~ 桜咲く日のお引越し ~ 2
********
「若島津、俺、こっちのベッドでいいか?」
窓に向かって右側のベッドを指して、日向が後から部屋に入ってきた若島津に問う。
「いいよ。俺、どっちでもいいし。・・・・前の部屋と同じだね」
「俺もどっちでもいいけど、やっぱり慣れたほうがいいかな。じゃないと、間違えてお前のベッドで寝ちまうかもしれないし」
他の寮生に比べても日向の荷物はだいぶ少ない。階下にある前の部屋と何度か往復はしたが、そんなに苦労せずに荷物を移動することができた。
日向に比べれば、若島津の荷物は多少増えていた。
「お前、結構持ち物増えてたんだな」
「そうだね。捨てれば減るんだけどね。ウェアとか・・・結構新しくしたし」
「・・・・勝手に一人でデカくなりやがってよ・・・」
出会った頃に、若島津に 『お前、きっと大きくなるからキーパーやれ』 と言ったのは日向だった。だけど、実際にその通りになって若島津が順調に身長を伸ばしていくと、日向は面白くなさそうに拗ねて見せる。中2になるこの春には、身長だけでなく肩幅や体の厚みといったものも、若島津は日向をすっかり超えていた。
「あんただって伸びてるでしょ。でも、お下がりでよかったらあげ・・」
最後まで言い切ることはできなかった。日向が枕を投げてきたからだ。
「避けるなっ」
「避けてないよ。キャッチしただけ」
「じゃあ、キャッチするな」
「理不尽だなぁ」
可愛いな・・・と思ったが、日向との付き合いも既に3年近くになろうかという若島津は、ここで笑うようなヘマはしなかった。臍を曲げたところで後腐れのない日向だが、分かっていて怒らせる必要もない。
とりあえず運んできたものを収容する必要がある。暫くは二人で黙々と片付けに勤しんだ。
「こんなもんだな」
作り付けの箪笥や机の中に荷物をしまいこむと、日向は寮の裏庭に面した窓を開け放った。
「うん。新しい部屋といっても、代わり映えしないね。・・・少し、見晴らしが良くなった程度?」
「だな。でもここは奥の角部屋だし、一応は静かな方なんだろうな」
階下でも階上でも、他の部屋ではまだ移動が終わっていない生徒がいるらしい。ザワザワとした声や、物を動かす音が窓越しに飛び込んでくる。
「今日からまたよろしくな!若島津」
窓から入り込む陽射しを背にして、振り返りながら日向が言う。若島津はその笑顔に目を細めて、「こちらこそよろしく。日向さん」と返した。
「そういや、こっち、隣の部屋は誰が入るんだろうな」
日向はただ一つの隣部屋がある方の壁を指差して、若島津に聞いた。
「さあ。・・・確か、ウチの部の人間じゃなかったようですけどね。誰だったかな。とりあえず今回は反町たちじゃありませんよ」
「ふーん。・・そっか。反町と島野じゃないんだ」
わざと反町の名前を出したのに、素知らぬフリをする日向に若島津は苦笑した。日向から言い出すつもりはないらしい・・・ということがこれで判明したが、若島津としては確認しておきたいことが一つある。
「日向さん」
「ん?」
「どうして反町の誘いを断ったの?部屋替えの時、一緒の部屋になりたい・・って言われたんでしょう?」
「・・・何だ。知ってたんだ、お前」
別に隠してた訳じゃないからな・・・と前置きをして、悪びれる風でもなく日向は説明した。
「断った、っていうかさ。俺、お前と何にも話をしてなかったから。2年になったら部屋をどうするとか」
「そうだね」
「だから、若島津に聞いてみないと分からない、って反町には答えた」
「・・・でも、俺に何にも聞いてこなかったよね?」
反町が日向と同じ部屋になりたがっていることは知っていた。何故なら、反町自身がわざわざ若島津に知らせにきたからだ。 『日向さんがいい、って言うなら別にいいっしょ?』 と何気なさを装ってはいるが実は本気の反町に、若島津は余裕の笑みを浮かべただけだった。
だがその後、日向からそのことについて触れてくることは無かった。事前に何の相談をすることもなく、ただある日、若島津に 『若島津。これに名前、書いておいてくれ』 と入室希望の届出用紙を差し出しただけだった。
「いつ相談されるのかな・・・って思っていたんだけど。結局無かったね。どうして?」
