~ blessings おまけな話 ~
「先に帰ってりゃ良かったのによ・・・」
若島津の予想したとおり、日向の熱は一晩で下がった。昨日のくったりと弱った日向が嘘のように、いつもどおりの彼がそこにいた。
そして日向は、目覚めてから既に日付が12月30日になっていることに気がつくと、一晩つきあって寮に残った若島津に対して、傍から見れば暴言ともとれるような言葉を吐いたのだった。
「あんたはそう言うけどねぇ・・・。いくら俺だって、そんな冷たいことしないよ。そりゃ全く違う場所に帰るんならともかくだよ、同じ町に帰るのにさ。あんた置いていったら、周りにどう言われると思ってんだよ」
日向の言葉を文字通りに受け取る必要は無い。日向は、若島津が自分の誕生日を誰に祝われることもなく、人気のない寮で過ごすことになったことに対して罪悪感を持っているだけなのだ。それが日向なりの気遣いからだということが若島津には分かっている。だから、あまりと言えばあまりな言いようにも、腹が立つことはない。
それに実際に一人で先に帰ったりしたら、面倒な言い訳をあちこちでしなければいけないのも事実だった。明和にいる日向のファンは、若島津家の人間だけではない。今でこそ『日向小次郎親衛隊』といえば東邦サッカー部1年次のメンバーだが、元祖は明和FCなのだ。それ以外にもおでん屋の店主やその常連客、新聞屋で若島津とも顔見知りになった大人たち。誰もが若島津の顔を見れば、「小次郎はどうした、元気か。一緒じゃないのか」と聞いてくるだろう。それらの質問に、「日向さんは熱を出したので寮に置いて来た」とは、いくら『面の皮が見た目以上にブ厚い』と反町に評される若島津であっても、到底答えられる自信は無かった。
そして何よりも、若島津自身が一人で帰るなんてことは望まなかった。
人の気も知らず・・・と若島津が思うのは、こんな時だ。
日向は、自分からは愛情や関心といったものをごく自然に他人に与えることができるのに、他者からそれらを受け取るのはどこか下手なところがあった。父親を亡くしてから、家族のために人よりも一足早く大人になる必要があった日向だから、単に他人に甘えることに慣れていないのかもしれない。若島津は日向のそういった不器用なところも好ましく思っている。だが、一緒に暮らすようになってから、たまにふと若島津だけに見せるようになった日向の子供っぽい顔は、もっと好きだった。
今もすねたような顔をしてベッドの上でパジャマのままで座っている日向は、やはりどこか可愛らしい。ピッチに立てば『猛虎』と称されるほどに荒ぶるプレイで熱く人を魅了する彼が、唇を軽く尖らせて、まるで小さな子供のように不満をその表情で訴えている。
日向自身は意識していないのだろうが、このギャップを初めて目の当たりにした人間はかなりの衝撃を受けるらしい。反町や島野もその一人で、「意外に日向さんって可愛いんだね」と言って、そのまま日向のファンであることを公言するようにまでなってしまった。
「大体、あんたが言ったんんだろ。寂しいから帰らないでくれ、って」
「ばっ・・!俺がそんなこと言うわけねぇだろっ!」
「ほんとだよ。誰もいない寮は何か出そうで怖いし、側にいてくれって言ったじゃんか」
「嘘ばっか、言ってんじゃ、ねえっ!」
日向は顔を真っ赤にして枕を投げつけてくるが、若島津としても全くの出鱈目を言っているつもりは無い。
狭い家で3人もの弟妹たちと一緒に過ごしていた日向は、絶えず周りに人がいて賑やいでいるのを好む傾向にあった。談話室の馬鹿騒ぎに若島津が耐えられなくて「先に部屋に帰る」と言っても、ついてこようとせずに残ることもあった。
「ウチの誰かに車で迎えに来て貰ってもいいんだけどさ。そんだけ元気になったんなら、電車で大丈夫だよね。服を出してあげるから早く着替えて。早く帰んないと、直子ちゃんたち待っているんでしょ。朝御飯は無いから、コンビニで何か買ってこうか」
箪笥から適当に引っ張り出した着替えの服を若島津が手渡すと、日向はようやく自分の家族のことに思いが至ったのか、少々バツが悪そうな顔をして若島津の手から服をひったくるようにして取った。
「お前がくだらない嘘ばっかつくから・・・!」
「だって、日向さんってからかうと面白いんだもん。」
若島津はにっこりと笑って返すが、対する日向が笑うどころか、真剣に怒っているらしいことに気がついて、緩めていた頬を引き締めた。
