~ 月に花火 ~6




風呂から上がっていつもより遅く布団に入った小次郎は、眠気を覚えてあくびをした。隣では尊がとうに夢の中だ。直子も勝も、今日はみんながあっという間に寝付いたらしい。きっと自分と別れてからもそれぞれに祭りを楽しんだのだろう。

小次郎は暗くした部屋の天井を何となしに見つめながら、今日あったことを思い返した。

健と一緒に露店を回った。射的もしたし、スーパーボールすくいもした。獲った玩具は健が『いらない』と言うので、尊や直子にと貰ってきた。

(一緒に焼きそばも食べたし、若島津の友達とも会った。それから・・・)

小次郎は右手を顔の前に掲げて、じっと眺めた。

二人で手を繋いで走った。提灯と屋台の灯りが照らす道を、人の波を縫って笑いながら走った。母親が知ったら多分怒られるけれど、すごく楽しかった。
並んで花火も見上げた。首が痛くなったけれど、近くで見る花火は綺麗で、空一面に大きく広がっていた。

(空手の形っていうのも、初めて見た・・・)

小次郎が空手と聞いてイメージするものは、向かい合った二人が闘うものであったり、もしくは積まれた瓦を拳で割ったり、跳び蹴りをして板を割ったりするものだった。形というのは正真正銘、今日初めて目にしたのだ。

小次郎は布団の中で寝返りを打つと丸くなった。指先で唇に触れると吐息が熱くて、熱があるんじゃないのかと思った。

健が舞台の上で両手を高く掲げたあの瞬間、小次郎の意識は健にしか向かなかった。それほどに健の纏う雰囲気も、動作のすべても美しかった。
祭りの櫓に組まれた簡素なステージだというのに、それすらもまるで健のために特別に誂えたような場所に思えた。

『暁よりも』と健は言っていたが、暁と健のそれは全く違うと小次郎は認識している。

暁の形も確かに綺麗だった。身体も大きいし、手足も長いから同じ動きでも迫力がある。舞台を踏み鳴らした時の音も、健や他の人とは違った。
より完成された形ではあった。あれを競技として点数をつけるのなら、もしかしたら暁の方が健よりも上なのかもしれない。
だけど      。

それでも、小次郎は健の形は特別だと感じたのだ。

健が形を披露する時、周りの音の一切が止んだ。樹々の葉擦れの音ひとつなく、虫や鳥など生き物の気配も感じられなくなった。他の人の時には、何かしらの騒めきや気配が神社を囲む森から感じられたというのに。

勿論、小次郎がそう思っただけの話かもしれない。健の形に集中するあまり、雑音が入ってこなかっただけなのかもしれない。
だけどそうじゃないんじゃないかとも、小次郎は思っている。説明はつかないけれど。

(ああ、そうだ。それに月     )

月の光が柔らかく健を包んでいた。まるで健自身が発光しているかのように、動くたびに金の光が波打った。掲げた腕から、伸ばした指先から、揺れる髪の先から光の粒が零れ落ちた。
これだって誰かに話したなら「思い過ごしだ」と笑われるのかもしれないけれど。

    ううん。でも、多分。そうだ、きっと)

きっと健はあの森にも山にも、神社にも好かれているのだ。そう思えば腑に落ちた。
若堂山もそれに続く森も、あの辺一帯は若島津家の所有なのだという。明和神社の神主だって若島津の家に連なるものだという話だった。
それで物心つく前から、森も神社も走り回っていたのだと健は言っていた。「兄貴は真面目だから稽古をサボったりしなかったけど、俺はよく抜け出して遊んでいたから」と、あまりにもらしいことを言うものだから、小次郎も笑った。
家族に怒られてもしょっちゅう遊びにくる若島津家のやんちゃな末の子を、あの山に祀られた神様だってきっと可愛がったに違いない。健自身も『生まれた時からいるこの町が好きだ』といつも言っている。想われれば想い返すのは、土地だって自然だって同じかもしれない。
そうとでも考えなければ、小次郎には今日見たものは理解できなかった。



それでも。

空手をしている健がどれだけすごくて美しいのかを知ったうえでも、小次郎は健が欲しい。サッカーを一緒にする仲間として。
ゴールマウスの前に立つ健だって、今日の舞台の上の健に負けないくらいに格好よくて、特別なのだと思っている。

自信に満ちた態度と不遜な顔つきで相手を煽るのだって、あいつらしくていいと思う。本人は「やるならFW」と言ってGKを承知してはくれないけれど。
だけど、まだ説得の時間はある。来年の大会までに何とかGKとして参加して貰えるようにもっていくんだ      小次郎は改めて強く思う。

眠気が段々と強くなって、瞼が下りてくる。
小次郎は逆らわずに目を閉じて、ゆるりと四肢の力を抜いた。




***


「空手はよく分からないけれど・・・お前が一番、綺麗だったよ」

上手いとか上手くないとかはよく分からないけれど、お前の空手は綺麗で、なのに何だか怖くて、目が離せなかった      素直に称賛したいのだけれど、どう言えば伝わるのか分からなかったから、正直に感じたままを言った。案の定、驚いたような顔をされたけれど。

「怖かった?尊もそんなこと言ってたけど」
「うん。・・・お前じゃないみたいだった。でも本当に、カッコよかったよ。俺もサッカーやってなかったら、やってみたいと多分思った」
「・・・夜の神社とか、そういうので怖く見えたんだろ。お前が恰好よかったって言うなら、それでいいや」

健はまんざらでもなさそうに笑った。それから「日向は兄貴のことが好きだから、やっぱり兄貴が一番恰好いいって言うのかと思ってた」と言って、今度は逆に小次郎を驚かせた。

「何で?暁兄ちゃんのことはそりゃあ好きだけど・・・お前のお兄ちゃんだからじゃないか。別に、お前より好き、ってことはないぞ」
「・・・だよな。・・なあ、もう一回言えよ」
「何を?」
「俺が一番って」

小次郎は健をまじまじと見つめた。どうやら、小次郎がそんなことを言う筈がないとでも思っているようだ。いつもの人の悪そうな笑みを浮かべている。

確かに普段の小次郎だったら、この自信家の同級生をこれ以上天狗にするような言葉を掛けたりはしないだろう。
だけど、今日はそうしたいような気がした。自分にとっては忘れたくないくらいに特別な一日となったことを、ちゃんと伝えたいと思った。それにはやっぱり、言葉にするしか無いのだろう。

小次郎は花火の音に掻き消されないように、再び健の耳元に顔を寄せる。

「お前が一番だよ。空手もだし・・・俺の一番の友達はお前だから」


空高く上がった花火が、夜の帳を極彩色に染め上げて下界の人々を照らしだす。幸せな人も、そうでない人も同様に、平等に。




赤く青く照らされたその時の健の晴れやかな笑顔は、その後も小次郎の胸に長く残り続けた。
二人が大人になった後も。

ずっと、ずっと、永いこと。







END

2016.08.18

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