~ 悪戯 ~ その3



日向さんは今、俺と島野の部屋にいる。
おとなしく俺が部屋の真ん中に置いた、普段俺が使っている椅子に、ケープをかぶって座っている。
縁にプラスチックで張りが入っていて、下に髪の毛が落ちないようになっているものだ。

「お前、こんなもんまで持っているんだな」
「ん?ケープ?・・・あると、後片付けがラクだからさ」

島野の椅子を日向さんの近くに持ってきて、俺もそれに座ると、櫛を手にして日向さんと向きあう。
少し茶色がかった髪をひと房掬いあげてみる。
やっぱり、手触りがいい。
日焼けしなければ、もっとサラサラなんだろうけどな。今度トリートメント剤をプレゼントしよう。


「風呂の前に切っちゃった方がいいね」と俺が言ったので、日向さんは談話室からそのまま俺たちの部屋に来た。

若島津は「先に風呂に行っていますね」と日向さんに言い置いて、一旦自室に帰った。
島野には、「気が散るからどっかで時間つぶしてきてくれ」と言い、体よく追い払った。
このあたりまでは、俺の予定した通りに進んだ・・・・筈だった。



「じゃあ日向さん。始めるね」
「ああ。頼むな」
「じゃ・・・目をつぶって」

とりあえず伸びすぎた前髪を、ある程度短くしていくことにする。
鋏を入れようとして日向さんの額に指が触れると、ビク・・と日向さんの体が揺れたのが分かった。

「・・・肌を切ったりはしないから。リラックスしててね」

日向さんは目をつぶっている。
下を向こうとするのを、俺が手で顎を持ちあげて、心もち上を向かせる。
髪の毛が口に入るのが嫌なのか、唇は固く閉じられ、軽くすぼめれらている。


(うーん・・・。なんだか、キスをせがまれているみたい・・・。)


普段、誰よりも強い光を放つ瞳が隠されると、日向さんといえども、いつもよりほんの少し幼く見える。
そんな日向さんにイケナイことをしているみたいで、俺も少しドキドキしてくる。

(ダメダメ。集中集中・・・!)

一度そんなことを考えると、日向さんにその気がないのは分かっていても、そう見えてしまうから不思議だ。


目を閉じていてさえ、日向さんの顔立ちは綺麗だ。
スっと通った鼻筋に、形のいい眉。
まつげが思いのほか長くて、柔らかそうなフォルムの頬に影を落としている。


邪念を振り払い、もういちど鋏を入れるために髪を掬うと、指が当たったようでまた日向さんがピクリ、と震えた。

そういえば、この人は極端にくすぐったがりだ。
中坊の時には冗談でくすぐったりしたこともあったけど、やり過ぎると涙目になっちゃうから、引き際が大事だったんだ。

でも、極度のくすぐったがりって、要は敏感ってことだよな・・・。


(んー・・・。この状況でそれって、本当にマズイかも)


とはいえ、切るからには全く日向さんに触れない訳にもいかない。

「ごめんね。ちょっと、ジッとしててね。・・・少しくすぐったいかもしれないけど」

俺がそう言うと、日向さんは少しだけ目を開けて、ひどく真面目な顔をして頷いた。



なるべく触れないように気をつけていても、切ることに神経を集中させるとつい触れちゃうみたいで、その度に日向さんが反応する。
特にうなじとか耳のそばとか、微妙なところに鋏を入れようとすると、日向さんが緊張しているのがこっちにも伝わってくる。
ほんと感じやすいんだな。この人。
他の奴らに任せたりしなくて心底良かったと思う。
こんな日向さんと密室で二人なんていったら、実力行使に出ない奴がいないとも限らない。
・・・まあ、さすがにそんな勇気のあるヤツがいたとしても、無傷で済む訳は無いんだけど。



「そういえばさ、日向さん。もうすぐ誕生日だね」

あらかた短くした髪を、今度は最新の注意をもって整えながら、俺は日向さんに話しかける。

「ん?・・・そうか。そうだな。・・・っても、どうせ毎年それどころじゃないけどな」

日向さんは真夏の、太陽が一番強く輝く季節に生まれてきた。
確かに日向さんの誕生日は、いつだって大会の真っ最中だった。
去年までは例年のごとく馴染みの奴らと全国大会で闘っていたし、
今年は総体が終わったばかりなのに、もう冬の選手権の予選が始まる。

「岬は今度はちゃんと調整してくるだろうね。」

岬が日本に戻ってきてから初めて総体で対戦したけど、東邦は難なく準決勝で南葛を下していた。
日向さんも岬も1年生ながらにレギュラーだけど、既に3年間日向さんがプレイしているウチのチームに比べると、南葛は岬を活かしきれてなかったように思う。
でも冬までにはきっと、それも修正してくるだろう。
そして三杉のいる武蔵学園。半分選手、半分アシスタントコーチとして動いている三杉の色が徐々に濃くなるだろう。そうなれば東邦にとっては南葛以上に厳しい相手になる。

「冬の大会でも何でも、負ける訳にはいかねえよ。若島津がいて、お前らがいるんだ。こんだけ揃えておいて、負けてらんねえもんな」

・・・嬉しいこと言ってくれる。
確かに、この年代の日本代表には、日向さんだけでなく、若島津も俺も入っている。先輩たちもいる。島野も小池も都のトレセンには呼ばれている。
日向さんが東邦に来てから、全体的に底上げがされたのは確かだ。

