~ 日向兄弟 <尊編> ~ 5









「今日はどうしたの。急に帰って来るなんてさ」


食卓には温め直した母親手作りのコロッケ、蓮根のきんぴら、蒸し鶏のサラダ、舞茸とかぶの味噌汁が並んでいた。どれも小次郎の好物だ。
着替えを終えた尊と小次郎は、日向家の小さなダイニングテーブルで向かい合いながら、傍から見ていると気持ちがいいくらいの勢いでそれらを胃の中に収めて行く。

「選手権も終わったし。ご褒美で明日と明後日の午前中は休み」
「あ、そうだった。三連覇、おめでとう」
「さんきゅ」

尊は一旦箸を置いて、握った右手を小次郎の前に突き出す。小次郎も同じようにして握った拳をコツン、とぶつけてくる。

「すごいね、三連覇って。今までそんなの達成した学校ないでしょ」
「大会自体の歴史が古いから、昔はどうかな。ただ、今の形になってからは無いだろうな・・・。運が良かったんだ。ウチはいいメンバーが揃ったし、誰も怪我なく臨めたからな」

運が良かった、と言う小次郎に、尊は目元を緩めた。らしい、と思う。

冬の選手権は、高校サッカーをしている者にとっては夢の舞台だ。テレビで中継もされ、その知名度や注目度はインターハイや他の大会を超える。
概ね9月頃に都道府県の予選が始まるが、早いところでは7月、インターハイが終わる前に始まるところもある。代表校が出揃うのは11月に入ってからだ。
本大会は年末に開幕し、翌年1月半ばに決勝を迎える。そこでようやく高校サッカー部の頂点が決まるのだ。冬の風物詩とも言える大会であり、3年生にとっては正真正銘、最後の大会でもある。

当然、どこの学校も夏以降はこの大会に照準を合わせて、戦略を立て練習メニューを組み、ベストメンバーで臨んでくる。この選手権に優勝したチームこそが、高校サッカー界の王者となるのだから。
その大会で東邦学園高等部は三連覇を達成した。「運」などで片付けられる類のものでは無いことは、尊にも分かる。どれほどの偉業なのかということも。

「ほんと、怪我無くて良かったね。どんなに才能がある選手でも、怪我したらそこで終わっちゃう」
「ああ、お前も気をつけろよ。部活の前とか、しっかりストレッチしとけ。それだけで大分違うから」
「うん、そうだよね。そうするよ」

小次郎の言葉に実感がこもっているのは、足に故障を抱えて、3年生として出る筈だった最後のインターハイに出場できなかったという実体験があるからだ。
ただその時でも、小次郎は自棄になったり、必要以上に落ち込んだりすることは無かった。尊が心配して連絡を取った時にも、後悔を滲ませるというよりも、しきりに「自己管理が足りなかった」と反省していた。そして「冬は絶対に100%の状態で闘う。岬にリベンジしてやる。同じ失敗は繰り返さない」とも。

その言葉どおりに先だっての選手権では見事に並み居る強豪を制し、憂さを晴らすかのごとく勝鬨の声を上げた兄を、尊は誇らしく思う。

怪我のために試合に出場できない間も、筋力をつけたり、体幹トレーニングをしたりと、自分の体と地道に向き合ってきたのだと聞いていた。尊から見ても、小次郎の身体は以前よりも更に引き締まったように見える。



尊が小次郎を尊敬するのはそんなところだ。
思うようにならなくても、失敗しても、常に前を向き続けて「じゃあ、どうすればいいのか」と考える。そして実際に行動に移す。
基本的に小次郎は「思い立ったら即行動」なので、過去には周りに迷惑をかけたり、ワンマンだと糾弾されることもあった。だがそんな時でも、尊は兄が間違っているなどと考えたことは無かった。
中等部3年の時に沖縄に一人旅立った時でさえ、尊は小次郎が意味なく失踪する筈は無いのだと信じていた。だから後日「危うく出場させて貰えないところだった」と聞いた時には、そんな馬鹿な話があるか、と思ったものだ。

「やっぱ母ちゃんの飯はうまいな。寮のおばちゃんのもおいしいけど、やっぱ違うんだよな」

相好を崩して味噌汁をすする小次郎を、尊は目を細めて見つめる。

家族がこうして向かい合って一緒に食事を取るのは、本当なら普通で当たり前のことだ。だが自分と兄では、年に2回もあればいい方だった。
これから先はどうだろう。東京と埼玉という距離で、こんなものだ。もっと遠くに行ったなら?もっと手の届かない人になる?

帰って来る度に、会う度に、大きく強くなっている兄だ。
高校を卒業すればプロになり、高みを目指していくだろう。もしかしたら海を超えて、先に渡ったライバルたちのように大きな舞台に挑戦するのかもしれない。
どのみちこのまま行けば、いずれは国内という狭いフィールドには収まりきれなくなる人だと、尊は思う。

         もし海外に行くのなら、どこに?

中学生の自分には、到底追いかけることはできない。高校に上がっても同じことだ。家を離れて自由に動けるようになるには、まだ何年もかかる。年下に生まれたことが、4つも離れていることが、尊にはもどかしくてたまらない。
いや、そもそもどんな理由をつければ追うことが許されるというのか。

せめて、自分もサッカーをやっていれば良かっただろうか。そして何喰わぬ顔して、後輩として背中を追えばよかったのだろうか。

だが、尊には本当の意味でサッカーを愛することは出来なかった。小次郎がサッカーに夢中になればなるほど、尊は自分には到底無理だと思った。小次郎のように、サッカーというスポーツに熱中する自分の姿は想像できなかった。

だがそれで良かったのだと、一方では思うのだ。
自分がするべきことはサッカーではなく、大事な人に託された家族を守ることだったから         

「尊?どうした。呆けてるぞ」
「・・あ、何でもない。ごめん。考え事」

箸が止まっていたのを小次郎に指摘され、尊はハッとして我に返る。

「やっぱ、お前疲れてるんだよ。だるくはないか?今日は早く寝た方がいいぞ。・・・ただ、ちょっとさ。後で聞いてもらいたい話があるんだ。少しでいいから時間くれるか?」
「話?・・・いいけど。今ここじゃ話せないこと?」
「お前だけじゃなくて、母ちゃんと、直子たちにも聞いてもらうから」
「ふーん。分かった」
「疲れているのに、悪いな」
「全然」

小次郎がこの時期にわざわざ帰省してくるのだから、進路のことで話があるのだろうとは思っていた。「聞いて貰いたい話がある」と言われても、やっぱり、と思うだけだ。尊にしても覚悟はできていたから、それほど動揺は無い。

ただ、随分と持って回った感じだな、とは思う。

小学生の時に東邦に進むと決めた時でさえ、誰に相談することなく一人で決断し、学園側に「お世話になります」と返答していた。
それは経済的な負担が家族に生じないことを前提としたものではあったが、それにしても、事前に相談くらいはあってもいいだろうと、母親も尊も驚いたものだ。

その小次郎が、今回は帰省してまで「話がある」と言う。
事前に根回しをすることを覚えるくらいには大人になったのか、それとも特別に耳に入れたい大きなニュースでもあるのか。

         どこかのチームに、決まった?一体、どこへ?

尊は胸がざわつくのを覚えながら、とりあえずは食欲を満たすために、止まっていた箸を動かした。







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