと歩きながら、これから数時間後の計画を頭の中で思い描く。

日向にどうプレゼントを渡すべきか    
だが実のところ、若島津の心の内ではひとつの方法にほぼ固まっていた。






あれは去年の年末のことだった。今から8カ月ほど前のこと。

東邦に来てから初めての冬。正月を実家で迎えるために、明和へと帰る道中だった。電車に二人並んで座り、揺られながら、話題は兄の到着を楽しみに待っているだろう日向の弟妹たちのことになっていた。

『クリスマスは一緒に過ごせなくなって、あの子たちには残念だね。あんた無しのクリスマスじゃあ、寂しがってたんじゃない?』
『どうかな。俺がいなくても、勝や直子のことは尊がちゃんと面倒見てやってるみたいけど。・・・あいつ、俺がいなくなってから代わりに色々頑張ってるって、母ちゃんが』
『尊が?あんたの代わりに?』
『ああ。クリスマスも、尊が直子と勝を寝かしつけて、その後で枕元にプレゼントを置いてやったんだと。・・・あいつだってまだ小さいんだし、そんなに頑張らなくてもいいのに』

誇らしそうにも寂しそうにも映る日向の横顔を、その時の若島津は黙って見つめていた。綺麗なラインを描く鼻梁が、東邦に上がったばかりの頃に比べて少し大人びて見えた。明和を出てからまだ一年も経っていなかったが、日向や若島津だって確実に変わっている。尊や直子も変わって当然だろう。ましてや勝などは、ぐんと大きくなっているに違いない。

可愛がっている弟妹達の成長を近くで見守ることは、日向にはもう出来ない。そのことが彼にとって小さくない心残りであることを、若島津は知っていた。

(ずっとこの人が父親代わりだったんだし・・・仕方がないといえば、仕方がないか)

普通の家庭であれば、兄弟間でそこまでの情をもつことは無いのかもしれなかった。若島津自身、姉とも兄とも仲は良いが、それでももっとドライな関係だ。
日向の場合は兄というだけでなく、父親のような目線で勝たちを見ている節がある。

「尊は今、3年生だっけ?でも来年には4年生になるんだし、あんたがバイトを始めたのもその頃なんじゃなかった?」
「・・・・」

そう問えば、途端に日向は唇を尖らせる。若島津は目を細めた。

「そんなに気にするなら、尊にはあんたがクリスマスプレゼントをあげたら?数日遅れたって、別にいいでしょ?」
「あ・・・そうか。それもアリか」
「全然アリ」
「じゃあ、そうする」
「うん」

そのやり取りはそこで終わったが、正月を過ぎて寮に再び戻ってくる時に若島津が尋ねると、『プレゼント、クリスマスみたいに枕元に置いてやったら、尊が喜んでた』と嬉しそうに日向は笑った。
その笑顔に『やっぱり日向さんは可愛いな』と思ったことは、内緒だ。





     だけどさ・・・)

風呂は一番混む時間を過ぎて、すき始めていた。脱衣場で手早く服を脱いでまとめると浴室の扉を開けて入る。

(尊には日向さんがいた訳だけれど、あの人自身にはそういう立場の『誰か』がいたことも無いんだし)

ボディソープを泡立てて身体を洗い、シャンプーもささっと終わらせて髪を結う。長い髪が風呂の時は面倒だと思う。

(あの人こそ、お父さんが亡くなってからは与える側ばっかりだったんだよなあ・・・)

湯にちゃぽん、と浸かると、若島津は背中を浴槽の壁に預けて、体から力を抜いた。

(だったら、きっと     

日向自身は明和に残してきた家族に     特に尊に対して負い目を感じているところもあるようだが、日向だって人が普通に子供時代に享受できるものを、受け取ってこなかったのだ。本人は自分のことに関しては無頓着だけれども。


その彼に対して何かを与えたいだとか、贈りたいとか思ってしまうのは     もしかしたら傲慢に過ぎないのだろうか。

そんなことも考えながら、のぼせる前にと若島津は風呂から上がった。








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