「・・・・」
若島津に問いただされて、日向は少し困ったように頬をポリ、と掻く。
「どうして?日向さん」
「・・・思いつきもしなかったから」
「何が?どういうこと?」
日向の答えはそっけないものだったが、若島津としてはこれで納得する訳にはいかない。この先、寮の部屋替えはまだ何度もあるのだから、ここで日向の考えを聞いておく必要があった。
今回だって、たった一人の同居人として日向に選ばれる自信はあった。だがそうは言っても、もし万が一、何かの間違いがあって誰かが先に日向と『約束』でもしてしまったなら、こうして同じ部屋に入ることは叶わなかっただろう。日向は先に取り付けた約束を、後の約束のために反故にするような人間ではない。そのことは若島津が一番よく知っている。
心配はしていなかったが、そういう意味では、リスクが全く無かった訳ではないのだ。
「だから、反町に言われてさ。お前に聞かなきゃ・・・って思ったんだけど。でも逆に言えば、反町に言われるまで、そんなこと思いつきもしなかった・・・ってことだろ?」
「・・・」
「俺はお前と一緒にいるのが当たり前になってたし、だからお前と約束しなくちゃ・・・なんて、これっぽっちも考え付かなかった」
「・・・そうだよね」
「お前も何にも言ってこないし、きっとお前にとってもそうなんだろう・・・って思って。それで、反町には『若島津と一緒の部屋になるから』って答えたんだ。その時かな。断ったのは」
「それで、俺に何にも聞いてこなかったの?」
「うん。・・・ダメだったか?」
駄目だなんてこと、あるはずが無い。日向の言うとおり、若島津にとっても、日向と一緒にいるのが当然だ。当然というよりも、もはや必然だった。
だが、若島津は日向から寄せられる信頼の大きさに、少したじろいでいる自分も感じた。
そんなに、信用して。俺があんたにとって、これから先も害の無い人間だと、どうして言い切れる?
日向には言えない。誰にも言えない。
薄暗い部屋の中、先に眠ってしまった日向のあどけない寝顔に、時折自分が何を見ているかを。
捲れ上がったパジャマから覗く締まった腹に、すんなりと伸びた足に、自分が何を感じているかを。
あの日以来、どうしても頭の隅から払うことのできない日向の姿。熱のために荒い呼吸を繰り返す唇と、伏せられた瞼を縁取る長い睫。
そんなものに、確かに欲情しているみっともない自分がいることを 。
「俺と同室じゃない方が良かったか?」
日向に話しかけられて、ピクリ、と若島津の体が揺れる。
若島津が黙り込んで何も反応しなくなったことで、どうやら不安にさせてしまったらしい。本当にこの人は 若島津は思う。この人は自分と違って、何も隠すつもりはないのだ。
その証拠に、こうして困り果てた子供のような表情を見せる。
「何、言ってるんだよ、日向さん。そんなことある訳ないでしょう? 俺も、日向さん以外となんて考えてなかったし」
「そっか。そうだよな」
ほっとしたように小さく息をつき、日向が笑う。若島津の大好きな、優しい、柔らかい、人を温かく包み込むような笑顔。
「引越し終わったんだからさ、早く着替えて、部活行こうぜ。まだ時間じゃないけど、先に練習してりゃいいだろ?」
「自分の片付けが終わったら、引越し手伝えって、先輩に言われてなかった?あんた。近藤さんとかに」
「そんなの、知らねぇよ。部活に関係あることなら手伝うけどさ。自分の荷物増やしすぎた方が悪い。・・・だろ? それに」
お前とサッカーする方が、何倍も楽しいしさ そう言って日向は、若島津の目の前でTシャツを脱いで、上半身裸になってから、サッカー部のウェアをしまったばかりの箪笥から引っ張り出した。
今度は、若島津が小さく嘆息する番だった。
秘密を抱えながらも、日向のことは手放せない。ならば、秘密は秘密のままにしておくしかないのだ。覚悟ができていないのは、自分だけだ。でも 。
「あんまり、信用しないで欲しいよなぁ・・・」
「何か言ったか?」
日向が振り返って尋ねるのに、若島津は自分も着替えを用意しながら、「何でもない」と微笑んだ。
END
2014.05.09
back top