「それに夏も冬も、3連覇を翼と約束してるしな。・・・あいつ、勝手に賭けにしてったし」
「え、何。そんなのアイツと約束してんの、日向さん。・・・っていうか、何を賭けたんだよ」

初耳だった。
翼って、やっぱり油断ならない奴だったんだな。
東邦一の情報網をもつ俺の知らないうちに、日向さんに勝手に約束を取り付けて、何かを賭けさせているんだから。

「ねえ。何を賭けたの?教えてよ~」
「・・・内緒」

すこしムっとした顔になって、決して教えてくれようとはしない日向さん。

テリトリー内に陣取っている若島津ならともかく、今は遠いブラジルにいる翼までが日向さんの中で重要な位置を占めているのって。
日向さんの、微妙に屈折した翼への気持ちって分かってはいるんだけど、分かっていはいたつもりなんだけど。
何だか悔しい。
悔しい・・・っていうか、こんなの、単なるヤキモチなのかもしれないけど。



少しイラっとする。
俺らしくない・・・って思うと、更に苛々する。
目の前の、この綺麗で天然で鈍感な人に対して、いつになく意地悪な気持ちがわいてくる。
あんたがそんな態度なんだったらさ。
俺、悪戯しちゃうよ。日向さん。


襟足の髪を揃える振りをして、さりげなくうなじに触れてみる。
そのまま指でなぞり上げると、日向さんの肩が強く揺れた。

「・・・・っ」

日向さんの喉から、声にならない音が漏れる。

・・・・面白い。
日向さんの反応に勢いづいて、今度は耳の後ろを触れてみる。
触るか触らないかくらいの微妙なタッチで、産毛を逆なでるように。
日向さんは、ギュ・・って強く目をつぶっている。

ついた髪を払う振りをして、耳のふちをなぞっていく。
日向さんの睫毛が震えている。
耳朶をこすって、そのまま耳にふう・・・っと息を吹きかけると、「・・ぁ」と、小さな声を漏らした。


自分でも声が出たことに驚いたみたいで、日向さん、顔が真っ赤。
大きな目を更に大きくして、困ったような顔をして下を向いている。


ん~。・・・カワイイ。
可愛いけど、コワイ。
何がって、後が。

さすがにこれ以上やると、わざとだってバレちゃうかな。バレたら、俺のこと、どうするんだろう。この人・・・



「ん。こんな感じでいいかな。・・・どう?日向さん」


とりあえず髪型はいい感じに出来たので、鏡を持ってきて日向さんに見せる。
日向さんは頬が上気していて目が潤んでいるけど、そのことには自分では気づいていないのかもしれない。
だって鏡もきちんと見ないんだもの。


「うん。・・・これでいい。ありがとな」

ロクにチェックもしないで、ケープもさっさとはずして、とにかく早く終わらせたいみたい。


そんな態度も、ちょっと癪に障るよね。
だから・・・


「あ、ちょっと待って。」

立ちあがろうとする日向さんの腕を引いて、もう一度椅子に座らせると、その唇に指を走らせる。
柔らかくて、ツンとしていて形のいい唇。

日向さんは本能的に逃げようとするけど、俺も離さない。そのまま赤い唇を指で嬲る。

日向さんが息を詰めるのが間近で分かる。
固く閉ざされていた唇が、花がほころぶように開く。
その奥に見え隠れする真珠のような白い歯に触れる。
日向さんの瞳が揺れる。



すごい・・・ね。
ホント、そんな風に反応されると、こっちまでおかしくなっちゃうよ。

「そり、まち・・」
掠れた声で名前を呼ばれるのに、俺もすごく感じる。
だけど。

「・・・髪の毛がついていたから。・・・ね?」

本当についていた髪の毛をつまんで見せると、中途半端に熱を持ってしまった日向さんを、俺は解放した。



       ******


「で、日向さんは?部屋に戻った訳?」

部屋を片付けると、小池の部屋で時間をつぶしていた島野を呼びにいった。

「そ。なかなか上手くできたんだよ。明日見てみな。・・・じゃあ、俺風呂に行ってくるから」

着替えを出して風呂にいく支度をすると、素っ気ない俺を不思議そうに見る島野を置いて部屋を出る。


人気のない廊下を、クールダウンついでにゆっくり歩く。
急がなくても、日向さんは風呂にくるまできっとしばらくかかるだろう。
若島津なら、今の日向さんがどんな状態なのか、すぐに分かるだろうから。


(日向さん、いじめられちゃうかな~。・・・その前に、俺、明日大丈夫かな)

自分の蒔いた種がどうなるのか見てみたい気もするけど、とりあえず身を守るのが先。
明日に備えて、さっさと寝ることにしよう。


日向さんのさっきの顔がちらついて、眠れないかもしれないけれど・・・。



風呂に向かう廊下の窓から、丸い月が綺麗に見えた。
夏の匂いのする空気が鼻先を掠めた。


気のせいか、日向さんの甘い声が聞こえたような気がした。



END

2011.09.27


       back               top