~ 百花王 その後 ~
午前の授業を終えて昼食を摂ったあとの昼休み、日向小次郎はクラブハウスに向かって歩いていた。
寸暇を惜しんでサッカーをしようというのでは無かった。
クラブハウスの先に、樹々の手入れはされているものの、人気のない場所がある。そこで一人になって休みたかっただけだ。
今日は朝から眠かった。いや、今日だけではない。このところ妙に眠りが浅い。自覚しているのは、以前に変な夢を見てからのことだ。
あの夢をまた見ているのかというと、それは分からない。
熟睡できている感じがないから、何らかの夢は見ているのかもしれないが、日向はその内容を覚えていなかった。だから分からない。
いずれにせよ、はっきりと絵面まで思い出せるのはあの夜に見た夢が最後だ。日向自身がどこかの異国に飛ばされ、そこで若島津によく似た男に『父上』呼ばわりされる不可思議な夢。
(大体、なんで俺が親父なんだよ・・・。年からすりゃ、あっちの方がよっぽどオヤジなのによ)
今にして思えば、夢の中とはいえ随分と酷い目にあった。
身体を抑えつけられ、肌を撫でまわされ、無理矢理にキスをされた。
そこで日向は、ハタ、と気が付く。
(・・・あんな夢を見るってことは・・・・、おれ・・俺ってもしかして、欲求不満・・ってことなのか?)
いやいやいや、待て。
だけどそれにしたって、相手があんなオヤジなのはおかしいだろう。それに気持ちよくもなかった。むしろ気持ち悪かった 日向は一人焦る。
(だけど、いやに若島津に似ていたんだよな・・・・。あのおっさん)
目的の場所について、日向は柔らかな草の上に制服の上着を脱いで寝転がる。初夏の日差しが目に眩しく肌がチリチリとするが、吹く風は爽やかで気持ちが良かった。
このまま少しでもいいから寝たい。だがそう思う一方で夢に出てきたあの男のことが気にかかる。
昏い目をしていた。笑っているのに、泣いているみたいな顔をしていた。
日向のことを抑えつけながら、なのに縋りついてくるみたいだった。いい歳をした中年の男なのに、どこか子供じみていた。
(あれは・・・もしかして、俺の想像する若島津、ってことなのかな。つまり俺は、大人になった若島津はあんな感じになるって思っているのかな・・・)
あんなことを日向に強要しながら、欲に濡れた目ではなかった。どちらかというと脅えているような、切羽詰ったような印象だった。
だからきっとこんなに気になるのだ。
日向は目を閉じて風に吹かれるままに前髪を遊ばせた。
(おかしいな。本当の若島津は、俺の前であんな顔をしたことはないんだけどな・・・)
日向にとっての若島津は、日向の前では穏やかで優しく面倒見のいい男だった。そしてそれ以外の人間の前では、必要があれば猫を被るが基本的には面倒くさがりな男だった。
『日向さんだけ。日向さんだけが欲しいんだ』と、若島津はよく言ってくる。
その通りに振る舞おうともするし、何においても日向のことを最優先させようとする。
それでいいとは日向は決して思っていないから、何度も『そんなことまでしなくていい』だの『自分のことを一番に考えろ』だの言い続けているのだが、一向に変わる気配は無かった。
若島津が日向のことを一番に考える それは日常生活の些細な面でもそうだったし、進路を決めるといった人生の大きな転換点においてもそうだった。
それに、夜の生活においても。
(・・・あいつ、そんな時だって結局、俺ばっかり・・・だし)
身体を重ねる時ですら、若島津は常に日向の意思を尊重し、自分のことは後回しだった。
誘ってくるのはいつも若島津の方だったが、気分じゃなくて日向が『今日は止めておこうぜ』と断れば、素直に引いた。日向がその気になれば、日向の身体に無理がないように細心の注意を払って抱いた。
(そんなんだから、俺が欲求不満になんかなる訳がねえよな・・・)
人と比べた訳ではないが、日向はそれほど自分が性欲がある方だとは思っていない。その自分に合わせているのだから、むしろ欲求不満になるのは若島津の方なんじゃないか そう思うくらいだ。
だが本当は日向だって、若島津の望むようにしてやりたいと思う。
次の日に影響さえしないのなら、好きなようにしてくれて構わない。もっと酷くされたっていい。
もちろん気を使ってくれるのは有難いし、嬉しくもあるけれど それにしたって若島津は日向のことばかりを考え過ぎなような気がする。
小学生の時からの付き合いなのだから、若島津の本来の性格がどういうものなのかは知っていた。
少なくとも子供の頃はかなり好戦的で火も付きやすく、群れるよりは一人でいる方が好きで、他人の後ろにつくようなタイプではなかった。
それが何故か、日向にだけは違った。日向を構い、日向がしているからとサッカーを始め、東邦に行くと言えばついてきた。
若島津の判断の基準は日向だった。日向がどう感じるか、日向が望むことか、日向のためになることなのか 気が付いたらそうなっていた。
今では他人から『若島津らしい』と思われている用意周到な面も、おそらくは日向のために動いているうちに自然と身についた性質だ。
「・・・あいつ、何で俺ばっかりなんだろ」
時に日向は疑問に思うのだ。
一体自分は、これほど大切にされるような何かをあいつにしただろうか。あいつが差し出すだけのものを、俺はどこかで返してきたのだろうか 。
だが幾度考えても、思いつかなかった。
理由が分からないから、気になる。大事にされていることは分かるけれど、それしか分からないから不安になることもある。
だからせめて、日向を抱く時くらいは好きにすればいいと思う。
日向は若島津の大きな手のひらを思い浮かべた。皮膚の固い、ざらざらとした手のひらだ。指が長くて太くて、でも形のいい手だ。日向のゴールを守り、勝利へと導いてくれる手。
その大きな手で、指で、若島津は日向の肌を撫でていく。無骨な見た目からは想像つかないほどに優しく、柔らかく触れていく。そして日向が少しでも反応を見せると、今度はそこを確かめるように唇が辿っていく。
日向の呼気や肌の粟立ち方、微かな声さえも若島津は見逃さない。日向が感じていることを示す箇所は漏らさずに、全て若島津が拾っていた。
だけど。
日向が気持ちいいように、苦しくないように、大変な思いをしないように・・・そんな触り方じゃ、もう物足りない。 そう言えばいいのか。
自分だけが気持ちよくなりたい訳じゃない。 どう言えば伝わるのか。
日向は、若島津にもちゃんと気持ちよくなって欲しかった。
若島津がしてくれることを、同じようにしてやりたいとも思った。
「・・・・やば」
知らず若島津にされたあんな事やこんな事を想像していたら、感じてしまった。身体の中心部に熱が集中し始めているのが分かる。
焦りもするが、だがこんな場所で処理できる筈もない。
まだ昼休みの時間はあるから治まってくれるだろうか 日向は股間を隠すように横を向いて丸くなった。
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