~ 桜咲く日のお引越し ~





桜の花が開花する頃、東邦学園高等部、中等部の寮では大々的に民族大移動が始まる。
新しい入寮生を迎えるための引越しがあるのだ。

中等部と高等部の寮はそれぞれに別の建物になっていて、敷地の境界には一応、区切りとなるフェンスがある。中等部1年から2年、2年から3年の引越しはまだいいが、中等部3年から高等部1年の部屋への移動は、寮暮らしで荷物が少ない生徒たちにとってもなかなかに一仕事だった。

それでも面倒とは言いながらも、部屋が変わるのは楽しいことでもある。目新しい刺激など何も無い都内の辺境にある寮だからこそ、階が変わったり、同居人が変わるだけでもそれなりの変化だ。毎年、入寮生たちはお祭り騒ぎのようにして引越し作業を終えるのが常だった。

「よっ・・・・と。ちょい、島野。どいて」

狭い部屋のどこにしまっていたのかと思うほどの衣装ケースを抱えて、反町が階下の部屋から上がってきた。「どいて」と言われた島野は、「それ、どこに置くつもりだよ。また俺の場所を侵食するんじゃないだろうな」と文句を言いつつも、大人しく退く。

「いいじゃん、島野、荷物ないもん。その覗きに使う望遠鏡だけっしょ。・・・イテ」

趣味が天体観測という島野は、小型だが高性能の天体望遠鏡を寮に持ち込んでいる。その島野に尻を蹴られた反町は、「いてぇな。何すんだよ」と悪態をつきながらも、何の迷いもなく相方のベッドの下に自分の衣装ケースをしまった。

「いや、これでも大分捨てたんだよ?身長だって、この1年で随分伸びちゃったからさあ。着れないのは捨てたり、あげたし。また新しいの買いに行かなくちゃ。・・・・っていうか、また一年間、島野の顔見んのかよ~」
「それはこっちの台詞だっつーの。またお前のお守りか・・・」

基本的には寮の部屋割りは自由だった。どの部屋も二人用に作られているので、『原則として二人で入る』ということと、トラブル防止として『同学年で入る』というルールがあるが、それくらいだ。引越しの直前までにお互いに合意して寮監に届け出さえすれば、それで同居人は決まることになる。
今回の引越しでも、実際に何組かは同居人を変えた部屋があるようだった。

「あー、日向さんと一緒になりたかったなぁ」
「なれば良かったじゃん。なれるもんなら」

パフン、と荷物を積み上げたままのベッドに倒れこみ、恨み節のように反町が言うのに、島野はそっけなく返した。
島野だって出来ることなら、敬愛する日向と同室になってみたい。だが、『なってみたい』だけだ。自分がそれを真剣に望むことはないだろうと思う。
何故なら、日向と同じ部屋で四六時中一緒に過ごすということは、ある意味、心の安らぐ時間が無いからだ。

「言ったさ。言ったよ。 『2年になったら一緒の部屋になろう』 って。でもさあ・・」

口調こそ軽かったかもしれない。でも、反町としては本気でそう提案したつもりだった。イヤ、提案というより懇願に近かったかもしれない。
だが、日向の答えに反町は玉砕した。
日向から返ってきたのはたった一言、『なんで?』だった。


「なんで?なんで?なんでってさあ~、そんなの、一緒の部屋になりたいから、じゃダメな訳!?」
「えー・・・、駄目だったんじゃないの?日向さん的には」
「そう・・・だよねぇ」

だから、ちゃんと理由を挙げたつもりだ。つもりだったのだ。だが日向には通じなかった。


        なんでってさ。俺、日向さん、好きだし。一緒にいて楽しいし。
        俺もお前のこと、楽しいヤツだと思うけど。でも俺はそんなに喋らないし、何も面白いことないぞ。

        ホラ、俺って結構いい加減だし、片付けも苦手だし、日向さんといると見習うかなーって。
        ・・・あの島野と一年間一緒にいてもダメだったんだろ。そんなの無理だろ。

        朝起きるのも苦手だし、島野だと甘えちゃうし。日向さん、早起きじゃない?
        そういえば若島津も朝が苦手なんだ。あいつ、俺以外のヤツと一緒の部屋になれるかな。

        日向さんが、好き、なんですっ!一緒の部屋に、なりたい、んですっ!


ついに大声で反町がそう言い切った時、日向は元々大きな目を真ん丸くして、その一瞬後には若干引いていたような気がする。今にして思えば確かに逃げ腰になっていた。
『いや、ヘンな意味じゃなくて!尊敬している、ってことだから!』と反町は慌ててフォローしたが、リカバリできなかったからこそ、こうして島野と同室になっているのだろう。

「ほんっと、つれないよなあ・・・。でもまたそこがイイっ」
「お前、完全にビョーキ。病院に行け」

反町と島野は初等部からの付き合いで長いが、中等部から編入してきた日向とはまだ一緒になって1年ほどしか経っていない。だが反町は、このスポーツ特待生でもある同級生のことをすぐに気に入ったし、興味を持った。
だからこそ、サッカーなんて遊びでしかやったことも無かったのに、学園内で最もレギュラー争いが激しいと囁かれる部の門を叩いたのだ。

最初はとんでもないところに入ったと思った。
器用さと足の速さには自信があったが、とてもじゃないがそれだけで通用するとは思えなかった。
それでも、いつかは日向と肩を並べて走りたい、走るのだと、心に決めた。必ず、追いついてみせる。必ず、力になって見せる。今はまだはるか先を行くあの人の             

そうしてがむしゃらに走り続けた1年がもうすぐ終わる。レギュラー獲得への道筋はまだ見えない。

だけど、反町には段々と分かってきたことがある。背中を追い続けてきた日向でさえ、実はそんなに強いだけの人間ではないということ。

意志が強くて、何事にも真剣で、妥協ということを知らない日向は鋼のような精神力の持ち主だと思っていた。
目標に向かってひたすらに努力を重ねる忍耐強さには、到底敵わないと思う。
だけど。
時折見せる俯いた姿の、首筋の、肩の、あの危ういほどの脆さはどうか             

強さと弱さを併せ持つ日向に惹かれる。彼が彼らしくあり続けるためなら、どんなことでもしてあげたいと思う。
引き換えに何か褒美を貰えるとするならば、笑顔だけで十分だ。


そこまで考えて、確かにもう、軽くビョーキなのかも・・・と苦笑する。


「・・・でもさ」
「あ?」
「笑った顔の破壊力が、これまた抜群なんだよねぇ・・・」
「それは、まあ・・・分かるな」


窓の外では、寮の敷地内に植えられた桜の木々が陽の光を浴びてその花弁を輝かせている。こうして見るとどっしりとして存在感のある花木なのに、どこか儚く、あくまでも美しい。
薄いピンク色の花びら1枚1枚の可憐さに、反町はふわりとした日向の笑顔を思い浮かべた。








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