「ごめんって。別に、そんなに怒るようなことじゃないだろ?」
「・・・・」
ちょっと、やり過ぎたかな・・・
そう少し反省しつつ、だがそれを口にすれば火に油を注いでしまうことになりかねないため、若島津は敢えて何ごとも無かったかのように振る舞い、「さあ、着替えて早く帰ろう」と日向を促した。
明和に帰る電車はすいていた。まばらに人の乗った車両の中に、二人で並んで座った。普段ならば大抵、日向は「立っていた方がラク」といって座ろうとはしなかったが、さすがに病み上がりなので若島津が背中を押して座らせた。
外は天気がよく、冬晴れの朝だった。低い角度で斜めに差し込んでくる日差しが眩しいほどで、若島津は背中側のブラインドを下げた。
「何だよ。外が見えなくなるだろ」
「眩しいんだよ。子供じゃあるまいし、後ろを向いてまで外を見たりしないだろ。前が見えればいいじゃん」
洗濯物を少量詰めただけの軽いスポーツバッグを網棚に置いた日向は、腕組みをして前を向き、向かいの車窓に映っては流れていく景色を眺めていた。日向はたとえ車内がすいていても、足元に荷物を置こうとはしなかったから、若島津も同じように網棚に荷物を乗せていた。
「高等部になったら、正月になんて帰れないね。・・・っていうか、帰れるようじゃ困るけどね」
「・・・・」
「今回、ウチの高等部は国立に行けるかなぁ。国立行ったら、見に行きたいよね」
「・・・・」
若島津が何を言っても、日向は前を向いて腕を組んでいるだけで、一言も話そうとしない。
普段はケンカをしても引きずることのない日向なだけに、自分の何がそんなにまで不機嫌にさせたのかと、若島津は不思議に思う。なんといっても、一応は熱に倒れた日向を案じて、一晩付き添った身なのだ。
小学生の頃の自分であれば、「一体、何様のつもりだよ。」と喰ってかかっていても、おかしくはないだろう。さすがに、今はそんなこともしないが。
「・・・あのさあ、日向さん。俺、本当に家に帰るのが遅れたくらい、どうってことないんだけど」
「・・・・」
「それより、そんな風に日向さんにムッツリされる方が、よっぽど辛いんだけど」
「・・・ムッツリなんか、してねえ」
「そう?なら、いいけど」
わざとらしく、若島津がにっこりと笑って日向の顔を覗き込む。口調こそぶっきらぼうだったが、確かに日向の表情は怒っているというよりも、困った時に彼がよくするようなそれだった。
「・・・お前の」
「え?」
「・・・お前の誕生日だっていうのによ。おばさんたちだって、そのつもりで用意してくれてたんだろうが」
「まあ・・・そうかもね」
「そうかも、じゃねえだろ」
日向としては、普通の日であれば一日若島津を付き合わせたところで、そこまで申し訳ないと思うこともなかった。だが、昨日という日付が悪かった。若島津家でも久々に帰って来る末っ子の誕生日を祝うべく、あれこれとご馳走を用意して待っていただろう。それくらいは日向にだって想像がついた。
「うーん・・・。あんたが思うほど、うちはイベント重視じゃないんだけどなあ」
「・・・・」
「それに俺、結構楽しかったけど。昨日」
「あ?」
「寝込んでるあんた、可愛かったし」
「・・・俺は真面目に言ってんだぞ」
「俺も真面目だよ。何が無くてもさ、あんたが誕生日おめでとうって言ってくれたし。家族もいいんだけどさ、友達と一緒にいる誕生日ってのもいいじゃん。俺はそれで十分嬉しかったんだけど。そういうのって変なのかな」
「・・・」
ふああ、と欠伸をして、「まあ、貸しってことなら、そうしておいてもいいよ。いつか返してよ」と若島津は言った。
「俺、少し寝ていい?電車って何故か眠くなるよね」
「・・・着いたら起こしてやる。それで借りは帳消しな」
「早っ。」
若島津は首を傾けて、日向の頭に自分の頭を軽く持たせかけた。
「お前の頭、重い」
「俺の方が身長も座高もあるんだから、しょうがないじゃん。肩じゃ低いんだもん」
そう言いつつも、ずりずりと腰を前に出して高さを調節し、若島津は日向の肩の高さに頭がくるように、体勢を整えた。
「日向さんって、あったかいよね・・・」
「・・・もう、熱はないぞ」
「うん。分かってる」
若島津は目を閉じて、その後は二人とも無言のままだった。
電車が線路を走る心地よい振動に身を任せ、少年二人は静かに、懐かしい我が家へと運ばれていった。
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